シークレットフレーバー






 玄関先で天馬を見つけた時、今がチャンスだ、と一成は思った。

 かろうじて朝だと呼べるような、休日の妙な時間帯だ。出かけている人間も多い。寮内にはあまり人がいないし、談話室にも誰もいなかった。
 どこかへ行くのかと尋ねれば、これから顔合わせに出かけるところだったけれど、井川から少し遅れるという連絡が入った、と返ってきた。
 一成はとっさに状況を確認する。時間もある。恐らく通りかかる人間もいない。何より、寮の玄関先なんて、告白には持ってこいのシチュエーションだった。
 あまりにも日常生活に馴染みすぎて、ロマンチックの欠片もない。それが良かった。

 思いを成就させるための告白なら、一成だって雰囲気のある場所を選ぶ。それこそ今ならイルミネーションの綺麗な場所へ連れていくかもしれない。
 だけれど今回は、ふられるための告白である。断られるのがわかっていてロマンチックな雰囲気を作り上げるのは、さすがにその後が気まずすぎる。
 それに、イルミネーションを見て「一成に告白されたな」なんて思い出してもらっては困るのだ。
 今後のことを考えても、告白するなら日常生活の一部に紛れてしまえる場所がよかった。これから何度も繰り返す毎日で上書きされていくように。
 そういう意味で、寮の玄関先は絶好のシチュエーションだった。ムードは一切ないし、毎日使うのだからきっとすぐに忘れてもらえる。
 よし、と決意を固めた一成は、天馬の名前を呼んだ。
 中へ戻っていようか、と考えていたらしい天馬は「なんだ」と一成へ視線を向けた。玄関に立っているだけでもカッコイイなぁと思いながら、一成はゆっくり口を開く。

「オレさ、テンテンのこと好きなんだよね」

 いつもの口調に乗せて笑顔で告げれば、一瞬天馬はぱちりと目をまたたかせる。いきなり何を言ってるんだ、と思っているのかもしれない。それでも、一成を笑うようなことはしないのが天馬だ。

「……そうか」

 唇に笑みを刻んだ天馬は、何だか少し照れくさそうだ。ただ、それが「友人としての好意を示されたことへの照れ」だということくらいはわかった。
 この状況というか、一成のこの雰囲気ではそう思うほうが当然だ。なので、一成はさらに言葉を続けた。

「あ、友達としての好きって意味じゃなくて、恋愛的なほうね。LikeじゃなくてLove的な!」
「!?」

 明るく言い切れば、天馬が驚愕の表情を貼りつけて一成を見た。それもそうだろう。
 一成は至っていつも通りの顔をしているけれど、心臓は驚くべき速さで鼓動を刻んでいた。耳の奥でずっとドキドキ鳴っているし、恐らく耳も赤い。
 だけれど、何てことのない顔で続けるしかない。すでに言葉は形になったあとなのだから。

「びっくりさせちゃってめんご~。でも、だいじょぶだよん! テンテンがオレのこと、そういう意味で好きじゃないのはわかってるから、すっぱりふっちゃって!」

 きっぱり一成は告げた。いつも通りの顔はできていたはずだ。声だって震えていなかったし、世間話みたいなノリで伝えられたはずだ。
 だから、雑談の延長みたいな口調でふってもられれば、それで恋心は終わりにできる。

