0センチの幸福




 雑誌の撮影場所は、都内のプラネタリウムだった。オープンしたばかりだけれど、プログラムも趣向を凝らしたものが多く、関連のカフェやショップには見栄えの良いオリジナル商品が多数用意されている。取り上げるメディアが増えれば、瞬く間に話題になることは間違いないだろう。
 誌面の構成としては、天馬のインタビュー内容とともにプラネタリウムで撮影した写真が使われて、それ以外にプラネタリウム自体を天馬が紹介する、という形を取っている。インタビューはすでに終えており、プラネタリウムを体験する様子と、必要な写真を撮ることが今日のスケジュールだった。
 一日がかりの仕事になることを想定していたけれど、思いの外撮影は順調に進んだ。
 周囲が予想していたよりも天馬が天体関係に詳しかったこともあり、夕方には全ての撮影が終了するだろうと目算が出たところで、天馬は一成に連絡を取った。この調子なら、外で夕食を食べる時間が確保できる。それなら、一成と一緒にどこかへ行きたいと思ったのだ。
 寮内では毎日顔を合わせているし、時間を見つけては二人きりになっている。だけれど、春休みに入って以降ほとんど仕事で出掛けているので、二人でどこかへ行く時間が取れていないことを、天馬は気にしていた。一成のことなので仕事であることは理解しているからワガママは言わないだろうけれど、それは我慢していないことと同義ではないのだ。
 それに、恋人同士としてデートらしいことをしたいという気持ちは天馬だって持っているから、時間が取れたことを幸いと、天馬は「今から出てこられないか?」とメッセージを送った。一成からはすぐに了承が返ってきたから、ちゃんとデートができる。その事実に天馬の心は浮き立って、残りの撮影にも意気揚々と臨むことができたのだ。


 全ての撮影がスムーズに終わり、カメラマンや雑誌スタッフは早々に解散した。天馬もすぐに移動しようと、予告の流れるプラネタリウムを横目に出入り口へ向かったのだけれど。
 天馬が辿り着くより先に、外側から扉が開いた。
 外で待っていた井川か、それともプラネタリウムのスタッフだろうか、と思った天馬は入ってきた人物に目をまたたかせた。勢いよく飛び込んできて、突進するように抱きついてきたあざやかな金髪。天馬が見間違えることのないたった一人。

「一成!?」
「テンテン、お待たせ!」

 一成の体を受け止めつつ、思わず名前を呼べば一成は嬉しそうに答えた。薄らとした明かりだけのプラネタリウム内でもはっきりわかるほど、きらきらとした笑顔を浮かべている。

「いや、全然待ってない。というか、お前早くないか?」

 撮影が終わる前に連絡したとは言え、撮影自体はスムーズだったのであまり時間はかかっていない。確かにカンパニーも都内にはあるし、移動時間はそう要らないのかもしれないけれど、それにしたってずいぶんと早い。

「テンテンに会いたくて、めっちゃ急いで来ちゃった」

 体を離した一成は照れくさそうに頬を染めてそんなことを言う。真正面からそれを受け取った天馬も、同じように頬を染めてしまうのは仕方ないだろう。早く会いたかっただなんて、そんなのは天馬も同じなのだから。

「本当は下で待ってようと思ったんだけど、一応いがっちに伝えとこうかなって連絡したら、プラネタリウムまで連れてきてくれたんだよねん」

 どうやら井川が気を利かせてくれたらしい、と察して天馬は自分のマネージャーの有能さに心から感謝した。
 井川にはまだ正式に恋人同士として付き合っている、という話はしていないけれど薄々感づいてはいるのだろう。今までの天馬の態度は、一成が大切であることを一切隠していないので気づいていてもおかしくはない。

「ここのプラネタリウム、オープンした時から気になってたんだよねん。内装とかも宇宙旅行って感じで凝ってるし、ショップもテンアゲなアイテムばっかだし、カフェも宇宙デザインのフードとドリンクめちゃかわじゃん!?」

 テンション高めの一成は、流行に敏感だし写真映りの良さそうなものについては詳しい。天馬の雑誌撮影場所ということに関わらず、以前から存在は知っていたらしい。

「オレは今回仕事で初めて来たけど、一成が好きそうだと思ってた」

 仕事の依頼としてプラネタリウムの概要を見た時、素直にそう思ったのだ。元々プラネタリウムということで、星の好きな一成は喜ぶだろうなと思ったのだけれど、詳細を知れば知るほど一成の好きなものを詰め込んだような場所だと思ったのだ。

