最果てで手をつなぐ
※死ネタ
ロケ帰りの事故だった。
山中での撮影を終えて、帰路についたロケバスが落石事故に巻き込まれたのだ。
その一報は、臨時ニュースとして日本全国に伝えられた。事故の被害が大きかったことにくわえ、バスには誰もが名前を知る役者が乗車していたからだ。
カンパニーには、ニュースよりも前に連絡が入った。いつも通りの談話室で夏組は和気あいあいと、ここにはいないリーダーの話をしていたのだ。今日には帰ってくるから、お土産は何だろう、なんて。何一つ変わらない時間のはずだった。電話を受けた監督が、青ざめた顔で口を開くまでは。
ロケバスの事故。乗客は全員亡くなった。そのバスには、夏組リーダーの皇天馬が乗っていた。
両親ともに有名な役者で、小さな頃から子役として活躍していた。日本国内で知らない人はない存在だったし、映画やテレビにも引っ張りだこだ。舞台へ立つようになってからは、それまでとは違った芝居を披露するようになり、周囲からいっそう高い評価を受けるようになった。
これから先ますます成長していくことは間違いない。日本の演劇シーンに欠かすことのできない唯一無二の役者になるだろうと、誰もが思っていた。
皇天馬とはそういう役者で、日本にいれば毎日どこかで必ず目にする存在だった。そんな天馬がいなくなってしまったなんて、全ての人間が悪い夢を見ているようだった。
しかし、事実として天馬はこの世のどこにもいなかった。バスには確かに乗車しており、横たわる亡骸は非情な現実を否応なく突きつけたのだ。
天馬の両親は遺体と対面したあと、気丈にも会見を開いた。取り乱すことはなく、落ち着いたとも言える口調だった。しかし、あまりにも痛々しく憔悴しきった雰囲気は、これまでの皇夫妻が一切見せることのなかった顔だった。
それでも、二人は息子の死とともに、これまでの感謝を伝えた。小さな頃から見守られてきたことを知っているからこそ、そうすべきだと判断したのだ。これまでの歩みの終止符を打つのは、遺されたものの役目だとでも言うように。
それをきっかけにして、メディアは今までの足取りや出演作などをこぞって取り上げ、日本中が追悼の雰囲気に包まれていく。
葬儀は近しいものだけで行い、ファンのために別れの場を設けることにするというのは妥当な判断だろう。たくさんの人に愛された天馬に、別れを告げたいと思う人たちは大勢いるのだと、近しい人間はよく理解していた。
同じ屋根の下で、ともに時間を過ごしたカンパニーメンバーは、全員葬儀へ参列した。息子がどれほど、MANKAIカンパニーという存在を大切に思っていたのかは両親もよく知っている。一人一人に礼を言って、特に夏組に対しては何度も感謝を伝えていた。
夏組と出会って、どんなに天馬の人生が彩り豊かになったか。あの出会いは、天馬にとって最大の幸福だったのだと何度も口にして、夏組はただうなずくしかできなかった。
全部が悪い夢みたいなのに。たくさんの花で囲まれた祭壇も、四角い縁取りの中で笑う姿も、何もかもが作りものみたいで、どこからか天馬が出てくるような気がするのに。そうしたら、夏組はみんなで「ガチすぎてびっくりしちゃったじゃん!」「種明かしが遅い」なんて言って笑うのに。
天馬の両親からの言葉が心からのものであればあるほど、全ては現実なのだと思い知らされる。天馬は二度と戻ってこない。永遠に会うことはできない。打ちひしがれるような気持ちで、夏組はただ感謝の言葉を受け取るしかできなかった。