「ふられるのはわかってるからねん、気にしないでいいよん!」

 一成は明るい笑みを浮かべたまま、はいどーぞ、と天馬を促した。
 天馬のことなので、何も言わないまま終わりにするとは思えなかった。悪い、そんな風には見られない。お前のことは友達だと思ってる。そんな言葉が返ってくるだろうと予想していたのだ。
 しかし、天馬は黙ったままで返答がない。いぶかしんでいると、驚きを浮かべていた天馬の表情がみるみる険しいものになっていくので、一成の心臓が別の意味で音を立てた。さあっと血の気が引く。
 自分の思いを口にしたこと、恋心からの心臓の高鳴り。そんなものは一瞬で吹き飛んだ。
 天馬は一成の気持ちを馬鹿にすることも否定することもないだろうと思っている。誠実な人だから、そんなことはしないに決まっている。
 だけれど、拭いきれない嫌悪感を持ったとしたら。自然と湧き上がるものはどうしようもない。
 友人だからとか、同じ気持ちではないからとか、そういうことではなくて、単純に同性から好意を向けられること自体に嫌悪感を持ったのかもしれない。

「ごめん、テンテン。気持ち悪いこと言っちゃって……」

 よく考えればこの可能性だって考慮できたはずだ。だけれど、天馬への恋心とそれを終わりにするという点に気を取られて、いつもより思慮が浅くなっていたことは否めない。
 天馬の人柄を信じてはいるけれど、気持ち悪いと思うこと自体はどうすることもできない。
 自分は選択を間違えてしまったのだ。テンテンに悪いことをしてしまった。罪悪感に打ちひしがれそうになっていると、焦ったような声が響く。

「違う。そうじゃない」

 強い声に天馬を見れば、天馬はもごもごと「別に気持ち悪いとは思ってない」と言うので、一成はほっと息を吐き出す。ただ、天馬のことを考えずに口にしてしまったことは事実だと思い至った。

「そか、ならよかった。でも、オレがふってほしかったからって勝手に言っちゃってごめんね」

 これは完全に自分のエゴでしかないのだ。それに天馬を付き合わせて申し訳ないな、という気持ちで言った。わざわざふってもらうなんてこと、天馬の負担になってしまう。
 だから、もうここで終わりにしようと一成は思う。言ってしまった言葉は戻らないけど、答えを求めるべきではなかった。
 聞いてくれてありがとねん、と続けようとした。だけれど、声がした。

「一成」

 今までと打って変わって真剣な声をしていた。怖いくらいに強いまなざしが真っ直ぐと向けられて、一成は悟る。
 天馬はきちんと、自分の答えを口にしようとしてくれている。うやむやになかったことにするのではなく、ちゃんと言葉として一成に答えてくれる。
 そういう強さや誠実さが、何よりも一成の心を大切にしてくれる天馬が一成は好きなのだ。
 だから、これからちゃんとふってくれるであろう天馬に対して「ありがたいなぁ」と思うのと同時に、改めて好きだなぁと自覚する。
 これから終わりを告げられるとわかっていても、目の前の人間に向かっていく気持ちは止められない。だけれど、ちゃんとふられたなら、恋心にとどめを刺してきちんと葬ってやらなくては。
 決意しながら天馬へ視線を向けると、射抜くようなまなざしで天馬は言った。真剣な顔で、何かとても敬虔な言葉を口にするような響きで。

「オレもお前が好きだ」

 その言葉が届いた瞬間、一成は思わず笑みを浮かべた。
 天馬がやさしいことはよくわかっている。だから、今この状況でも、きちんと友達としての好意を伝えてくれるのだ。一成は、浮かんだ笑みそのままに口を開く。

「テンテン、めっちゃやさし~! でも、気とか遣わなくて平気だからねん。友達として好きでいてくれるってこと、オレもよーくわかってるし!」

 だから今ここでそんな言葉を口にしなくても大丈夫なのだ、という意味で告げる。すると天馬は、綺麗な眉を跳ね上げて口を開く。叩きつけるように言った。

「違う! オレは、お前と恋人になりたいんだよ!」

 告げられた言葉が上手く染み込まず、一成は笑顔で固まった。

 えっと、今何て言った? 恋人になりたい? 誰と誰が? 恋人?
 日本語として理解できるはずなのに、天馬の言葉がまるで理解できず、ハテナマークを浮かべるしかない。
 混乱したまま、状況を理解しきれていない一成に気づいているのだろう。
 天馬は、ゆっくりと一成の名前を呼んだ。一つ一つの音を丁寧に紡ぐような、特別な意味が込められているのだと、声だけで告げるような響きで。
 一成が思わずびくり、と肩を震わせたのは、耳に届く音の特別さを全身で感じ取ってしまったからだ。

