それには魔法が足りない
翌日になっても、天馬の視界は変わらなかった。相変わらず、それぞれがあざやかな色彩をまとっているように見えるのだ。
妖精云々なんて信じてはいない、と天馬は内心でごちるけれど、もしかして、と思っていることも事実だった。なにせ、朝から周囲の様子を観察した結果、昨日の仮説を裏付けるような事実ばかりが積み上がっていくのだ。
何かに集中していたり一人で作業したりしている時は、色はないことがほとんどだった。ただ、外部からの刺激を受ければ、途端に色彩があふれだす。感情に呼応している、というのは恐らく間違ってはいないのだろう、というのが天馬の結論だった。
さらに、色にもどうやら法則性があることを天馬は理解した。
朝から太一が深い青に包まれているので、どうしたのかと思えば昨日返ってきたレポートの点数が低くて悲しいのだと言う。
左京と何やら言い合っている莇の周りには濃い紫色が漂い、左京はいくぶん薄いものの、やはり同じような紫。
咲也とシトロンが仲良く雑談をしているときは、やわらかな桜色が二人を包む。
誉がお土産だと言って渡したスパイスを受け取る千景は、無表情ながらもあざやかな黄色をまとっていた。そのあざやかさは、三角がサンカクを見つけた時と同じだったので、実は相当喜んでいるのではないか、と思う。密に尋ねてみれば「うん。あれはすごく喜んでる顔」と言われた。
観察の結果、天馬はおおむね感情と色の関係性を理解していた。
喜びは黄色、楽しいはオレンジ。悲しみは青、怒りは紫。疑いや不信は緑で、親愛や友情の類は桜色のようだ。マイナス感情は寒色系、プラス感情は暖色系という傾向があるらしい。
自分自身の感情変化に色はついて見えないので、確証は持てていない。それでも、朝から観察した結果として、間違ってはいないだろうと天馬は結論を下した。同時に、それなら三日くらいは待ってみるか、とも。
妖精の仕業であると信じたわけではないけれど、はっきりと否定もできないのだ。実際感情が色になって見えるなんて荒唐無稽が起きているなら、三日で戻るという話だって事実かもしれない。
精密検査を受けるのが三日目であることも手伝って、ひとまず今日は一日のオフをゆっくり過ごすことにしよう、と思ったのだ。
(案外悪いものでもないしな)
談話室で一人、昼食を取る天馬はぼんやりと思っている。用意されたサンドイッチとコンソメスープを腹に収めつつ思い出しているのは、昨日から今日にかけての光景だ。
カンパニーで暮らす団員たちは、それぞれ多様な色彩を身にまとっていた。テストが憂鬱だとか仕事に行きたくないだとか、そういうものもあるけれど、団員たちの多くは黄色やオレンジ、桜色に包まれていた。それは、カンパニーの誰もが互いに向け合う好意を伝えている。
いつもクールな幸や、表情の変化がわかりにくい十座、ポーカーフェイスのガイ。たとえばそんな彼らも、親愛の桜色や喜びの黄色を身にまとっていた。言葉にも顔にも出さないだけで、カンパニーのことを大切に思っているのだということがわかって、天馬にはそれが嬉しかった。
(けっこうきれいなんだよな。カラフルだし)
ふわふわ食パンに、黄身の味がしっかり残るたまごサンド。味わうように噛みしめながら、天馬は思う。今の天馬の視界は、いつだってあざやかな色に包まれている。視力に影響があるわけではないので、ただ世界中の全てが美しい色彩に満たされているのだ。
だから、案外この状況は悪くないと天馬は思っている。誰かが近くに訪れると、空気が華やかに色づく。天馬の心を浮き立たせるように、何もかもが彩り豊かに染まっていくのだ。
もしもそれが、マイナスの感情ばかりだったら天馬も困ってしまったかもしれない。だけれど、カンパニーの誰もが快い感情を抱いていることがほとんどだから、天馬の気持ちは弾むばかりだ。
昨日から見えている景色について思いを馳せていると、不意に談話室の扉が開く。聞き慣れた声が飛び込んできた。
「あれ。テンテン、一人だけ?」
顔を向けなくても、独特の呼び名で声の主はすぐにわかる。もっとも、今の状況では恐らく声が聞こえなくてもすぐにわかっただろう、と天馬は思う。
「ああ。みんなこの時間は出払ってるみたいだな」
「なる~。カントクちゃんがいたら、お昼一緒にできたんだけどねん」
机を挟んで、向かいの椅子に座った一成は言う。監督は寮にいることが多いので、談話室での昼食ともなれば一緒になることはよくある。ただ、監督は演劇関係のワークショップに出かけていて不在なのだ。
一成は、明るい笑顔を浮かべて「オレも、あとちょっとしたら出かける予定だよん」と告げる。漂う色彩は、光を放つような黄色とオレンジ。それから、薄いピンク色に、はっとするほどあざやかな赤だ。
