トーチ
白戸の絵が決定したので、一成は持ってきた画集の内一冊を天馬へ差し出した。床に座って、「この絵を描くなら、たぶん白戸はこの辺の画集好きかな~」と言えば、向かいで腰を落ち着けた天馬は、興味深そうにページをめくり始める。
複数描いた青空の絵は、それぞれテイストを変えている。一成なりに方向性は定めているので、この絵を描くならどんな画家を好むか、という点も想定していた。天馬がどの絵を選んでもいいように、画集はいくつか持ってきている。その内の一冊だ。
「テンテンが選んだの、ちょっと架空世界っぽいイメージの絵なんだよねん。この人はそういうのが得意でさ。想像の世界の風景画がわりと多め!」
熱心に画集を見つめる天馬に向けて、一成は画家について説明をくわえる。
活躍年代は四十年ほど前で、作者はすでに鬼籍に入っている。架空世界の風景画を好んで描き、ゲームのパッケージに起用されたこともある。幻想的な景色やどこか不思議な世界観が得意で、特に光をとらえるのが上手い画家だった。ただ、一部に熱心なファンがいるものの、画壇的にはそこまで評価されたわけではなかった。あまり有名とは言えず、出版された画集もこの一冊のみだった。
「最初に見た時、こんな風に光を描くんだってすげー感動したんだよねん。だから、そういう絵を描きたくてさ。あの絵も、廃墟モチーフだけど、光の表現に気をつけて描いたんだよん」
描いた絵を思い浮かべながら、一成は言う。天馬とはある程度、白戸が描いた絵について話はしていた。天馬がどんな風に白戸色波という人間を解釈しているのか、知ったうえで絵を描くつもりだったからだ。
その中で天馬が口にした、「祈り」という言葉は一成の頭にも強く残っていた。
絵を辞めるための一枚は、それまでとは意味が違っているはずだ。そこに込めたものは一体何か。今までの自分の集大成。これから先、別の道を歩むという決意。絵を描く自分との別れ。さまざまな感情の中で、根底を貫くのは祈りだったんじゃないか、と天馬と話をしていた。
それをどうやって描くか考えて、各作品では異なる表現方法を取り入れることにした。着色方法やタッチの濃淡、影の描き方などを変えて、それぞれに対応する絵を描くことにして、一成は一枚ずつ取り組んだ。
その内の一つが、光の表現だったのだ。光そのものを描くというより、画面全体が明るさで包まれたような。絵筆に光を含ませて何もかもを描いたような。そういう絵を描こうと思った時、浮かんだのがこの画家だった。
「確かに、この画家の作品はどれも光が印象的だな。ただ明るいだけじゃない。一つ一つが、光を放ってるみたいな感じがする」
「そそ! 影の中にも光を見出すっていうか、光の濃淡の描き方がすごいんだよねん!」
天馬の言葉に、一成は勢い込んで答える。初めて作品を見た時や、画集の作品を丹念に見ていく内に気づいたことを、天馬も感じていることが嬉しかった。
画集の作品を示しながら、画家の顔で一枚ずつ熱っぽく解説をくわえていくと、天馬も興味深げにあいづちを打つ。
ただ、ある程度のところで、一成ははた、と口をつぐんだ。少し声のトーンを落として言葉を重ねる。
「オレはすげー好きだし、今はそれなりに評価されてるんだけどさ。当時は、本当一部の人だけが知ってるって感じで……。あんまり評価されてなくて、結構生活も大変だったみたいなんだよねん」
決して名前の知られた画家ではないのだと、一成は言う。大きな賞には縁がなく、細々と絵を描き続けた。当時の画壇においては、十把ひとからげの存在でしかなく、不遇とも言える一生を送った。今になって少しずつ見直されているものの、当時の芸術界隈ではほとんど評価されていなかったと言える。
他人の幸福や不幸を勝手に決めることはできない。だから、これは自分勝手な感傷なのだと一成は理解している。それでも、自身の心を動かす絵を描いた画家が、世間から見向きもされずほとんど賞賛も送られることがなかった、という事実が一成には苦しかった。
