ワンルーム・ランデブー
201号室にノックの音が響く。天馬が返事をすると、勢いよく扉が開いて満面の笑みを浮かべる一成が入ってきた。
「カズナリミヨシのお届けです! 待った?」
「まあ、あとで行くっていつ来るのかとは思った」
テンション高めに尋ねられて、天馬は素直に答える。
宅配便よろしく自分自身を届けにきた、と言う一成からLIMEが来たのは今朝のことだ。
今日は休日で学校もないし、天馬も久しぶりのオフだった。それを知っている一成から「あとでテンテンの部屋行っていい?」というメッセージが届いた。
普段の一成なら、事前に連絡せずに扉をノックする。しかし、今回わざわざLIMEを寄越したというのは、いつもと違う意味を持っていることくらい天馬もわかっていた。
だから、簡潔に「いいぞ」と答えた。すると一成は、喜びを爆発させるネコや感謝を示す亀吉のスタンプを怒涛の勢いで送ってくるので、天馬は思わず笑った。
具体的な時間を指定されたわけではない。ただ、恐らく昼過ぎになるだろうということはわかっていた。幸と椋がそろって出掛けるのがそれくらいの時間帯で、つまり201号室に天馬が一人きりになる。
一成がそのタイミングで声を掛けてきたことは、言葉にされずとも理解していた。
だから、昼食のあと天馬は部屋で一成を待っていた。一応台本に目を通してはいたものの、そわそわしてしまってあまり集中はできなかった。とはいえ、胸に渦巻くのは焦りや苛立ちではない。もっとむずがゆくて、そこら中を走り回りたくなるような、浮き立つ気持ちだった。
「めんご~。ちょっと急ぎで人と会う用事があったんだよねん。終わる時間はっきりわからなかったから、曖昧になっちゃってめんご!」
天馬の言葉に、一成は心底申し訳なさそうに謝罪を口にする。ただ、天馬は別に腹を立てているわけではないのだ。だから、真っ直ぐ一成を見つめて言った。
「気にしてない。一成が約束をすっぽかすとは思ってないからな。無断でなかったことにはしないだろうし、何かあったら連絡してくるだろ?」
「当たり前っしょ! てか、絶対何が何でも間に合わせるに決まってるし!」
勢い込んで言う一成の様子に、天馬の唇には笑みが浮かぶ。
一成は大学卒業後、本格的にフリーランスとして働き始めた。やるべきことは多岐に渡っているし、仕事の関係で人に会うことが増えて何かと日々忙しく動き回っているのだ。スケジュールもそれなりに埋まっているようで、予定同士がかち合って「めんご~」なんて言っている場面を見掛けることもある。
しかし、そんな中で一成は、天馬との予定を優先順位の上に置いていてくれる。もちろん、他の予定を蔑ろにしているわけではないし、一つ一つ誠実に向き合っている。ただ、その中でも天馬のことをひときわ考えていてくれることを、天馬は疑わない。
「わかってる。だから気にしてないし――むしろ、忙しかったんじゃないか。用事はちゃんと終わったのか」
「それはだいじょぶだよん! テンテン、やさしい~」
茶化すような物言いだけれど、浮かぶ笑みはふわふわとやわらかい。普段のぴかぴか明るい笑顔ではなく、もっとまろやかでにじむような笑みだった。
思わず見惚れそうになるものの、天馬ははっと我に返る。さっきからずっと立ち話をしているのだ。部屋でゆっくりするつもりであることはお互いわかっていたから、ソファへうながした。
「そういえば、何持ってるんだそれ」
並んでソファに腰掛けたところで、一成が持っているものを示して尋ねた。部屋に入って来た時から気づいていたものの、一体何なのか。
「これね、仕事の知り合いからもらったんだけど――カリソンってお菓子!」
きらきらと輝く笑みを浮かべた一成は、手の中の缶ケースを掲げた。両手の平に乗るサイズの丸い缶はダークブルーのシックな色合いで、花や植物の飾りが描かれて絵画のような雰囲気がある。嬉しそうな一成は、そっと蓋を開いた。
