箱庭ピクニック
Scene 02:豚バラ肉とキャベツのいためもの
いただきます、と両手をそろえた天馬が言う。ダイニングテーブルで向き合った一成も、同じように「いただきます」と口にしつつ、視線は天馬に向かっていた。
(テンテン、動作が全部きれいなんだよねん)
味噌汁のお椀を手に取り、箸をつける様子を眺めつつ一成はしみじみと思う。先ほどの両手をそろえる仕草だって、ぴんと伸ばした指先が丁寧に合わさっていた。いつもやっていることだからと流れのままにぞんざいに行ったわけではなく、一つ一つにきちんと神経が行き届いているのだ。
それは、お椀を持つ手だとか箸を操る指先にまで表れている。ただ食事をしているだけなのに、洗練された雰囲気が漂っていた。ぴんと伸びた背筋もあいまって、撮影中のワンシーンだと言われたらうなずいてしまいそうだ。
天馬自身の育ちの良さに加えて、日常生活においても自身の動きに神経を遣うのは役者としての無意識なのだろう。普段の行動が役に出るとわかっているから、気を抜くことがないのだ。天馬にとっては息をするように自然なことなので、苦にも思っていないないことは一成も理解している。
プロ意識の高さを目の当たりにするようで、あらためて感心するしかない。テンテンすごいなぁ、とぼんやり思っていると視線に気づいた天馬が顔を上げた。
「どうした、一成」
「え、ううん。何でも! お味噌汁どうかな~って思って」
天馬を見つめていて箸が進んでいなかったので、慌てたように口を開く。夕食の支度ということで、天馬と二人でキッチンに立った。ただ、味噌汁に関しては一成が担当していたので、味が気になる、というのは素直な本心だ。
明るい調子で告げられた言葉に、天馬は二度ほどまばたきをして、ふっと唇を引き上げた。
「うまいぞ。一成が作ってるからっていうのもあるけどな」
さらりと言った天馬は、ゆっくりお椀をかたむける。味噌そのもの味わいに、風味豊かなだしが合わさって、天馬は素直においしいと思っているのだ。もっとも、作ったのが一成、という情報が相当加味されている可能性は理解している。
「万能だしが優秀だな~的なやつじゃね?」
真正面からとんでもないことを言われた気がする、と思う一成の耳は若干赤い。ただ、いつもの調子が完全に失われたわけではないので、茶化した雰囲気で答えた。
ドキドキしながら口をつけた味噌汁は、いまいち味がよくわからなかったけれど、評判のいい万能だしを使用したのは事実だし、あながち間違ってもいないはずだ。
「まあ、それは否定しないけどな。でも、たとえ味がイマイチでも、一成が作ったなら満足はするぞ。そもそも、オレがリクエストしたんだし」
味噌汁の豆腐を口に運んでから、天馬はきっぱりと言う。確かに、今日の夕食を作るにあたって天馬のリクエストを聞いたところ、「一成の作った味噌汁が飲みたい」という返答だったのだ。それを叶えた結果なので、そもそも「一成が作った」という時点で満足はするのだ、と告げる。
「お前の作った味噌汁が飲めるのは嬉しい」
もちろん味に関してもうまいと思ってる、と続けるものの、真正面からそんな言葉を向けられた一成はどういう顔をすればいいかわからない。
一成が作った、ということを特別に思ってくれることが嬉しい。それを素直に告げてくれる天馬をカッコイイと思う。だけれど、あまりにもストレートに言われると照れてしまう。あらゆる感情がごちゃまぜで、笑うような照れるような、困ったような表情を浮かべるしかなかった。
「この豆腐もちゃんと大豆の味がするし、ワカメも味噌汁とよく合ってると思う。オレは好きな味だ」
こくり、と味噌汁を飲んだ天馬が、お椀を置いて言う。
薄くなりすぎて味噌の味がしないだとか、逆に濃すぎて塩気が強すぎる、なんてこともない。味噌の風味はきちんと残しながら、だしの味わいも損なうことなく、具材の良さを引き立てているのだ。あたたかな味噌汁は、やさしく喉を滑り落ちて旨味をぎゅうっと閉じ込めながら、体中に染み渡っていくようだった。
