それには魔法が足りない




 人の周りに漂う色が見える。
 天馬がそれに気づいたのは、ロケでの休憩時間にふらりと公園を散策して、戻ってきた時だ。「天馬くん、どこに行ってたんですか」と駆け寄ってきた井川を包むのは、あざやかな黄緑色。輪郭を縁取るように、少し黄色味の強い色彩が井川の全身をすっぽり覆っている。
 思わず目をまたたかせるものの、その色は消えない。それどころか、撮影スタッフに目を向ければ、色こそ違えど同じように全身が何らかの色彩に包まれている人がちらほら見受けられる。
 どういうことだ、と目をこすった天馬は、撮影後に急きょ病院へ赴くことになった。





 診断結果は異常なし。視力はもちろん、諸々の機能に問題はなく、至って健康であると眼科医は太鼓判を押した。ただ、異常を訴えることをむげにはできなかったのだろう。
 後日、さらなる精密検査を行うということで決着して、一旦病院からは帰ることになった。青みがかった緑色をまとった医者は、「何かとお忙しい職業ですから、ストレスかもしれません」と言っていた。
 一応その言葉を受け入れて、とりあえず明日は一日オフということになり、天馬はMANKAI寮へと帰り着く。泊まりがけの地方ロケだったので、一日ぶりの寮だった。

「おかえり、天馬くん!」
「おかえり~、サンカクいっぱいあった~?」

 玄関先で天馬を出迎えたのは、椋や三角をはじめとする夏組だ。全員寮にいたようで、わっと天馬を取り囲む。
 五人を包むのは強く輝くような黄色。それぞれの輪郭を縁取る様子はまるで発光しているようで、何だかまぶしく感じてしまうくらいだ。思わず目をまたたかせると、一成が「どしたん? ゴミ入った?」と聞くので、天馬は首を振った。
 素直に言ってもいいのかもしれないけれど、原因もよくわからない。報告したところで何が変わるとも思えなかったので、天馬は詳細を語らないことにしていた。
 色が見えると言っても、輪郭を縁取るように周辺を漂うだけなのだ。塗りつぶされて表情が見えないだとか、色彩によって視界が妨げられるだとか、そういうわけではないのだし、黙っていても問題はないだろうと判断したのだ。

「天馬さん、ロケどうだった? 話聞きたい!」
「さっさと着替えとかしてきたら。オレたち談話室にいるし」

 明るい九門の声に続くのは、落ち着いた幸の言葉だ。つっけんどんとも言えるけれど、彼なりの労いであることは天馬にもわかった。
 それに、漂う黄色はやっぱり今もまぶしくて、何だか心の奥まで照らされるようで気持ちが明るくなる。それに背中を押されるように、天馬は素直に「そうだな」と答えて自室へ戻った。




 手早く荷物を片づけて、着替えを済ませた天馬が談話室へ顔を出すと、「てんま、こっちだよ~!」と手招きをされた。ソファに座れば、キッチンから「テンテン、飲みたいもの何かある? みんなも希望言ってねん!」という一成の声が飛んでくる。
 めいめいが希望を告げれば、ほどなくして人数分のドリンクを持って一成がやってくる。椋が率先してそれぞれに配りつつ、一成は「おつかれーしょん!」と明るい笑顔でオレンジジュースの入ったコップを差し出した。
 受け取ろうとした天馬は、動きを止める。正面に座る一成の周囲には、コップの中身にも似たオレンジと、光の塊みたいな黄色、それからはっとするような赤が漂っていて天馬は思わずそれを見つめた。

「どしたの、テンテン。お疲れでぼーっとしてる系?」

 ひらひらと目前で手を振られて、天馬ははっと我に返る。
 あまりにもあざやかで、色濃い色彩だった。今まで何人も、体を包む色は見てきたけれどこんなにもきれいな色をしている人間は初めてだったから、思わず見つめてしまったのだ。もしかして、本人の色彩センスとか関係あるのだろうか、と思いつつ、天馬は「何でもない」と首を振る。
 一成は安心したように「ならよかった!」と笑ってから、思い出したようにポケットを探った。「お仕事頑張ったテンテンにはこれもあげるねん」と言った手のひらには、キャンディーの包み紙が一つ。
 両端をねじって留めるタイプで、いかにもキャンディーらしい見た目をしている。カラフルな水玉模様の包み紙には、ところどころにハートが入っていてかわいらしい。出かける前にもらったものと同じようだった。

