アンラッキー・ハッピーデイ



 今日は朝からついていない。

 昨日は夜遅くまで、デザインスケッチに没頭していた。そのせいで充電切れに気づかず、朝のアラームが鳴らなかった。予定よりだいぶ遅い時間に起きる羽目になり、一成は大慌てで朝の支度を終えた。
 天鵞絨駅まで息を切らして辿り着き、やって来た電車へ乗り込もうとする。この電車を逃すと講義の時間に間に合うかどうかが危うい。言い換えれば、目の前の電車に乗れば、遅く起きた分は挽回できる。ギリギリのラインには滑り込めたみたいだ、とほっとする。
 しかし、電車に乗る直前。混み合う車内から急いで降りてきた乗客が、体当たりする勢いで一成にぶつかった。
 思いの外強い衝撃に体がぐらついて、そのまま鞄を落とす。ホームにペンケースやスケッチブックが散らばり、一成は慌ててしゃがみ込む。荷物を拾い集めていると、電車の扉が閉まる音が聞こえてはっと顔を上げる。
 当然一成を待ってくれるはずもなく、目の前で扉が閉ざされる。そのまま電車はゆっくりと動き出して、ホームを出発する。見送る一成は、電車に乗り遅れた事実を噛みしめるしかなかった。

(次の電車だと、大学って何時に着くんだっけ)

 モバイルバッテリーで充電中のスマートフォンを引っ張り出して、一成は必要な情報を検索する。大体の時間を調べると、難しい顔になる。一応、講義が始まる前には駅に着くけれど。そこから講義棟に向かって、時間内に到着するには全力疾走して間に合うかどうかという具合だ。

(オレ、体育会系キャラじゃないんだけどな~)

 内心でごちるものの、遅刻を回避するためには選択肢など一つしかないことはわかっている。電車を降りた瞬間から、講義棟まで全力で走らなくてはならないのだ。
 一成は一つ息を吐き出すと、ゴールまでの最短ルートを頭の中でシミュレーションし始めた。










 教授の到着が遅れたこともあり、どうにか遅刻は免れた。ただ、相当無理をしたため、講義が始まってしばらくはぐったりしていて、周囲の人間に本気で心配された。
 いつも明るくテンション高く騒ぎまくっている一成が、何も言わず机に突っ伏しているのだから、それも当然だろう。上手く冗談も返せず、ぼそぼそと事情を説明するしかなかった。最終的に深刻な状況でないことは伝わったので、安心はしてもらえたけれど。
 もっとも、講義が終わる頃には、一成もだいぶ回復していた。「朝からめっちゃ運動しちゃった!」なんて笑って言えるくらいにはなっていたし、ちょっとした話のネタにはちょうどいいよねん、なんて思っていたのだ。途中までは。

(今日って厄日とかだったりするのかな……)

 心の底から思う一成は、土砂降りの雨を眺めている。
 天気予報は晴れマークで、雨の心配はないはずだったのに。大学での講義を終えて、駅まで向かっていたところ、突然空が黒い雲に覆われた。
 ぽつり、と鼻先に雨が当たったと思えば、すぐに本降りになってしまって、一成は慌てて店の軒先に避難したのだ。喫茶店のようだけれど、今日は店休日のようで営業はしていない。
 周囲は住宅街で、他に店もない。駅まではまだあるし、慌てて寮を出た結果折りたたみ傘も鞄には入っていなかった。この雨の中飛び出していけば、全身ずぶ濡れになることは確実だ。

(ちょっと濡れちゃったな~……)

 鞄の中身を確認した一成は、小さく息を吐き出す。突然の雨で、屋根のある場所は周囲になかった。慌てて走って、どうにか見つけたのがこの軒先なのだ。それまで雨に打たれるしかなく、一成はもちろん鞄の中も濡れてしまった。
 水浸し、というほどではないとは言え、お気に入りのノートやスケッチブックに水の染みができているのを見つけると、何だか凹んでしまう。
 大きく息を吐き出した一成は、今日は朝からついてない、と思う。充電が切れてアラームが鳴らず、慌ただしく寮を飛び出したことや、電車に乗れず全力疾走する羽目になったことはもちろん、その後だって。
 
