夜明けまでのエトランゼ 04話
話を聞くぞ、と決意して登校したはいいものの、いかんせん慣れてない事態である。対象となる古株の教師を探そうにも、生徒数に比例して教師の数も多い。一体誰に聞けばいいかすらわからなくて、天馬は右往左往していた。
ただ、解体が始まる夏休みまで時間はないのだ。何もできないままでは困る、とひとまず天馬は同学年に話を聞くことにした。教師よりは話しやすいし、何より明確な対象がいた。「旧校舎の幽霊」について話をしていた隣のクラスの椋である。
幸に用があることが多いので、何度かクラスには訪れていた。ただ、一体どんな風に話しかければいいのかわからなくて、機会を逃し続けて放課後である。「一緒に帰ろう」と幸を誘いに来たのが最後のチャンスだと、さすがに天馬も察した。
幸はうなずいて「九門は?」「先に購買行ってるって言ってたよ」と会話を交わしながら席を立つ。連れ立って帰ろうとする姿に、天馬は立ち上がった。寮に戻れば部屋に入ってしまう。わざわざ訪ねるのはハードルが高い。今ここで呼び止めなくては、と口を開く。
「っ、向坂、話がある!」
「ボクですか……?」
教室を出ていこうとする椋にそう言えば、不思議そうな表情で振り返る。それもそうだろう。今まで天馬は椋と一切話をしたことがない。
天馬はこくりとうなずくと、大股で椋の前まで歩いていた。椋は怯えたような表情を浮かべて天馬を見て、幸は警戒するような視線を向ける。
どう話を切り出せばいいのか、天馬にはわからない。一成だったら何でもない世間話を始めて相手の緊張を解くことだってできるだろう。そのまま雑談が弾んで、楽しく会話を進められるに違いない。しかし、人に話しかける経験が極端に少ない天馬には、何をどうすればいいか見当もつかない。だから、単刀直入に切り出すしかなかった。
「旧校舎の幽霊について話が聞きたい。どんな幽霊が出るかとか、その幽霊について何か知ってることはないか」
いきなり何を言ってるんだ、という表情を幸が浮かべていたけれど、気にしていられない。もっともな反応だと思うし、もしも天馬が逆の立場なら同じような反応をするだろう。ただ、当の椋は違っていた。突拍子もない質問にもかかわらず、頭の中を探ってくれていたのだ。
「ごめんなさい。直接見たわけじゃないから、詳しいことはわからないんだけど……。ただ、何もない場所に物が浮いてるとか、姿は見えないのに声が聞こえるとか、そういう話があるみたい」
申し訳なさそうに言った椋は、さらに考え込むそぶりを示す。記憶に引っかかっていることも取り出そうとしてくれているのだと、天馬は察する。
「あとは、確か姿を見ると呪われるとかそういう話もあるけど……」
「あいつはそんなことしない」
人が好きで、天馬のことを心から大事にしてくれた。染み渡るような笑みを思い浮かべた天馬はとっさに言った。しかし、椋と幸にとっては想定外の言葉でしかない。一体何を言っているのか、と不思議そうな表情を浮かべているので、何か上手く答えなくては、と焦る。そんな様子を見ていた幸が、ゆっくり口を開いた。
「イタズラだか何だか知らないけど、もしかして幽霊の正体知ってるんじゃないの」
投げられた言葉に、天馬の心臓がドキリと鳴る。恐らく幸は本気で幽霊を信じているわけではなく、噂の出所になるような原因を知っているんじゃないか、という意味で言ったのだろう。ただ、嘘偽りなく天馬は幽霊の正体を知っている。旧校舎にいるのは、天馬にしか姿の見えない心やさしい天馬の友達だ。
ごくり、とつばを飲んだ天馬は目の前に立つ椋と幸をじっと見つめた。どんな答えを返すのが正しいのか、この場にふさわしい言葉が何なのか。人とやり取りする経験が少なすぎてわからないけれど、黙り込んでしまうわけにはいかないのだ。天馬は大きく深呼吸をすると言った。
「……三好一成って名前に覚えはないか」
唯一の確かな手がかりだ。噂を知っている椋なら何か引っかかるかもしれない、と思って尋ねる。幸は「誰それ」という反応で全く思い当たらないのだろう。椋は「三好……」とつぶやいて、記憶を探るように考え込む。天馬は何かヒントにならないかと、「絵が上手くて、よく笑う明るいやつだ」と続ける。すると、椋がはっとした表情を浮かべて言った。
「三好先輩……?」
「知ってるのか!?」
椋の反応に、天馬は勢い込んで尋ねる。椋は気圧された様子で「知ってるっていうか、クラスメイトだよ。ただ、会ったことなくて……」と言うので、天馬は固まった。
クラスメイト? 待て、どういう意味だ。しかも会ったことがない? 何を言っている?