「ああ、ありがとな」

 周りを漂う色彩に目を奪われていたことを悟られないよう、平静を装ってそう答える。それから、ほとんど反射的にキャンディーとコップを受け取った。
 キャンディーをポケットにねじ込んで、コップに口をつける。すると、オレンジジュースの独特の甘酸っぱさが通り抜けていって、天馬は一つ息を吐き出した。
 特に自覚はなかったけれど、実際疲れていたのかもしれない。周りで交わされる、他愛ない夏組の会話に肩の力が抜けていくことを感じる。
 ロケでの撮影は慣れているけれど、今回は妙なものが見えるし病院まで行ったし、イレギュラーが多すぎる。寮というよく知った場所に帰ってきて、安心しているのかもしれない。明日はオフにして正解かもな、と思いながらさらにコップを傾けている。

「天馬さんが行ったのって、山のほうなんでしょ?」

 嬉々とした調子で尋ねたのは九門だ。行き先なら告げてあるし、LIMEでもやり取りはしているから、どんな場所に行ったのかは全員ちゃんと把握している。天馬はオレンジジュースをこくりと飲んでから、九門の言葉に答える

「ああ、そうだ。まあ、森の撮影は森林公園のほうでやったし、山での撮影はあんまりなかったけどな」
「お山なら、いっぱいサンカクありそう~。てんま、サンカクいっぱい見つけた?」
「三角が喜びそうなものは特になかったぞ」
「しょぼーん……」

 素直に答えると、三角がわかりやすく落胆した。すると、それと同時に三角を取り巻く黄色がさあっと青へと変化した。一筆でさっと塗り替えたように、深い海のような青が三角を取り囲んでいる。
 複数の色をまとう人は見てきたけれど、こんなにハッキリと色の変化を見るのは初めてだった。一体どうして、何がきっかけで色が変わったんだ、と天馬は内心で首をかしげるしかない。

「あ、でも、三角さん。天馬くんが送ってくれたこの写真、ほら、雲がサンカクですよ!」
「マジじゃん。むっくんさすが~!」
「ほんとだ! てんま、隠れサンカクじょうず~!」

 グループトークを見返していた椋が言えば、一成が相槌を打つ。反応した三角は、スマートフォンを掲げて嬉しそうに笑った。天馬に向けてきらきらとしたまなざしを浮かべていて、その周囲は再び黄色に染まっている。
 一連の流れを見ていた天馬は、もしかして、と思う。この色の変化には、何らかの法則性があり、それはもしかして、本人の心境に関わるのではないか。三角が落胆した時は青になり、笑顔を浮かべた時は黄色になった。心情変化に呼応して色が変わるのではないか、と天馬は仮説を立てる。

「……これはクライマックスのシーンで、結構上のほうまで行ったからな。そんなに高い山じゃないけど、見晴らしはよかったから空もよく見えたんだ」

 当時のことを思い出しながら、天馬は状況を語る。夏組の誰もが、黄色をまとって相槌を打ってくれるので、その様子を確かめながら天馬は言葉を続けた。次に口にするべきことを、慎重に思い定めながら。

「アクション要素の多いシーンの撮影だったんだけどな。急きょ、崖のシーンの撮影が追加された。安全には気をつけてたけど、俳優の一人が足を滑らせて落ちそうになってヒヤッとしたな」

 撮影中に起きそうになった事故だ。断崖絶壁というほどではないにせよ、十メートル以上の高さがある。落ちればただでは済まないし、命にも関わるだろう。
 その時のことを説明すると、まず椋の顔が青ざめた。九門も泣きそうだし、三角も眉を下げている。一成は「何もなくてよかったねん」と言って、幸はいつものクールな表情を崩さないけれど、まとう色は全員変わっていた。光り輝くような黄色は、緑がかった青色に塗り替えられている。
 それを確認した天馬は、先ほどの自分の仮説を思い浮かべる。
 楽しく話をしていた時は黄色で、誰かが怪我をしそうになった話では青色。サンカクがなかったと聞かされた三角も、色合いは違えど青い色をまとっていた。この辺りを鑑みると、プラスとマイナスで色が変わるのかもしれない、と天馬は思う。プラスなら黄色、マイナスなら青色、というように。
 そこまで考えた天馬は、ふっと息を吐き出した。感情変化が色になって見えるだなんて、自分でも馬鹿らしいことを考えていると思ったからだ。とは言え、色が見えること自体は事実なのだ。何らかの因果関係がハッキリするのは、悪いことではないのだろう。

「――まあ、その後は特に危ないこともなく撮影も終わった。怪我しそうになったって俳優もピンピンしてて、森林公園の撮影の時はやたら張り切ってたな」

 やたらと広い公園で、休憩時間にはレンタルサイクルで遊びまわっていたことを思い出して、そう付け加える。途端に、椋と九門が「よかったね!」「レンタルサイクルとかあるんだ!」と言い合っていて、まとう色も変化する。
 青色はすぐに消えて、慣れ親しんだ黄色にオレンジ色が混ざっている。天馬が手に持つコップに入った、オレンジジュースのような色合いだった。
 それは当然のように夏組全員に広がっていて、どうやら「何事もなく撮影が終わった」という事実に、全員ほっとしているようだった。表情の変わらない幸でさえもそうなので、天馬は何だか面白くなる。顔に出ないだけで、やっぱり夏組は全員同じなんだな、と思って。

