hurts, hurts, fly away!
【side:幸】
オレに裁縫教えてよ、と一成が言った。
一体どうしてそんなことを言ったのか、幸もさすがにわかっている。夏組の不調を知った一成が選んだ答えは、立ちはだかる壁を共に乗り越えようとすることだと、天馬から大まかな話は聞いていたのだ。
一成は意外と頑固なところがあるから、幸がうなずくまで引かないだろう。それに、幸とてこのままでいいと思っているわけではない。
先の尖ったものに対する恐怖心は、だいぶ癒えてきた。ペンなら握れるようになったし、最近ではフォークも扱える。
日常生活にはほとんど支障はなくなってきたと言っていい。ただ、未だに針やハサミを持つことにためらいがあるのは事実だ。
その二つを完全に排除したままでは、服作りがままならないことわかっている。どうにかしなくては、とずっと思っていた。そんな時の一成の提案だ。
幸は自分が針やハサミを持てなくなった原因を知っている。他でもない一成が殺されて、死の様子を聞いた時から、どうしても思ってしまうのだ。
何一つ関係ないとわかっているはずなのに、自分の持つ道具たちから連想する光景がある。
針やハサミを体に突き立てればどうなるのかを理解しているからこそ。血まみれで事切れていたという一成の姿が思い浮かんでしまうのだ。
その一成本人からの提案というのは、考えてみれば理があるように思えた。
奇跡とも呼べる出来事が自分たちに起こり、死ぬはずだった一成は今幸の目の前にいる。血まみれの姿ではなく、元気な姿で幸に語りかけてくれる。
そんな一成の手にあれば、針もハサミも怖いものではなくなるかもしれない。そうしたら、また前のように道具を扱えるようになるかもしれない。期待も込めて、幸は一成の提案にうなずいた。
てっきり202号室で裁縫を教えるのだと思えば、「ゆっきーの部屋でやろ!」と言われて幸は少々面食らった。
夏組は一成の部屋に集合するのが暗黙の了解になっていたし、他の夏組は一成の近くにいたがるから、当然202号室が会場だと思っていたのだ。
「ゆっきーの部屋のほうが、色々道具とかそろってていいっしょ?」
明るい笑顔で言う一成は至っていつも通りといった調子だ。202号室にいる夏組も、一成の言葉にうなずいている。
ただ、考えがあってのことなのだろうということくらい、幸にも察しがつく。恐らく、幸の不調に向き合うならば二人だけにしたほうがいいという判断なのだろう。
「たまには二人でゆっくりしてくればいいんじゃないか」
落ち着いた表情で言ったのは天馬だ。基本的に夏組は六人でいることが多いけれど、必ずそうしなければならないわけではない。
実際、気を遣って天馬と一成を二人きりにすることだってあるのだ。
あまりそういった雰囲気は出さないけれど、恋人同士であることは事実だし、二人とも嬉しそうにしてくれるので、夏組としても恋人の時間を設けることはやぶさかではない。
恐らく、それと同じ類での言葉なのだと幸は察する。
一成と二人だけで過ごす時間を設けることはきっと幸にとっての最良だと、夏組は判断した。だからこその言葉というなら、首を振る理由はなかった。一成と二人になるのが嫌なわけではないし、むしろ嬉しい事態でもあるのだし。
「まあ、それもいいかもね」
一つ息を吐き出した幸はそう言ってうなずく。一成はほっとしたように息を吐き出したあと、すぐに明るい笑みを浮かべて「それじゃ、行こっかゆっきー!」と立ち上がった。
とは言っても、行き先は隣の部屋である。距離にしてほんの数メートル。見慣れた201号室のソファに、幸と一成は腰かけている。
「一成って、裁縫とかやったことあるわけ」
「うーん、マジでちょっとだけ。ほとんどやったことないって感じかな~」
一成が裁縫の類をしている場面を見たことはなかったし、経験がないというのはその通りだろうと幸は思う。
ただ、一成自身は器用な性質だ。慣れていないとは言え、それなりのものはできるのではないか、と幸は考えている。
「作りたいものがあるならそれ教えるけど」
「これが作りたい!っていうのはないんだよねん。ゆっきーのおススメとかない?」
「初心者なら簡単なものから始めるのがいいと思うけど。複雑な縫い方とかが要らない小物系なら、布コースターとかポケットティッシュケースとかが定番」
「なるなる~。ちな、ゆっきーが欲しいものって言ったらどっち?」
「何でオレの話になるわけ。意味わかんない」
心からそう言えば、一成は明るく答える。何だかワクワクと浮き立つような、ふわふわとしたやわらかさで。
「ゆっきーにプレゼントしたいんだよねん! ゆっきーにあげるって思ったらめちゃくちゃ気合い入ると思うし――あ、でも、初心者のオレが作ったとかめっちゃ駄目なやつできちゃったらどうしよう!?」
