箱庭ピクニック



Scene 01:チーズと粗びきソーセージのピザ


 十二等分されたピザの一切れを、一成はそうっと手に取る。
 指先に伝わるのは、じんわりとした熱さにずっしりとした重さだ。たっぷりのチーズに、厚切りのソーセージ、タマネギにミニトマト、それから少々のピーマン。カラフルな色彩はそれだけでうきうきするし、何よりこんがり焼けるチーズとソーセージの匂いが鼻をくすぐって、くう、とお腹が鳴る。
 一成は、チーズが落ちないよう気をつけながらピザにかぶりつく。途端にコクのあるトマトソースとまろやかなチーズが口の中に広がった。さらに、ソーセージの皮がぷつりと弾けて肉汁があふれだし、味わいがいっそう濃厚になっていく。
 一口、二口、と食べ進めていけば、あっという間に手の中のピザは消えていく。一成は、頬をいっぱいにして、満足そうにもぐもぐと口を動かしていた。

「ソース、口の端についてるぞ」

 その様子を真正面で見ていた天馬が、苦笑を浮かべて言った。もっとも、本当に呆れているわけではない。目を輝かせてピザを食べ進める一成に、自然と心が浮き立ってそれが形になったような響きをしている。
 一成は楽しそうに「マ?」と言いながら、唇の端を親指でぬぐった。それから、ぺろりと指先を舐めて「このソースおいしいよねん!」と無邪気に笑った。

「ダイニングバーだけど、テイクアウトもやっててラッキーって感じ!」

 次の一切れに手を伸ばしながら、一成はにこにこと言った。
 商店街で夕飯を何か買っていこう、という話になって、あれこれと店を調べた。インステのタグから辿り着いたのは、ダイニングバーのアカウントで、お酒はもちろん食事もおいしい店と評判だった。
 ただ、未成年の天馬と一緒にバーへ出かけるというのは現実的ではない。たとえ飲酒はしていないとしても、バーに滞在しているところを目撃されれば、皇天馬の名前に傷がつくだろう。
 一成も天馬も、それは充分理解している。だから仕方がないと諦めようと思ったところ、テイクアウトにも対応しているということで、無事本日の夕食をゲットしてきたのだ。

「ソーセージ厚切りで食べ応えあるし、お肉~!って感じでおいしいよねん――わわ、チーズ落ちそう」

 慌てたように一成が言って、手の中のピザにかぶりつく。口いっぱいのままではどんな言葉も発せないけれど、頬を紅潮させてもぐもぐと咀嚼する様子だけで、充分に言いたいことは伝わってくる。
 じっくりと煮込まれたトマトソースは、何種類もの風味が漂ってトマトの酸味を程よく引き立てる。まろやかなチーズとの相性も抜群で、そこに肉汁たっぷりのソーセージと、甘みの増したタマネギにアクセントになるピーマンが加わっている。全てが最上のバランスで成り立っており、評判の高さにも納得できる。

「おいし~!」

 口の中のものを飲み込んだ一成が、明るい声で感嘆の声を上げる。天馬は自然と浮かんだ笑みをそのままに、自分もピザを口に運んだ。
 表面はさくさく、中はもっちりとした生地は、小麦の風味を豊かに閉じ込める。ソースのからんだチーズやソーセージと一緒になれば、何倍もおいしさが増すようだ。さらに、一成が楽しそうに食べていることも加わって、つられるよう食べる速度が上がっていく。

「テンテンいい食べっぷりだねん。相変わらずピーマンは残してるけど!」
「これくらいの量、食べても食べなくても変わらないだろ」

 取り皿の端っこに避けたピーマンに一成は目ざとく気づいたらしい。天馬は、口の中のものを飲み込んでからぶっきらぼうに言い放つ。一成はその反応に、楽しそうに笑った。

「野菜ならタマネギも食べてる」

 どうしても野菜が好きになれないことも、隙を見ては周囲の皿へ移していることが常であることも、一成に知られてはいる。ただ、面と向かって言われるのは恥ずかしいので、言い訳のように言葉を口にした。トッピングのタマネギはちゃんと食べている、というのは事実だ。一成は軽快な笑い声を立ててから口を開いた。