「それに、今度南半球の星をテーマにしたプログラムやるって聞いた。だからその時は一緒に行こうって誘おうと思ってたんだ」

 言いながら、真っ直ぐと一成を見つめた。現在上映中のプログラムは当然把握しているけれど、これから上映を控えている作品についても説明は受けていた。その中にはニュージーランドを中心として、南半球の星をテーマにした作品もあったのだ。
 日本では見ることのできない南半球の星座を見たい、と言っていた一成のことを当然天馬は覚えていた。だから、今度一成と一緒にここへ来ようと思っていたのだ。
 一成は天馬の言葉に、数度まばたきを繰り返した。それから、花が開くようにあざやかな笑みを浮かべる。一成の言葉を覚えていてくれたこと。当然のように一緒に星を見ようと思ってくれたこと。それら全てが幸福で、一成の胸に途方もない喜びを連れてきたからだ。
 一方の天馬は、あまりにも綺麗に一成が笑うものだから、心臓が有り得ないほどの速さで鼓動を刻んでいた。元々笑顔を絶やさない人物ではあるけれど、自分の前でだけ浮かべる笑みがあることを、天馬はよく知っている。いつだってその笑みは天馬の心を幸福にかき乱すのだ。

「うん。テンテンと一緒に見られたらめっちゃ嬉しい。絶対来ようね」
「ああ。でも、いつか本物も見に行くからな」
「りょっす!」

 やわらかな笑みを浮かべた一成と、一緒にプラネタリウムへ行こうという約束を交わす。ただ、天馬としては本物の星座を見せてやりたいという気持ちもあったので、そう付け加える。
 きっと一成は、二つの星空を心から楽しんでくれるとわかっていた。だからそれなら、プラネタリウムも実際の星空も見せたかった。楽しいことや嬉しいことなら、何倍にだってしてやりたい。一成にはたくさん笑っていてほしいのだ。
 自分の決意をなぞった天馬は、それから思い出したように口を開く。一成が来てくれたのは二人でデートをするためで、夕食を一緒に食べようと話をしていたからだ。希望があれば叶えてやりたい。

「一成、何か食べたいものとかあるか。ここから行けそうな店――いや、その前に井川に連絡か」

 すっかり失念していたけれど、一成と無事に落ち合えたことを伝える必要があるだろう、というわけでポケットからスマートフォンを取り出した。
 しかし、井川へ連絡をしようとした天馬は途中で手を止めた。スマートフォンにはすでに井川から連絡が来ていたからだ。内容は、プラネタリウム側の厚意を告げるものだった。
 天馬は一成へ向き直ると、ゆっくり口を開く。

「井川から話は聞いてるかもしれないけど、今日は一日プラネタリウムが貸し切りなんだ。だから、お前が良ければここでもう少しゆっくりできる」

 元々貸し切りの予定だったのだ。撮影がスムーズに終わったので、約束の時間まではまだ余裕がある。もしも良ければそのままゆっくり過ごしてくれて構わない、とスタッフが伝えてくれたらしい。
 井川がそれを天馬に伝えたのは、多忙な天馬に休んでもらいたいという気遣いと、一成との時間を過ごしたいと思っているだろうな、と予想したからだろう。つくづく優秀なマネージャーである。
 一成は天馬の言葉に目をまたたかせてから、嬉しそうに顔を輝かせた。
 さすがにプログラムの上映はないけれど、プラネタリウムでは現在上映中のプログラムのCMや今後上映予定のプログラム予告がスクリーンには映っており、雰囲気のいい曲も流れている。
 それに、誰もいないプラネタリウム、という空間自体が特別で、ここにいるだけでも何だかウキウキしてくるのだ。そんな場所に天馬と二人でいられる、というのは一成を喜ばせるに充分だった。

「夕飯までだから、そんなに長い時間はいられないけどな。ゆっくりはできるだろ」
「え、それじゃ、あっちの特別シートとか座ってもいいやつ?」

 嬉々として指差すのは、プラネタリウム後方に設置されたソファシートだった。広々とした円形で、二人が並んで座れるようになっている。ペアシートと呼ばれるもので、カップルでの利用が多い席であることは天馬も何となく知っていた。
 実際に二人でプラネタリウムへ来たとして、ペアシートに座ることはないだろう。MANKAIカンパニーのメンバーには報告したし、井川も恐らく察してはいる。
 それでも、芸能人皇天馬として一成との交際を大々的に知らせた場合、付いて回る困難が多すぎる。だから、大事な人には報告するけれど、世間一般には隠しておこう、ということは二人で決めた。
 今度一緒にこのプラネタリウムへ来た時、二人はあくまで友達の顔をしている。一成が好きそうな場所であることは事実だし、天馬と一成がMANKAIカンパニーに所属しており、夏組としての親交が深いことは知られているから、よっぽど決定的なことをしない限り、単なる友達として扱われることはわかっていた。

