それには魔法が足りない



 三日目を迎えた天馬は、すっかり慣れた視界で朝の支度を終えた。今日は昼過ぎに井川が迎えにきて、専門の病院で精密検査を行う予定だった。ただ、もしも妖精の言い伝えに則るなら、三日目の今日には視界が戻る可能性もある。果たして、一体どうなるのかは天馬自身にもわからなかった。
 このまま視界が戻らないままではさすがに困る、とは思う。ただ、きれいな色彩が見えなくなるのは少し勿体ないな、という気持ちもないわけではなかった。カンパニーの団員たちが宿す色は、どれもがあざやかで、天馬の心を弾ませ続けていたからだ。
 朝起きて最初に顔を合わせる幸は、にこやかな笑顔を浮かべるわけではない。ともすれば不機嫌にも見える表情だけれど、身にまとうのは親愛の桜色だ。談話室へ向かう途中で、花壇の手入れをしていた紬と顔を合わせれば、同じ色を宿している。
 寮内を歩けば、あちこちから朝の挨拶がこだまする。親愛の桜色だけに限らず、喜びの黄色や楽し気なオレンジは各団員独自の色合いを宿して、それはもうあざやかだ。
 個性豊かなカンパニーメンバーたちを象徴するような、極彩色の洪水。目もくらむようなそれらは、MANKAIカンパニーで過ごす日々を形にしたような光景だった。
 そういうわけで、天馬はあふれるような色彩の中で時間を過ごしていた。
 幸い今日は大学の授業も休講が重なっている。井川が来るまでは寮で過ごすつもりだったけれど、部屋へ引っ込んでしまうのも勿体ない気がして、談話室で台本を広げている。
 平日の昼間ということで外出している人間が多く、寮はひっそりとしている。出かける予定のない団員も大半は部屋にいるようで、談話室には天馬以外に東やガイ、シトロンがいるだけだ。他愛ない話をしているうちに、時間はゆっくりと過ぎていった。

「そろそろ、監督が帰ってくる頃かな」

 ささやかな会話の合間に、ぽつりと言ったのは東だ。ワークショップも終了し、今日帰ってくるとは聞いていたけれど、時間までは知らなかったので「そうなのか」と天馬は答える。

「昼前にはこちらに着く、という話だったな」
「昼前!? もうそろそろ到着ネ! 迎えに行くヨ!」

 冬組とのやり取りで帰宅時刻にも言及があったのだろう。ガイが「そういえば」といった顔で言えば、シトロンが勢いよく立ち上がる。確かに、昼前と言って差し支えない時間帯だ。つまり、いつ帰ってきてもおかしくないということだろう。
 結局、「みんなでお出迎えしなくちゃダヨ!」と言うシトロンに引っ張られて天馬や東、ガイは玄関へ赴くことになった。ただ、玄関で何かやるべきことがあるわけでもない。漫然と突っ立っているのもどうか、と天馬は思ったのだけれど、その心配は杞憂だった。
 天馬たちが玄関先に勢ぞろいして数分後、扉は勢いよく開く。現れたのは、いつだって自分たちを見守って力になってくれた、愛すべき監督だ。

「ただいま!」

 はつらつとした声で言った監督は、玄関にたたずむメンバーに一瞬だけ驚いたような表情を浮かべる。しかし、それもすぐに消えて明るい笑顔を浮かべた。天馬たち、カンパニーのメンバーの顔を見られたことが嬉しくてたまらない、といった笑顔だ。

「みんなどこかへ行くところだったのかな?」
「違うヨ! これは、カントクのお出迎えダヨ!」

 胸を張ってシトロンが答えれば、監督は嬉しそうに「ありがとう」と笑った。東やガイが労いの言葉とともに「おかえり」と告げるので、天馬もそれに倣った。
 ワークショップはどうだったか、なんて話をしている間に、監督の帰還に気づいたらしい団員たちが玄関には続々と集まってきていた。口々に監督の帰還を喜ぶ声に、一つ一つ言葉を返した監督は心からといった調子で言った。

