アラカルト・キス




―Scene:3―

 夏組名物、アドリブだらけの千秋楽。

 ただでさえ、日替わりネタとアドリブが多い公演だ。それが千秋楽ともなれば、いっそう熱が入るのも当然だろう。
 夏組の誰もが生き生きと、舞台の上で自由に台詞を口にする。お互いにそれを取りこぼすことなく拾い上げ、もらった熱にさらに温度を上げて返していく。
 まるで、最初から台本に書かれていたような自然さで、温度を上昇させながら最後の公演は進んでいく。

「すっげー盛り上がってんな」

 思わず、といった調子で万里の唇から声がこぼれた。
 ホテルの一室で、今度の舞台演出案をまとめるかたわら、夏組千秋楽配信を流している。実際見に行くことは難しかったけれど、配信を見る時間を取れたのは幸いだった。
 SNSでの様子も一緒に確認すれば、公式タグはもちろん、有志による非公式タグも相当の盛り上がりを見せていた。

 元々、発端となったストリートACTはSNSで大いに話題になった。だからなのか、本公演が始まる前から(夏組の宣伝効果もあって)SNS上ではずいぶんと夏組公演の話が多かった。
 特に、天馬と一成演じる恋人同士の二人を応援する声は多い。あのストリートACTを見守った、という意識があるからなのか、SNS上では特に彼ら二人に対しては言及が多いし、保護者のようなスタンスが散見される。
 そういうわけで、二人の出てくるシーンは特にSNSがにぎやかになる。

(ガチで恋人同士、なんて思ってねーだろうけど)

 MANKAIカンパニーのメンバーは、二人からこれから先の人生を共に歩むのだと、それを見守っていてほしいのだと告げられている。
 もちろん、それ以外の人間が二人の決意を知る由もないので、あくまでも天馬と一成は同じ夏組の一員であり友人でしかない。なので、二人のシーンが盛り上がるのは、あくまでも作中での恋人同士を応援しているからだ。
 わかっていても、何となく、実際に人生を共にすると決めた彼らが応援されているような心持ちになるのも事実だった。
 ひっそりと、誰に告げるでもなく育まれてきた関係なのだと知っている。知られぬよう、大切に守り育ててきた想い。
 露見してしまえば起きる事態を、聡い彼らは理解していたから、時には自分の心を殺しながら、たくさんの犠牲を払いながら関係を結んでいた。
 そんな二人が、たとえ芝居だからと言っても多くの人たちに祝福されているという現実は、万里にとって快いものなのだ。

(つってもまあ、マジで全開だなあいつら)

 キーボードを操作していた手を止めて、思わず夏組の芝居を注視してしまう。
 元々、今回の公演における夏組の意気込みはすさまじいものがあった。今回の公演を大成功におさめることで、初めて完璧にゴシップ記事をなかったことにできる、というのが主な理由だろう。
 しかし、加えてもう一つ、隠し続けた二人が全世界に祝福されるような舞台だから、というのも理由の一つにあるのではないか、と万里は思っていた。
 縦横無尽に駆け回る夏組。元々アドリブの多い千秋楽だけれど、今日は特に天馬と一成演じる二人についての言及が多い。
「バカップル」だとか「いつもみたいにいちゃついててください」だとか、恋人同士であることを強調するような台詞運びだ。加えて、クライマックスのキスシーンが長くなっているという話は万里も聞いていた。
 彼らが舞台を私物化するような人間ではないことはよくわかっているから、観客の求めるものを的確に理解して舞台に反映させた結果なのだろう。
 だけれど、やはり、奥底には夏組の思いがにじんでいる気がした。こんな風に堂々と、一成と天馬二人を恋人同士として舞台上祝福できるまたとない機会であることは違いないのだから。

(ま、気持ちはわからなくもねーけど)

 内心でごちる万里は、二人の関係には相当早く気づいていたほうだという自負がある。
 天馬とはプライベートでも仲が良くて一緒に出掛けることも多くあったし、一成とは美大関係のつながりで卒業後もよく連絡を取り合っていた。
 加えて、万里自体他人の感情を察知することが得意なのだ。大学時代の天馬は、今よりもっと感情がわかりやすかったこともあって、比較的すぐに二人の関係がただの友人ではないことに気づいた。
 同時に、天馬と一成がその関係を秘密にしていこうと決意していることも。
 理由なんて聞くまでもない。
 その時から皇天馬という名前はずいぶんと有名だったし、そんな天馬の恋人が同性だなんて、世間に知られたら一大スキャンダルになることが目に見えている。
 二人ともそれを理解できないような人間でもなかったし、自分を制御することには長けていた。だから、大っぴらに恋人らしい振る舞いをすることもなく、MANKAIカンパニーのメンバーの前でさえあからさまな態度を取らなかった。
 それが余計に二人の決意の固さをうかがわせて、ただ彼らを見守っていくことが最善であるという結論に至るまでそう時間はかからなかった。
 万里もその例に漏れず――万里の場合は人の恋路に首を突っ込む野暮な真似をする気がなかったというのが大きいけれど――、とにかく二人の関係を見守ってきたのだから、今こうして、舞台上とは言え大勢の前で彼らを祝福できるというのは感慨深いものがあった。

