シークレットフレーバー
そうだ、告白しよう。
クリスマスムードに染まる街並みを眺めていた一成は、唐突に決意した。
駅ビルの二階にあるカフェは、ほとんど満席に近い。
駅前広場を見下ろすカウンター席に座った一成は、必要な返事をしてからスマートフォンを机の上に置いた。ぬるくなりかけたカフェラテを口に運び、ぼんやりと駅前広場に視線を向ける。
街路樹はイルミネーションがほどこされてキラキラと光り輝き、広場の中央にあるモニュメントも同様だ。大型ビジョンは、時折一般的なCMを流しつつも、ほとんどはクリスマスに向けた商品の宣伝をしている。
駅ビル一階に入っているテナントや、駅前に構えられた店舗のショーウィンドウはクリスマスを謳うディスプレイで彩られ、多くの商品が特別な贈り物として選ばれる瞬間を待っている。
どこもかしこも、サンタクロースやトナカイ、モミの木にヒイラギ、ポインセチアの赤や緑にあふれかえり、街はすっかりクリスマスへの装いを整えている。
それらを眺めている内に芽生えたのが、一成の決意である。
クリスマスと言えば恋人同士のイベントだから、せっかくならば恋人がほしい。といった類の決意ではなかった。むしろその逆で、きれいさっぱり思いを断ち切るための決意だった。
最近では、クリスマスは何も恋人同士に限定されるイベントではない。
現に、一成も友人たちと過ごすクリスマスイベントの開催を企画しており、そのための打ち合わせまでの時間つぶしにカフェに入っているのだ。必ずしも恋人がいなくてはならないと思っているわけではない。
ただ、クリスマスと言えば恋人同士で過ごすもの、という空気がまったくなくなったわけではない。だから、叶うはずがないとわかっているのに、一成はつい考えてしまうのだ。
たった一人を思い浮かべて、恋人としてクリスマスを過ごすことができたら、きっと幸せだろうなと。
クリスマスが近づくにつれ、何をしていても一人が頭に浮かんで、ついつい意識が向かってしまう。自身の恋心を嫌というほど思い知らされて、一成はついに決意した。
このままずるずると、片思いを引きずり続けていても仕方がない。だから、きれいさっぱりふってもらおう。
決意を新たにした一成は、思い出したように手の中のカップを再度傾ける。しかし、途中で動きが止まった。
駅前広場の大型ビジョン。クリスマス関連の宣伝の合間に流れる、テレビでも放映しているCM。冒頭だけで反応してしまうのは、覚えるくらい何回も見ているからだ。
一成はきゅっと唇を結んだ。
しんしんと雪の降る夜、部屋では暖炉の火があたたかく燃えている。木のぬくもりを感じさせる室内で穏やかな笑みを浮かべているのは、一成のよく知った人物だ。
オレンジ色の髪が、暖炉の炎と重なっていっそうあざやかに目に映る。パープルの瞳をやさしく細めて、ココアの注がれたマグカップを差し出す。
やわらかく、寒さの全てを溶かしてゆくようなほほえみが、真っ直ぐと一成の胸に突き刺さる。
身動き一つ取れないまま、一成は大型ビジョンの天馬をただ見つめている。
何度も見たCMにも関わらず、一成の心臓はドキドキとせわしないし、毎回新鮮叫びそうになる。外でなければバタバタと騒いでいたかもしれない。
(だめ、むり、やっぱりテンテンめっちゃカッコイイ)
何度も叫んだ言葉を心の中で繰り返す一成は、天馬にずっと片思いをしている。
きっかけはこれだった、と明確に覚えているわけではない。気がついたら好きだった、としか言えなかった。
奇しくも夏組として共に舞台に立つようになり、かけがえのない仲間となった。本音を口にできなかった一成の本心を、否定もせず受け止めてくれた相手だし、リーダーとして夏組を心から大事にしてくれることもわかっていた。
天馬のことを大切に思うのに特別な理由は要らず、友情としての親愛を抱いているのだとずっと思っていた。
しかし、いつの頃からか、自分の気持ちに他とは違う感情が混ざり始めていることに、一成は薄々気づいていた。
最初は、本音を言える友達というものを特別視しすぎて、錯覚を起こしているのだと思った。
だけれど、天馬を相手にするとスキンシップの取り方が途端にわからなくなったり、心臓がありえないほどの速さで鼓動を刻んだりすれば、さすがにおかしいと思わざるを得ない。
さらに、天馬の演じるラブシーンを見るのが辛くなり、あまつさえ相手役に嫉妬して、自分がそこにいられたらいいのに、と思うに至って一成は観念した。
オレはテンテンに恋をしているのだ、と。
