トーチ
※イベント「スカイギャラリー」のネタバレがあります
倉庫には、何枚も絵が並んでいる。大小さまざまなサイズのイーゼルに立てかけられており、見慣れた場所はずいぶん雰囲気が変わっていた。天馬は目の前の絵を、一枚ずつじっくり眺める。
花束を持った女性の絵や、空想の生物を中心に置いた神秘的な作品に、やわらかなタッチの街の絵。あざやかな色遣いで描かれる動物たちや、風景を淡く切り取ったもの。
それから、夏を思わせる突き抜けるような青天に、のどかな風景を彩る晴れた空、はたまたどこか幻想的な空気を持った澄んだ空など、多種多様な青空を描いた絵がずらりと並んでいた。
「ってことで、最後はテンテンの番だよん!」
満面の笑みを浮かべて言ったのは、並んだ絵の作者である一成だった。
今度の夏組公演はギャラリーを舞台とした物語だ。飾られる絵が何枚も必要ということで、どうやって用意するかという話になった時、手を挙げたのが一成だった。「オレ主演でギャラリーの話とか、オレが描くしかないっしょ⁉」というわけである。
とはいえ、全て新作を描き上げるような時間はない。一成がこれまで描いた絵の中から、舞台に合いそうな絵を選ぶことになったのだ。もっとも一成は「何枚かは新しく描きたい!」と言って、結局新作を描き上げているのだけれど。
「こうやって並ぶと壮観だな……。それぞれ作風も違ってるからよけいに」
目の前に並んだ絵は、ミステリアスな雰囲気もあれば、かわいらしさを感じるもの、写実的な作品など、どれもが異なる特徴を持っている。油彩画や水彩画の表現を心掛けたということもあって、一人の人間が描いたとは思えなかった。一成は天馬の言葉に、さらりと答える。
「別の作家が描いた絵ってことになってるからねん。同じ雰囲気じゃ、おかしくなっちゃうっしょ」
こともなげに言うけれど、全ての絵を異なるタッチで描くというのは、そこまで簡単な話ではないはずだ。それを成し遂げているのは、元来器用な人間であることにくわえ、一成の持つ芸術的素養が目いっぱい発揮されたからだろう。
一成は、ぴかぴかと明るい笑顔を浮かべて楽しそうに言葉を重ねた。
「それぞれの画家が描いた絵って、どんな感じかな~っていろいろ想像したら、すげー楽しく描けたし!」
「結局、各自の絵は新しく描いたんだよな」
あらためて確かめる口調で、天馬は尋ねた。
舞台上のギャラリーに必要な絵は、多岐に渡る。常設で飾られている作品は、今まで一成が描いた絵を中心としているけれど、個展や持ち込みのシーンで登場する作品は舞台のための描き下ろしだ。一成は、ぱっと輝く笑みを浮かべて答える。
「そそ。みんなが描いた絵見てたら描きたくなっちゃって!」
新生夏組第九回公演「スカイギャラリー」には、五人の画家が登場する。一成以外の全員が演じており、それぞれの作品を新作として描き上げたのだ。周囲の人間は「そんな時間は取れるのか」と心配したものの、エンジンの掛かった一成にとっては些細な問題だった。
アイデアがあとからあとから湧いて筆が止まらないのだと言って、次々に作品を仕上げていた姿なら、天馬もよく覚えている。
「まあ、さすがに個展の絵全部ってわけには行かなかったけどねん。でも、すみーとくもぴには、これ!って一枚は選んでもらったし。むっくんとゆっきーは、小さめでおけまるだったから、ちゃんと全部描けたし」
にこにこ言う一成は、並んだ絵に視線を向ける。ここには、それぞれの役者が「自身の描いた絵」として選んだ絵もあるのだ。
空想の生物を中心に描いた一枚は、九門演じる桜田の絵。やわらかなタッチで街を表現した作品は、幸演じる山吹の絵。あざやかな色遣いの動物たちは、椋演じる萌黄の絵。淡く描かれた風景画は、三角演じる東雲の絵。
天馬以外の全員が、一成の描いた絵の中から自分が演じる役柄の絵を選んでいる。最後に残っているのは、天馬演じる白戸色波が描いた絵だった。
作品の中でも重大な意味を持つ一枚だ。じっくり時間を取って絵を決めたかったものの、忙しかったこともありなかなか実現しなかった。ようやくまとまった時間を確保できたのが、今日だった。
「ゆっきーとむっくんの絵は、二人が描いた絵を参考にしたんだ。ゆっきーはロマンチックな感じでかわいらしいし、むっくんはあざやかな色遣いが得意だから、動物モチーフに活かしてみたよん」
嬉しそうに言う一成は、二人が選んだ絵を示す。確かに一成の言う通り、山吹の絵は色合いもかわいらしくて幸が好きそうだ。萌黄の絵は色があざやかだし、ハクチョウやキンギョなどが描かれているのが椋らしい。
「くもぴとすみーは、ストーリー的に合った絵がいいよねって、カントクちゃんと話し合ったんだって」