(どっかでだめになるかと思ってたけどな)

 唇の端に笑みを刻んだ万里は、そっと思う。太一辺りに聞かれたら「万チャンひどいッス!」なんて言われそうだけれど、別に万里とて二人の気持ちを疑っていたわけではない。
 むしろ、お互いの気持ちがどれほどまでに相手に向いているかを知っていたからこそ、いずれ二人には別れが訪れるのではないかと思っていたのだ。
 相手のことが大事で仕方ない。だから、離れる決断をするのではないかと。
 実際、一成が渡欧した時点で二人は別れたようだったので、万里の予想は当たっていたことになる。
 一体どんな経緯でその結論に至ったのか。もちろん詳しいことはわからないけれど、万里は大よそ理解していた。二人が付き合い始めた時から思っていたことがあったのだ。
 一成はこの上もなく天馬を大事にしているし、それは間違いのない事実だ。だけれど同時に、一成はいつだって、終わりを見つめているような気配を漂わせていた。
 その理由を、万里は概ね正しく予想していた。
 天馬の未来を見すえた時、隣にいるのは自分じゃないと一成は思っているのだろう。彼はそういう人間で、天馬のためなら自分が身を引くことを厭わない。
 だから一成には、いずれ来るゴールに向かって進んでいるような、いつか来る終わりの日に向けて時間を重ねているような、そういう気配があった。
 天馬も薄々とそれに気づいてはいたはずだ。変な所で純真な人間なのでそういう恋愛の機微に疎いかと思えば、案外他人の心に聡いのが天馬だ。
 自分の恋人が終わりに向かって自分との日々を重ねていることだって、恐らく気づいていた。
 しかし、それを真正面から問い詰めるほど、天馬はもう子どもではなかったし、かといってそれでもいいと割り切るにはまだ幼かった。
 恐らく小さな不安を抱えながらそれでも日々を重ねていたのだろう。もしかしたらそのまま、二人は時間を過ごしていつの日か互いの心をきちんと確かめ合うのかもしれない、と思ったこともある。
 しかし結局、関係は終わりを告げる。その時に、嫌だと駄々をこねることだって、徹底的に別れを認めないことだってできたはずだ。
 だけれど、天馬という人間はひどくやさしい。大事な恋人が、もしも心から別れを望めばうなずいてしまうくらい。
 そうして二人の関係は、ただの友人に戻ったはずだ。恋人ではなく、あくまでも夏組の二人としての道を歩き始めたはずだった。
 しかし、万里は今の天馬と一成を知っている。一度別れを選んだはずの二人は、再び手を取り合うことを選んだ。この人がたった一人だと思いを定めて、共に人生を歩むのだと決意した。
 だからこそ、万里は心から思うのだ。
 舞台の上とはいえ、こんなにも大勢の前で二人を祝福できること。一度は別の道を歩もうとした二人が、その手を取り合ったこと。二人に訪れるハッピーエンドを、何の憂いもなく喜べること。
 それら全てが果たされるような舞台に、誰より近くで二人を見守ってきた夏組の思いが彩りを添えたって何もおかしいことはない。

 そんな万里の思いに応えるように、夏組の舞台は生き生きと進む。
 彼ららしいアップテンポな掛け合いに、勝手気ままに投げられたようなボールがあちこちに跳ね返って、思いがけない笑いを生む。
 台本に記された言葉たちは、夏組にかかると生き物のように躍動して舞台上を駆け回るのだから見事だ。
 万里は思わず手を止めて、配信を見ている。
 それは純粋な鑑賞というより、演者としての視点だ。万里自身コメディ劇へ出演したことは何度かあるけれど、やはり圧倒的に経験値が足りない。
 やっぱり天馬の間の取り方は上手いな、だとか、今の椋のツッコミは使えそうだ、なんてことを考えながら万里はじっと配信を見ていた。
 気づけば、物語はクライマックスへ向かっていた。
 話の内容はおおむね知っているので、そろそろ例のキスシーンが来るな、ということは予想できた。何より、リアルタイム実況中のSNSが盛り上がり始めているのだ。「そろそろ例のシーン」「全員衝撃に備えよ」「来るぞ」「今日は何秒かな!?」なんて言葉がひっきりなしに飛び交っている。
 万里は苦笑を浮かべつつ、まあここまで来たらキスシーンも見ておくか、と画面へ視線を向ける。
 キスシーンなんてものは、役者である時点で何度か経験している。だから、一つのシーン以上でも以下でもないのだけれど、実際に恋人同士である友人たちのキスシーンというのは確かにレアではある。
 どんなキスシーンを演じるのか、という興味も手伝って万里はその瞬間を待っていた。