「ああ。今なら誰もいないしな」

 天馬はきっぱりと答えて、プラネタリウム後方へと足を進めた。一成のことが大切で一生大事にすると誓っている。だけれど、どうしたって隠しておかなくてはならない場面があることを、天馬はよく知っている。
 だから、今だけは。誰の目もないこの場所でだけできることがあるなら、何だってしてやりたい。その気持ちを、一成はきちんと受け取ってくれる。嬉しそうにうなずいて、天馬のあとをついてくる。

「うわ、めっちゃふかふかなんだけど!」

 シートに座った一成は、思わずといった調子で感嘆の声を上げた。シートは手触りも良く、体を包み込んでくれるようだった。隣に座る天馬も「すごいな」とつぶやけば、嬉しそうに一成が笑っている。自然に手をつないだ二人は、音楽の流れるプラネタリウムでささやかな会話を交わす。
 何のプログラムも流れていないけれど、二人で手をつないでいられることが嬉しかった。
 実際のプラネタリウムでは、貸し切りにでもしない限り必ず人の目がある。そんな場所で手をつないで、ペアシートに座っていれば、恋人同士だと宣言するようなものだ。
 それを選ばないと二人は決めたから、これは今この時にしかできないことなのだとわかっていた。だから、一分一秒の全てを確かめるように、ただ時間を過ごしている。

「あ、これテンテンが言ってたやつ?」

 ゆったりと座った二人の前で、次回上映予定のプログラム予告が流れる。南半球の星をテーマとして、ニュージーランドのテカポ湖を中心にオーストラリアやナミビアの星空が紹介されていた。

「めっちゃ綺麗~。すげー楽しみ!」

 真っ直ぐと映像を見つめる一成の横顔を、天馬は見つめる。瞳にきらきらと光が散っていて、予告で流れる星空に勝るとも劣らない。
 むしろ、満天の星空もかすみそうだよな、と思っている自分に気づいて天馬は苦笑を浮かべるしかなかった。紛れもない本音だけれど、一成に対する自分の感情の大きさを自覚したからだ。もっとも、何一つ悪いことはないと思っているけれど。

「ニュージーランドって言ったらやっぱラムじゃね? テンテン、ラム肉食べたことある?」

 そういえば、といった顔で一成が言うのは、どうやら今日の夕食を念頭に置いてのものらしかった。天馬が「何か食べたいものはあるか」と聞いたことを覚えていたのだろう。

「昔食べたことがある気はする……でもあんまり覚えてないな」
「だよねん。オレも、結構曖昧な感じ~」

 鶏肉や豚肉、牛肉と違ってあまり馴染みがないのでそれも当然だろう。一成はのんびりと「さすがに寮でも出てこないしねん」と続けた。
 基本的に、寮で出てくる肉と言えば鶏肉と豚肉がメインで、誰かの差し入れだとか特売品だとかで時々牛肉が並ぶ。ラム料理にでも臣が目覚めれば、寮の献立に追加されるかもしれないけれど、今のところその可能性は低かった。

「何か肉料理の気分かも。てか、今日のメニュー聞いて来ればよかった~。出掛ける時、おみみに会ったんだけど、夕飯は要らないよんって話しかしてないんだよねん」

 一刻も早く天馬のところに行きたくて、それだけを告げて玄関を飛び出したのだ。だけれど、メニューを聞いておけば天馬との夕食の判断材料になったのにな、と今になって気づいた次第である。

「あ、テンテンとデートってことはばっちり宣言してきたけど!」

 誇らしそうな笑みとともに、一成はきっぱりと言った。何かとても大事なことを告げる雰囲気に天馬は思わず笑みを浮かべた。
 きっと、それを聞いた臣は朗らかに送り出してくれただろう、と天馬は思う。二人が交際していることを、MANKAIカンパニーのメンバーは当然のように受け入れてくれた。だから、天馬とデートに行くのだという事実を一成は一切隠す必要がない。
 外に出たら、誰もいない場所でしかこんな風に手はつなげないけれど、MANKAIカンパニーであれば、ただありのままに事実を告げられる。我慢させることなく、心を取り出して伝えてもいい場所があることが、天馬には嬉しかった。