一成が身にまとう色彩を見つめる天馬は、コンソメスープを飲みながらしみじみと思う。相変わらず、こいつの色は一人だけやけにカラフルだ。
カンパニーの団員たちは、感情に呼応した色を身にまとっている。心境の変化によって色の種類は変わるけれど、それに加えて、人によっても微妙に色味が変わることに天馬は気づいた。
同じ黄色でも、クリームに近い薄い黄色の団員もいれば、あざやかなレモン色に包まれている団員もいる。そんな中、一成がまとう色はどれもが明るく、色が濃くて、何よりもはっと目を引くようなあざやかさだった。
だから、一成が部屋に入ってくるとそれだけで空気が変わる。まとう色彩の気配を漂わせているから、天馬は一成が近くにいると肌でそれを感じ取っていた。だからきっと、名前を呼ばれなくたって一成に気づいただろう。
(――やけに目立つ色もしてるしな)
ちらり、と前方の一成へ視線を向ける。一成は何だか嬉しそうに笑っていて、滑らかな色彩はいっそうあざやかさを増したようだ。
いくつもの色が一成を包んでいるけれど、中でも一番目を引くのは、あざやかな赤だった。リンゴやイチゴのような赤より、もう少し桃色に寄っている。深みのある色彩は、目を惹きつけて離さない力強さがあった。
団員たちが宿す色彩の中でも、一成と同じ色を持つ人間はいなかった。だからどういう感情なのかはわからないけれど、桜色が親愛であることから考えて、恐らくそういう類のものだろうと予想はできた。
一成以外では見たことのない色だ。理由はわからないけれど、恐らくその辺りは色彩感覚の違いか何かなのではないかと天馬は考えていた。
一成のデザインセンスについては、劇団員の誰もが知るところだ。フライヤーからカンパニーのWebサイト、それから一成自身が描く絵など、あらゆる媒体で目にする通り、一成は芸術的な才能を持っている。その中には、色彩に対する鋭敏な感覚も含まれているはずだ。
カンパニーにはデザインセンスに優れる幸や、同じく美大に通う万里もいる。ただ、絵を描くという点に関して言うならば、抜きん出ているのが一成だ。だからこそ、身にまとう色だって呼応するように鋭い色彩感覚が発揮されているのかもしれない。
「てか、テンテンはお疲れちゃんじゃない? 大丈夫?」
「特に疲れてはない。でもまあ、今日は一日休みだからな。休息にはなるだろ」
あらかたサンドイッチを食べ終わった頃を見計らって、一成が口を開く。確かに地方ロケ帰りだけれど、疲労困憊というわけではないのでそう答えると、一成が笑った。赤色に黄色が混ざって溶け合う。
「そっか、ならよかった! 何かテンテン、疲れてんのかな~って思ったんだよねん」
昨日から何かちょっと様子おかしかったっしょ、と言われて天馬は数秒目をまたたかせた。視界の様子が突然変わって戸惑っていたのは確かだけれど、そこまで顔に出していたつもりはなかったのに。
そう思ったものの、すぐに考えをあらためる。目の前の人間をはじめとして、夏組メンバーは些細なことにもよく気がつく。恐らく、全員どことなく天馬の異変を察してはいたのだろう。だから、口にはしないだけで心配はしていたのかもしれない。
「まあ、そうだな。昨日は少し考えることがあったんだ。ただ、今はもう解決したから心配するな」
現状は特に何も変わってないけれど、そう答えた。具体的に体調が悪いわけではないし、戸惑ってはいるものの、困っていたわけでもない。それに、一晩経てば視界にも慣れてしまったから、戸惑いもだいぶ消えていた。だから、天馬は何も言わないことにした。
段々現状も受け入れつつあるものの、荒唐無稽な話だという自覚はある。感情に呼応した色が見えるなんて、証明する手段もないのだ。自分で言っていても信じられる話ではないし、わざわざ告げる必要はないだろう。
もっとも、一成は信じるだろうな、と天馬は思っていた。夏組のみんなだって、カンパニーのメンバーだってそうだ。一成なんて、むしろ楽しそうに大騒ぎして「なにそれ!? めっちゃやばたんじゃん! オレも見たい!」なんて言い出しそうだとさえ思ったけれど。
「うん、わかったよん。あ、でも、マジで何かあったらちゃんと言ってねん!」
いつもの通りの明るい笑顔だった。普段の一成が見せるものと寸分変わらない、見慣れた笑顔。しかし、まとう色がわずかに変化したことを天馬は見逃さない。
水彩絵の具のパレットに、じわりと別の色を落としたような。そんな風に、あざやかな赤や黄色に混じるのは、緑がかった青色だ。