 思い出すのは、今日の大学での出来事だ。

 空き時間に、レポートを仕上げてしまおうと、学内のパソコンルームに向かった。順調に書き進めていると、突然パソコンがフリーズしたのだ。
 マレにそんなことがある、と聞いたことはあったけれど、今まで一成はそんな目に遭ったことがなかったのに。どういうわけか、今日に限って引き当ててしまったらしい。
 マジで、と思った一成は、さらにもう一つの事態に気づいて動きを止める。あれ、オレちゃんと保存してたっけ。
 マメな保存は癖になっているはずだけれど、筆が乗っていたため、おろそかになっていた可能性はある。結局、担当者を呼んで復旧したパソコンで確認すれば、レポートは途中までしか保存されていなかった。費やした時間と文章は、跡形もなく消えてしまったのだ。
 意気消沈していても、時間は待ってくれない。講義を受けてデッサンをして、一日のスケジュールを終えていく。
 その途中で、一成は学内にあるコンビニへ立ち寄った。小腹が空いたのと、期間限定のプリンがある、と聞いたからだ。
 限定品はデコレーションがふんだんにほどこされていて、インステ映えすることは間違いなし。評判が高くすぐに売り切れてしまう。なかなかお目にかからなかったけれど、さっきコンビニで見かけた、と友人から報告があったのだ。
 わくわくしながらスイーツコーナーへ向かうと、遠目からでもわかるような、ボリュームのあるプリンが目に入る。最後の一つが運よく残っていたようだ、と思ったところで。
 陳列棚の近くにいた学生が「あ、これ期間限定のやつじゃん」と言ってプリンを手に取り、レジへと向かってしまった。
 相手の方がプリンに近かったし、無理に割り込んできたわけでもない。タッチの差で、一成よりも速かっただけで問題はないのだけれど。目の前で最後の一個がなくなる、というのはなかなかメンタルに来るものがあった。


 そんな経緯があった上で、突然の土砂降りである。あらゆる全てのタイミングが悪いとしか言いようがなかった。雨は一向に止む気配もないし、本格的に今日は厄日なのでは、なんて一成は思う。

(――どうしよ。帰るの遅くなっちゃう)

 そわそわしながら、一成はスマートフォンを取り出す。時間を確認すれば、雨宿りを始めてから十分ほど経っていた。本来であればとっくに電車に乗っているはずだったのに、足止めを食らって動くこともできない。
 ただ、一成が落ち着かないのは純粋に帰宅が遅れるから、という理由ではなかった。
 いつもの一成であれば、これはこれで面白いよねん、なんて言って雨宿り中の風景をインステに上げるくらいはする。しかし、それは時間に余裕がある場合だ。

(このまま雨宿りしてたら、待ち合わせに間に合わなくなちゃうかも)

 難しい顔をしながら、一成はスマートフォンを操作した。表示させたのは、今日の待ち合わせ相手である天馬とのトーク画面だ。二人だけのやり取りで、大学が終わったあと天鵞絨駅で待ち合わせをしよう、と諸々を取り決めたくだりが記されている。
 待ち合わせ時間に思い違いがないことを確認してから、交わしたメッセージに目を通す。
 何てことのないやり取りだけれど、一成の唇には自然と笑みが浮かぶ。天馬と二人きり。夏組やカンパニーの誰かとではなく、二人でカフェに行きたい、という一成の願いに天馬がうなずいてくれた。

(久しぶりのデートだし、絶対遅れたくないし!)

 強い決意で、一成は思う。それなりの片思い期間を経て、お互いが同じ気持ちでいることを確認した二人は、晴れて恋人同士という関係になった。
 少しずつ二人だけの時間を過ごすようになり、何度かデートもした。ただ、天馬は多忙な人間なので、近頃ではとんと恋人らしいこともできなかった。
 そんな中で、久しぶりのデートとして二人でカフェに行くことになったのだ。あまり遠出はできないから、大学が終わったあと、天鵞絨駅で待ち合わせして駅の近くのカフェへ行こう、と。
 天馬よりも一成の方が、大学が終わるのは早かった。だから、待ち合わせまではまだもう少し時間がある。
 約束した時刻に間に合うことは当然として、天馬ならそれより前に到着するかもしれない。それなら一成も早くに着いて、天馬との時間をなるべく多く取りたかった。

(濡れてもいいから、走って行っちゃった方がいいかも!?)