「そういえば、ポンコツから森林公園の写真送られてきたけど。何かやたらと広くて、森の中みたいだった」
「うん。ヘンゼルとグレーテルとかに出てきそうな感じで……迷い込んだら出られなさそうだなって思っちゃった」
「椋なら平気だと思うけど、ポンコツは確実に迷うでしょ」
「どういう意味だよ。舗装されてる道があるから平気に決まってる」
「舗装されてなきゃ迷う、と」

 クールに切り返されて、天馬は一瞬言葉に詰まる。その隙を見逃す幸ではないので、「ほら見ろ」と言わんばかりに肩をすくめていた。

「この森林公園、ブルーベルって花が有名らしいよん! 見頃は春だからテンテン行ったときは咲いてなかったと思うけど!」

 二人のやり取りを気にしていないのか、あえて話題を変えるためか。スマートフォンを操作していた一成が声を上げて、画面を夏組全員へ向けた。そこには、真っ直ぐに並ぶ木立の足元に、青紫色の花が絨毯のように広がる写真が写っていた。

「釣鐘の形してて、イギリスの春を知らせる花だって。日本の桜みたいな感じなのかな~」
「帽子みたいでかわいいねぇ」
「小人さんがかぶってそうですね!」

 ニコニコと言い合う三角と椋の言葉に、一成が楽しそうに「そんな感じするよねん」と相槌を打ってから言葉を続けた。

「ブルーベルって妖精の花って言われてるらしいよん! 帽子にしてかぶってそうっていうのも、間違ってないのかも!?」

 そう告げる一成は、森林公園のWebサイトを読んでいるらしい。興味深そうにブルーベルの在来種やら外来種の説明をしてから、「てか、この辺妖精の里って言い伝えあるんだね」とつぶやく。

「もともと、妖精の話があるからブルーベルの森作ったっぽい感じ? この辺の山とか森には昔から妖精が住んでるんだって」

 コラムのようなページに書かれているのは、天馬が訪れた地に伝わる妖精伝説だった。
 曰く、その土地には人の心を見ることのできる妖精が住んでおり、時折人里に下りてくる。その際、手酷く扱えば七日間視界を奪い取るものの、親切にすれば三日間妖精の視界を貸してくれるという。

「甘いものが好きだから、お菓子あげるといいらしいよん。小さな子の姿で現れるから、子どもにはやさしくしようねって話なのかも?」

 一通り画面上の文字を読んだ一成が顔を上げる。「まあ、地方にはそういう話よくあるよね」と幸がうなずいて、三角は「妖精さん、サンカク好きかなぁ」と首をかしげている。椋は椋で「会ってみたいけど……ボクなんかのところに来てくれるわけがないよね……」と言っていて、九門が明るく「そんなことないって! もしも椋のところに来たら、一緒に遊ぼう!」と声を掛けている。
 それを聞く天馬は、「そんな話があったんだな」と思っていた。地方ロケ先のことはざっと調べたりするものの、基本的な事項と名産品だとかそれくらいだ。土地に伝わる話まではあまり目を通さないので知らなかった。