 舞台では、今までのコメディから一転してシリアスな空気が流れている。懸命な天馬の言葉に首を振る一成。どんな言葉も意味がないと悟った天馬が、行動で己の気持ちを示すため、一歩踏み出す。
 特別な演出は一切ない。音楽すらかからず、二人の呼吸の音が聞こえるような静けさの中、天馬が一成の肩を掴む。もう片方の手で頭の位置を固定すると、一成の唇に己の唇を重ねた。
 目を見開いたまま固まる一成に構わず、天馬はキスを続ける。その横顔は、あふれだす愛情に身を焦がしていて、どれほどまでに目の前の相手を求めているのかが手に取るようにわかる。
 一成が身じろぎをするも、天馬は決して力をゆるめない。二度と離すまいと決意するような、わずかな隙間も許さないと伝えるような独占欲が顔をのぞかせている。
 驚きで固まっていた一成は、目を白黒させながら天馬の口づけを受けている。当初こそ逃れようとしたものの、抵抗が封じられたこともあり、次第にその瞳が切なげに細められていく。
 鼻にかかったような小さな声が響き、次の瞬間には天馬が力を込めて一成を引き寄せて、さらに口づけが深くなる。
 くぐもった声はあわさった唇に飲み込まれて、一成の瞳はゆらゆらとしたまなざしをたたえている。
 天馬は表情全体や力強い所作から、一成への愛情を表現している。大切で仕方ないと、ただ真っ直ぐと向かっていく思いが全身から放たれるようだ。
 対する一成は、まなざしや指先で心の内を表現する。天馬と違い、大きな動きをするような役ではないからだろう。
 驚きの余り目を見開き、混乱しながらキスを受ける。長い口づけに愛情を感じ取り、しかし簡単にうなずくことができない己の心も理解しているジレンマ。しかしそこでさらに深いキスを送られ、心が揺れ動く。
 どんな言葉もないシーンだ。音楽一つかからず、無音の空間が流れ続ける。
 だけれど、交わされる口づけにはどんな言葉も要らなかった。大切で仕方がない。目の前の彼だけがほしい。愛おしさの全てが唇から伝わってゆく。
 この人が唯一だ。自分の特別は彼だけだ。世界中で一番愛おしいのはこの人だ、と言葉ではなくただその口づけだけで伝えられる。
 画面越しでもわかるほど、二人の間に漂う空気は濃密だ。角度を変えながら、決して唇が離れることはなく、心の全てが向かうような口づけが続く。
 やっぱりガチの恋人同士っていうのも多少はあるんだろうか。万里は思いつつ、一切音楽もないにもかかわらず、圧倒的な情熱でキスシーンを続ける友人二人に感嘆していたのだけれど。

「――長くね?」

 思わず万里がこぼす。キスシーンの時間が延びている、とは聞いていた。それにしてもまだ終わらないのはどういうことだ。
 思いながらSNSへ目を向ければ案の定、今日はいつもより長いらしい。「30秒超えた」「どこまで延びるかな」とやけに盛り上がっている。
 どうやら、これはもはや恒例イベントのようなものらしい、と察した万里は面白そうな笑みを浮かべた。
 徹底的に関係を隠し続けた二人だ。それが今や、役の上とは言えキスシーンを当然のように受け入れられている。
 嫌悪や拒否の声が一切ないとは言わない。しかし、恐らくそれよりも圧倒的に多いのは、二人のキスに対する好意的な声だろう。
 その事実が、嬉しいような楽しいような気持ちのまま画面へ目を向ければ、長いキスシーンが終わったようだ。
 ちらり、とSNSを見れば「1分!?」「1分3秒くらい!!」「1分以上のキスシーンありがとうございました!!」「長い長い」といったコメントが流れている。
 画面ではそのまま、天馬の愛の告白のターンに入っていた。このシーンは、口説きモード全開の天馬が見られる。ファンではない人間も虜にするともっぱらの評判だ。
 万里としては普段の天馬を思い浮かべてギャップに笑ってしまいそうになるのだけれど、それを感じさせないのは見事だった。
 物語は順調に終幕へと向かう。
 三角や椋などの身内とも何だかんだで和解を遂げて、タイムパトロールの幸と九門は安心して未来へ帰るのだ。
 聞いていた話では、確か最後に改めて天馬が指輪を贈って終わりになるはずだったな、と画面へ視線を向ける。
 ちょうど天馬が指輪を取り出して、一成へプロポーズをしている場面だった。一成が嬉しそうに肯定の返事をして、それまでかかっていた音楽が一気に盛り上がる。
 圧倒的なハッピーエンドの浮かれるような空気。それに押されるようにして二人が互いを抱きしめる。顔が触れるほどの距離で笑い合い、ただその幸せを噛み締めているようだ。