寒色系の色彩はマイナス感情に分類される。そして、緑味の強い青色が意味するのは、不安や心配の類であると天馬は予想している。
恐らく一成は、天馬が無理をしていないか、辛いことがあるのではないか、と心配している。だけれど、それを表に出すことを良しとしない性分だから、いつもの笑顔を浮かべているのだ。本当は、天馬のことが心配で仕方ないのに。
気遣いを気遣いとして悟らせないことが、殊の外うまいのが目の前の人間である。今のこの行動も、まさしくその通りということなのだろう。普段の天馬であれば、見慣れた笑顔を受け取って一成の本心からの心配には気づかなかったかもしれない。
そう考えれば、こうして色が見えることは悪いことではない、と天馬は思う。
一成は、本音を口にすることが苦手だ。だけれど、少しずつ思ったことを言葉にしてくれるようになっている。悩んでいること、苦しいこと、辛いと思うこと。隠すことなく教えてくれることを、夏組一同心から嬉しいと思っている。だけれど、全てを開示しているわけではないことくらい、わかっている。
恐らく一成は、自分たちが気づかない場所で苦しむこともあるはずだ。本気で隠そうとされたら、見つけることはできないのかもしれない。
そんな時、こんな風に色が見えたなら一成の心をきちんと拾いあげることができる。少なくとも、今この瞬間は、そうやって一成の心を見つけることができた。なかったことにするのではなく、ちゃんと見つけられたのだ。だからきっと、悪いことばかりではないのだと天馬は思う。
「そんじゃ、オレそろそろ行こっかな。テンテン、ゆっくり休んでねん!」
時計を確認した一成が、立ち上がるとそう言った。どうやら、天馬の様子を尋ねるためだけに談話室へ寄ったらしいと悟る。「ありがとな」と言うと、一成が嬉しそうに「全然!」と笑った。
一成のまとう色が、さっと変わる。青色は全てかき消えて、はっとするあざやかさの赤色で染まった。
「あ、そだ。テンテン、デザート代わりにこれあげるねん!」
言いながら取り出したのは、いつぞや一成からもらったキャンディーだった。カラフルな水玉模様のキャンディは、恐らく一成の最近のお気に入りなのだろう。
「これ、SNSでバズってるキャンディーだよん。包み紙もかわいいっしょ」
楽しそうに言葉を続けると、周囲の色が黄色やオレンジへと変化していく。ただ、赤色は消えてしまうこともなく、相変わらず強い色をしていた。
天馬が礼を言って受け取ると、一成は満足そうにうなずく。「そんじゃ、行ってくんね」と言うので「気をつけろよ」と送り出せば、一成の周囲の色が変化する。
赤やオレンジよりも強いのは、すっと胸に入り込むようなあざやかな黄色。それはまるで、太陽に向かって真っすぐ伸びていくヒマワリのような色をしていた。
特にやることもなかった天馬は、中庭で盆栽の手入れをしていた。最近時間を取れていなかったから、ちょうどいいと思ったのだ。
熱心に取り組んで、満足の行く仕上がりに出来上がった。盆栽を持って部屋に戻ろうとしたところで、天馬はふと立ち止まる。中庭にたたずむ木の根本。木に隠れてよく見えないけれど、誰かがいるようだ。思ったのも一瞬で、すぐに理解した。
「……真澄か?」
木の陰に隠れていたからなのか、中庭へ来た時は気がつかなかった。盆栽の手入れ中も物音一つしなかったし、もしかしたら昼寝でもしていたのかもしれない。ただ、今はきちんと覚醒しているのだろう。それは、漂う色彩が何よりもものがたっている。
「昼寝でもしてたのか」
膝を抱えてうずくまる真澄へ声を掛けるも、返事は特にない。愛想がいいとは言えない人間なので、いつものことだと言うことはできたのだけれど、若干意味が違うことはわかっていた。
「……監督の夢、見られなかった……」
沈痛な声で真澄は言う。それは、天馬への答えというよりも心から零れ落ちてしまった悲しみだろう。真澄を包むのは、少し緑がかった濃い青色だ。悲しみの度合いに比例するような、深みのある色をしていた。
色が見えるようになってから、真澄はいつもこの色に包まれている。どうしてなのかと言えば理由は簡単で、寮に監督がいないからだ。天馬と入れ違いになるように、監督は手伝いも兼ねて演劇関係のワークショップへ泊まりがけで出かけている。
その間、真澄は監督が不在という悲しみを常に抱えており、いつでも青を身にまとっていた。色味や濃淡に多少の違いはあるものの、意識があるときはいつでも青を宿しているのだ。だから、木の陰から漂う青を目にした天馬は、そこに誰がいるのかすぐに悟った。
「昼寝はいいけどな。そろそろ外で寝るような季節じゃないだろ。風邪引くと監督が悲しむぞ」
