楽園プレゼンテーション
万里の持っている雑誌を借りたい、と天馬が104号室を訪れた。電子書籍も活用しているけれど、雑誌は紙媒体で購入することもある。読み物としての側面以外に、大学の課題では案外紙のほうが重宝するからだ。
部屋には万里しかおらず、天馬はわずかに「あれ」といった表情を浮かべる。しかし、十座が、椋・九門と共に実家へ帰っていることを思い出したのだろう。すぐに普段通りの顔になると「役作りの一環で、コーディネートを考えたいんだ」と言う。
「普段の天馬らしい感じじゃねぇってことか」
「そうだな。ファッションセンスがあるというか、わりと独特な感性してるイメージだ」
「――ってことは、この辺か」
参考になりそうな雑誌をピックアップして、共有スペースのテーブルへと積んでいく。天馬は「ありがとな、万里さん。助かる」と言って手に取り、内容を吟味している。
椅子に座り直した万里は「おう」と答えつつ、真剣な顔で雑誌を選ぶ天馬の横顔を見ていた。
特に深い意味はなかったけれど、天馬の顔を眺めている内に自然と思い浮かんだのは、数日前の一成との会話だった。散々天馬とのあれこれを聞かされたおかげで、恐らく勝手に連想が働いたのだろう。
一成は「天馬が手を出してくれない」としきりに悩んでいた。万里からすればあれは悩み相談ではなく惚気だし、一体何を聞かされたんだ……と未だに思っている。
ただ、一成が真剣であることだけは痛いほどに感じていた。万里をからかっているわけでもなければ、面白い冗談を言っているつもりは微塵もなく、至って真剣に、それはもう深刻に悩んでいたのだ。
一成は、一通り話を聞いてくれたことに対して「ありがとねん」と言ってはいたものの、問題が解決したわけではないことも事実だった。
つまり、と万里は思う。
現状が変わらなければ、いずれまた一成から相談(という名の惚気話)をされる可能性が高い。
それに思い至った万里は、心の底から「面倒くせぇ……」と思い、同時に自分の行動を即決した。現状が変わらないのなら、さっさと変えてしまえばいいのだ。
「天馬、お前一成とセックスしたくねぇの?」
聞いた瞬間、天馬が持っていた雑誌を床に落とした。ばさばさと落ちていく雑誌に、ちゃんと聞こえてたみたいだな、と万里は判断する。まあ、聞き間違いを許さないレベルで、きっぱり口にしたのでそれも当然だ。
天馬は顔を真っ赤にして、パクパク口を開けている。それから、絞り出すような声で叫ぶ。
「なっ、なに言って、万里さん!?」
わたわたと慌てる天馬は、落とした雑誌に気づいたらしい。動揺しながらも雑誌を拾い集めているけれど、よっぽど気が動転しているのかさっきから何度も床に落としている。
壊れた玩具のような動きに万里は内心で笑いつつ、さらに問いを重ねた。別に、天馬の反応を見たくてこんなことを質問しているわけではない。
「付き合ってからだいぶ経つのに、何もしてねぇだろ」
恐らく普段の天馬であれば、「どうして万里がそんなことを知っているのか」と思ったかもしれない。しかし、今の天馬はそれどころではなかったので、尋ね返すことはしなかった。まあ、聞かれたところで「お前の恋人が事細かく教えてくれた」以外の答えはないのだけれど。
天馬は多少落ち着きを取り戻したのか、散らばった雑誌を抱え直すとテーブルの上に置き直した。それから万里へ向き直った顔は、何だか今にも泣き出しそうだった。
恥ずかしさや照れだとか、そういうものもあるだろうけれど、それよりもっと純粋に、盛大に心の内に嵐が吹き荒れているようなそんな顔だ。
万里はそんな天馬へ、真っ直ぐ視線を返した。
天馬の反応は面白いので、からかい甲斐があるのは事実だ。ただ、今回はそういうわけではなく、現状を打破するために必要と判断しての行動だ。だからこそ、言うべきことは決まっていた。
「まあ、お前がしたくないっつーなら、無理にするもんでもないけどな」
落ち着いて告げるのは、天馬は一成との性行為を望んでいないことを前提とした言葉だ。現状だけを見れば、その考えもあながち間違ってはいないと言える。ただ、万里にとってこの言葉は、否定されることを想定したものだった。
一成は何だかんだと悩んでいたけれど、天馬のことだ。好きな相手に触れたいだとか抱きたいだとか、思っていないはずがないと万里はほとんど確信している。だから、一成のことが大切で、大好きで仕方ないという天馬であれば、嘘でも「したくない」なんて言えるはずがないと予想していた。
「……そういうわけじゃない」
案の定、天馬は小さな声でぼそりと答えた。明確な欲求を口にできるような人間ではないことは知っていた。だから、この控えめとも言える否定はそれだけで充分な答えだ。