力がなかったわけではない。独自の世界を描いて、唯一無二の絵を何枚も完成させた。他者の心を確かに打って、胸に残る絵を描くことができた。しかし、その作品が評価されることはほとんどなかった。
「――評価っていうのは不思議だよな」
一成の言葉を黙って聞いていた天馬が、ぽつりとつぶやいた。淡々とした、落ち着いた声。一成は天馬へ視線を向ける。
「さっき絵を選んだ時もそうだが、オレたちはいつも何かを評価してる。芝居だってそうだ。自分自身の持つ評価がないと、自分の芝居にならない」
静かな調子で、天馬は言う。役の解釈だって、それを表現する方法だって、いくつもの選択肢の中からこれだと思う一つを選ぶ。その時必ず、自分自身の判断基準として何かを評価する目が働いている。観客の視点であったり、自分自身の心だったり、はたまた演出家の意図かもしれない。ただ、一つだけ確かなのは、誰かの借り物の評価では誰かの芝居にしかならない、ということだ。
「自分自身の芝居をするためには、たくさんの評価軸の中から自分だけの基準を持たないといけない。他者の言いなりになるだけじゃ、自分だけの芝居は生まれないからな」
多くの評価を参考にすることは、確かに有益だろう。しかし、誰かの評価に唯々諾々と従うだけでは、平均点以上のものを残すことはできない。たった一つ、自分だけが持つ評価を己の中に育てていかなければ、他人の心を動かして記憶に焼きつくような芝居はできない、と天馬は言う。
「たぶん、絵だってそうなんじゃないか。そういう意味で、この画家は自分の評価を揺るぎなく持っていたんだと思う」
手の中の画集に再度目を向けて、天馬はつぶやく。画壇や他者に評価されずとも、独自の世界を描き続けた。それはきっと、自分の中で決して折れない、自分だけの評価を持ち続けたからだろう。それは芸術家として、表現者として、創作する人間にとって何より欠かすことのできない資質だったはずだ。
天馬は口をつぐんでじっと画集を見つめたあと、ゆっくり視線を上げた。強い目で一成を見据えると、きっぱりとした口調で言った。
「だが、他者の評価から逃れることはできない」
落ち着いた口調で、天馬は続ける。宿る空気はどこかぴりりとしていて、緊張感さえはらんでいた。その理由を、一成は察している。
「自分だけの評価を貫いてもいい。だが、プロを名乗るなら話は違う。他者からの評価を得てこそ、他者にとって価値あるものだと思われるからこそ、プロを名乗れる」
それは天馬にとって、純然たる事実でしかない。幼い頃から役者として生きてきた経験によって裏打ちされた言葉だ。
役者として、表現者として、自分自身の評価を持たなくてはならない。しかし、それは他者からの評価を無視することを意味しない。それどころか、他者からの評価を常に意識しなくては、プロを名乗ることは難しい。
「表現者って職業を選ぶ限り、他者から評価され続けることになる」
一成を真っ直ぐ見つめて、天馬は言った。
自身の評価と他者の評価。プロを名乗るのであれば、二つの評価を持つ必要がある。しかし、それは必ずしも一致するとは限らないし、評価基準だって流動的であいまいだ。
良いだとか悪いだとかではなく、心を動かすものに明確な基準は設けられないのだろう。だからこそ、人や時代が違えば評価は変わる。そんな不可思議なものをよすがにして、己の内側からあふれるものを形にしていく。表現者としてプロの道を進むのはそういうことなのだ、と天馬は暗に告げている。
どうしてそんな話をしたのか、一成は察している。単純に、一成が不遇の画家を話題に出したからだけではない。天馬は、今回の公演が一成にとって未来につながるものだと理解しているからだ。
一成が選んだ未来。絵も芝居もデザインも、一つも捨てずに全部をやり遂げる。ウルトラマルチクリエイターという肩書を背負って、これからの未来を歩いていく。そのためにも、今回の公演の成功は重大な試金石と言えた。