「見た目は普通の人間と変わらないけど、ちょうちょのモチーフがどこかに使われてることが多い、だって。なんかオシャレじゃね?」

 ちゃんと区別つくようにしてくれるとか、やさしいよね~という呑気な言葉に、天馬の眉がわずかに寄った。ちょうちょのモチーフ、という言葉に思い浮かぶものがあったのだ。


******


 森林公園での撮影中。次のシーンまでの休憩時間に、天馬は公園内をふらりと散策していた。本物の森ならばいざ知らず、舗装道路があるのだ。一本道ということもあり、いくら広い公園とは言え、迷うことはないだろうと判断した。
 平日の時間帯と、広大な敷地という条件だからだろうか。辺りはひっそりと静まり返って、風に揺れる葉擦れの音だけが響く。遠くに撮影班の姿を認めつつ、整然と並ぶ木立の中を天馬は歩いていた。
 頭上を覆うような木々のせいか、日の光はあまり入らない。すれ違う人もおらず、まるで一枚の絵の中に入り込んでしまったようだった。あまり遠くへ行くつもりもなかったので、そろそろ戻ったほうがいいだろうか、と思った時だ。
 ゆるやかにカーブを描いた道の先に、誰かが座り込んでいることに気づいた。どうやら、小学生くらいの男の子のようだ。
 もしも歩いているのなら、そこまで気にすることはなかった。ただ、うなだれるように座り込んでいるので、一体どうしたのかと天馬は思う。いぶかしんでいる間にも足は動いて、結局男の子の前までやってきてしまえば、天馬のすべきことは一つしかなかった。
 どうしたのか、と声を掛ける。ベースボールキャップをかぶった男の子は、弾かれたように顔を上げた。キャップには蝶々のピンバッジがついていて、何かのスポーツチームのものだろうか、と天馬は思う。
 短く言葉を交わせば、お腹が空いて座り込んでいたのだと言う。具合が悪いわけではなく単なる空腹らしい、ということでほっとするものの、天馬は食料の類を持っていない。
 すると、男の子は天馬の思考を見透かしたように、甘いものを食べれば元気になるんだけど、と続けた。その言葉に、天馬はポケットの中のキャンディーを思い出す。
 出かける前、玄関で顔を合わせた一成から「がんばってねん!」と渡された。両端をねじって留めるタイプの、いかにもキャンディーらしい見た目。カラフルな水玉模様の包み紙には、ところどころにハートが入っていて、「かわいいっしょ」と笑っていた。
 手頃な糖分補給用にと持ってきていたけれど、今一番必要なのは目の前の男の子だろう。
 キャンディーを渡すと、男の子はぱちりと目をまたたかせた。数秒考えたあと、キャンディーを受け取ると口に放り込み、もごもごと転がしている。お気に召したのか、次第に顔中に笑みが広がっていく。
 元気になってきたらしいけれど、一応医者に行ったほうがいいんじゃないか、と天馬は口を開きかけたのだけれど。

――お兄さん、ありがとう!

 男の子は勢いよく立ち上がると、天馬に向けて礼を言った。はつらつとした雰囲気で、具合の悪そうな様子はかけらもない。飴玉一つで全ての不調が吹き飛んでしまったような、そんな様子だった。

――これならちゃんと帰れそう! 本当にありがとう!

 にっこり笑った男の子は、襟の付いたシャツを着ていた。胸元には、キャップのものと違う蝶々のピンバッジがついていて、虫が好きで森林公園を訪れたのかもしれない、と天馬は思う。

――それじゃ、三日間だけ貸してあげるね。

 ニコニコとした笑顔で告げられた言葉。何を指しているのかわからなくて、「え?」と聞き返す。しかし、男の子は天馬がいぶかしむ様子など、まったく意に介していないようだった。それじゃあね、と言うと天馬が来た道とは反対へ走り去っていく。
 あまりにも軽やかで、引き留める暇もなかった。医者に行ったほうがいい、なんて言葉をかける隙もなく、男の子の背は瞬く間に遠ざかる。天馬は「一体何だったんだ」と思いながら、その背中を見送るしかなかったのだ。



******


 一成の言葉に思い出したのは、あの男の子だった。蝶々のピンバッジをキャップとシャツにつけていた。ただそれだけの、偶然の符号と言うことはできた。だけれど。
 甘いもの。子どもの姿。蝶々のモチーフ。三日間。貸してあげる。
 人の心を見ることのできる妖精は、親切にすれば三日間妖精の視界を貸してくれる。どんな風に心が見えるかはわからない。もしかしたらそれは、感情の変化が色になって見えるような、そういうことなのではないか。
 馬鹿らしい話で、荒唐無稽なことを思っている自覚はあった。だけれど、あの地に伝わる言い伝えとの奇妙な符号は確かな事実だ。何よりも、天馬が人の周りに漂う色彩を目にとらえるようになったのは、あの男の子と出会ったあとからなのだ。
 三日間貸してあげる、とはつまり、妖精の視界を、という意味だったのだろうか。だから今、天馬は感情の色彩を目に映しているのだろうか。
 思わず黙り込んだのは、頭に浮かんだ可能性について考えていたからだ。その奇妙な沈黙を、見逃すような夏組ではなかった。

「え、テンテン何その反応。もしかして何か思い当たる系?」
「天馬くん、妖精さんに会ったの!?」
「ほんと!? どんな格好してた!?」
「ついに幻覚を見るようになったか……」
「妖精さん、サンカクだった~?」

 やんやと降ってくる言葉に、天馬は眉根を寄せる。「まさかそんなわけないだろ」という言葉は、真実心からのものだ。妖精に会って感情が色として見えるようになったかもしれない、なんて馬鹿な話あるわけがない。
 嘘偽りなく天馬は思っているけれど、同じくらいに理解もしていた。
 人の周りに漂う色が見えることは、紛れもない事実だ。恐らくそれは感情に呼応していて、心の様子を色彩としてとらえることができる。それが妖精の力の結果だなんて確証はないけれど、同じくらいに、完全に否定できる要素もないのだ。