 いつまで降るかわからないのだ。濡れたところで、急げば一旦寮に帰って着替えることもできるかもしれない。このまま、ここでただ雨宿りしているよりはマシかも、というわけで一成の答えはほとんど出ていたのだけれど。
 そのタイミングで、メッセージ通知音が鳴った。視線を向ければ、天馬からのメッセージだ。ぱっと笑顔を浮かべた一成は飛びつくように画面を確認して、胸中で叫んだ。

(今日絶対厄日だ!)

 かもしれない、ではなくもはや断定だった。何せ、天馬からのメッセージは、急きょ仕事が入ってしまったことを告げていたので。
 天馬が売れっ子俳優であることも、役者としてひたむきな情熱を持っていることも、仕事を決しておろそかにしないことも、一成は充分承知している。天馬の負担にはなりたくないし、ワガママを言って困らせるつもりは毛頭ない。
 だから一成は、残念だという気持ちは隠さないけれど、お仕事頑張ってねん、とメッセージを送る。
 天馬からは真面目な謝罪が返ってきたので、気にしなくておけまるだよん、答える。次のデートの楽しみが倍になるし!と、明るく言い添えることも忘れない。
 天馬はもう一度謝罪をしてから、「そうだな」と返してくれたので、ちょっとばかり一成の心は浮上する。ただ、それもそう長くは続かない。
 少しばかりやり取りできたことは嬉しかったけれど、どうやら現場には到着済みだったらしい。「これから撮影に入る」と告げて以降、メッセージが返ってくることはなかった。鳴らない通知音に、天馬との時間が終わってしまったことに、気持ちがしぼんでいく。
 一成は大きく息を吐き出して、降り止まない雨を眺めている。








 急いで帰る必要がなくなったので、雨脚が弱まるのを待って一成は寮へと帰宅した。
 帰る頃には雨もすっかり止んでいて、途中で買った傘の出番はあまりなかった。やっぱりタイミング悪いなぁ、という気持ちで玄関の扉を開くと、談話室から出てきたシトロンと鉢合わせる。

「カズ、おかえりダヨ~!」

 ぱっと明るい笑みを浮かべて、「さっきまでどんどこ降りの飴あれれだったネ~」と続く言葉に、一成は数秒黙る。いつもの自分ならどう反応するかはわかっていたのに。胸の奥がよどむような気分に引きずられて、とっさに声が出なかった。
 しかし、それも一瞬だ。一成はすぐに自分を立て直すと、楽しげな表情を浮かべて「ロンロン、ただいま!」と声を発する。明るくにぎやかに「土砂降りと雨あられっぽいけど、あられは降ってなかったよん」と続ける。

「今はもう止んでるから、傘買ったけどあんま意味なかったぽい!」

 あはは、と笑いながら寮の傘立てに傘を入れる。それから、軽やかな動作で靴を脱ぎ、玄関へ上がった。いつもと変わらない雰囲気は出せていたはずだ、と一成は思うけれど、同時に予感もしていた。

「カズ、何だか元気ないネ?」

 表情を曇らせたシトロンは、真っ直ぐ一成を見つめて尋ねる。そこには純粋な心配だけが宿っていて、一成は何とも言えない気持ちになる。
 シトロンが他人の感情の機微に聡いことは、一成もよく知っている。言動の奇天烈さに隠されているだけで、細やかな感受性と確かな聡明さを持っているのがシトロンだ。
 だから、些細な変化にだって気づくだろう、という予感はあった。いつも通りでいられない、凹んだ気配を感じることくらいシトロンには造作もない。

「――いきなり雨降られちゃって、ちょっと荷物とか濡れちゃったからテンサゲって感じかな~?」

 何でもないよ、とごまかすという選択肢もあった。だけれど、一成はそうしなかった。
 シトロンが気づかないフリをせず、言葉にして問いかけたならちゃんと答えたかったのだ。一成の様子がおかしいと思ったとして、素知らぬ顔をすることもできる。けれど、そうせずに心配を形にしてくれたから。
 とは言え、一から十まで話すつもりはなかった。今日はついてない、なんて言われても対処のしようがないだろうし、天馬と付き合っていることは一応秘密にしている。まあ、シトロンを含めた一部には気づかれているだろうけれど。
 シトロンは一成の言葉にぱちりと目を瞬かせてから、ぐっと拳を握って言った。