中には、丸みを帯びたひし形の菓子が六個行儀よく並んでいた。土台はまろやかな黄色で、表面は白。花びらの一枚を思わせるような菓子だった。名前はもちろん、形も今まで目にしたことがなかったので、天馬はぱちりと目を瞬かせた。
「フランスの伝統的なお菓子だよん。あ、これは日本のお菓子屋さんが作ったやつなんだけど。フランスの銘菓で、お土産にも選ばれる感じのお菓子。テンテン知ってる?」
「いや……。いまいちピンと来ない」
「だよね~。日本で作ってるとこって、あんまりないからレア度高めかも!」
そう言った一成は、見慣れない菓子――カリソンについて簡単に説明してくれる。
カリソンは南フランス プロヴァンスの伝統的菓子である。すりつぶしたアーモンドにフルーツの砂糖漬けをくわえて、ペースト状に練って焼き上げる。表面にはアイシングが施されており、カリっとした食感とアーモンド生地のしっとりとした食感を楽しめる。
「フルーツにはメロン使うことが多くて、あとオレンジで香りづけしてるものもあるんだって!」
にこにこ言った一成は、「オレンジって言ったらめっちゃテンテンじゃね?」とテンション高く続けた。柑橘系の香りづけも特徴の一つらしく、天馬を連想させるお菓子だと嬉しそうだ。
「でも六個しかないから、カンパニー全員で分けられなくてさ。だから、夏組のみんなで食べようかなって思ったんだけど」
そこまで言って、一成は口をつぐんだ。さっきまでの嬉しそうな笑顔が消えたかと思うと、へにゃりと眉を下げる。困ったような、戸惑うような表情に見えた。しかし、奥底からにじむのはもっと別のものであることを天馬は知っている。
「テンテンに、一番に食べてほしかったんだよねん」
つぶやきのようにささやかで、それでいてはっきりとした言葉だった。一成の気持ちが真っ直ぐ形になって、天馬に届く。戸惑いにも似た表情の意味。それはきっと、周りの人が好きでみんなを等しく大切に思う一成が、たった一人の特別を自覚しているからだ。
カンパニーや夏組のみんなが大事なことは間違いない。それでも、その中でどうしたって特別だと心が叫ぶ。他のメンバーを蔑ろにしているわけではなく、ただ一人他とは違う存在を知っている。
一成にとってそれは、今までにない感覚なのだ。心からみんなのことが大好きなことは確かだ。だけれど、それでも、たった一人。この人だけが特別だ、と心が告げる相手がいる。
それが自分なのだと、天馬は理解している。普段誰にでもやさしい一成から向けられる気持ちが心地いい。あふれる喜びと愛おしさのまま、天馬は笑みを浮かべて「ありがとな」と告げる。
「そう言われると嬉しいし、味も気になる。食べていいか?」
「もち! あ、でも、結構独特っていうか人によって好き嫌い分かれるかもだから、無理しないでね!」
ぱっと明るい笑顔を浮かべたかと思うと、心配そうに顔を曇らせる。くるくる変わる表情は見てて飽きないよな、と思いながら天馬は缶に手を伸ばした。
丸みを帯びたひし形は、思ったより分厚かった。一体どんな味なのか、と思いながら砂糖掛けされたカリソンを口に運ぶ。カリッとした食感に続くのはもっちりした生地で、柑橘系の香りとともに砂糖とフルーツの甘さが口内に広がる。アーモンドの風味と交じり合って、ほのかな甘さが絶妙だった。
「――確かに面白い味だが、結構美味いな。あんまり甘くないし、九門も食べられそうだ」
「だよねん! ほんのり甘いってところが癖になる感じ!」
嬉しそうに大きくうなずく一成の様子を眺めつつ、天馬は残りのカリソンを口に入れた。素朴な味わいながら、アーモンドの風味はしっかり残っているし、そこに混じるフルーツがいいアクセントになっていた。
「美味かった。でも、いきなりどうしたんだ? あんまりポピュラーなお菓子でもないだろ」
一つしかないので、すぐに食べ終えてしまう。天馬は、「オレも食べよ~っと」と言って缶へ手を伸ばす一成へ尋ねた。
「うん。今日会った人がさ、缶のデザイン手掛けてて。こういうの、オレが好きそうってくれたんだよねん」