「いいか。オレはお前が好きだ。お前と同じ気持ちで」

 自分の心を取り出して、そのまま差し出すような面持ちで。舞台に臨む時の真剣な表情で。声の端々に、今まで聞いたことのない熱を潜ませて。
 真っ直ぐと届けられる全てに、一成は理解する。否が応でも理解させられてしまう。

――あ、これマジなやつだ。

 どんな嘘でも冗談でもないし、友情としての好意ですらない。今まで夏組として受け取っていたものとはまるで違う熱が、間違いなく自分に注がれている。
 自覚した瞬間、一成の顔がぶわわわっと赤く染まった。
 何かを言わなくては、と思った。だけれど普段ならよく回る口が、今は冗談みたいに固まって動かない。真っ赤な顔で立ち尽くしていると、天馬のスマートフォンが唐突に鳴った。
 悪い、と告げてから電話に出ればどうやら井川からで、もうすぐ着くとの連絡らしい。二言三言会話をしてから通話を終えた天馬は、一成に向かって言う。

「オレはもう出るから、詳しい話はあとでする」

 詳しい話って何だ、と思いつつも一成は無意識で「うん」とうなずく。熱に浮かされたような気持ちで、自分が何を言っているのかもよくわかってはいなかった。

「それじゃ、行ってくる」
「あ、うん。いってらっしゃい」

 天馬の言葉に、はっと我に返ってそう告げる。出掛ける天馬を見送るのだ。ちゃんと気をつけて行ってきてほしい。そして無事に帰ってきてほしい。
 心から思って言えば、天馬はやけに嬉しそうな顔で玄関を出ていった。今まで夏組として天馬を見送ってきた時には、一度も見たことがない表情だった。
 照れくさそうに頬を染めて、みずみずしいほどの笑みを浮かべて、出ていくその横顔。
 ああこれはきっと、特別な表情でオレだから見せてくれるんだ。言葉ではなく理解した一成の心臓は、今までで一番の速さを刻んでいる。










 一成はしばらくの間、真っ赤な顔のまま玄関で立ち尽くしていた。
 しかし、あまり長居しては怪しまれるし、そもそも一成も用事がある。クリスマスイベントの最終打ち合わせのため、すぐに出掛けなければならなかった。

 ただ、大学の会議室で打ち合わせを始めた当初、一成は気もそぞろといった調子で周囲の人間から心配されていた。
 いつもなら率先してアイディアを出し、周囲の意見を上手くまとめる一成が口数も少ないのだ。心配もされる。
 一成は「だいじょぶだよん!」と体調不良を否定したし、実際具合が悪いわけではない。気を抜くとぼーっとしてしまうのは、玄関先での出来事を思い出すからだ。
 天馬にふられるつもりで思いを口にした。友達ではなく恋愛感情で天馬を好きだと告げた。返ってきたのは謝罪の言葉ではなく、自分も同じ気持ちだという答えだった。
 同じ気持ち。恋愛感情で好き。恋人になりたい。同じ気持ちで好き。
 天馬の言動がリフレインするたび、一成はその場で叫び出したい衝動に駆られるし、心は勝手に玄関先に飛んでしまう。
 天馬の一挙一動、全ての表情が思い浮かんでは一成の心をかき乱すのでずっと落ち着かないし、自分自身が騒がしい。
 いや待って、あのテンテンめっちゃ格好良かった。なにあれ、全オレがええなつける。保存しておきたい。やばい、めちゃくちゃカッコイイ。