「そだねん。ちゃんと野菜食べててえらいよ、テンテン」
「お前馬鹿にしてないか」
「してないしてない。じゃ、いい子のテンテンはジャガイモも食べてねん」

 言いながら示したのは、二人の間に置かれたフライドポテトの皿だ。皮つきのフライドポテトはごろりと大きい。塩味だけのシンプルな味付けだけれど、こだわりのジャガイモを使用しているらしい。
 一成は天馬へポテトをすすめたものの、自身も皿へ手を伸ばした。大きなひとかけをつまむと、口に放り込む。途端に「あっつ!」と叫んで、口に手をあてた。ほくほくのフライドポテトは、まだ充分な熱を宿していたようで、じたばたと手を動かしている。
 天馬はその様子に「大丈夫か」と声を掛ける。一成は若干涙目でうなずきつつ、どうにか口の中のものを飲み込んだらしい。

「火傷するかと思った! でも、やっぱ熱々のうちに食べるのおすすめ!」
「……まあ、それはそうだよな」

 一成の言葉ももっともだ、と思った天馬はフライドポテトへ手を伸ばす。ただ、一成の二の舞は踏むまいと一口で放り込むことはしない。大きなポテトを半分ほどかじった。火傷しそうな熱さに、カリッとした食感。ポテトはほくほくと口内を転がり、ジャガイモそのものの味を丹念に広げていく。
 あち、と言いながらも残りのポテトを口に運ぶ天馬を、一成は嬉しそうに見つめている。一成が「食べたい!」と言って訪れた店だけれど、天馬の食事の進み具合を見るに気に入ってくれたことは確かだろう。
 テンテンがおいしいって思ってくれてよかった、と心から安堵しながら、一成は視線を動かした。フライドポテトの隣の皿に盛りつけられているのは、特製のローストチキンだ。
 事前の情報収集の段階で、ピザ以外にもおすすめ度が高かったのがこのローストチキンだ。肉汁をもとにコンソメなどで味付けされたソースが人気だという。
 一口サイズにカットされたチキンは、飴色につやつやと輝いていて、いかにも食欲をそそる見た目をしている。ソースのかかったチキンを、一成はひとかけつまんで口に運んだ。パリパリとした皮としっとりとしたモモ肉の食感。ほんのりとしたスパイスが鼻に抜けて、特製ソースがほどよく口内を満たしていく。

「テンテン、こっちのチキンもめちゃうま! チキンもだし、やっぱソースが違うっぽいんだよねん」

 嬉々として告げれば、天馬がつられたようにチキンを手に取った。一口で放り込むと、ぱちり、と一つまばたきをする。それから、もぐもぐと口をうごかすたびに表情が明るくなり、一成を見つめる目には力強い輝きが宿る。思わず笑うと、全てを飲み込んだ天馬が口を開いた。

「うまい」
「でしょ~!?」

 素直な感想に、一成はガッツポーズを決めたい気持ちで答えた。自分が選んだ店を気に入ってくれた、ということが嬉しかったのもあるし、純粋に天馬がおいしいものを食べている、という事実は一成にとっての喜びでもある。
 無言ながらも周囲に花でも飛ばしていそうな雰囲気で、天馬は次のチキンに手を伸ばしていた。「テンテンのお気に入りリストに入れとかなくちゃねん」とこっそり思っている間にも、天馬は丁寧に味を噛みしめるように口を動かしている。
 一成はにこにこしつつ、自分もチキンを口に放り込んだ。決め手のソースは、コンソメと肉汁がベースになっているらしい。使われている野菜までは判別できないものの、一種類だけのシンプルさではないだろう。長時間煮込んで丁寧に作られたスープは、何種類もの食材の風味を豊かに閉じ込めている。
 何使ってるのかな、食材以外だとバターも入ってるっぽい。むぐむぐとチキンを食べながらそんなことを思っていると、天馬が一つ息を吐き出す。それから、しみじみとした口調で言った。

「このソース、ポテトとも合いそうだよな」
「それな! ちょっとしょっぱいのと、バターっぽさがいいんだよねん」

 心からの同意を示した一成は、顔を輝かせる。それから、ちょっとばかりイタズラっぽい笑みを浮かべて、取り皿にチキンとポテトを取った。

「ちょっとお行儀悪いかもしんないけど、やっぱポテトにソースつけて食べてみたいじゃん?」

 そう言って、ポテトをつまんでチキンにかかったソースをからめて口に放り込む。予想通り、特製ソースはポテトによく合う。ほくほくのジャガイモにたっぷりの肉汁とバター風味のソースがしみ込んで、チキンの旨味をポテトがぎゅっと閉じ込めたようだった。
 満足そうに口を動かす一成を、天馬は数秒見つめる。それから、わずかなためらいを流したあと、同じようにチキンとポテトを皿に取って口へ運ぶ。ゆっくり咀嚼してから、ぽつりとつぶやいた。