 確かここで終幕だったはず。あとは幕が下りるだけ――と万里が思っていると、軽快な音楽の中、出演者を順繰りに映していたカメラがわずかに揺れた。
 次の瞬間、天馬と一成の二人がアップになる。
 額がくっつくのではないか、と思うほど近い距離。天馬は向かい合った一成の頬に手を添えていた。手のひらでやさしく包み込むようだ。天馬はするりと頬を撫でると、そのまま親指を一成の唇に這わせた。
 これは何のシーンだ、と思った万里はちらりとSNSへ視線を向ける。「なに」「え、今何してんの」「なにこれ」「てんまくん??」といったコメントが流れることから万里は察した。これは天馬のアドリブだ。
 天馬はこらえきれない、といった笑みを浮かべたまま、一成の唇をゆっくりとなぞる。それから、頬に手を添えたままやわらかくキスを落とした。
 瞬間。劇場の空気がざわりと揺れたのが、画面越しでも伝わった。熱を帯びた興奮が、声にならない悲鳴がカメラを通して伝播する。
 それはSNSでも同じだった。「アドリブきた!」「最後にキスシーン持ってくるか!」「わかってる~!!」「さすがは皇天馬!」「期待に応えてくれる!!」……。称賛の言葉があとからあとから流れていって、突然のアドリブは大いに歓迎されているようだ。
 画面では、楽しそうな笑みを浮かべた天馬が一成へキスをしていて、一成本人は突然の事態に戸惑うような素振りを見せていたけれど、それも一瞬だった。
 今どんな場面なのかは、一成とて理解しているのだろう。思いの通じ合った二人だ。何一つ憂いなく、互いの心を確かめた。そんな相手から贈られるキスならば。
 一成は、天馬の背中に回していた腕をするりと首元へ移動させた。
 自分から口づけをねだるように天馬の体を引き寄せる。応えた天馬が、腰を抱いてわずかに開いていた隙間がゼロになる。甘く色づくような空気は、画面越しでも伝わった。
 相手の全てを唇から感じようとするように、二人は目を閉じる。全ての愛おしさが込められているのだと、誰もが理解する。
 あふれだす心をそのままに、やさしく唇を重ね合わせる二人の様子はあまりにあざやかだ。
 そんな二人の頭上から、ゆっくり幕が下りてくる。
 空間を切り取り、舞台の世界を終わりへ導く。それから幕が完全に下りるまで、最後の最後の瞬間まで、二人の唇が離れることはなかった。

「――なるほどな」

 幕が下りたMANKAI劇場を見つめる万里は、ぽつりと言葉を落とす。唇に面白そうな笑みが浮かんでいるのは、天馬が最後にアドリブでキスシーンを入れてきたことへの反応だ。
 どうやら、今までの積み重ねから「もしかしてキスするのでは」という予想はされていたらしい。
 だからこそ、天馬は期待に応えてみせた。同時に一成も、全力でそのキスに応じた。それも恐らく、観客が思うよりも強烈なあざやかさで。
 舞台において交わされる口づけは、結局のところ不意打ちに近い。最終的に天馬の誠意を一成が信じるきっかけになるけれど、思い合った二人のキスシーンとは少し違っている。
 だから、千秋楽の本当の最後に心を確かめ合った二人のキスを見せたのだろう。相思相愛の、互いを唯一無二だと認めた相手と交わす、愛おしさを隠しもしないキスシーンを。
 天馬が心底嬉しそうにしていることはもちろんそうだし、それまではどこかに戸惑いを残していた一成がためらわずに受け入れたこともそうだ。
 たった一人、あなただけだと、心の全てで愛を伝えるキスシーンこそが、極上のハッピーエンドに相応しいと判断しての結果なのだろう。

(ま、お前ら二人にもぴったりなんじゃね?)

 これからカーテンコールに出てくるであろう二人が、一体どんな顔で何を言うかも楽しみだけれど。ひとまず万里は、これまでずっと見守ってた来た天馬と一成に内心で声をかける。
 このハッピーエンドは、舞台上の彼らだけではなく、人生を共に歩むと決意したお前らにもぴったりだ。