 それでも、打ち合わせの中盤にはいつも通りの一成だったので、周囲の人間も安心していた。恐らくそれは、何度もあの言動を思い出して、リピートを繰り返していたおかげだ。
 耐性がついたというより、あまりにも都合が良すぎて夢かもしれないと思い始めて落ち着いていた。何せあの天馬が自分を好きだと言うのだ。長い片思いの果てに、勝手な夢を見ているに違いない。たぶんそう。
 妙な方向に結論を出した一成は、穏やかな気持ちで打ち合わせに臨んでいたのだけれど。
 15時を過ぎて一旦休憩を挟もうか、という時間帯にLIMEの新着メッセージを告げる音が響いた。流れるように画面を確認した瞬間、一成の心臓が一際大きく跳ねた。
 差出人は天馬だった。今まで落ち着いていたことが嘘のように、どっど、と心臓の音がこだましている。恐る恐るスマートフォンを操作すれば、天馬からのメッセージが目に飛び込んで来た。

――今朝の話は冗談じゃないんだよな。

 心臓の音がうるさい。今朝の話。それは恐らくというか絶対に、玄関での出来事を指している。
 冗談じゃないんだよな、という確認。一体何を?
 一成が口にした言葉、それに対する天馬の答え。好きだと告げた。同じ気持ちだと返してくれた。真っ直ぐとしたまなざしで、舞台に挑む時のような真剣な表情。今まで知ることのなかった熱を込めて告げられた言葉。
 あれ、もしかして、夢じゃないのかもしれない。もしかして、玄関先での出来事は現実なのかもしれない。だって手の中のスマートフォンが、天馬からのメッセージが確かに目の前にある。
 混乱したままの一成の前で、天馬からのメッセージがぽこん、と増える。まさしく今、スマートフォンの向こう側で天馬が操作しているのだろう。その事実が嬉しくて、同じ時間を過ごしているのだと思えば心が弾む。
 しかし、続いた言葉を目にした瞬間、一成は呼吸を止めた。

――オレは本気だからな。

 耳元で何かが爆発したのかと思った。次の瞬間、それが自分の心臓の音だと理解する。
 体中全部が心臓になったみたいに、鼓動の音が駆け巡る。顔が真っ赤に染まっているのが、自分でもよくわかった。顔中に熱が集まっている。
 一成は真っ赤な顔で、笑うような泣くような表情を浮かべることしかできなかった。どうにか息を吐き出す。
 天馬が「本気だ」と宣言したなら、それは単なる事実でしかない。今までの天馬との付き合いから、一成は痛いほどそれを理解しているのだ。
 天馬が本気だと言ったなら、好きなのだと、同じ気持ちなのだと、恋人になりたいと言ったなら、つまりはそういうことなのだ。
 一成が固まっている間にメッセージはもう一つ増えた。「帰ったらちゃんと話がしたい」という言葉に、一成はどうにか指を動かした。返事をしないと、と思ったのだ。
 しかし、一成の頭にはどんな言葉も浮かんでこなくて、一体普段自分がどんな風に天馬へ返事をしていたのかすらわからない。
 それでも無視するわけにはいかない、と一成は息も絶え絶えに了解のスタンプを送った。
 たった一つスタンプを送るだけなのに、心臓は有り得ないほどの速さで鼓動を刻み続けていた。顔の熱は引かないし、頭がうまく働かない。
 きっと夢だと思っていた。だってそうでなかったら、いつも通りの顔なんてしていられない。だけれど、全ては間違いなく現実で、天馬は本心で一成を好きだと告げたのだ。

(――むり)

 全てを現実だと認識してしまえば、とても平静ではいられなかった。さっきから心臓を酷使しすぎているので、その内壊れてしまうんじゃないかと心配になる。
 それでも、今は仕事をしなければ――と顔を上げたのだけれど。周囲の人間は、赤くなった一成の顔に気づいて「はやく帰ったほうがいい」と心配そうに言ってくれた。