一つとして手を抜かず、無事に全てを成功させることはできるか。決して簡単ではない道を、プロとして歩いていくのだという覚悟はあるか。一成が選ぼうとしているものを、あらためて確かめる公演でもあったのだ。
大学を卒業して、生業として選ぶもの。日本画家に、役者にデザイナーというさまざまな形を取るとはいえ、つまるところ己の内側にあるものを表現して届けることを仕事にする。一成が踏み出す道はそういう世界なのだと、天馬は言う。
それは、天馬のやさしさであり、同時に信頼でもある。何も知らずに新しい世界に踏み出すことのないよう、天馬なりのアドバイスを口にする。一成なら受け取れると、そのうえで選んだ道を歩いていけると信じているからこそ、告げてくれた。
そうやって思ってくれることが嬉しかったし、同時にきちんと答えたいと一成は思う。だから、天馬を真っ直ぐ見つめ返して、一成は口を開いた。
「うん。自分が楽しいだけじゃだめで、オレ以外の人にとって価値のあるものを与え続けて、初めてプロって言えるんだよね」
普段の一成が持つ、にぎやかさはなかった。ただしんとして、静かで落ち着いている。天馬の告げた言葉を、渡された信頼を、確かに受け取ったのだと伝える響きで一成は答える。
「オレが進むのはそういう道。他の人の評価が絶対について回るし、すごくシビアな目で見られる。そういう世界だね」
作品を世に出す限り、どんな形にせよ必ず評価はされてきた。提出課題としてはもちろん、誰かの目に触れれば感想という評価が生まれる。ただ、それはあくまでも大学という枠組みの中でのことだ。
在学中の今でも仕事として依頼されることはあったし、一成は誓って一つだって手は抜かなかったと言える。リピーターもいたし、依頼者は確かに満足してくれたはずだ。しかし、恐らくそれも学生という身分が加味されていたのだろう。無意識だったかもしれないけれど、及第点のラインは低く設定されていたと考える方が自然だ。
しかしそれも、プロとなれば話は変わる。一成の作品への評価はもっと厳しく、シビアなものになる。第一線で活躍してきた人たちと同じ土俵で戦わなければならず、まだ若いからとか兼業だからなんてことは理由にならないのだ。他のプロと同じラインで、厳しい評価を受け続けるのがこれから先歩いていく道だ。
「――テンテン、ずっとそういうとこで生きてんの、マジですげーよね」
静かな笑みを浮かべた一成は、しみじみとした調子で言葉をこぼす。何だかあらためて、皇天馬という役者のすごさを実感したのだ。
特異な家庭環境ということもあるだろうけれど、幼い頃からプロとして活動し続けて、大学生の今も第一線で活躍している。それは決して簡単なことではない。両親のネームバリューが加味されているとはいえ、天馬が今もあらゆるメディアから引っ張りだこなのは、天馬がプロとしての信頼に応え続けたからだ。幼い頃からずっとそうしてきたからこそ、天馬は今も多くの役をもらって芝居をしている。
それがどれほど難しくて、どれほどの努力と研鑽の上にあるものなのか。あらためて思ったからこその言葉だった。
天馬にとっては予想外の言葉だったのだろう。大きく目を瞬かせたかと思うと、うっすら頬を染めた。一成が心からの賞賛を送ってくれたのだとわかったのだ。
真っ直ぐ告げられた言葉が照れくさくて、天馬はふいっと視線を下げて、ぶっきらぼうに「まあな」とつぶやく。
その様子は何だかひどく幼く感じられて、一成は笑みをこぼす。芸能界で第一線を走る皇天馬ではなく、夏組として一緒に時間を過ごしている、子どもみたいなテンテンだなぁ、と思ったのだ。そんな風に笑う一成の様子に、天馬はぽつりと言う。
「一成がいろいろ考えてるってことはわかってる。だから、よけいな話かもしれないけどな」