ボロボロの完成品ではとてもプレゼントにならない、という顔で一成が眉を下げる。幸は思わずその顔をじっと見つめる。
プレゼント。幸にあげるためのものを作る。それはとても一成らしい言葉だ。
きっと一成は心からそう思って言っている。一針一針、幸のことを思い浮かべて、とびきりのものを作ろうとしてくれる。誰かに何かを贈るのが好きな、一成らしいアイディアだ。
「要らないならだいじょぶだからねん。やっぱり初めて作るってなったら、失敗しちゃうかもしれないし――」
「オレが教えて、そんなもの作らせるわけないでしょ」
きっぱりと幸は言った。何だか不安がっている一成に向けて、心から告げる。
幸が教えるのだ。不出来なものを作らせるわけがないし、納得の行くものを完成させるに決まっている。それに、何よりも一成が幸のためにと思って作ったものなのだ。
「ちゃんと受け取ってあげる」
心からの言葉を伝えれば、一成は嬉しそうに「うん、オレめっちゃ張り切っちゃうよ!」と力強く答えた。幸はそれに満足そうにうなずいたあと「それじゃ、ピンクッションでも作るか」と言葉を続ける。
一成は聞き慣れない言葉に首をかしげているので、気づいた幸は淡々と答える。
「ピンクッションは針山のこと。新しいの作ろうかなってずっと思ってたんだよね。端切れなら色々あるし」
言った幸は、最近手に取っていなかったソーイングセットの蓋を開いた。
縫い糸のセット。糸切りばさみ、ニードルセット。指ぬき、針山、裁ちばさみ。何度も手にした、馴染んだ道具たちが行儀よく並んでいる。
幸にとっての相棒で、今までたくさんの洋服作りで活躍してきた。だけれど今の幸には手を伸ばすことができない。
ソーイングセットのハサミに幸の目が吸い寄せられる。布を裁って、自由自在に形を変えた。幸のイマジネーションを形にするための道具だと知っている。
それなのに、思い浮かべるものは。幸の心臓がドキドキと脈を打つ。
ニードルセットには、長さや種類の違う針が入っている。糸を通して布を操り、色々なものを作ってきた。ミシンを使うようになる前、裁縫を始めた時の最初の一歩は小さな針と糸だった。今でも、些細な縫い物をする時はずっと世話になっている。
ここにある道具たちが、幸にたくさんの幸福を連れてきたことを知っているのに。思い浮かべてしまうのは、まるで違うものなのだ。
直接その姿を見たわけではないし、周囲の大人たちは詳細を夏組に教えることをためらっていた。だけれど、きちんと聞かなくてはいけないと思ったのだ。
一成のことなら全部受け取りたかった。耳をふさいでなかったことにしたくなかった。だから、一成がどんな風に亡くなったのかを夏組は知っている。
血だらけの姿で一成は発見された。何度も何度も、繰り返し体中を刺されて、おびただしいほどの血を流して。いつもの明るい笑顔は何一つなく、全てが真っ赤に染められて、血の海で横たわっていた。
一成を傷つけたのは、通り魔事件で使用されたナイフだ。幸の持つハサミや針とは別物だということくらいわかっている。だけれど同じくらい、ハサミや針が人を傷つけることができるという事実も知っていた。
もしもこの道具を人間に向かって突き立てればあざやかな血が飛び散るのだ。一成を真っ赤に染め上げた鮮血みたいに。
間違いなくこの道具は、人を傷つけることができてしまうのだ。その事実は、どうしたって幸の頭から離れない。ソーイングセットに並ぶ道具たちが同時に凶器に思えて、一成の血まみれの姿を勝手に頭が思い描いてしまうのだ。
生き生きとした笑顔で、いつだって明るく名前を呼んでくれた。そんな一成が、一つの笑顔を浮かべることもなく、光のない瞳で血の海に横たわる姿を。
「ゆっきー?」
知らない間に呼吸を止めていた幸は、名前を呼ばれて我に返る。
一成がほほえみに心配を乗せて、幸を見ていた。恐らく今の自分はひどい顔をしているのだろう、と幸は思う。心臓が忙しなく鳴っていて、指先も冷たい。いつものような強気の顔も上手くできなかった。
「ゆっきーの裁縫セット、触っても平気な感じ?」
幸の不調に気づいているはずの一成は、しかし何も言わずにソーイングセットへ視線を向けた。
幸は小さく深呼吸をして「別にいいけど」と答えた。いつも通りとは行かず、硬い声をしていた。一成は「ありがとねん!」と明るく笑った。
「ソーイングセットの小物もめちゃんこ可愛い~! さすがゆっきー、センスばっちりだよねん! このままデザイン案できそう!」
楽しそうに言う一成は、ニードルセットを手に取った。落ち着いた真鍮色のそれは、レトロな雰囲気があってお洒落な小物入れのようでもあった。雑貨屋にそのまま置いてあってもおかしくはなさそうだ。
ゆっくり開けば、長さの違う針が綺麗に並んでいる。折れることもなければ、無くなってしまっていることもない。
