ゼラニウムの咲く庭で




 葬儀の参列者は途切れることがなかった。一成の交友関係の広さを示すように、あとからあとから人が訪れる。大学関係はもちろん、高校時代の友人たち、イベントで交流のあった人々、はたまた演劇関係者まで、あらゆる人たちが一成の死を悼んだ。
 人数の多さからとても手が足りず、MANKAIカンパニーのメンバーも手伝いを申し出た。率先したのは夏組で、彼らは何かを振り払うように黙々と仕事をこなしていた。中でも天馬は、昨晩の通夜からほとんど休むことなく動いていて、監督たちにしきりに心配されていた。

 結局、今日の告別式でも朝から立ち回っていたようで、左京から強制的に休むよう言い渡されていた。天馬のことなので、大人しく従わない可能性もあった。しかし、天馬は周囲の人間が意外に思うほど、あっさりとうなずいた。
 一成の家族からの厚意で控室を使ってほしいと言われていたので、天馬はそこで休んでいるはずだった。
 焼香を終えた紬は、天馬のことを気にして控室へ向かった。
 夏組のフォローに回っている他のメンバーからも、天馬のことをよろしく頼むと言われていた。リーダーとしてよく話をしていたこと、何よりも紬自身が夏組の力になりたいと強い決意を抱えているとわかっていたからこそ、最適な人選だと判断されたのだろう。
 奥まった場所に位置する控室へ赴き、そっと扉を開いた。中はシンプルな作りになっていて、ソファとテーブルがぽつりと置かれている。天馬はそのソファに、ぼんやりとした様子で座っていた。

「……天馬くん」

 静かな調子で呼びかけると、天馬がゆっくりと振り向いた。落ち着いた調子で「紬さんか」とつぶやく。それをを受け止めた紬は天馬の近くに歩み寄り、対角線上にそっと座った。天馬は何か用事か、それとも人手が足りないのか、と尋ねるので首を振る。

「ううん。そういうわけじゃないんだ。夏組のみんなも、色々と手伝ってくれてるから」

 天馬ほどではないにしろ、夏組のメンバーもできることがあるなら、と仕事を引き受けていた。本当はそんなことをさせたくはなかったし、ゆっくり休んでいてほしいと告げたのだ。心を傷つけて、果てしない痛みを抱える彼らには、ただ静養が必要なはずだった。
 だけれど、夏組は誰もが首を振った。静かな目をして、どこか追い詰められたような雰囲気で、できることをやらせてほしい、と懇願するように言ったのだ。
 その様子に、カンパニーメンバーは察する。動かなければ、何かをしていなければ。きっとこのまま二度と立ち上がれない。わかっているから、今の彼らは目の前の仕事をこなすことに注力している。わかってしまえば、強く制止することなんてできなかった。
 天馬は紬の言葉に「そうか」とつぶやいた。小さな声はずいぶん穏やかだ。夏組の中でも、天馬と椋は他の3人に比べれば落ち着いているように見えた。
 ただ、それは無理をした結果であることは簡単に想像がつく。だから、椋のことは常に十座が気にかけていたし、天馬に関しては紬以外に万里や咲也などが気を配っている。

「天馬くん、あんまり休んでないよね。少し横になったらどうかな」

 いつもと変わらない口調で、紬は声を掛ける。天馬が昨晩からほとんど休んでいないことは、カンパニー全員が知っている。過酷なスケジュールをこなすことが常なのであまり眠らなくても平気なんだ、なんて言っていたけれどそれを良しとできるはずがない。
 精神的に無理している現状なのだ。せめて、身体的な休養は必要だろう。眠らなくても、横になるだけでも違うはずだ。

「いや。特に疲れてないから平気だ」

 天馬は紬の言葉に「ありがとう」と返してから、淡々とした調子でそう続けた。実際、目の前の天馬は真っ直ぐと前を見つめていて、特に憔悴した雰囲気はなかった。
 ああ、そういえばカズくんが「テンテンって、マジで疲れが顔に出ないタイプなんだよね~」と言っていたな、と思い出して、紬の胸はひどく痛んだ。
 ここにはいないたった一人の不在を、どうしようもなく思い知る。同時に、天馬がいつも通りの顔をしている事実が紬には苦しくて仕方ない。天馬は全ての痛みや苦しみも、自分の内側に閉じ込めてしまっているのだと思った。
 それは恐らく、天馬が夏組リーダーとしての自分を保っていなくてはならないと思っているからだ、と紬は考えていた。
 天馬は責任感が強くて、仲間思いだ。芝居でも私生活でも、夏組を引っ張っていくのは自分の役目だと思っているし、いつだって夏組の力になろうとしている。そんな天馬だからこそ、今のこの酷い現実を前にしても、夏組を支えなければならないと思っているのだろう。
 だから、そんな自分が弱音を吐けるわけがないと思っていてもおかしくない。悲しみも苦しみも、全ては自分だけで処理して、辛い現実を前にして崩れ落ちそうな夏組の彼らを助けなければと。それこそが自分の役目だと思っているから、こんなにも落ち着いているのだと紬は思った。