一見すると、一成はその場のノリで生きているようにも見える。ただ、実際は頭の回転が速いし、案外しっかりしていることは今までの付き合いから、天馬とてわかっている。根が真面目で、何事も深く考える性質なのだ。だから、天馬が何かを言わなくてもきっと理解しているのだろう、という気持ちもあった。もちろん、余計な世話だと跳ねのける人間でないこともわかっていたけれど。
「簡単なことばかりじゃないし、何も全部が楽しみだけで済むわけじゃない。ただ面白いからってだけで選べる道じゃないってことは、一成だってわかってるだろ」
一成へ視線を向けて、天馬は言う。役者やデザイナー、日本画家というのはメディアにも大きく取り上げられる。華やかさやエンターテインメントの一面だけを見て、憧れる人間もいるだろう。ただ、一成がそんな風に表面的な部分だけを見て、進路を決めたわけでないことくらい天馬はわかっている。
「――そだね」
天馬の言葉に、一成は笑みを浮かべてうなずいた。そんな風に、天馬が一成の決断を理解してくれることが嬉しかったし、何だか少しくすぐったい。天馬は一成が、伊達や酔狂で道を決めたなんて思っていない。自身の能力を鑑みた結果、訪れる困難もハードルも理解したうえで、この道を歩くと決めたのだと思っていてくれる。
一成ならできると、単なる夢物語ではなく、現実として叶えられると信じていてくれるからこその言葉だ。わかっているから、くすぐったくて誇らしかった。
「これからの全部が楽しいばっかりじゃないよね。いくらオレが自信を持ってたって、必ずしも評価されるとは限らない。それでも、いつだって評価され続けるし、厳しい目で見られることが当たり前になる。常にいい評価を受けられるわけじゃないし、真正面から否定されたり辛辣なことだって言われたりする」
落ち着いた口調で、一成は言う。ウルトラマルチクリエイターとして活動する未来は、やりたいことを全部叶える選択だ。自身の心が震えた瞬間を、弾んだ気持ちを、いろんな形にして表現していく。それはきっと、楽しくて幸せなことだ。
ただ、それが常に評価されるとは限らない。自身の価値基準と周囲の判断が乖離することだってあるだろう。それでも、誰も待ってなんかくれない。思った通りの結果を出せなくても、他者の評価から逃れることなどできやしないのだ。どれだけ酷評されても、否定されても、誰かの評価を受け続ける道を選ぶのだから。
それはきっと、一成が想像する以上に苦しいものなのだと思う。今まで一成は、幸いにも高評価を受けることが多かった。手厳しい批評にさらされたことはゼロではないにしても、あまり多くはない。
しかし、これからの長い道のりで、酷評を避け続けることはできないだろう。スランプに陥ることも、自身の意志を曲げなければいけない場面もあるだろうし、いつだって万全でいられるとも限らない。
もしも自分自身の中にだけこもっていたなら、厳しい言葉を掛けられることもないし、他人の目を考慮する必要もないだろうけれど。一成が選んだのは、開かれた世界に作品を発表していく道だ。他者からの評価が常について回る世界だ。
きっとそれが苦しくて、どうしようもなく辛くなる瞬間はある。一人だけでは完結できないから訪れる幸福があるなら、同じようにもたらされる悲しみだってきっとある。
そんな世界に飛び込んでいくのだ、とあらためて一成は思う。天馬はやさしいから、きっとそれを心配してくれている。簡単に折れてしまうなんて思っていないし、一成なら大丈夫だと信じていてくれるけれど。
それでもきっと、我らが夏組リーダーは。誰よりやさしくて仲間想いのリーダーは、一成の心が傷つくかもしれないと心配をしてくれる。
素直に言わないだけでそんな風に思っていてくれることを、一成は疑わない。だからこそ、ちゃんと答えようと思った。
これから先の道で、評価を受け続ける。決して逃れられない他者からの評価が苦しくなってしまう日は、きっと来るだろう。痛くなんてないよと、傷ついていないふりはしない。きっと傷を負うし、痛みに怯んで立ち止まってしまう日は来るだろう。それでも大丈夫なのだと、一成は天馬に言いたかった。