「濡れたものを乾かす方法なら、おばあちゃんのイケブクロにGOダヨ!」

 絶対の真実を語るような口調は力強い。自信たっぷりに告げられた言葉を受け取る一成は、思わずといった調子で噴き出した。知恵袋のことだというのはわかったけれど、間違い方が妙にマッチしていて面白かったからだ。
 シトロンはその反応に、ほんの少し沈黙を流す。しかし、すぐに肩をすくめて、冗談の響きで言う。

「カズに笑われたネ~」
「めんごめんご! ちょっと面白くって! でも、そんなに濡れてないから平気だよん」

 シトロンの気持ちはありがたく受け取りつつ、そう答えた。今すぐ対処が必要なほど濡れてしまった、というわけでもないのだ。シトロンは「そうネ?」と答える。

「うん。ありがとねん、ロンロン!」

 心から一成は告げる。一成の様子が、いつもと違うことに気づいて声を掛けてくれたこと。力になろうとしてくれたこと。そういう諸々が嬉しかったし、ありがたいと思ったのだ。
 シトロンは一成の言葉に、にっこり笑った。一成の心からの気持ちを確かに受け取ったのだ。ただ、「無理はキンモツヨ」とも言われたので、一成は苦笑を浮かべて「りょっす!」と答える。









 202号室に椋はいなかった。そういえば、今日は学校からそのまま実家の方へ帰るって言っていたな、ということを思い出す。
 部屋に帰ってやわらかな笑顔の椋が出迎えてくれると、胸があたたかくなるのだけれど、今日はそんな椋もいないのだ。やっぱりタイミングが悪いなぁ、と一成は大きく息を吐き出す。
 部屋に落ちた溜め息は、思ったよりも重く湿っていて、一成はドキリとする。心の内がそのまま漏れ出して、空気がよどんでいくような気がした。
 上手く隠すのは得意なつもりだった。だけれど、きっと今日はどうも調子が良くないのだ。積み重なったものたちが、少しずつ一成の気持ちを削り取って、上手な笑顔を作れないでいる。
 玄関のシトロンとのやり取りもそうだ。何でもない顔ができなくて、浮かない表情に気づいたからこそシトロンは声を掛けてくれた。ありがたいし嬉しいと思うのも本当だけれど、心配を掛けたいわけではなかった。
 カンパニーのメンバーはやさしい人たちばかりだ。だから、一成が気落ちしていればどうしたのかと心を砕いてくれる。笑顔になれるよう、力を尽くしてくれるだろう。
 それが嫌なわけではないし、満たされたような気持ちになる。だけれど、そんな風に煩わせることを一成は好まない。カンパニーのみんなには、笑顔でいてほしいのであって、一成のことで心配を掛けたくなかった。
 それに、一成だってずっと暗い気持ちのままではいたくないのだ。タイミングが悪くて、何だかついていなくて、メンタルが凹んでしまうけれど。こんな気持ちのまま、これからの時間を過ごすなんてことはしたくない。
 思った一成は、深呼吸をして目を閉じる。こんな時にどうすればいいかはよくわかっていた。よどんだ気持ちはここで終わり。凹んで沈んでしまっても、気分を切り替える方法なら知っている。

(こんな時は、これの出番だよねん!)

 目を開けた一成は、机の引き出しを探って目的のものを取り出す。
 出てきたのは、以前海外旅行で買ってきたお菓子の空き缶だ。一成の好きな画家の絵がデザインされていて、一目見た時からお気に入りの品物だった。目にするたび、心が躍ってわくわくするけれど、そのためだけに取り出したわけではない。
 手のひらよりは少し大きい缶の蓋を、丁寧に開ける。中には折りたたまれた紙片が何枚も入っていた。一成が一つ一つ書き留めた紙だ。意味することは、よくわかっていた。

(わくわくしちゃうことがいっぱいだし、絶対テンアゲっしょ)

 お菓子の缶を見つめる一成は、胸中でつぶやく。缶の中身。紙片の一枚一枚には、一成の心を躍らせる物事が記されている。
 バルコニーでスケッチするだとか、お気に入りのカフェへ行くだとか、誰かを誘ってストリートACTへ出掛けるだとか。内容は様々だけれど、共通点はただ一つ。
 一成がハッピーになれることが、全ての紙には記されている。
 それは、いつの頃からか一成が始めたある種のイベントだ。わくわくすることや、楽しいことを思いついたら、紙に書いてお菓子の缶に溜めていく。落ち込んだり気分が塞いだりしてしまう日には、一枚選んで中に書かれたことを実行するのだ。
 どんな時も機嫌よくいられればいいけれど、そういうわけにもいかないことはわかっている。だから、自分を笑顔にする方法を事前に用意しておくことにしたのだ。
 それは一成なりの憂鬱への対処法でもあったし、自分で自分を立て直す術でもあった。塞いだ気分を長引かせたくはなかったし、自分の機嫌は自分で取る仕組みを作っておけば、笑顔でいられる時間が増えるに違いない、と思ってのことだ。