二人の絵は、当人の描いた絵とはテイストが異なる。それというのも、劇中で演じる桜田と東雲の作品としての面を重視したからだ。
九門のダイナミックな絵も、三角の独特なサンカクモチーフも、一成としては描き甲斐があると思ったのだけれど。役柄を解釈した結果として、今回は別方向の絵が望ましいと判断した。
「まあでも、九門が好きそうな絵だよな」
「うん。そこはやっぱ、くもぴの好きな方面も出したいよねって思って。こういう感じの桜田はありじゃね?って、二人で考えながら描いたよん!」
ピースサインを出す一成は、嬉々とした表情で一枚の絵を示す。
ミステリアスな雰囲気は、魔術的な要素を好む九門らしいと言えた。役に対する解釈を踏まえつつ、好きな物を取り入れたいと思うのは一成が一成たるゆえんだろう。
うなずいた天馬は、三角が選んだ絵に視線を向けてそっとつぶやく。
「三角の絵は、あまり三角らしさはないが……これが、三角の考える東雲の解釈ってことか」
「っぽいねん。すみーの感覚的なとこ、拾いあげてくの楽しかったよん!」
楽しそうに言う一成は、三角の言語化できない感覚を面白がりつつ、絵に落とし込んだらしい。最終的に出来上がったのは、淡くまどろむような不思議な風景画だった。
「まあ、三角はモチーフ自体決まってるしな。程よく荒れてる雰囲気っていうのは、脚本にもある」
「そそ。その辺は、テンテンとも話したって聞いてるよん」
そういえば、という顔で言われるので天馬はうなずく。
白戸と東雲はモチーフが似ている、と脚本に書かれているのだ。だから、二人でどんなモチーフなのか話し合っている。
「寂れた風景というか、廃墟の一部みたいなもの、という話はした。一成もその辺は聞いたんだろ?」
「もち! だから、すみーは寂れた階段とか使われなくなったビルとかにしたし、テンテンも廃墟モチーフにしてみたよん!」
嬉しそうに言った一成は、ずらりと並ぶ青空の絵を示す。描かれるのは、夏を思わせる突き抜けるような青天に、のどかな風景を彩る晴れた空、はたまたどこか幻想的な空気を持った澄んだ空。その全てには、年季の入った建物やその一部が描かれていた。
「テイストはそれぞれちょっと変えてみたけど、青空と廃墟は固定だよん」
脚本を読んで、三角と天馬が話し合った内容も聞いた。だからこそ一成は廃墟を取り入れることにしたし、青空を描くことは最初から決定事項だった。天馬演じる白戸の絵を描くと決めた時から、必ず描くと誓っていた。
「テンテンがオレの描いた青空の絵、好きだって言ってくれたかんね。青空は外せないっしょ」
光り輝くような笑みを浮かべる一成は、稽古が始まる前のことを思い出している。
第九回公演で、一成が主演を務めることになった。しかし、公募展での入選をきっかけにして、SNSで心ない噂が独り歩きすることになった。結果として、絵やSNSから離れたいと思うようになったのだ。
様子がおかしいことを察して、夏組と監督は一成を旅行へ連れ出した。そこで掛けられた言葉を、見た景色を、一成はずっと覚えている。見晴らしのいい高台で、夏組や天馬がくれたものは、一成の胸に深く刻まれたのだ。
その中で、天馬は一成の描く青空の絵に心を動かされたと言ってくれた。一成にとって、何の変哲もない青空の絵なんて、逃避の象徴でしかなかったのに。あの時から、青空の持つ意味はがらりと変わった。
天馬の言葉を強く覚えているからこそ、白戸の絵には必ず青空を描くと決めていた。
「ねね、テンテンどう? 白戸が描きそうな絵っていったら、どれがいい感じ? オレ的には全部、めっちゃ気合い入れて描いたんだけど!」
「ああ、そうだろうな。……正直、どれもいいと思う」
わくわくした面持ちで尋ねられて、天馬は思わず素直に答えた。普段は口ごもってしまうことも多いけれど、少なくとも今はちゃんと伝えようと思ったのだ。
自分が演じる役のために、渾身の作品を仕上げてくれたのだから、それくらいしてやりたいと思ったことが一つ。それから単純に、一成の描く絵には素直に賞賛を口にしたくなるような力があった。
もともと、デザイナーとして一目置いてはいたものの、日本画の腕前も想像以上なのだ。普段のにぎやかさからは想像もつかないような、精緻で豊かな世界を見事に描き出す。そんな一成が、自分の持てる力を全て込めて描いた絵ともあれば、素直な感想が口を出てくるのも当然だと思った。
「それぞれ味わいが違っていて、みんないい絵だと思う。ただ、選ぶのは難しいな……」
真剣な顔をして、天馬はイーゼルに立てかけられた絵を間近で見つめる。一成が精魂込めた作品である。物語の鍵となる一枚としては、どれも申し分がないだろう。だからこそ、あとは天馬の考える白戸の解釈にゆだねられていると言えた。