「――うまい」

 思わずこぼれてしまった、といった声の調子だ。一成はそれに、満面の笑みで、「おいしいねん」と答えた。天馬が喜んでくれることはもちろん、同じものを食べて「おいしい」と言ってくれることが嬉しくて、くすぐったくて、胸の奥がふわふわして仕方がなかった。

「ピザも結構種類あったし、他にもおいしそうなのいっぱいあったよねん。デザートとかもいろいろあったし、また行きたいかも!」

 浮き立つ心そのままに、一成は言う。ダイニングバーのメニューは、食事が評判というだけあってずいぶん充実していた。ピザだけでも種類が多かったし、おつまみ系からデザートまでジャンルも様々だ。一度だけでは勿体ない、と思うのも自然な流れと言える。

「夏組みんなでいろいろチョイスしたら楽しそうだし、お酒飲めるメンバーだったらお店行くのもいいよねん」

 今回は主に食事メニューを見ていたけれど、当然アルコール類も豊富だった。ビールやウイスキー、ジンなどのスピリッツ系からカクテルにワイン、日本酒など多くのアルコールを扱っているのだ。お酒好きのメンバーなら楽しんでくれることは請け合いだった。

「テンテンと行けるのは、もうちょっと先になるけど――お酒飲める年齢になったら一緒に行きたいね」

 目を細めた一成は、何かとてもまぶしいものを見つめるようなまなざしを浮かべている。今はまだ、天馬は飲酒が可能な年齢ではない。芸能人という職業上、イメージを守る必要がある。そのため、アルコールを提供する店を訪れることにも注意を払っているくらいだ。だけれど、無事に二十歳を迎えれば、連れ立ってバーへ行くこともできるようになる。
 そんな未来はいつかきっと訪れるのだ、と一成は思う。決して遠くはない、いつかの話をできること、ほとんど確かに訪れる未来を思い描けること。それは、今の天馬と近しい距離にいられることの証明であり、とても特別なことのように思えた。

「お酒の飲み方ならばっちり教えてあげるかんね!」

 一転して明るい笑顔を浮かべて言うと、天馬は真顔で「一成に任せると不安なんだよな……」とこぼすので。

「なんでオレそんな信用ないの!?」
「今までの言動を思い返せよ。絶対お前はオレで遊ぶだろ……」
「愛情表現じゃん」
「遊ぶことを否定しろよ」

 ぽんぽんと交わされる会話は、あくまでも軽い雰囲気だ。一成は非難めいた言葉を口にしたけれど、本気で思っているわけではない。天馬だって、心から嫌がっているわけではないのだ。まあ、一成に面白がられること自体はほとんど確信しているのだけれど。

「テンテンのハジメテはオレが教えたいのにな~?」

 イタズラを仕掛けるような口調で言われて、天馬は数秒押し黙る。からかわれていることはわかっているし、意味ありげな言い方をするな、と言いたい気持ちがあったのも確かだ。だけれど、天馬は真面目な顔で一成へ視線を向けると、きっぱり言った。

「まあ、オレのはじめてが大体お前なのは確かだ」

 MANKAIカンパニーへ入団してから、天馬はたくさんの「初めて」と出会った。そのうちの筆頭とも言えるのは夏組の存在で、中でも一成が当たり前の顔で自分を友達だと言ってくれたことを、天馬はずっと覚えている。そんなことを言われたのは初めてだった。
 それからも、一成はいつだって天馬の手を引いてくれたのだ。知らない世界へ飛び込むことにためらっても、「楽しいよん!」と言って新しい場所まで連れ出すのが一成という人間だということを、天馬はよく知っている。見たことのない景色も、自分自身さえ知らなかった感情も、一成はいくつも天馬に教えたのだ。

「テンテンってば、熱烈じゃん」

 からかうような口調で、だけれどまなじりを赤く染めて一成が言葉をこぼす。いつもの調子に似ているけれど、本気で照れていることはわかった。そんな反応をされてしまうと、天馬だってつられて恥ずかしくなってしまう。
 照れ隠しのように、大皿に乗っているピザへ手を伸ばす。少し冷めてはいるものの、味わいが損なわれることもなく、チーズとソーセージの肉汁がほどよくからみあう。
 もぐもぐ、と天馬がピザの味を噛みしめていると、思い出したように一成も動いた。ポテトをつまんで口へ放り込んでから、何だかやけにしみじみとした調子で言った。

「手づかみでピザ食べるのとかも、テンテンはじめてだったもんね」

 何かを思い出すような素振りの言葉に、天馬は「ああ」とうなずいた。手に持った食べかけのピザへ視線を向け、確かにこんな風に手づかみで物を食べるなんてこと、ほとんどしなかったな、と思う。