「他の人から評価を受け続けるってことが、辛くて苦しくて仕方なくなっちゃうことはあると思う」
真っ直ぐ天馬の目を見つめた。強い光を宿す紫色の瞳。いつだってテンテンの目は力強くて、真夏の太陽みたいだ、なんて思いながら一成は言葉を続けた。真夏の青空を思い浮かべて、あの空の明るさを宿した声で。
「でもさ、だからこそ、好きなものを集めるんだよね」
評価を受け続けることが、苦しくて辛くても、そういう世界で生きると決めた。だから、そんな自分に必要なのはたぶん、逃げ出すための手段ではなくて、自分を鼓舞して歩き出すための力だ。全てが暗闇に覆われたみたいに思えて立ち止まってしまったとしても、再び歩き出すための光だ。
きっと傷はつく。痛みを知る。それでも、またもう一度歩き出すために必要なものを、一成は知っている。
「だってずっと、オレは好きなものと一緒にここまで来たじゃん? 好きなものが、いつだってオレの力になるんだよ」
いつもの一成が持つ、いたずらっぽい笑みで天馬に告げる。
一成はいつだって、好きなものに対して素直だった。幼い頃勉強ばかりしていたのは、知識が増えることや深く理解することが好きだったからだ。絵と出会って自身でも描くようになった。デザインを知って勉強を始めて、Webデザインだって手掛けるようになった。それから、MANKAIカンパニーに出会って芝居の楽しさを知っていく。
ここまで選んだ道は、一成が心を動かされたものたちでできている。好きだと思ったものが、今までの道を歩くための力になったのだと知っている。
だから一成は言うのだ。たとえこれから、歩く道が険しくて立ち止まりそうになっても。辺りが全て暗闇に覆われてしまっても。何もかもを諦めて放り出してしまいたくなっても。もう一度歩き出すためにどうすればいいかなんて、簡単だ。
「好きなものをたくさん集めてさ。これが大切なんだ、好きなものなんだって、ちゃんと確認するんだ」
きらきらしたまなざしを向けて、一成は天馬に告げる。心やさしい夏組リーダーへ、傷ついて怖くなって立ちすくんでしまっても大丈夫なのだと、歩き出す手段はちゃんと知っているのだと伝える気持ちで。
「好きなものならいっぱいあるよ。絵を描く前の真っ白キャンバスとか、これからどんな絵描こうかなってわくわくするし。胡粉が上手く練れた時とか、いい感じに溶けた時とか描く前からテンアゲ!」
頭に浮かぶのは、一成が知っている好きなものたち。絵を描くことはもちろん、それに連なるものたちだって一成の心を浮き立たせる。
「MANKAI寮もめっちゃ大好き! 帰ってきてみんながおかえりって言ってくれるのも嬉しいし、談話室は楽しいこといっぱいあるよねん。中庭でピクニックっぽくご飯食べたり、日向ぼっこしたりするのも最高!」
弾む気持ちを形にしたような表情で、一成は大好きなものを並べていく。
これだ!ってデザインがひらめいた時。バルコニーで外の景色を眺めている時。みんなで遊びに行こって計画立ててる時。大学のカフェテリアで新作を頼む時。インステのテンアゲな投稿を見つけた時、ええながいっぱいついた時。一つ一つを丁寧に並べて、さらに言葉を重ねる。
「あとあと、もちろんみんなで立つ舞台! 舞台袖で円陣組む時、これから幕が開くんだってみんなで最高の芝居ができるんだって、めっちゃわくわくしちゃうよねん」
まばゆい光を宿した瞳で、一成は言う。公演が始まるまでの紆余曲折を知っている。いつだって簡単には行かないけれど、それを乗り越えた先にあるものがどれだけ光り輝いているのか知っている。何度だって最高を更新して、自分たちは舞台に立ってきた。
「みんなでやる花火も大好き。めちゃめちゃきれいだし、夏組全員そろってできるのってすげー特別だよねん」