「やっぱり、みんながいるとほっとするね」

 靴を脱いで、室内に上がった監督は全身が明るい黄色で包まれていた。心からの喜びをたたえたその色が、天馬には嬉しい。身に宿す色彩が、目の覚めるような黄色が、全身全霊でカンパニーメンバーに会えた喜びを表現しているからだ。
 団員たちと話をするうちに、監督を包む色彩は変化する。光り輝く黄色以外にやわらかな桜色やあざやかなオレンジも混ざって、どれもが目を見張るような美しさだ。
 監督がカンパニーのメンバーへ向ける気持ちそのもののような。こんなにも美しい気持ちで思われているのだ、と実感できるようで、天馬は満たされたような心持ちになっていた。
 そのまま、何となく監督の様子を見守っていると、不意に視界の端に見慣れた色彩が飛び込んだ。あざやかな、思わず目を吸い寄せられてしまうような赤。ピンクを混ぜ込んだ深い紅色は、昨日見た夕暮れだ。
 この色の主なんて一人しかいない。一成は部屋で作業してるって言ってたな。監督を出迎えるために玄関までやってきたんだろう、と天馬は思う。しかし。

「監督、お帰り。もうどこにも行かないで。今日は一日俺と一緒に過ごして」

 鮮烈な赤を宿していたのは、真澄だった。監督に向かって、抱き着くように飛び出して、切々と言葉を並べる。その体は、はっとするような深い紅色に包まれていた。
 天馬は思わず目をまたたかせる。
 見慣れた赤が視界に飛び込んで、疑うことなく一成だと思った。だけれど、一成が身に宿していたような赤をまとうのは、間違いなく真澄だった。
 今まで真澄の周囲に漂っていたのは、悲しみを示す深い青だった。それが変化しているのは、監督が帰ってきたからだということはわかる。だけれど、監督に会えたのなら、喜びの黄色が表れるのではないか。MANKAIカンパニーのメンバーに会えたことを喜ぶ監督のように。
 しかし、真澄を包むのはまぎれもなく赤色だ。ピンク色を混ぜ込んだ、深く濃い紅色。黄色も混じってはいるものの、どう考えても赤が一番強かった。鮮烈で、思わず惹きつけられてしまうような。監督を前にした真澄は、昨日一成が薔薇色と呼んだ色彩を宿している。

「監督、好き。会えなくて寂しかった。好き」

 表情を一切崩さず、しかし瞳には熱っぽさをたたえて真澄が言う。ぐいぐいと迫る様子に、咲也が「真澄くん!」と待ったをかける。しかし、真澄は会えなかった分を取り戻そうとしているのか、離れる気配はなかった。

「真澄は相変わらず、監督さんに対して熱心だね」
「マスミは恋の戦士ダヨ! カントクへの恋心は今日も元気ネ!」
「ふふ、そうだね。かわいいな」

 真澄の様子に感想を漏らしたのは東で、力強く答えたのはシトロンだった。他のメンバーも、いつものことではあるのであまり気にはしていない。真澄が監督へ恋していることなんて、周知の事実でしかないのだ。
 しかし、天馬だけは内心呆然としながら真澄の様子を見つめていた。
 団員が見ている前でも、真澄は熱心に監督への愛をささやいている。好き、大好き、と言葉を伝えるたび、真澄を包む赤色はあざやかさを増していくように思えた。深い赤。一成が薔薇色と呼んだ。何度も見てきた。何よりも目を引く、あの赤が意味するものは。
 今まで真澄は一度だってあんな色を漂わせはしなかった。監督に相対して、初めてあの色の感情を向けた。監督への真澄の気持ちはみんな知っているし、真っ直ぐ愛と恋を向けている。それは疑ってないし、真澄からの気持ちは本物だろう。だから、それなら、つまり。

「カントクちゃん、おかえり~! カントクちゃんがいなくて、オレらもさみしかったよん!」

 飛び込んだ声に、天馬はびくりと反応する。視線を向ければ、一成が監督に対して明るく声を掛けている。その周囲は喜びの黄色や楽し気なオレンジに包まれていた。他の団員と比べて、滑らかで濃い色彩はやっぱりあざやかで、一成らしいな、と天馬は思うのだけれど。
 じっとその色を見つめていたからだろうか。不意に一成は視線を動かす。監督に向けていたまなざしをくるりと周囲へ向けて、天馬が自分を見ていることに気づいたらしい。ばちり、と目が合った、その瞬間。
 一成が嬉しそうに笑った。それと同時に、あふれるように広がっていく色が。一成を包み込む、その色が。あまりにもあざやかで、真っ直ぐ胸に届いて、天馬は何も言えなくなる。
 だって、それは、その色は。真澄が監督へ向けると同じ色をしている。他の誰とも違う。たった一人に向かう心を形にしたみたいに、あざやかなその色は、感情は、恋心と呼ばれるものだ。