「てか、そろそろいい時間じゃね」

 はた、と気づいた顔で一成が言う。誰もいない場所ですっかりリラックスしていたから、ずいぶんと時間が経っている。混む前に店へ行くとしたら、そろそろ移動したほうがいいかもしれない。
「そうだな」と答えると、楽しそうに「テンテン、肉系でおけまる?」と尋ねるのでこくりとうなずく。この辺りの店をピックアップするのだろう。
 一成は「いい感じのお店あるかな~」と言いながら、ポケットにねじ込んでいたスマートフォンを取り出した。そのまま、慣れた手つきで操作しようとした時だ。一成の手からスマートフォンが滑り落ちて、プラネタリウムの床を滑っていった。
 カーペット敷きの床なので傷ついてはいないだろうけれど、一成が慌てて立ち上がる。自然と天馬も続いたのは、薄暗いプラネタリウムでは物を探すのが難しいだろうと思ったからだ。
 案の定「あれ?どこ行ったんだろ」と言っているので、天馬は自分のスマートフォンで一成の電話を呼び出してやる。上映中なら言語道断の行為だけれど、今はプログラムも流れていないし、自分たちだけしかいないので問題ないと判断したのだ。
 一成はマナーモードに設定していたようで、着信音は鳴らない。しかし、画面が明るく光るので所在地はすぐにわかった。床に傾斜がついているからなのか、ペアシートの前方、一般席までスマートフォンは滑っていったらしい。
 明かりを頼りに、天馬はシートの背後に屈みこむ。一成もすぐに気がついたようで、「テンテン、めんご~」と言いながら近寄ってきた。見慣れたスマートフォンを拾ってやり、隣にしゃがみ込んだ一成へ渡してやろうと体の向きを変えた天馬は、しかしそこで固まった。
 スマートフォンの所在を確認しようとしたのか。同じシートをのぞきこむようにして、天馬の隣にしゃがみ込んだ一成の顔が、思ったよりも近かった。
 薄暗いプラネタリウムでも、緑色の瞳の輝きがしかとわかる。震える睫毛の一本まで鮮明に視界へ飛び込み、薄く開いた唇からこぼれる吐息さえ感じられる距離だった。
 ここには二人以外の誰もいない。万が一誰かが入ってきたとしても、シートの背後に屈んでいるから、背もたれに隠れて二人の姿は見えないだろう。
 折しも、スクリーンで流れているのはロマンチックな伝説を持つ星座のプログラム予告で、雰囲気たっぷりの音楽が流れている。
 もしも今これが映画であれば、最高潮の盛り上がりを見せる場面であることは違いなかった。二人しかいない場所で、誰の邪魔も入らない。適度な暗さと流れる音楽は、二人の気持ちを盛り上げるための格好のアイテムだ。
 それを理解しているのは、もちろん天馬だけではなかった。一成は一瞬だけびっくりしたような雰囲気を流したけれど、すぐに瞳には別の色が宿っていた。やわらかな、何もかもを包み込むような光ではない。もっと別の熱を潜ませた、濡れた瞳だ。
 恐らく自分も同じものが浮かんでいることくらい、天馬もわかっていた。だって、目の前の一成からどうしたって視線が外せない。こちらを見つめるまなざしや、吐息をこぼす桃色の唇が、天馬の視線を縫い止めて体温を上げていく。
 衝動が暴れていることを、天馬は自覚する。きっと一成だって同じ気持ちでていくれると思う。もしもここで手を伸ばしたなら一成は受け入れてくれるだろう。
 それはほとんど確信で、ためらう理由などないように思えた。一成、と名前を呼んだ気がした。それとも、声にはならなかったのだろうか。熱を帯びた思考回路で、天馬は固まった体に力を込める。腕を上げて、手を伸ばす。肩に手を置いて、瞳を見つめて、それから。
 渦巻く衝動を抱えながら、かろうじて働いている思考が導き出す答えに沿って、天馬の体が動く。しかし、一成に手を伸ばし、その肩に手を置こうとしたところで。天馬は、自分が一成のスマートフォンを持っていたままだったことに気づいて、動きを止めた。
 これをどうしたらいいのか、と思うのと同時に、どうやら一時撤退していた理性が舞い戻ってきたらしい。現在の状況と、自分の思考回路を認識した瞬間、天馬は勢いよく立ち上がった。
 一成からとっさに距離を取ると、大きく深呼吸する。それから、しゃがみ込んだままの一成に向けてスマートフォンを差し出した。

「ほら。気をつけろよ」

 どくどくと鳴る心臓の音を聞きながら、どうにかそれだけ言った。一成はぱっと笑顔を浮かべて「ありがとねん」と言ってスマートフォンを受け取ると、ゆっくり立ち上がる。
 天馬は忙しない鼓動を感じつつ、「いい時間だから、そろそろ出たほうがいいな」と続ける。ただ、何だかぶっきらぼうになってしまったような気がして、隣に立つ一成の頭を軽く撫でる。
 もっともすぐに離れると、慌てたようにきびすを返した。振り向くことなく、そのまま出口へ向かってしまうから、一成が一瞬だけ浮かべた表情は、天馬に届かなかった。