目を細めた一成が思い浮かべるのは、夏組がそろって手にした光の花だ。誰もが心からの笑顔を浮かべて、自分たちだけの夜を過ごしている。楽しくて、心が弾んで、染み渡るような愛おしさがあふれた時間だ。全てを照らして、そっと包み込むような花火の明かりは、いつだって一成の胸に灯っている。
「ね、テンテンは? テンテンも、好きなものいっぱいあるっしょ?」
ひらめいた、という顔で一成は尋ねた。天馬は虚をつかれたような表情を浮かべて目を瞬かせるし、恐らく意外な問いかけだったのだろう。一成はにこにこ笑みを浮かべて「テンテンの好きなものも教えてほしいかも!」と告げた。
天馬の愛情深さはよく知っている。夏組やカンパニー、芝居のことを心から大事にしてくれていることに、疑いは一つもない。ただ、素直に表へ出すことを恥ずかしがることもわかっていたから、答えがないことも予想していた。それでも構わなかったのだけれど、もしも聞けたらいいな、と思って口にしただけだ。
案の定天馬は、ためらうような空気を流す。一成は笑顔でそれを見守っているものの、答えに窮しているようなら冗談にしてしまおう、と口を開きかける。すると、天馬がぽつりと言葉をこぼした。
「――観客でいっぱいの客席は嬉しい。舞台の上で芝居するのが好きだ。あと、カチンコが鳴る瞬間も特別だな。身が引き締まる」
天馬は静かな調子で、言葉を口にした。それから、大きく深呼吸をしたあと、一成を真っ直ぐ見据えた。力強いまなざしで、堂々とした態度で続ける。
「盆栽の剪定も楽しい。寮に帰ってきた時、玄関に靴が並んでるのも結構好きだな。ああ、合宿所もいろいろ思い出深い」
一つ一つの記憶を取り出しながら、天馬は自分の好きなものを並べていく。きちんと言葉にしようと決意したのだと、一成は察する。並べられていく言葉。普段は照れが先だって素直に言わないだけで、天馬がいろんなことを大事にしているのは一成だって知っている。だから決して、意外ではなかった。
「台本を開く瞬間はわくわくする。読み合わせで解釈が深まるのも好きだし、稽古でだんだん完成に近づいていくのも楽しいと思う。そうやって、夏組の舞台を作っていくのが好きだ」
力強い笑みを浮かべて、天馬は言う。そんな風に思っていることは夏組全員わかっていた。ただ、こんな風にはっきりと「好き」を口にすることはあまりないだけで。それでも今、天馬が告げてくれたのはきっと、一成の気持ちを受け取ってくれたからだろうな、と思っていた。
これからの未来を歩く一成は、覚悟をしたのだ。たとえ辛くても苦しくても、どんな困難があっても、決めた道を歩く。立ち止まってしまっても再び歩き出すための手段を知っている。それがこれだ。好きなものを確かめていくことだ。
理解した天馬は、照れや恥ずかしさを乗り越えて言ってくれた。自身の「好き」を告げることが、一成の力になるのだと思ったからこそ。
ほんと、テンテンってばそういうとこかっこいいよねん、と一成は心から思う。それでこそ夏組リーダーであり、皇天馬という人間なのだということは、一成も充分知っている。
「――夏組全員でやる花火も好きだし、特別だって思ってる」
はにかむ笑みをこぼして、天馬は言う。好きなもの。心を震わせるもの。取り出して、教えてくれることが嬉しい。天馬の胸に宿る確かな明かりを伝えてくれるのは、なんて幸福なんだろうと一成は思う。
あふれるような気持ちのまま、一成は「うん!」と力強い笑みを浮かべた。二人が挙げていった好きなものを思い浮かべて、弾む気持ちで言葉を重ねる。
「今度の舞台も絶対好きになっちゃうし、好きなものたくさん増えてくよねん!」
うきうきした気持ちで、一成は答える。夏組のみんなで、カンパニーで時間を過ごせば過ごすほど好きなものは増えていくのだ。その事実が心強くて嬉しかった。天馬は楽しげな笑みを浮かべて、「そうだな」と言う。