 病院で検査を受けたあとは、スケジュール通り雑誌の撮影へ向かった。仕事を終えて帰宅した頃にはすっかり辺りは暗くなっていた。
 夕飯を食べてから、天馬は行く当てもなくさまよって、中庭のベンチに腰を下ろした。部屋に取り付けられた街灯だけが中庭を照らしていて、光量はさほど多くない。けれど、天馬にはそれくらいでちょうどよかった。
 精密検査を受けたものの、異常はなかった。それも当然で、検査の頃にはすっかり視界もいつも通りに戻っていたのだ。
 何の前触れもなかった。突然、漂う色彩は一切見えなくなったのだ。どんな感情変化があろうとも、色が変わることはない。あれだけあざやかだった世界は、至って平凡ないつも通りの光景に戻ったのだ。
 森林公園で少年と出会ったのは、昼過ぎの時間帯だった。きっかり七十二時間で返却期限が来るのかもしれないし、妖精の仕業というのも間違いではないのかもしれない。
 なんてことを考えてはいるものの、正直それどころではなかった。妖精云々なんて、今の天馬には些末なことにしか思えない。
 天馬はベンチに座ったまま、落ち着きなく辺りを見渡す。特に何かを探しているわけではなく、じっとしていられなかったのだ。部屋にいても、ソワソワしてあちこちを歩き回るものだから、幸に「いい加減気が散るんだけど」と言われて部屋を追い出された次第である。
 他の部屋へ行くことも考えたけれど、どこに行っても落ち着かないことはわかっていた。一体どうしたのかと不審がられるだろうことは予想できたので、天馬は一人中庭で時間を過ごすことにしたのだ。暗い場所であれば、多少は冷静になれるかもしれない、という希望的観測も含めて。
 ただ、思ったような効果は得られそうになかった。結局天馬の頭は未だに混乱を引きずっていて、落ち着きは取り戻せていない。それもそうだろう、と天馬は思う。なにせ予想もしなかったのだ。

(一成はオレのことが好きなのか?)

 天馬は内心で言葉をこぼす。思い出すのは、一成が身にまとっていたあざやかな赤だ。一成だけしか持っていない色だと思っていた。あれはきっと、色彩感覚の優れる一成だからこそなのだろうと考えていた。
 だけれど、監督を前にした真澄が同じ色を宿していたという事実は、別の可能性を天馬に告げていた。
 感情に呼応して見える色彩。その関係性なら理解している。喜びは黄色、楽しいはオレンジ。悲しみは青、怒りは紫。疑いや不信は緑で、親愛や友情の類は桜色。それに則るのなら、あのあざやかな赤に意味を与えるなら、それは恐らく恋の色なのだ。
 真澄が監督に向ける感情。それと同じものを、一成が自分に持っている。突きつけられた可能性に、天馬はうろたえるばかりだ。
 一成に嫌われているとは思ってないし、好かれてるという自覚は天馬にもあった。うぬぼれではなく、事実としてそう思っていいことくらいわかっている。だけれど、それはあくまでも友達としての好意だと思っていたのだ。

(一成は友達だ。夏組の大事な一人で、これからもずっと大切にしたい)

 天馬は大きく息を吐いて、友達、と何度も胸中で繰り返す。
 明るくていつでも笑顔で、ノリが軽くてちゃらくてしょっちゅう天馬のことをからかってくる。一緒にいれば楽しい、夏組の大事な一人で、初めて天馬を友達だと言ってくれた。特別な思い出をたくさん持っている。
 友達、と素直に言うことが照れくさくて、なかなか口には出せなかった。だけれど、一成が大事な友達であることを、天馬はもう知っている。
 少しずつ自覚して、今ではきちんと一成のことを大事な友達と言える。これから先の未来まで、夏組としてずっと大切な存在になるだろうことを、天馬は一つも疑っていない。

(だけど、一成は、違う気持ちでオレのことが好きなのか?)