本当に望んでいないなら、天馬はきっぱり否定する。そうではない時点で、天馬の内にはきちんと一成への欲求が育っているのだ。
ったく、やっぱり一成が悩む必要ねぇだろ。万里は内心でそう思いつつ、口を開いた。
「ならさっさと手ぇ出せよ。その内一成が痺れ切らすぞ」
というか、すでに痺れを切らしている気はする。だから俺が巻き込まれてるわけで。
これ以上、害を被らなくていいように発破をかける意味で告げると、天馬がきゅっと眉を寄せた。泣き出しそう、というよりどこまでも真剣な顔だった。何かを思いつめるような。照れだとかそういう類の表情でないことはわかった。
天馬はいくらかの逡巡のあと、何かを決心した表情で口を開いた。重々しい声で、ゆっくりと言う。
「――万里さん。男同士って、その、どうやってするか知ってるか」
天馬の口から飛び出した言葉に、少なからず万里は面食らった。話の流れから考えれば至って自然とも言える内容ではあるけれど、天馬から具体的な話が出てくるとは思わなかったからだ。
天馬とて一般的な青年同様に性欲を持っていることは、話の端々から察していた。ただ、そういうことを直接口にすることをためらう純粋なところがあるから、まさかこんな話を振られるとは思っていなかったのだ。
「まあ、全くの無知ではねーけど」
面食らいつつも、ひとまずそう返す。
カンパニーではあまりそういう話はしないけれど、万里の人脈もなかなか多岐に渡るので該当するジャンルにも知り合いはいる。
加えて、万里自身どんな知識も情報も貪欲に吸収する性質なので、純粋に知識としての蓄えはあった。もっとも、特段必要な情報ではなかったので詳細についてはよくわからない、というのが現状だ。
天馬は「そうか」とうなずいて、何かを納得した顔をしている。まったく知らないわけではない、ということで言いたいことは伝わると踏んだのだろう。
パープルの瞳が万里を射抜く。年下の純粋な青年でもなければ、舞台照明の下で圧倒的な演技力を披露する役者でもない。強い意志と決意を秘めて、たった一人と生きていくのだと告げた時のような。皇天馬という一個人が心を広げて見せるような、そんな声で天馬は言った。
「一成を傷つけたくないんだ」
唇から落ちる言葉は、静かに万里の耳へと届いた。平淡にも思えるほど静かな、情熱の欠片もないような声だ。しかし、万里は理解している。これは、どうしようもないほど切実な天馬の決意だ。
天馬は同じ温度で言葉を続ける。腹をくくったような表情で淡々と、オレは一成を抱きたいと思ってる、と言う。ためらいや照れは一切なくその事実を認めた上で、「だけど」と言葉を重ねた。
「一成の負担が大きすぎる。一成はきっと、オレが望めばいいよってうなずいてくれるだろ。でも、一成が傷つくなら、負担になるなら、それを選べない。選んじゃだめなんだ」
自分の心を握りしめるように告げられた言葉に、万里の頭には今までの光景がよみがえる。一成を傷つけたくない。それは、天馬にとっては決して覆ることのない、揺るぎのない決意なのだろう。
万里は、天馬がどれほどまでに一成を大切にしているのかをよく知っている。今まで過ごした日々の数々が、これでもかというほど告げているのだから。
一成が通り魔事件の目撃者になって、いつも通りの日常は唐突に崩れた。一成はいつもの笑顔を浮かべて明るく笑っていたけれど、どこかぎこちなさは拭えなかった。
危険が迫る可能性が高いということもあり、一成を一人にさせないようにと誰もが気にかけていた。中でも、夏組や天馬の決意は確かなもので、どこへ行くにも必ず一緒に行動するようになった。
そのおかげだったのだろう。
一成が通り魔事件の犯人である警官に襲われた時、天馬が路地裏に姿を現したことで、決定的な事態は避けることができた。
あとから聞いた話では、あそこで一成が一人きりだったなら、そのまま命を奪われていた可能性もあったという。一成が永遠に帰らなかったかもしれない、という言葉にカンパニーの人間は心底ぞっとした。
夏組や天馬も、それをよく知っているはずだ。緊急手術のあと、一成は入院を余儀なくされた。カンパニーのメンバーも時間を見つけては見舞いに行っていたけれど、夏組の比ではなかった。
病院に泊まっているのではないか、というレベルで通い詰めていたし、それは天馬も同じだった。
夏組の中でも最も多忙で時間を取れないのが天馬である。しかし、一体どうやって時間を作っているのか天馬は足しげく見舞いに通っていた。万里が行く時は大体いつも天馬もいたし、一成に対して無理をするなと言って、あれこれ世話を焼いていた。
それは退院してからも変わらなかった。