カリソンを美味しそうに食べながら、一成は答える。
午前中に会う予定だったのは、デザイン関係の知り合いだ。相手は、一成が甘いものや変わったものが好きなことや、海外へ行き慣れていることなどからあまり有名でない伝統菓子も好むのではないか、と思って持ってきたらしい。
「やっぱさ、好きなものいっぱい言ってると、好きなものが集まってくるんだよね~。いろんな人と会えるから、その分チャンスが増えるのラッキーじゃね?」
ごちそうまでした!と満面の笑みで言う一成は、心から言っているのだろう。
そんな風に、快いものや好きなものを拾い上げていくのが一成という人間であることを天馬はよく知っている。そんな一成の存在に何度も助けられたし、大事にしていきたいと思っている箇所でもある。だから「一成らしいな」と笑ったのだけれど。
「――無理はしてないか。最近忙しくしてるだろ」
もともと、一成はあちこち飛び回っていることが多かった。それが、フリーランスとして活動するようになってさらにいろいろなところへ自身を売り込んでいるのだ。
必要なことだということは理解しているものの、多忙が極まれば疲れも溜まる。無理をしがちな人間でもあるので、素直に天馬は心配だった。
「ただでさえ、フリーランスになるとやることが増える。くわえて、一成の場合は一つに絞ってるわけじゃない。単純に三倍にはならないとしても、どうしてもよけいに忙しくなるだろ」
一成が目指すのは、芝居もデザインも絵も何もかもを選んだウルトラマルチクリエイターである。どれか一つ取っても、フリーランスとして活動するにはやるべきことが山積みだろうけれど、一成はそれが三つに及ぶのだ。だからこそ、あまりに忙しくて無理をすることになるのではないか、と天馬は危惧している。
「一成はスケジュール管理が上手いし、実際両立できてるのも知ってるが――あんまり無茶するなよ」
心配を全面に浮かべた言葉だ。一成が毎日あれこれスケジュールを調整しつつ、やれ締め切りだ会合だと慌ただしくしていることを知っているからこその気遣いである。一成は大きな目を瞬かせたあと、「テンテンってばやさし~」と明るく笑った。
ただ、すぐにおだやかな表情を浮かべると、声のトーンを落として答えた。静かで丁寧な、天馬の言葉をそっと抱きしめるような響きで。
「心配してくれてありがと。でも、ちょこちょこ休憩は取ってるし、状況見ながら頑張るようにしてるし――それに、忙しいのはテンテンも一緒じゃん?」
目を細めて告げるのは、天馬も日々大学の授業や課題をこなしながら、テレビや映画、舞台などに臨んでいることを知っているからだ。天馬は一成のことを心配してくれるものの、多忙という意味なら天馬だって相当なものだ。
「むしろ、絶対テンテンのが忙しいって! 大学生やりながらめちゃくちゃ芸能活動しててさ。それで全部ちゃんと結果出してるとか、テンテンがめっちゃ頑張ってる証拠っしょ」
大学進学後も、天馬は順調に芸能活動を続けている。授業を受けながらレポートを提出し試験に臨み、ドラマの撮影を行い取材やインタビューを受け、カンパニーの舞台やイベントにも出演している。
幼い頃から子役として活躍してきた天馬にとっては、全て当たり前のことだ。今までずっと、学生としての本分を果たしながら芸能活動をしてきた。カンパニーという舞台が加わってもそれは変わらない。自分で選んだ道だと納得して、何事も全力で向き合ってきた。
確かに多忙な日々を送っているし、上手く時間を見つけなければ両立することは難しいだろう。ただ、天馬にとって全ては普通のことだから、取り立てて努力をしているつもりはない。
しかし、一成は言うのだ。何一つ手を抜かず、きちんと成果を出し続けていることは、まぎれもなく天馬の努力の証だと。これまで天馬が、一生懸命に力を尽くしてきた証明なのだと。
いつだって一成は、抱きしめるようなやさしさで、真っ直ぐ天馬の頑張りを讃えるのだ。