「アイツを悲しませることなんてしない」
「なら、部屋で寝たほうがいいんじゃないか」
まだ肌寒いとは言えない季節ではあるけれど、決してあたたかい日ばかりではない。日中ならばまだしも、夜になって外で寝れば風邪を引く可能性もゼロではなかった。まあ、真澄のことなので、監督を心配させるようなことはしないだろうと天馬も思ってはいたのだけれど。
「……もしかして、昼も食べてないんじゃないか」
そういえば、という気持ちで天馬は言う。キッチンにはお昼用に、とサンドイッチが残っていたけれど、もう一皿あったな、と気づいたからだ。真澄が寮にいることは知らなかったけれど、あれはもしかしたら真澄の分なのかもしれない。
「……食べてない」
「ちゃんと食え」
普段の天馬ならば、恐らくこんな風に真澄に対して言葉を掛けることはない。二人とも雑談が弾む性質でもないし、お互い我関せずといった態度が常だ。
心配していないわけではないものの、わざわざ何かを口にすることはない。ただ、真澄の心情がはっきりと見えてしまえば、なかったことにもできなかった。
真澄を包む青色は、あまりにも深くて濃い。表情はまったく変わらないので、いつも通りにしか見えないけれど。
監督がいない、その不在をどれだけ悲しんでいるのか、天馬はまざまざと思い知る。悲しみのあまり、まとった青色に溺れてしまうんじゃないか、なんてことを思ってしまうくらい、真澄の悲しみは鮮烈だった。だからつい、何かしてやらなくては、なんて気持ちになったのだろう。
「とりあえず、甘いものでも食べとけ」
膝を抱えてうずくまったままの真澄に、思わずそんなことを言ったのは、昨日の光景がよみがえったからだ。森林公園で座り込んでいた男の子。もしかしたら、この状況のきっかけになったかもしれない相手。元気がなかったけれど、キャンディーをあげたらたちまち元気になった。
同じことが通じるわけではないとわかっていたけれど、できることなんてそれくらい思いつかなかった。だから、天馬はポケットのキャンディーを真澄へ差し出した。
一成からもらったものを、また人にあげてるな、とは思ったけれど。一成のことなので、必要な人のところに行ったほうがいいよねん、と言うだろうと思った。そういう人間である、ということを天馬は一つも疑っていない。
真澄はと言えば、表情の変わらない顔で天馬の差し出したキャンディーを見つめている。別にいらない、とも言わないので拒否するつもりはないらしい、と思ったのも一瞬だった。
「このキャンディー……」
素早く立ち上がると天馬の手からキャンディーを取り、両手でそっと包み込んだ。宝物を扱うような仕草で、まとう色にも変化がある。青は消えていないけれど、カナリアの羽にも似た黄色がぶわりと広がったのだ。
黄色。喜びの感情。それはわかっていたけれど、一体どうして真澄が突然そんな反応をしたのかわからず、天馬はハテナと首をかしげる。
「天馬、これどこで買ったの」
「オレが買ったわけじゃない。もらいものだ」
「誰にもらったわけ」
「一成だ」
素直に答えると、真澄が一瞬眉根を寄せた。だけれど、すぐに「わかった」と言うので何かを了解したらしい。ただ、天馬にはさっぱり意味がわからない。答えてくれるかはわからないものの、一応事情を聞いてみると淡々と返事があった。
このキャンディーの包み紙は、カラフルな水玉模様が基本になっている。ただ、一袋に何個かハートや星など、別のマークが入ったものがある。それを集めることで願いが叶うと言われており、ハートなら恋愛成就、星ならば幸運を招き寄せる、など意味があるらしい。
真澄は恋愛関係のジンクスには案外詳しい。監督への恋心から来るもので、今回も恋愛成就という点からぜひ手に入れたいと思っていたらしい。
ただ、SNSを中心にして評判になったことから、入荷してもすぐに売り切れてしまうため、真澄は実物を見たことがなかった。そんなときに、天馬経由で一成が所持していることがわかったのだ。
「一成は何時に帰ってくるの」
「時間までは知らないが、そんなに遅くはならないんじゃないか」
遅くなるときは、出掛けにそれを告げていくことがほとんどだ。今日は何も言っていなかったから、そこまで遅くはならないだろうと判断した。真澄はこくりとうなずき、何やら決意を固めている。一成を捕まえて、入手経路を問いただすつもりだろう。
監督につながることなら、驚異的なバイタリティーを発揮する人間だとは知っていた。青色は消えないものの、赤みがかったオレンジがあたりを漂い出し、真澄のやる気を象徴しているようだ。それを目の当たりにした天馬は、さすが真澄だな、と感心するしかなかった。