(何が出てくるかな~)

 大吉しかないおみくじを引くような気持ちで、一成は一枚紙を選ぶ。この時点ですでに何だかわくわくしているので、効果は抜群だ。何が書いてあったとしても一成の心は躍るのだから、自然と気分が上向きになる。
 一成は、選んだ紙を丁寧に開いた。中には「特別なティータイム!」という言葉とともに、ティーカップとユニオンジャックのイラストが添えられている。
 何のことか、すぐに一成は察した。イギリスへ留学した友人から、お土産としてもらった紅茶のことに違いない。メジャーではないものの、通の間では有名な茶葉を買ってきてくれたのだ。
 誉に聞いてみれば当然知っていたし、「一成くんの友人は好ましい趣味をしているね!」と深くうなずいていた。早速飲んでみれば、さわやかな香りにまろやかな味わいが絶妙で、一成もすぐに気に入った。
 この紅茶でティータイムにしたら、気分もテンアゲになっちゃうでしょ、というわけで一成は紅茶のことを紙へ記した。量は充分にあったので、こんな日のために取っておくことにしたのだ。
 当時のことは覚えていたし、あの時の出来事を思い起こせば確かに一成の心は浮き立った。

(紅茶美味しかったし、お菓子も用意したいよねん)

 うきうきとした気分で、一成はスマートフォンを取り出した。頭にはティーパーティーのイメージが広がって、あれこれ準備するものが浮かんでいた。一成は、メモ帳に一つ一つ必要なことを記入していく。
 バルーンとかガーランドとかは倉庫から借りて、ウォールデコはちょっと作りたいかも。おみみのスコーン、まだあったりするかな。あとはクッキーとかも欲しいし、プチケーキもかわいいよねん。そうだ、紅茶の砂糖に金平糖使うとかわいいって、むっくんが言ってたかも。
 そこまで思ったところで、一成はスマートフォンに滑らせていた指を止めた。愛すべきルームメイトの顔が浮かび、同時にすんなりと思った。ごく自然に、当たり前みたいに。

(ティータイムは、むっくんと一緒がいいな)

 一成が件の紅茶を飲んだ時、椋は出掛けていてその場にいなかった。ただ、ふとしたきっかけで紅茶の話題を口にした時、興味深そうに話を聞いてくれたのだ。
「ボクも飲んでみたいです」とはっきり言ったわけではないけれど、椋なら一緒に紅茶を楽しんでくれる、と疑いなく思えた。装飾にもこだわったティーパーティーに、目をきらきらと輝かせてくれるだろう。
 一人で過ごすティータイムも優雅でいいかもしれないけれど、椋と一緒の方がもっとずっと楽しい、と一成は思った。明日には戻ってくると言っていたし、それなら、椋が帰ってきてから特別なティータイムを過ごすことにしよう、と一成は決める。
 そうと決まれば、あとは準備だけだ。椋との時間を想像して、一成はうきうきした気持ちで必要なものをそろえた。
 事情を話して臣のスコーンを確保して、ガーランドやバルーンの装飾品も借りてきた。ウォールフラワーやステッカーも自作したし、一成が持っている金平糖も充分な量があることを確認した。
 それ以外にも、細々したものはおおむね用意できたので、あとは明日セッティングすればいいだけだ。

(飾りつけはむっくんも一緒にやった方が楽しいし、明日のお楽しみに取っとこ!)