言っていることはわかるのに、言葉の意味が染み込まなくて混乱していると椋は続けた。
「事故に遭って、ずっと昏睡状態のままなんだ。目が覚めないと進級もできないから……。本当は一つ年上だけど留年してて、今は同じクラスだよ」
予想もしていなかった言葉に、天馬は固まったまま椋を見つめることしかできなかった。
◆
日没を迎えた旧校舎に、天馬は飛び込む。「いらっしゃい」と明るい笑顔で出迎える一成に、飛びつくような勢いで天馬は言った。
「一成、お前は生きてる!」
全力疾走で上がった息で、紅潮した頬で告げられて一成は面食らう。自分の状態が普通でないことくらい、一成本人がよくわかっているのだ。どこをどう見たって立派な幽霊である。だから、「オレ、幽霊だよ?」と答えると天馬は力強く言った。
「違う、幽霊じゃない。お前の体は、ちゃんと生きてるんだ」
きっぱり告げた天馬は、ついさっき聞いたばかりの話を一成に伝える。
椋の言葉に盛大に混乱したものの、天馬はすぐに我に返った。一成が生きている。まるで予想していない言葉だったけれど、この上もない朗報だ。どこを探したってもういないと思っていた一成は、生きている可能性がある。
もっと詳しい話を聞きたくて椋に尋ねると、「よくわからないんだ……」としょんぼり肩を落とす。とはいえ、単なる一生徒が詳しい話を知らないのは道理だ。天馬は「いや、助かった。ありがとうな」と言って、職員室に向かった。
一つ年上で、今は同学年。椋と同じクラスだというなら、担任を捕まえれば何か話が聞けるんじゃないかと思ったのだ。ただ、職員室に隣のクラスの担任はおらず落胆した。しかし、副担任である卯木千景を見つけて天馬は一成のことを聞いたのだ。
「美術部に入ってて、成績優秀な生徒だって言ってた。目が覚めたらいつでも学校に戻って来られるように、準備は整えてあるって」
いつもクールな千景はどこか冷淡な雰囲気がある。しかし、目覚めない一成のことを語る時は祈るような目をしていた。意外に思ったけれど、わかりにくいだけで、本当は生徒想いなのかもしれない、と天馬は思い直した。
事実として、千景は天馬のことを決して蔑ろにしなかった。一成の事故についても、ごまかすことはなく教えてくれた。
去年の九月、旧校舎の三階にある美術室から中庭に落下したこと。放課後一人で絵を描いていたようで、詳しいことはわからない。ただ、中庭側には通路になる細いバルコニーがあった。バルコニーには手すりもあったけれど、それを乗り越えて落ちたらしい。幸い命は取り留めたものの、事故以降一度も目を覚ましていない。この件を機に、部活動などの別室として使われていた旧校舎は閉鎖になっていた。
「――それと、お前の写真も見せてもらった。たまたま、養護の先生が職員室にいて……一成は保健室に置く絵を描いてくれて、その時撮った記念写真があるって、見せてくれたんだ」
一成の話をしていると、養護教諭の雪白東に声を掛けられた。一成について話が聞きたい、と言い募る様子が必死だったからだろうか。「三好くんの話なら」と言って、一成が描いた絵と本人の写真を見せてくれた。
スマートフォンに表示されるのは、あざやかな青で描かれる海中の絵と唇を結んで前を見つめる一成の姿。髪型は変わらないものの、金髪ではなく黒髪。大きな緑色の目には眼鏡を掛けていて、生真面目な雰囲気が漂う。天馬の知る一成とまるで印象は違うけれど、ほとんど毎日顔を合わせていたのだ。写真の中の人物が一成かどうかなんて迷うはずもなかった。
「一成だった。写真に写ってるのは間違いなくお前だった。向坂や先生たちが言ってる三好一成は、お前なんだ。目が覚めないだけで、お前は生きてる。一成はちゃんと生きてるんだよ」
泣きそうな顔で言い募ると、一成はぽかんとした表情で天馬を見つめる。上手く頭に染み込まないのかもしれない。
記憶は曖昧で、気がついたらここにいた。旧校舎から出ることも叶わず、誰からも認識されない。触れようとしても手はすり抜けて、実体はあやふやだ。幽霊であることに疑いの余地はなく、当然死んだものだと思っていたのだろう。しかし、突如として前提は覆される。一成は生きている。眠り続けているだけで、確かに生きているのだ。
「……マジで?」
震える唇で、一成がつぶやく。天馬はこくりとうなずいて、笑みとともに「こんな嘘吐くわけあるか」と答える。一成は数秒沈黙を流したけれど、すぐに言った。明るい声で、華やぐ笑みを浮かべて。
「すごくね!? 死んでると思ってたのに実は生きてるとか、大逆転ホームランって感じなんだけど!」