「こっちの青空は色があざやかでオレ好みだな」
「でしょ? テンテン好きかなって思って描いたんだよねん」
「だが、白戸が描く絵にしては、少しあざやかすぎる気も――いや、でも、あえてそういうのもありか……?」
ぶつぶつ言いながら、天馬は一枚ずつじっくり絵を見つめている。脚本から咀嚼した、自分なりの白戸色波という人間が描く絵として、どれがふさわしいか考えているのだろう。
強いまなざしで絵を見ている天馬を、一成は笑顔で見守っている。天馬は悩んでいるのだから、もう少し深刻な顔をするべきかとも思ったけれど、そうやって頭を悩ませてくれている、という事実すら一成には何だか嬉しい。
天馬がどれほど真剣に、真っ直ぐ役と向き合っているのか。一成はしみじみと実感して、心が浮き立つのを感じていた。
準主演として、力の限りに演じてくれる、というのは揺るぎのない確信だ。夏組全員誰一人手を抜かず、自分の持てる精一杯で舞台に立つ。そんな人たちと同じ舞台で、一つの世界を演じられるという喜びが体中に満ちていく気がした。
「おだやかな感じも白戸らしいが……白戸ならこういう風に光をとらえるかもしれないな……」
何一つ見逃すまいとするような強い視線で、天馬は一枚ずつの絵を見ている。どの絵も白戸らしいと思っているようで、なかなか答えは出ないようだ。次第に眉間のしわが深くなっていくので、天馬が心底悩んでいることは一成にも伝わってくる。
アドバイスをするという選択肢も、ないではなかった。しかし、一成は天馬を見守ることにした。もちろん、天馬に求められればいくらでもアドバイスをするつもりはあったけれど。天馬はいくら悩んでいたとしても、最後にはちゃんと選べる人間だということもよくわかっていたのだ。
だって天馬は、自分にとって大事なものを知っている。
役作りの一環として、どちらが価値の高いものかを選ぶ、というゲームをしたことがある。あの時の答えを、一成はちゃんと覚えている。自分の中の価値を、天馬はきちんと理解しているとわかっていた。だから、一成はただ天馬の答えを待てばいいのだ。
そんな一成の気持ちを察しているのか、いないのか。天馬は絵の前でひとしきり悩んだあと、一成へ視線を向ける。そのまなざしは力強く、どこまでも澄んでいた。一成はほほえみを浮かべて問いかけた。
「決まった感じ?」
「ああ。正直、絵の技術だとかそういうのはよくわからないが――オレが一番いいと思った絵はこれだ」
そう言って、天馬が選んだ一枚の絵。
経た年月を感じさせる、むき出しの鉄骨が並ぶ風景。背景に広がるのは、どこまでも澄み切った、光を含んだ青空だ。白い鳥が画面のあちこちを飛んでいる。廃墟をモチーフとしながらも、そこかしこに光の気配を感じさせる一枚だった。
「白戸が最後に描く絵だ。きっと祈りを込めて描いたって話はしただろ。それに一番ふさわしいのはこの絵だと思った」
言った天馬は、少しだけ沈黙を流す。しかし、すぐに口を開くと力強い響きで告げた。真っ直ぐ一成を見つめて、きらきらとした輝きをまとって。
「何より、オレが一番いい絵はこれだって思ったんだ。最高の舞台のためには、一番価値のあるものを選ぶ必要がある。それなら、オレの心に従えばいい」
天馬は絵画に明るいわけではないから、構図や色遣い、描写力などを判断することは難しい。それもあって、どうやって絵を選べばいいのかと悩んでいた。しかし、そこで天馬は思い至ったのだ。二人でギャラリーを訪れた時の一成との会話や、役作りで行ったゲームを脳裏に浮かべて。
価値のあるものを選ぶ時に大事なこと。何かを一つ、選ぶ時に従うもの。それはきっと、自分自身の心が告げる答え。他の誰かの評価ではなく、自分の心が叫ぶもの。
思い出した天馬は、素直に自分の心に従って絵を選んだ。白戸の絵としてふさわしいもの、という観点ももちろんあったけれど。最高の舞台に必要なのは、何より価値の高い絵だと考えて答えを出した。天馬は、自分が一番いいと思った絵を、最も価値があると判断して、目の前の一枚を選んだのだ。
告げられた答えに、一成は弾けるような笑みを浮かべた。天馬の心が選んだ答えだ。真っ直ぐ絵と向き合って、自分の心が動いた一枚を選んだ。そんな風に、天馬が絵を見てくれて嬉しい。心を広げて絵を感じ取ってくれたことが、一成には嬉しい。
その気持ちを形にしたような声で、一成は答える。はち切れそうな笑みを浮かべて、胸を躍らせて。
「テンテンがいいって思ったものが正解だよ」
他のどんな理由も基準も、これ以上のものなんてないのだ。天馬が選んだ。天馬の心が動いた。それ以上に確かな理由は、どこにもない。花丸めっちゃあげたい!なんて気持ちで、一成はきっぱり言った。