それは恐らく、一成が丁寧に味噌汁を作っている姿を近くで見ていたことも関係している。
天馬が「一成の作った味噌汁が飲みたい」と言ったから、という理由で「オレに任せてねん!」と張り切ってくれたのだ。こまめに味見をしながら、真剣な表情で味を調えていたのは、他でもない天馬のためだとよくわかっている。
実際の話としてなら、一成は取り立てて料理が上手いわけではない。器用な人間だからそれなりのものは作れるけれど、当然プロの料理人の足元にも及ばない。
天馬は生まれ育った環境から、質の良いものと接する機会が格段に多い。だから、老舗料亭の味噌汁だとかその道の達人が作る料理だって当然知っている。客観的にはどちらのほうがおいしいか、なんて誰に聞くまでもなく答えは明白だろう。
それでも、一成が作った味噌汁は天馬にとって「好きな味」であることは揺るぎない。おいしいもの、と言ってきっと思い浮かべるし、他のどんな料理人が作った味噌汁だって適うことはないのだ。
「――そっか。ありがとねん」
真正面から告げられた言葉を受け取った一成は、そっと声をこぼした。口元に浮かぶ笑みはささやかで、漂う雰囲気はやわらかい。
照れくさいけれど、天馬が心から言ってくれていることはわかっていた。お世辞やおためごかしではなく、一成の作る味噌汁が好きだ、と言ってくれる。それは、天馬が一成のことを大切に思っていることの何よりの証明だ。だから、受け取った一成はありがとうと告げるのだ。
くすぐったい気持ちのまま、一成はお椀を手に取った。味噌の匂いが、湯気とともにふわりと立ち昇って鼻をくすぐる。ゆっくり口をつければ、だしの味わいとまろやかな味噌の塩気が、ふわりと広がった。あたたかな味噌汁は、余韻を残しながらじんわりと体にしみ込んでいくようだった。
一つ息を吐き出した一成は、「確かに結構おいしいかも」と思う。テンテンに喜んでほしいってパワーすごくね、と感心しながら緑のあざやかなワカメをすくって、もう一口とお椀をかたむけた。口内に旨味が広がり、こくりと飲み込めば余韻を残して消えていく。
それから一成は、お椀を置くと別の皿へと箸を伸ばした。今日のメイン料理である、豚バラ肉とキャベツのいためものだ。ざっくり切られたキャベツと豚肉は、タレにからんで照り輝いている。何を食べたいか、という流れで肉料理ということなり、精肉店のおすすめから献立が決定した。
「お肉おいしいねん! おすすめ選んで正解じゃね?」
口いっぱいに頬張った一成が、もぐもぐと全てを飲み込むと、朗らかに言う。こってりした豚肉と、キャベツのほんのりとした甘みが甘辛いタレによくからんで、ご飯が進むおいしさなのだ。左手に持った茶碗から白米を箸で運び、豚肉も一緒にほうりこむ。
嬉しそうに口を動かしているけれど、対する天馬は何だか気まずそうな雰囲気を漂わせたあと、重々しく口を開く。
「お前はそう言ってくれるけどな。キャベツの大きさだってバラバラだし、肉も少し焦げてるだろ」
夕食の準備は二人でしようと言っていた。だから、味噌汁を作るのが一成ならこっちは自分の役目だろうと天馬は思ったのだ。料理に慣れてはいないけれど、だからと言って何もしないなんてことはしたくない。慣れていないなりに努力するつもりだった。
ただ、いくら頑張ろうと思ったところで実際の腕前が上がるわけではない。さてキャベツを切るか、というところで、一体どこから包丁を入れればいいのかと立ち尽くしたし、味付けをする段階では火の加減を間違えてうっかり一部を焦がしてしまったのだ。
味噌汁の味を見ていた一成は、面白そうに「手で千切ればいいんじゃね」だとか「めっちゃ火通ってて安心じゃん」だとか言っていた。
天馬の失敗をどうにかフォローしなくてはと思っているわけでもなければ、馬鹿にして笑っているわけでもない。一成にとっては、料理の過程で起こるアクシデントは楽しいイベントと変わりがないのだ。だから、そんなに気に病むことじゃないんだけどなぁ、と思っているのだけれど。