自覚はしたものの、何ができるわけでもなかった。天馬は一成のことを友達だとしか思っていないだろうし、そもそも一成は男である。
直接聞いたわけではないけれど、天馬の恋愛対象は女性だろうから、スタートラインに立つことすらできないのだ。
それに、皇天馬というのは知らぬものはない超有名人である。友人として近い距離にいられるとしたって、一成は単なる大学生だ。
彼の周りには、華やかで才能のある人たちがあふれているだろうし、性別の壁を乗り越えたところで一成が選ばれるとは思えない。
それ以外にも、天馬は硬派なところがある。仕事に専念するために恋愛なんて考えられないと思っている可能性だってある。それなら一成の気持ちは天馬の邪魔になるだけだ。
諦める理由はいくつも思い浮かんだ。
理性は100パーセントの支持率で、早々に恋を捨てろと訴えるし、頭ではそれが正しいと一成だってわかっている。だけれど、簡単に全てをなかったことにするには、二人の距離は近すぎたのだ。
幸か不幸か、一成と天馬は同じ寮で起居する身の上である。
片思い中の相手と一緒に暮らすというのは、天国と地獄が肩を組んでやってくるようなものだ、ということを一成は身を持って思い知らされた。
朝起きたら、すぐに天馬の顔が見られて嬉しい。朝の挨拶を交わせるだけで心が弾むし、そこから雑談に発展すれば、交わした会話は一日の内に何度も頭の中でリフレインする。
天馬の出演番組は欠かさず見るし、本人に直接感想を伝えたり一緒に見られたりするのは、同じ寮暮らしの特権だ。
天馬は一成の感想をちゃんと聞いてくれるし、撮影中の裏話を教えてくれることもあるので、何だか自分が特別になったような気持ちになる。
一方で、朝の挨拶が一言で終わってしまえば、オレ昨日何かしちゃったかな、と心配になる。自分よりも他の団員との会話が長いと、天馬の笑顔が自分の前よりやけに楽しそうに見えて、何だか凹んでしまう。
番組の裏話を聞けるのが嬉しいのに、共演した女性アイドルと収録以外でも会話が弾んだなんてことを聞いた日には、地の底まで沈みそうな気持ちになる。
天馬にとっては何でもない全てで、一成の心は簡単に一喜一憂してしまう。
些細な瞬間を宝物のように握りしめる一方で、ちっぽけな出来事が簡単に傷になる。そういう記憶なら、一成はいくらだって取り出せる。
たとえば、と一成は思う。
さっき流れたココアのCMに触発されたのだろう。天馬が一成にココアを淹れてくれた時のことが、あざやかに思い浮かんでいる。
******
大学で頼まれた、イベント用のチラシを考えていた。しかし、なかなかしっくり来なくて、一成は気分転換も兼ねて何かを飲もうと部屋を出た。
深夜というほどではないけれど、同室の椋はすでに就寝している。無理しないでね、と言われたし、あまり夜更かししては椋にも迷惑だろう。今日はそろそろ寝たほうがいいかも、だけどもうちょっと、アイディアの尻尾くらいつかんでおきたい。
そんなことを思いながら談話室に入る。今日は酒盛りもないし、テレビ組も解散したようで、誰も人はいないようだ、と思ったのは一瞬だった。
キッチンには天馬が立っていた。途端に一成の心臓がドキドキと早鐘を打つ。しかし、そんな態度は一切顔に出さず、朗らかに声を掛けた。
「テンテンがキッチンにいるとか珍し~! 何か作ってる系?」
キッチンの天馬は、気まずそうな表情を浮かべたあと「まあな」と答える。
一成は、近づかないほうがいいのだろうか、と思ったものの結局隣に立った。ここで距離を取るのは、恐らく三好一成らしくないと判断したのだ。
「ココア? それか、ホットチョコレート的な?」
「ココアだ」
マグカップに注がれた茶色い液体を示して尋ねれば、簡潔な答えが返る。マグカップに注がれたココアは、どうやら淹れたばかりのようで湯気が立ち上っている。
ちらりとシンクに視線を向ければ、小さな鍋や木べら、計量カップが置いてあるので、レンジではなく鍋で作ったものらしいと察する。
「鍋で作るとか本格的だねん。オレはいつも、レンジ使っちゃうかな~」
濃い目の牛乳入れると美味しいよねん、と笑いかけると天馬は何だか難しい顔をしていた。
何か気に障ることを言ってしまっただろうか、と内心凹んでいると、天馬は表情を変えないままマグカップに手を伸ばす。ずい、と一成へ差し出すと簡潔に言った。
「感想教えてくれ」
「んん?」
突然の言葉に、一成は笑顔で疑問符を浮かべた。感想。教えてくれ。何の?