幸が大切に、丁寧に扱ってきたことがよくわかる。一本一本を愛おしみながら手に取ってきたのだ。
「ゆっきー、色んなもの作ってくれたよねん。衣装ちょっとほつれちゃった時とか、ぱぱって直してくれて魔法みたいって思ったよん」
幸がソーイングセットを開けば、あらゆる全ては素敵なものに形を変えていく。針と糸で紡がれる魔法を、MANKAIカンパニーのメンバーはみんな知っている。
「これはみんなさ、ゆっきーの最強の相棒だよねん」
いつだって幸と共にあって、幸の力になってくれた。幸の思い描いた世界を形に変えてきてくれたものだなんてこと、幸自身が何よりも強く知っている。
それでも重ねてしまうものが、思い浮かんでしまうものがある。ままらない心を、誰より理解しているのも幸だった。
「ねえ、ゆっきー」
やさしい声で、一成が名前を呼んだ。ソーイングセットに向けていた視線を幸へ向ける。明るいだけではない笑みを浮かべて、何だかひどく大人びた顔をして。
夏組の最年長として、両腕を広げて何もかもを抱きしめようとする時みたいな、そんな顔をして言葉を続けた。
「今ゆっきーが思い浮かべちゃうのはさ、きっとすごく嫌なものだと思うんだよねん」
具体的な言葉を口にすることを避けるような、曖昧な言い方だ。だけれど、何を指してのものなのか幸は当然理解している。
幸が思い浮かべるもの。血まみれの一成。血の海で物も言わず倒れている。二度と起き上がることもなければ、笑いかけてくれることもない。何もかもを赤く染めた姿。
「考えないようにとか、なかったことにしちゃうとか、思い浮かべないようするにとか、そういうのはたぶん難しいと思うんだ」
ゆっくりと、一成は言った。どうしたって思い浮かんでしまうものを消し去ることは容易ではない。考えるなと言い聞かせたところで、一度結びついたものは強固な鎖となってしまった。
一成はそれを理解しているから、忘れてしまえとは言わなかった。
思い浮かべてしまうことを、重ねてしまうことを否定しなかった。幸の心の動きは当然なのだという顔をして、丁寧に言葉を重ねる。忘れることも、考えないことも難しいとわかっている。
「だからさ、思い浮かべたらその数だけ、今のオレのこと思い出してよ」
穏やかな笑みを浮かべた一成は、真っ直ぐ幸を見つめて告げた。忘れることはできない。どうしたって頭に描かれる光景はある。無理に消すことができないなら、その分だけ思い出してほしい。
「ゆっきーの目の前で生きてるオレのこと、何回だって思い出してくれると嬉しいんだ。本当は全部書き換えられたらいいんだけど。難しいなら、ゆっきーが怖いこと思い出すたび、オレを呼んでよ」
言った一成は、ニードルセットから一本の針を取り出した。幸がよく使う長針だ。大事そうに指先でつまむと、何だか嬉しそうに笑った。
「ゆっきーの相棒とオレの組み合わせとかどう? めっちゃいい感じじゃね?」
いつもの軽口に似て、テンション高めに発せられた言葉。それがどんな意図を持っているのかくらい、幸にもわかる。
針やハサミを見ると思い出してしまうものがあって、なかったことにするのは難しい。それなら、新しい意味を与えようと一成は言うのだ。
血まみれの姿で横たわる一成ではなく、幸の大切な相棒を手にした姿を。
光を失った瞳で事切れた一成ではなく、きらきらとした笑みを浮かべる表情を。
針やハサミと共に思い出す記憶に、新しい景色を連れてくるのだ。
「てか、オレこういうソーイングセット的なやつ持ってないから、ゆっきーの借りてもいい感じ?」
思い出した、といった顔で一成が問いかける。幸は一瞬まばたきをしたあと、うっすら笑みを浮かべて答えた。呆れたような、仕方ない、みたいな顔で、だけれど端々に明るい響きをにじませて。
「持ってないなら貸してあげる」
「やっぴー! ありがとねん、ゆっきー!」
わかりやすく喜びを表す姿が嘘だとは思わない。だけれど、この一連の言動には一成の意志がにじんでいるのだろうと幸は気づいている。
幸からソーイングセットを借りて、確かにここで生きている一成が縫い物をする。ハサミを借りて、針と糸で幸のためのピンクッションを作る。
幸の目の前で、間違いようもなく呼吸をして心臓を動かして、手を動かして針と糸を操る。その様子を、何度だって幸に見せたいのだ。
ここで生きているのだと。幸の相棒とともに三好一成は生きているのだと、その事実を伝えたいのだ。
思い描く光景を全て消し去ることはできない。だけれどそれなら、と一成は決意した。
幸が思い出してしまうのなら、その数だけ今の自分を見せるのだ。幸の近くで、間違いもなく生きている。血まみれの姿ではなく、今ここにいるオレのことを何度だって見せて、幸の記憶に寄り添うのだ。
ハッキリとした言葉ではなくても、幸は確かにその決意を受け取っている。