「フォークはないのかって言われてびっくりしちゃったよねん。さすがテンテン~って思ったけど」
「大勢でピザ食べる機会なんて、なかったんだから仕方ないだろ」

 レストランでピザを食べることはあっても、その時は大体ナイフとフォークを使用していたのだ。友人たちと集まってピザを囲む、といった経験がないし、そもそも天馬にとって手づかみで物を食べること自体馴染みがなかった。

「てか、テンテンの場合育ちがいいんだよねん。悪いこと教えちゃった感じじゃね?」

 食べかけのピザへかぶりつく天馬を示して、一成がニヤリと笑みを浮かべて言う。行儀の悪い行為なのだから、あながち間違いでもないのだろう。天馬は、もぐもぐとピザを咀嚼しつつ肩をすくめた。

「まあな。こんな風に、手づかみで何か食べるとか、グラス使わないでペットボトルから直で飲むとか、カンパニーに入る前のオレだったら信じられないって言ってる」

 ぺろりとピザを平らげた天馬が、傍らに置かれたペットボトルへ手を伸ばす。ぷしゅ、という音と共にキャップが開いて、天馬は喉を鳴らしてコーラを飲んだ。

「でも、そういうのが悪くないってお前らに教えられたからな」

 キャップを閉めて、テーブルの上にペットボトルを置き直した天馬は、真っ直ぐと一成を見つめて告げた。
 手づかみで物を食べることも、ペットボトルに直接口をつけることも、行儀がいいとは決して言えない。以前の天馬であれば眉をひそめたかもしれないけれど、今の天馬はそうしない。

「行儀悪いことするのは楽しいって、お前らがいなかったら思わなかっただろうな」

 マナーを守ることや行儀よくすることは、天馬にとって当然の行動だ。疑いを持つことさえなかったのだけれど、カンパニーに入ってその考えは少し変わった。
 誰かを傷つけるだとか迷惑になることは決してしない人たちだ。それでも、常に品行方正というわけではなかったし、ちょっとしたお行儀の悪さはご愛敬だ、と言わんばかりに深夜の夜食だとか、栄養の偏ったファストフード祭りだとか、そういうものに巻き込まれることが増えていく。
 最初こそ戸惑っていたものの、気心の知れた仲間と一緒にちょっとだけレールから外れてみるのは、案外楽しいことなのだと次第に天馬は理解したのだ。
 天馬の言葉に、一成はチキンを食べていた手を止める。口に手をあてると、大げさに叫んだ。

「テンテンが悪い子になっちゃう!」
「原因の一端は確実にお前だからな」

 今日の夕飯はアイスクリーム!だとか、深夜のコンビニまで買い食い行こ!だとか言い出すのは、大体目の前の人間だ。栄養を考えろ、夜に食べるな、なんて言っても気にしないし、何だかんだで天馬も楽しくなってしまうので、本気で嫌がったことはないけれど。
 一成もそれは理解しているので、にやにやとした笑みを浮かべて言葉をこぼす。

「オレのせいでテンテンが悪い子になっちゃうのか~」
「そうだな。責任取れよ」

 からかうような言葉に、天馬はしれっと答えた。あまりにもさらりと言われて、一成は一瞬スルーしかけるけれど、すぐに理解して笑顔のまま固まった。天馬はその反応に、に大きな口を開けて、軽やかな笑い声を響かせる。

「それじゃ、一緒にいっぱいおいしいもの食べよ」

 天馬の笑い声に我に返ったように、一成が言葉を取り戻す。責任を取れ、なんて天馬が冗談で言ったことはわかっているけれど、未来までの特別な約束をしてくれたような気がして、戸惑ってしまった。だけれど、否定はしたくなかったから一成は自分なりの答えを返した。
 未来まで一緒にいて、特別な位置に立つことを許してくれるなら。もしもそんな未来を思い描いていいのなら。それなら、天馬にしたいこと、天馬としたいことなんて。

「二人でおいしいもの食べられたら、めっちゃ幸せじゃん?」

 幸せの形はきっとたくさんある。その中の一つとして思い描いたのは、こんな風に食事を囲む風景だ。たった今のこの瞬間みたいに、おいしいを分かち合っていくことができたら、きっとそれは特別な記憶になるだろう。

「ああ、オレもそう思う」

 天馬は一成の言葉に、きゅっと目を細めてうなずいた。いつもの力強い笑みよりも、もっとやわらかくて、あたたかい。何かを抱きしめてそっと包み込んでいようとするような、そんな笑みだった。