「――ココアだよ。美味いかどうか、飲んで教えろって言ってる」
「それは全然いいけど、テンテンどしたの」
いぶかしみつつもマグカップを受け取ると、天馬は周囲に視線をさまよわせる。何かを考えるような、ためらうような素振り。
しかし、それも一瞬だった。真っ直ぐ一成へ視線を向けて言った。
「どうせすぐに情報公開されるけど、それまでは黙っとけよ。お前なら話さないだろうけど――今度、ココアのCMに出る」
告げた天馬は、有名な製菓メーカーの名前を挙げた。インスタントココアの粉末から缶のココアまで網羅する製品名は一成も聞いたことがある。今度、天馬はそのココアのCMに出演するという。
「すげーじゃん、テンテン! 今年の冬はめっちゃココア飲んじゃうねん!」
天馬が出演するCMの製品は、夏組――中でも一成を筆頭にしてカンパニーメンバーはしょっちゅう購入している。そのラインナップにココアが加わるということで、今年の冬の飲み物は決定である。
「あ、もしかしてCMでココア淹れるシーンがあるとか? だから練習しとこう的な!」
天馬は役作りに余念がないので、CMだからと言って手を抜かない。だから今ココアを淹れているのではないかと思い至ったのだ。天馬は「そんなところだ」と答えてから、マグカップを示した。
「冷めるから早く飲めよ」
「あ、そだよねん。ありがと!」
せっかく天馬が淹れてくれたのだ。たまたま談話室を訪れただけだったけれど、ラッキーだったな、と思いながらマグカップに口をつける。適度な温度の甘い液体が、ゆっくりと喉を滑り落ちていった。
「――え、めっちゃ美味しい」
天馬が淹れてくれたから、という点を差し引いても、今まで飲んだココアの中でも上位に入ると言ってよかった。
ココアの味が際立ちつつも、甘味は強い。それでいて甘ったるさは微塵もなく、どこか深みを持ったまろやかさが広がるのだ。
素直に驚きを言葉にすれば、天馬が嬉しそうに笑った。ぱっと花が咲くような、力強い明かりのような。そんな笑顔に、一成の胸はきゅうっと締めつけられる。
近くでこんな笑顔を見られることが嬉しい。このタイミングで談話室へ来た自分に全力で感謝したい。
心から自分の幸運を噛み締めていたので、わずかに沈黙が流れる。不自然にならないよう、一成は明るく口を開いた。
「テンテンって、ココア淹れる才能あるんじゃね!?」
「どんな才能だよ。まあ、でも、美味しかったなら良かった。誰かに淹れてやるのは、お前が初めてなんだよ」
「――え、テンテンの初めてをもらっちゃった系?」
わざと茶化すように言えば、天馬が「言い方考えろ」と眉をしかめた。一成は努めて明るい笑顔で、「いーじゃん!」と言うけれど、そうしなければテンションが振り切れてしまいそうだった。
天馬が淹れてくれたココアを飲める、それだけで嬉しいのに。最初に飲んだのは自分だ、という事実は一成の気持ちをさらに高揚させる。
「まあ、メーカーの担当者と打ち合わせした時に教えてもらったから、マズイってことはないだろうとは思ったけどな」
「あれ、おみみに聞いたとかじゃないんだ?」
「CMの話は、今のところお前にしか言ってない」
特に深い意味はないのだろう。単純に、タイミングが合っただけなのだと一成の理性は言っている。だけれど、理性なんて無視した恋心のほうは、些細な特別を拾い上げてしまうのだ。
自分だけ。天馬が出るCMのことを知っているのも、天馬が淹れてくれたココアを飲むのも、全部は自分だけなのだ。その事実は心地よく一成を満たし、空の上まで心を舞い上げる。
「――テンテンのCM見るの、めっちゃ楽しみ!」
きっと今日の夜を思い出して胸を弾ませるのだろうと思いながら、一成は言う。天馬は楽しそうに「そうかよ」と答えてくれて、一成は手の中のマグカップをぎゅっと握った。
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一成ははっと我に返る。天馬のCMはとっくに終わっていて、クリスマス限定コスメの宣伝が流れていた。機械的にカフェラテを飲む一成は、天馬が淹れてくれたココアを思い出す。
あの夜は一成にとって、ピカピカと光る星みたいに綺麗な記憶だ。
天馬が自分にココアを淹れてくれたことも、初めて誰かに淹れたココアを飲めたことも、CMのことを一成に教えてくれたことも。何もかもが嬉しくて、光にあふれるみたいに彩られている。
だけれど、一成は知っている。
結局その後、天馬は他の団員にもココアを振る舞っていたし、CMのことは情報公開前にカンパニーのほとんどが知ることになった。
それは当然のことで、一成はたまたま最初に教えられただけでしかない。わかっていたのに、一成の胸はずきずきと痛んだ。
メーカーの担当者に教えてもらったというレシピは、臣にも伝わったようで「俺も練習してみるよ」と朗らかだった。