「それに、卵焼きだって上手く作れなかった。オレだけの分だからまだいいけどな……」
ぽつり、と言葉を落とした天馬の視線の先は、付け合わせの小皿である。おのおの、それぞれに用意された皿のうち、小皿には付け合わせの卵焼きが乗っていた。天馬の前にあるのはところどこに焦げ目がつき、上手く巻けなくて無残な姿になった卵だった。
「慣れてないならこんなもんだって。できなくたっておかしくないっしょ。むしろ、伸びしろばっちりじゃん?」
なるべく明るい雰囲気で言うものの、天馬の表情は晴れない。各自己の分を作ったため、一成が作った卵焼きは、それはもうきれいに巻かれて小皿の上に鎮座している。その落差が、余計に天馬を気落ちさせているのかもしれなかった。
「せっかくなんだから、お前にはちゃんとうまいものを食べてほしかった」
苦渋に満ちた顔で告げられて、一成の唇は思わずゆるむ。天馬の真面目さだとか実直さだとかがよく表れていて、さすがテンテンだよねん、とくすぐったい気持ちになる。だってそれは、一成を大切に思うからこそ告げられた言葉なのだ。わかっているから、ゆるんだままの唇から声は簡単にこぼれおちた。
「おいしいよ? お世辞とかじゃなくて、ほんとに」
言いながら、一成はお皿に乗ったキャベツと豚バラ肉を箸で取った。全体にまとった、煮詰めたような飴色のタレが落ちないよう、気をつけながら口に運ぶ。いささかくったりとしたキャベツに、若干焦げた豚バラ肉ではあるけれど、おいしいと思ったのは本心だ。白米と一緒になれば、それはもう最強だ。
「困った時はこれに頼れって、おみみのアドバイスめっちゃ頼りになる~っていうのもあるけど」
ごくん、と口の中のものを飲み込んだ一成は、朗らかに言った。二人を送り出した臣は、食事はちゃんと取るようにと念押しをする過程で、アドバイスを口にしたのだ。とりあえず、困ったら焼き肉のタレで大体はどうにかなるから、一つ買っておくといいぞ、と。
その言葉に従って、ちゃんと焼き肉のタレを買ってきた二人は、キャベツと豚バラ肉のいためもので使用した次第である。料理に慣れていなくてもおおむねおいしいものはできるので、企業努力のすごさを実感したのだ。
だけれど、一成が言う「おいしい」はそれだけの意味ではなかった。心からの気持ちを込めて、一成は言う。自身の皿から豚肉を食べている天馬を、真っ直ぐ見つめて。
「テンテンが作ってくれたってだけで、めちゃめちゃおいしくなっちゃうじゃん?」
実際の味付けとして、壊滅的にマズイわけではないのも事実だ。市販品を使っているから、それなりにおいしいものに出来上がっていることも確かだろう。ただ、この場合のおいしさとはそれだけではない。
「テンテンがさ、オレの作ったお味噌汁おいしいって言ってくれるのとおんなじだよ。オレはこの味、好きだよん」
ふにゃりと眉を下げて、照れたような笑みを浮かべて。やわらかに告げられた言葉を真正面から受け止めた天馬は、何も言えなかった。
口の中に放り込んだ、豚バラ肉とキャベツ。焼き肉のタレの、考え抜かれた調味料が合わさってしょっぱいだけではない旨味を持っている。焦げた肉もくったりとしたキャベツも全部上書きして、立派なおかずになっていることは確かだ。
それでも、決して満足のいく出来ではない。もっとおいしいものをちゃんと用意したかった、と天馬は思っている。だけれど、一成の言葉がどれほどの本音であるかもわかっていたし、何よりも、天馬が一成の作った味噌汁をおいしいと言ったのと同じなのだと言われてしまえば。
「これから、こういういためもの作ったら、絶対今日のこと思い出すじゃん? そしたらめっちゃ幸せな気持ちになるし、その時オレ、テンテンが作ってくれた料理、おいしかったな~って思うよ」
天馬が口にしたのと同じ気持ちで、一成は言うのだ。
失敗してしまったと言える料理だったとしても、今日を思い出せばそれは確かに幸せな記憶になる。おいしいもの、として頭に浮かぶものを考えた時、一成は今日のこの献立を示すのだ。