「テンテンが自己管理しっかりできてるのは知ってるけど、テンテンこそ無理しないでねん。息抜きとかリラックスなら、オレもおすすめの方法いっぱい知ってるし!」
「まあ、その辺は上手いよな。いろいろ知ってるのは素直にすごいと思う」
「やった、テンテンに褒められちった!」
明るい笑顔を浮かべて言う一成は心底嬉しそうで、天馬の唇も自然とゆるんだ。一成が笑っていると、天馬の胸も浮き立つのだ。ただ、それは一成も同じだった。釣られるようにいっそう表情を明るくさせて、テンション高く言葉を続けた。
「こういうちょっと変わったお菓子もテンアゲだよねん! 外国のお菓子っていうのもさ、何か世界の風を感じる的な!」
うきうきした調子で、机の上に置いたカリソンの缶を示した。残りは夏組の分だからと蓋は閉じられているものの、中にはまだしっかりとお菓子が残っているのだ。天馬は「確かにそうだな」とうなずく。
「普段食べないものを食べるっていうのは、息抜きにもなる気がする。あんまりなじみがないから、どんな背景があるのかなんて考えるのも面白い」
「だよねん! 伝統的なお菓子だから歴史もあるし、形も花びらみたいでかわいくね?」
「確かにな。形は特徴的だし、これだけで何かの作品にも見える」
「たかし~。もっと数があったら、芸術的な並べ方できたかも……! それに、この缶のデザインもめちゃおしゃでさ~!」
きらきらと顔を輝かせた一成は、スマートフォンを取り出すと缶にカメラを向けた。蓋を取って中のお菓子が見えるように角度を調整しながら、何枚も写真を撮っていく。
「SNSでも絶対映えると思うんだよねん。見た目かわいいし、缶のデザインも凝ってるし!」
そう言う一成を、天馬はしばらく見つめていたのだけれど。ふと思い立って、自分もスマートフォンを取り出した。
カンパニーに入り、夏組と共に時間を過ごすようになって以降、天馬も写真を撮る機会が格段に増えた。当初はいまいち勝手がわかっていなかったものの、もともと被写体としての経験なら豊富だ。カメラに苦手意識はないし、芸能活動の一環として自分で撮った写真が必要になる場面も増えた。
結果として、天馬もたびたびカメラを構えるようになったのだ。もっとも、一成ほどの頻度ではないけれど。
「あ、テンテンも撮る感じ?」
「記念にもなるし、話題としては結構面白いだろ。それに、ときどきはこうやって撮っておかないとな。習ったことを忘れそうだ」
「さすがテンテン、勉強熱心! 教え甲斐があるよね~」
面白そうな顔で言うのは、天馬がたびたびカメラのレクチャーを受けているからだ。相手は主に臣や一成で、被写体と光の関係や構図など、魅力的な写真の撮り方をあれこれ教えてもらっていた。
「やっぱり、SNS関係は写真があると強いからな。見てもらえる機会が格段に増える」
「そうなんだよねん。文章の魅力もあるけど、やっぱりぱっと見の情報ってめっちゃ大事」
天馬の言葉に、一成はしみじみうなずく。
天馬が写真を撮っているのは、何もSNSのためだけではない。ただ、告知やPRのために写真が必要になる場面が多いのは事実だった。
特に、天馬や一成は広く大衆に自分自身を知ってもらうことが直接的に仕事へつながっていく境遇だ。自身の感性のままに写真を撮ることを否定するわけではないものの、他者の目を意識した写真の必要性は充分理解していた。
「――こんな感じか」
ある程度写真を撮ったところで、天馬が言葉を落とす。一成が「どんな感じ?」と聞くので画面を見せると「いい感じじゃん!」と楽しそうに答えた。
「手前のお菓子と缶ケースの入れ方、いい構図だと思うよん」
「映画のポスターとかでよく見る」
「なる~。あ、ここ隠れサンカクあるじゃん。すみーが喜ぶねん」
「どこだよ」
「無意識で仕込むとかさすがテンテン」
ささやかな会話をしながら、お互いの写真を見てわいわい言葉を交わす。一成はアプリの加工も使って、きらびやかな雰囲気からファンシーなものなど、作品とも言えそうな写真をいくつも生み出していた。