 せっかくなので、準備の段階から楽しむことにしよう、と満足げに一成はうなずく。椋はきらきらとした笑顔で、一緒に楽しんでくれるに違いない。

(そだ、ならレポートも終わらせちゃった方がいいよね)

 憂いなく明日のティーパーティーを楽しむためには、やるべきことは全て片づけておいた方がいい、と一成は思う。レポートがあることは椋も知っているので、気にしてしまうかもしれないし。
 思った一成は、意気揚々とパソコンを立ち上げてレポートの続きへ取り掛かることにした。これからの予定は特にないし、今の気分なら早々に書き上げられるような気がしたのだ。
 一成の予感は的中して、滑らかに指は動いた。途中で消えてしまったとは言え、一度は書き進んだ内容だったからかもしれない。
 今日の大学での出来事を思い出すと何とも言えない気持ちにはなるけれど、結果オーライってやつだよねん、と一成は思うことにした。あの時中身が消えていなければ、今ここで再度レポートに取り掛かる必要はなかった、という事実にはひとまず目をつむって。

 一成は一心にレポートを書き進め、ある程度までは集中力を持って取り組むできた。
 しかし、段々とキーボードを滑る指の速度が遅くなる。何だかまぶたも重くなってきて、集中力が途切れてきていることを悟る。

(昨日寝るの遅かったからかな~)

 大きく伸びをして、軽いストレッチをした一成は胸中でつぶやく。集中力を発揮してレポートを書き続けていたことに加え、昨日の寝不足が響いたのか睡魔が忍び寄ってきている。
 もう少しレポートも進めておきたかったので、一成はひとまず気分を変えよう、とスマートフォンを取り出す。SNSの面白い投稿や、興味の惹かれるネット記事、誰かとのメッセージがあれば眠気も消えるかも、と思ったのだ。
 しかし、タイミングの問題か、特に目新しい投稿はなかったし、ネット記事も当たり障りのないものしか見つからなかった。メッセージはいくつか来ていたものの、どれも連絡事項の類で、雑談は望まれていなさそうだった。
 必要な内容を適度にくだけた口調で返してしまえば、あとはもうメッセージを送る必要もない。そのまま別の作業へ移ればいいと頭ではわかっていたけれど、一成の指は自然に動く。選んだのは、天馬とのトーク画面だった。
 新しいメッセージがあるわけでもなく、今日のデートが中止になった経緯が記されている。
 仕事なのだから仕方ないし、だだをこねるつもりはない。真剣に仕事へ取り組む天馬のことが一成は好きだったし、心から格好いいと思っている。だから、天馬を恨めしく思う気持ちはなかったのだけれど。

(デートしたかったなぁ……)

 心からの思いが、言葉になって胸中へ落ちる。
 最近は、二人きりになることも難しくて、恋人らしいことは全然できていなかった。二人で出掛けるとしたって、おおっぴらに恋人らしい振る舞いができないことはわかっている。それでも、夏組の友人としてではなく、恋人同士の二人という時間は意味合いが違うのだ。
 たとえ、触れ合うことができなくても。はっきりとわかるような態度は取れなくても。ひそやかに色づくものや、向けられる気持ちはどうしようもなく一成の胸を高鳴らせる。
 だから一成は、今日という日を心待ちにしていた。ついてないな、なんて思ったって、天馬とのデートの約束があればどうってことはなかったのだ。
 何もこれで全てがおしまいになったわけではない、とわかってはいる。これから先、何度だってデートに出掛けることもできる。それでもやっぱり、天馬とのデートがなくなってしまった、という事実は一成の気持ちを落ち込ませる。

(わ、また凹みそうじゃん?)

 一連の出来事を思い出したことで、じわじわと気分が沈む。一成は慌てて首を振り、椅子から立ち上がった。
 このままレポートを続けていても、何だかまた落ち込みそうな気がしたからだ。こうなったら、気分転換に散歩でも行った方がいいかも?なんて一成は思う。
 ただ、そこで大きくあくびが出る。やっぱりまぶたも重くなってくるし、どうやら眠気は未だ居座っているらしい。一成はその事実に少し考えたあと、ラグへと移動した。

(ちょっとだけ仮眠しよ)

 クッションを枕代わりにして、一成は横になる。ベッドへ上がって本格的に眠るほどではないし、ラグでちょっとばかり仮眠を取るのがちょうどいいだろう、と思ったのだ。一旦寝ればすっきりするだろうし、気分の落ち込みもリセットされるかもしれない、という気持ちもあった。
 横になってまぶたを閉じれば、比較的すぐ眠気がやって来る。やっぱ今日は疲れてたのかも、なんて思いながら、一成は素直に従う。
 ゆっくりと意識がぼやけていく感覚に身を委ねて、テンテンの夢が見られたらいいな、なんて思いながら。