刺されたという現実があるからこそ、一成の体調には殊の外気を配っていたし、少しでも異変があればすぐに駆けつける。別荘で天馬が襲われるという事件があって以降は、ますますその傾向は強くなったようだ。
一成を抱きしめて、大切なのだと心から伝える。これ以上、理不尽に傷つけられることがないよう、手のひらで包み込んで、そっと守っていこうとするようだった。
だけれど、それから何が起きたのか。
一成は通り魔事件の犯人に襲われた記憶を唐突によみがえらせて、恐怖に震えることになった。心に負った傷は深く、いつも通りの日常はいともたやすく崩れ去ったのだ。
夜に怯えて、ざわめく木々の音に恐慌を来たす姿を忘れることなどできないだろう。いつだって明るくて光を連れてきてくれる。楽しいことを掲げてぴかぴかと笑っていてくれる。そんな一成が、笑顔を浮かべることもなく恐怖に体を震わせる様子に、カンパニーの誰もが心を痛めて、己のできることで力になろうと誓ったのだ。
それは目の前も天馬も同じだった、と思って万里は思い直す。違う。俺たちより、もっと切実な決意だった。
リーダー会議で事の仔細を説明した時、天馬は言っていた。燃えるような目で、いっそ何かに挑みかかるような雰囲気で、「一成がこれ以上傷つくのが許せない」と。
あれは天馬の、揺るぎない決意だった。一成が理不尽な暴力に巻き込まれて、やわらかな心を蹂躙された時から、天馬は決めてしまったのだ。
一成を傷つけたくない。一成が苦しむことなんて、一つだって選ばない。選びたくない。一成にはもう二度と、辛い思いをさせたくない。
天馬は心の全てで「一成を大事にしたい」と思っている。だからこそ、天馬が告げた言葉の意味を万里は理解している。
天馬は一成のことを抱きたいのだと言う。つまり、一成に天馬を受け入れてほしいと望んでいるのだろうし、一成は恐らく天馬の望みであればうなずくだろう。一成とはそういう人間だし、天馬の予想は間違っていないはずだ。
ただ、その場合一成の体への負担はだいぶ大きくなる。具体的な詳細までは知らなくとも、一般的な知識レベルでも受け入れる側の負担が決して軽くないことは、万里とて知っている。
恐らく天馬は万里よりも詳細を知識として理解している。一成に強いなければならない負担を知ってしまえば、もうその選択肢は取れないのだ。
いくら心から互いを想い合っているとしたって、体の器官や構造は変わらない。受け入れることを前提とした作りはしていないのだから、大きな負担をかけることは紛れもない事実だ。だからこそ、「一成を傷つけたくない」と言う天馬はそれを選べない。
一成が苦しい思いをする行為なんて、望んでいいはずがないと信じている。だから、天馬は自分の欲求を知りながら、それを封じ込めることを本気で決意しているのだと思った。
思ったのだけれど。
その張本人、「手を出してくれない」って俺のこと巻き込んでるからな!?
内心で思わず突っ込んだ万里は、ポケットにねじ込んでいたスマートフォンを取り出して手早く操作する。
一成のことだ、天馬から抱きたい云々言われてる時点で、何が必要だとか己のすべきことだとかを調べ上げているに違いない。その上で手を出してほしいと思っているということは、天馬が恐れる諸々の行為だって全て受け入れるつもりなのだ。
だから、天馬がさっさと覚悟を決めて、一成にその辺を伝えれば万事解決するに違いない。
「天馬、お前ちょっと来い」
必要な連絡を素早く取った万里は、椅子から立ち上がる。天馬の腕を取ると、104号室を出て目的地へ向かう。天馬は目を白黒させながら「どこ行くんだ」と尋ねるけれど、答えるよりも先に目指す部屋に到着した。行き先は一つ。一成のいる202号室だ。
ノックもしないで扉を開け放てば、椅子に座った一成がこちらを振り向く。「どしたの?」と言いながら近寄ってくるものの、特に驚いている様子はない。さっき、部屋にいるかどうか確認メッセージを送ったので、来訪は予想していたのだろう。
万里は何も言わず、腕を掴んでいた天馬を部屋へ押し込む。行動の意味がわからないのか「万里さん?」とか何とか言っているけれど無視した。
同室の椋が、十座や九門と一緒に出かけていることは知っているから、しばらく邪魔は入らないはずだった。万里は目の前の二人に向かって、きっぱりと言う。
「一成、天馬は今でもお前とセックスしたいんだとよ。天馬、お前はいい加減覚悟しろ。んで、二人でちゃんと話し合え」
そして二度と俺を巻き込むな。
最後の言葉は一応飲み込んで告げると、一成が「は!?」という顔をしていて、天馬は顔を真っ赤にして固まっている。しかし万里は当然それに構うことなく、問答無用で扉を閉めて202号室をあとにした。