 友達としての好意ならお互いに持っている。だけれど、それとは違う意味を持つ好意が、一成にはあるのだろうか。
 ぐるぐるとした思考回路のまま、天馬の頭には目の覚めるような赤が思い浮かぶ。一成を包み込むみたいな、あざやかな色彩。一成が薔薇色と呼んだあの色。どこにいても目を引くような、心の奥まで染め上げるような赤色を天馬は覚えている。
 しかし、今の天馬には感情の色が見えないから、一成の心の様子はまるでわからない。いつもの視界が戻ってきてから見た一成は、あまりにも普段と変わらなかった。明るい笑顔で天馬に話しかける様子は見慣れた友達としての顔で、恋心なんてかけらも見えなかった。
 心の様子が色になって見えるだなんて、おとぎ話みたいなことがなければきっと永遠に気づかなかっただろう。それくらい、一成の様子はいたっていつも通りだった。
 もしかしたら全部気のせいだったのだろうか、と何度か天馬は思ったのだ。真澄が監督へ向けるものと同じ色だったなんてことはなくて、本当はもっと別の色だったのかもしれない。一成の持つ気持ちは、他の色だったのかもしれない。
 思ったけれど、すぐに天馬は否定する。あの、あざやかな赤を見間違えるはずがない。思い浮かべるとそれだけで、胸が苦しくなるような。鼓動を高鳴らせるほど強烈に焼きつく、一成が薔薇色と呼んだあの色。まぶたの裏に描かれて、どうしたって消えないあの赤は、確かに真澄と同じ色をしていたのだ。
 だから、きっとあれは恋心と呼ばれるもののはずだ、と天馬は思っている。ほとんど直感のように理解してしまっているからこそ、こんなにも落ち着かないのだ。

(――くそ。どうすればいいんだよ)

 一成を思い浮かべた天馬は、途方に暮れたような表情を浮かべて、内心でつぶやく。果たして、己の取るべき行動が一体何であるのか天馬にはわからない。
 きっとあれは、恋心と呼ばれるもので、恐らくそれは自分に向いている、と思う。だけれど、あくまでもそれは直感と状況証拠の結果だ。自分に向ける笑顔が特別なものに思えるだとか、恋愛成就のジンクスがあるキャンディーをくれたことだとか、そういうものに意味を見出すことはできる。
 だけれど、実際に思いを告げられたわけでもない。それなら、きっと何でもない顔をしていればいいのだと、頭ではわかっている。
 ただ、それで何もかもをなかったことにできるなら、天馬はこんなにもソワソワと落ち着きなく寮内をさまよってはいない。
 近しい人間から向けられる気持ちを、天馬は無視することができなかった。果たしてそれが恋心なのだと確定したわけではないけれど、たとえ恋心だとしても嫌悪や拒絶感はなかった。
 とはいえ、嬉しいだとか胸が弾むとも違っている。ただ一つ確かなのは、何か特別な気持ちを向けられているなら、蔑ろにはしたくないという思いだった。
 実は案外繊細で、他人の心に敏感な人間だと知っているからこそ。相手の気持ちを汲むのが上手くて、気づかれないやさしさを発揮できる人間だと、これまでの付き合いが何度も教えるからこそ。
 他人の気持ちを大事に扱える人間だと知っているから、そんな一成自身が確かに持っている心を蔑ろにして、まるでなかったみたいに殺してしまいたくなかったのだ。
 だから天馬は、できることならアクションを返してやりたいと思っていたのだけれど、一体どうすればいいのかがわからないのだ。こんな場合、果たして一成に対してどんな行動を取ればいいのか。
 下手なことをすれば未来永劫からかわれるだろうし、繊細な人間だから慎重にならなければ傷つける。何より、大事な友達で夏組という関係性を壊したくはないから、うかつなことはできなかった。
 一体何が最善の行動なのか。まるでわからず、八方塞がりのような気持ちで、天馬は頭を抱えたくなる。そもそも、「もしかして」を積み上げているだけで、確定的な事実は大してないのだ。だからこそ、判断材料が少なすぎて身動きが取れないでいる。

(せめて、もう少し長く色が見えてたら。いいや、もっと直接あいつの心の内側がわかったら)

 自分の身に起きた出来事を思い起こして、天馬は内心で言葉をこぼす。いつも笑顔で、思っていることを隠すのも上手い人間だ。だから、あんな風に心が色になって見えるなんてことがなかったら、気持ち一つすら気づかなかった。
 もしもあれが本当に妖精の仕業なら、せめてもう少し強力な魔法でもかけてほしい、と天馬は思った。
 もっとはっきりと心の内がわかるような、勘違いでも気のせいでもないと思えるような、そんな強力な魔法がいい。感情が色になってわかるような、ささやかな魔法じゃこれ以上踏み込むにはとうてい足りないのだ。

(もう少し、あと少し、確信がほしい)

 そうしたらきっと行動を起こせる、と天馬は思う。目に焼きついて離れない。あのあざやかさが宿す意味。それを確かなものだと思えたなら、そしたらきっとオレは、ちゃんとあいつに踏み込んでやるのに。
 そう思う天馬の頬は、いつかの薔薇色に染まっている。








END

イベントの前からあったネタだったのに、結果として「世界は彩りに満ちている。」(文字通り)の話になる不思議