「疲れを自覚していない時のほうが、疲れがたまってることもあるからね。疲れてなくても、休むことは必要だよ」

 心からの労りを込めて言うと、天馬が小さくまばたきをした。それから、不思議そうな雰囲気をたたえて、思わずといった調子で言葉をこぼす。

「一成みたいなことを言うんだな」

 唇から落ちた声は、とても穏やかだった。どんな激情も悲しみも宿らない。どこか安寧すら感じさせる声に、紬はぎくりと体を強張らせた。だって今、天馬の口から告げられる声は、あまりにも起伏がない。今この場で発せられるにしてはのっぺりしすぎていて、異質さを際立たせる。
 ただの世間話ではないのだ。今、天馬が口にしたのは一成の名前だ。それなのに、どうしてこんな響きをしているのか。失ってしまった大事な人の名前を口にするのに、どこまでも平坦な、凪のような声なんて。
 紬は思わず天馬の顔を見つめた。
 天馬はただ静かに、視線を前へ向けている。落ち着いていなくてはと、己の内側に感情の全てを閉じ込めて、リーダーとしての顔をしていようとしているのだと思った。だからこそ、こんなにも落ち着き払って、取り乱すこともないのだと。
 だけれど、天馬の顔をあらためて見つめた紬は悟った。浮かぶ表情、発せられる声、向かうまなざし。一つ一つを注視して、理解する。
 違う。落ち着いているんじゃない。これは、感情が動いていないだけだ。
 天馬は思っていることが表に出やすい。喜怒哀楽が豊かで、一成を筆頭とした夏組メンバーにしょっちゅうからかわれていたし、それは彼の愛すべきチャームポイントだ。楽しい時は笑顔を浮かべて、腹が立てば素直に怒り、悔しい時は強い光を瞳に宿して何度だって挑む。
 しかし、心の動きをあざやかに描き出して、生き生きと躍動する天馬はここにいない。落ち着いたように見える目には、どんな光も宿っていなかった。パープルの瞳はただしんとして、まるで何も映していないようだった。

「どうしてだろうな」

 ぽつり、と天馬は言葉をこぼした。疑問の形ではあるけれど、紬に向かって尋ねているわけではなさそうだった。ただ遠くを見つめるまなざしで、天馬は言う。

「一成がいないんだ」

 悲しみや痛みの宿る声ではなかった。ただ淡々としていて、その事実が紬の胸をざわつかせる。失ってしまった大切な人。その名前を口にするのに、どうしようもない不在を言葉にするのに、どんな痛みもない声をしている。その異常さを紬は痛いほど感じている。

「どうして、一成がいないんだろう」

 ぼんやりとした調子で、天馬はただ言葉を吐き出す。それは単なる音の羅列のように空虚で、紬はどんな言葉を返したらいいのかわからない。
 天馬は事実を理解していないわけではないのだ。一成がこの世界のどこにもない。その現実を正しく受け取っているからこそ、その不在を「どうして」と問いかける。どうして一成がいなくなってしまったのか。どうして自分たちの前からいなくなってしまったのか。どうして、どこを探したって一成がいないのか。
 誰にも答えられない問いを、ただ天馬は繰り返す。静かな口調で、どんな心の動きも感じられない声で。受け入れがたい現実を前にして、言葉だけがこぼれていく。
 どうして一成はいないんだろう。どうしてもう二度と笑ってくれないんだろう。名前を呼んでくれないんだろう。どうして、一成がいないんだろう。
 ぼんやりと紡がれる言葉は平坦で、どんな意志も感情も宿っていなかった。
 いつだって、強い決意で夏組を引っ張ってきた天馬が口にしたとは思えないくらい。どこまでも真っ直ぐに、生き生きとした心とあざやかな意志で、いつだって駆け抜けてきた天馬の言葉だとは思えないくらい。ただ空虚に声が響いて、紬は絶望的な気持ちになる。
 大きな穴が空いてしまったのだ、と悟る。天馬に宿っていたはずの意志だとか、決意だとか、そういうものがみんな流れ出してしまうくらい。あんなにもあざやかに天馬を彩っていた感情の全てさえ、飲み込まれてしまうくらい。
 何かをしたいと思う。できることがあれば、いくらだって力になりたいと思っている。だけれど、一体何ができるのか、紬にはわからない。だって、一成を失って穿たれた穴をふさぐことなんか、誰にもできない。