天馬がキッチンに立って、あれやれこれやと試行錯誤して作ってくれた。焼き肉のタレの恩恵におおいにあずかった、上手くはできなかったいためもの。それでも、一成にとっては一等おいしい記憶になる。
「卵焼きだって、ちょっと形は悪いけど、それくらいっしょ。オレのと交換しね?」
自身の皿を示しての言葉に、天馬は一つまばたきをした。きれいに巻かれた卵焼きと、崩れてしまった卵焼き。どう考えたって、一成が作った卵焼きのほうがおいしそうで、わざわざ無残な姿を選ぶ道理はないはずなのに。一成は、大きな目にきらきらとした光を宿して、心から交換してほしいと告げるのだ。
「オレが得するだけじゃないか、その提案」
「なんで? テンテンの手作り卵焼きとか、めっちゃハッピーじゃん」
「オレだって、お前の手作りは嬉しいけどな――でも、オレのは焦げてるし形も良くない」
一成のものと比べて見劣りするのは確かなのでそう言うけれど、一成の返答なんて本当はとっくにわかっていた。だから、これは一応言ってみただけで本気の反論ではないのだ。
「逆にこれのが味があるって感じでよくね? テンテンの成長の軌跡~って、作るたびに写真撮るとかどう?」
思いついた、という顔でそんなことを言うので、天馬は微妙な表情を浮かべる。
一成なら本気で、逐一卵焼きの写真を撮って、きれいに巻けるようになるまでの過程をアルバムにでも収めかねない。練習すること自体はやぶさかではないけれど、失敗の過程まで記録にされたいわけではないのだ。それに気づいた一成は「冗談だってば」とからから笑う。
それから、落ち着いた空気を流すとゆっくり言葉を紡いだ。静かな声で、しんとした響きで、心の内をそっと取り出すように。
「でも、テンテンが作ったんだな~って思うから好きなのは本当だよん」
目を細めた一成は、崩れた卵焼きへ視線を向けている。きれいに巻かれた卵焼きももちろん好きだし、我ながらいい感じじゃん、と自画自賛もした。だけれど、上手く形にならなかった目の前の卵焼きは、特別な意味を持っている。
二人で一緒に買い物へ行った。あれやこれと必要なものをそろえて、いろいろ使えるからと卵を買った。もう少し何かほしいよねん、と卵焼きを作ることにして、二人それぞれフライパンに向かったのだ。
上手く巻けなくて悪戦苦闘する天馬の、一生懸命な横顔だとか。どうにかお皿に移し終えたときのほっとした表情だとか。そういうものを含めた全部が集まって、今目の前の一皿になっている。
「ちょっと焦げちゃってるけどさ。オレ、テンテンの作った卵焼きが食べたいな~」
意識的に上目遣いをして、お願いのポーズを取ってみる。天馬は数秒考えてから、自分の皿を一成のほうへと寄越した。漂う雰囲気はどこか照れくさそうで、だけれどほのかな喜びが混じっている。
「ありがとねん!」
嬉々として皿を受け取った一成は、自分の卵焼きを天馬へ進呈してから、いそいそと箸を取った。ところどころに黒い焦げのある卵焼き。上手く巻けなくて、ぐちゃりとした一塊になっているけれど。
一成が天馬の卵焼きに箸を入れると、すぐに千切れた。黄色い断面が現れる。焦げたとはいっても、中まで真っ黒になっているわけではない。切ってしまえば、きれいに焼けている箇所が見えてくる。
一つをつまんだ一成は、そっと口へ運ぶ。軽い食感とともに広がるのは確かな甘み。続いて卵の味がやってきて、一成はにっこり笑みを浮かべる。
「砂糖がいい感じに効いてておいしいよん!」
朗らかに告げると、天馬はほっとしたように息を吐き出す。その様子を見つめながら、一成は二口目のため箸を伸ばす。焦げ目はついているけれど、これくらいなら問題はないだろう。
それに、箸でつまんだ卵焼きの断面は、あざやかな黄色を宿していた。何だか光の塊のようだ、と一成は思う。ぎゅっと光を集めたから、あんまりまぶしくて強すぎて、焦げちゃったりなんかしたのかも。他愛ないことを考えながら、一成は卵焼きを口に運ぶ。