椋や十座は殊の外天馬のココアを気に入ったようで、何度も淹れてあげていた。それは至って当然の光景だとわかっていたのに。
一つ一つの事実は、一成が決して特別な相手ではないのだということを否応なく知らしめる。
カンパニーを大切にする天馬らしい行動だ、と思いたかったのに、どうしたって落ち込んでしまう自分を一成は自覚していた。
幸い、一成は感情を笑顔の裏に隠してしまうのが得意なので、落ち込んでいることには気づかれていないはずだ。
天馬の一挙一動に左右されて、毎日ジェットコースターのように感情が乱高下していることだって、上手く隠せているだろう。
嬉しい。幸せ。楽しい。そう思うのと同じくらい、辛くて、落ち込んで、悲しい。相反する感情を行ったり来たりしながら、一成は天馬にずっと片思いをしていた。
(――諦められたら楽だったんだけどねん)
ぬるいカフェラテを飲みながら、一成は胸中で言葉をこぼす。
理性は何度だって、恋を捨てろ諦めろと言う。そうできれば楽だった。
天馬が単なるオレ様で傍若無人なら良かった。自信の裏に隠された努力も、実はとてもやさしいところも、いつだって誠実でいてくれることも、知らなければ良かった。
そしたらきっと、一時の感情だったと、愛想を尽かして幻滅もできただろう。
だけれど、一成と天馬の距離はそれを許すほどに遠くはなかった。とても近い場所で、皇天馬を見つめ続けていたのだ。
天馬が持つやさしさも、弱さも、しなやかな強さも、芯に灯った明かりも、何もかもを知っている。知れば知るほど天馬を好きになるのは、一成にとってもはや必然だった。
だけれど、叶わないことだって一成はよく知っている。
叶うと思える理由はなくても、叶わない理由ならいくらだって簡単に見つけられるのだ。それなのに、簡単に諦めさせてはくれないのが天馬なのだ。
本人は特別なことをしているつもりなんて、微塵もないだろう。だけれど、天馬が夏組を大切に思っていることは周知の事実だし、当の夏組だって理解している。
だから天馬は無意識の内に、夏組を特別な相手として扱ってくれるのだ。
MANKAIカンパニーの誰とも違う、特別なつながりを結んでいることは一成だって知っている。
同じ板の上で、何度も新しい世界を作り上げた。互いの心を受け取り合って、最高の舞台を演じきった。大切になるのも特別になるもの当然だ。
天馬が、他の誰とも違う場所に自分たちを置いてくれるのが嬉しい。だけれど同時に、それが余計に辛かった。
天馬と同じ好きの気持ちを抱えているならよかったのだ。
しかし、一成が持つ天馬への好意は、純粋な友情だけに留まらない。ただの友人ではいられないことを申し訳なく思いながら、ずっと片思いを続けているのだ。
そんな一成にとって、特別な場所に置いてもらえているという事実は、喜びとともに同じくらいの痛みを運んでくる。確かに特別にしてもらえるけれど、それは自分が抱えるものと決定的に違っていると思い知らされるからだ。
もしもこれが学校で会うだけの単なる友人なら、上手く距離を置くことができたかもしれない。
距離を置いて時間を取れば、気持ちには整理がつくかもしれないし、そのままフェードアウトする道だって選ぶことはできる。
だけれど、天馬相手にそんなことは土台無理な話だった。
天馬と一成は同じ寮で暮らしているし、毎日顔を合わせるのだ。それこそ日常の一部に溶け込んでいる。
万が一顔を見られない日があるとしたって、日本全国どこにいたって天馬の顔はメディアに映し出されているのだ。天馬のことをなかったことにするには、周囲の状況がそれを許さない。
何より、皇天馬という人間が、勝手に関係を断ち切ろうとして黙っているはずがなかった。
天馬を好きになった時点で、忘れるだとかなかったことにするだとか、そんな選択肢は最初からないのだ。逃げ道なんて、片思いを自覚した時からきっと存在しない。
だからもう、こうなったらすっぱりふってもらうのが一番だ、と一成は結論を出したのだ。
叶わない気持ちをずるずると引きずり続けるくらいなら。勝手に消えてなくなることを期待するとか、全部なかったことにするとか、諦めるだとか。
そんなことができそうにないのはわかっていたから、それならさっさと恋心にとどめを刺すしかない。
唐突な思いつきだったけれど、言葉にしてみれば案外すんなりと自分になじんだ。何だか妙にすっきりとした気持ちになるのは、不毛な片思いを終えられることへの安堵なのだろう。
多少気まずい雰囲気にはなるかもしれないけれど、天馬はそれで友情関係を終わりにするような、薄情な人間ではないと信じているからこそ。
晴れやかな気持ちになった一成は、残りのカフェラテを飲み干した。スマートフォンを確認すれば、待ち合わせ相手の友人からそろそろ着きそうだと連絡が入っている。