好きなものが増えていく。今まで好きになったものも、これから好きになるものも、全てが自分の力になっていく。胸に宿る確信を抱く一成は、口を開いた。自分の心を形にしたくて、きっとこれは未来の自分への誓いなのだと思いながら。
「オレ、絶対忘れないよ。みんなで見たあの景色とかさ、みんなで絵描いたこととか、全部ずっと覚えてる」
大好きなものを抱きしめるのだ。一つ一つ、丁寧に愛していくのだ。凛とした決意を宿して、一成は言う。天馬は何も言わずじっと聞いてくれている。
思い描くのは、あの高台の風景であり、みんなで立った舞台の一つ一つ。
どこまでも澄み渡る青空と海が見える場所で、みんなで絵を描いた。一成の大好きなものを、大好きな人たちが分かち合ってくれた。そんな瞬間を知っている。
一成の初主演舞台で、絵か芝居を選ぶのかという岐路に立った。答えが出なくて悩んで苦しんで、助けてとこぼした言葉を拾い上げてくれた。夏組のみんなで絵を描いて、一成は自身の心を知っていく。
大好きなものを、心の全てで大事にしていい。他の誰かのためじゃなく、自分自身の気持ちを答えにして、一成は何もかもを選ぶと決めた。
真っ白なキャンバスに、思い描く全てを形にしていくことも。舞台の真ん中でスポットライトを浴びることも。渾身のデザインを完成させて、おひろめする瞬間も。みんなで最高の舞台を作り上げていくことも。全てを選ぶと決めた一成は、これまでの何もかもを胸に刻んでいくのだ。
大好きなものを、大事なものを、何度だって取り出して、いつだって思い出す。これは確かな未来で、間違いのない確信なのだと知っている。
これから先、楽しいことばかりが待っているわけではない。苦しいことも辛いことも、困難も高い壁もきっとある。つまずいて、否定されて、上手く行かなくて、ボロボロになる瞬間だって。他人の目が苦しくなることも、評価されるのが怖くなることも、きっとやってくる。そこで自分がどんな選択をするのか、一成は知っている。
オレはずっと、歩いていく。立ち止まっても、再び歩き出す。オレならできる。だって、ここまでの道のりで集めた好きなものが、オレを歩かせる力になる。
確かな決意を抱える一成は、真っ直ぐ天馬を見つめて、誇らしげに言う。
「大好きなものをいっぱい知ってるオレは、最強になっちゃうんだよ」
軽やかな口調で告げると、天馬は心底楽しそうに「一成らしいな」と笑うから。明るく「でしょ⁉」と答える一成は思っている。
歩く道は、いつだって平坦なわけじゃない。険しくてなかなか進めないかもしれないし、行き止まりに直面することも、迷って道がわからなくなることもきっとある。それでも、オレは大好きなものをちゃんと知っているから大丈夫。
スケッチブックに鉛筆を走らせる瞬間。思い通りの線が引けた時。あふれだすような色彩。真っ白のキャンバスに描かれる、オレだけの世界。
幕が上がる瞬間の、駆け出したくなるような胸の高鳴り。スポットライトのまばゆさに、お客さんの笑顔、全員で受け取る拍手と、千秋楽の高揚感。
イマジネーションをヒントにして、作り上げるフライヤーやWebサイト。最高のデザインを見つけて形にすること。こんなにすてきなものがあるんだって、みんなに届けていく。
今日までの日々でたくさん笑って、楽しいことをいっぱい知った。カンパニーで過ごす毎日が大切で、ささやかな瞬間さえ特別な思い出になっていった。そうして重ねた時間が、大事なものを教えてくれる。
絵を描くこと。芝居すること。デザインすること。家族や友達。カントクちゃん、春組、秋組、冬組のみんな。夏組の――テンテン、ゆっきー、むっくん、すみー、くもぴ。今までの道のりで出会った、宝物たち。
みんな、みんな、一成は覚えている。一つだって忘れやしない。両手で抱きしめるのは、いっぱいの好きなものだ。だってこれは、と一成は思う。あふれるような愛おしさで、未来を見据える強い瞳で、心の全てで誓うように。
これはオレの灯火。未来を照らす光だよ。
END