「ああ、そうだ。昏睡状態らしいが、生きてるんならどうにかなる。目が覚めたら、何だってできる。どこだって行ける」
「そっか。オレ、ここ以外の場所でも行っていいんだ。見たいものだって見に行ける。どんな絵も描きに行ける」
ぱあっと顔を輝かせた一成は、スケッチブックを開いた。一人で夜を過ごしながら、今まで描き溜めてきた風景を一枚ずつ天馬に見せて、きらきらとした表情で言う。
「ヨーロッパ行ってギャラリー巡りして本物の絵も見られるし、海だって行けちゃうじゃん! オレね、ナイトプールとかも気になってて行ってみたいんだ。あとあと、ほら、めっちゃ広い向日葵畑とか――。そっか、オレどこだって行けるんだ」
噛みしめるような言葉に、天馬は大きくうなずく。死んでいると思っていた一成が生きていた。その事実に天馬は胸がいっぱいになっていたし、一成が見せてくれる絵が単なる夢物語ではなく実現できる未来であることが嬉しかった。胸が弾んで、心が浮き立って仕方なかった。
だからきっと、周囲のことがおろそかになっていたのだ。いつもならもっと周りを気にしていたから、誰かが近づいてきたらすぐにわかったのに。
「あ、皇くん。先生に会ったから、三好先輩の入院先のこと聞いてみたんだけど――」
背後から掛けられた声に、天馬はびくりと振り返る。すると、閉め忘れた窓の向こうには椋と幸、それからもう一人、紫色の短髪をした人間――兵頭九門が立っていた。三人とも口を開けて、一点を凝視して固まっている。
突然声を掛けられたオレじゃなくて、なんでこいつらが驚いてるんだ、と不思議に思っていると椋が言った。震える声で、悲鳴に似た響きで。
「スケッチブックが浮いてる……!」
その言葉にもう一度前を向いた天馬は、「まずい」と顔をしかめる。一成が天馬に向けて開いたスケッチブック。天馬からすれば一成が手に持った状態で何一つ不思議ではないけれど、一成が見えなければスケッチブックが空中に浮いているようにしか見えないだろう。
「え、なにこれマジック!?」
「っていうか、さっきからずっと一人でぶつぶつ言ってるし何なの」
九門は目を丸くしているし、幸は完全に不審者を見る目をしていた。一成が見えなければ、存在を認識できなければ、天馬の行動は不可解だし不審者だと思われるのもうなずける。
何か言い訳をしなくては、と天馬は慌てて口を開きかけるけれど、それより先に声を発したのは椋だった。ただ、天馬相手ではないし幸や九門に向かっての言葉でもなかった。
「もしかして、これって三好先輩の絵……!? 向日葵畑と青空だし、この色の塗り方は三好先輩の作品にすごく似てる……!」
興奮した顔で言った椋は窓に近づくとスケッチブックの絵をまじまじ眺めている。目はきらきらと輝いて頬は紅潮し、絵に対して並々ならぬ情熱を抱えていることがうかがえた。天馬は思わず一成を見つめる。一成も天馬を見つめ返し、どうしたらいいのかと迷うような表情で言った。
「どうしよう。覚えてないけど、もしかしてオレこの子と知り合いだったりする……?」
戸惑いを浮かべた言葉に、天馬は「ありえる」と思った。椋の言動からも一成の絵をよく知っていることがうかがえるのだ。一成が覚えてないだけかもしれない、と思った天馬は椋に尋ねる。
「向坂、実は知り合いなのかって一成が聞いてるんだが――あ」
「テンテン~! オレのことちゃんとごまかして!」
「悪い一成、つい普通に……待て、これもだめだ」
「そうだよ!」
天馬にとっては他の人と変わらず見えているだけに、至って普通に会話をしてしまうのだ。ごまかすどころか盛大に墓穴を掘ったおかげで、幸・椋・九門は「一体何事か」といった表情を浮かべている。ただ、三人とも決して鈍感ではなかった。むしろ事態を把握する能力は高かったのだろう。
「もしかして……幽霊の噂って……三好先輩のこと……?」
恐る恐る、といった調子で椋が尋ねる。空中に浮くスケッチブックや描かれた絵、天馬が呼び掛けた名前。諸々から導き出した答えだ。幸や九門もはっとした表情を浮かべて、「もしかして」という視線を天馬に向ける。
「手品とか腹話術の練習とか、とりあえず押し切っておこ! テンテンが変に思われちゃうかんね!」
慌てた調子で一成は言うし、どうにかごまかさないと、と天馬も思ったのだ。しかし、上手い言葉が見つからなくて何を言えばいいのかわからない。それに、天馬はさっき椋に声を掛けられた時のことを思い出していた。
椋は「三好先輩の入院先のこと聞いてみた」と言っていた。何か情報を持っているのかもしれないし、そもそも旧校舎の幽霊のことも一成のことも知っているのは椋だったのだ。
一成が生きていることは喜ばしいけれど、「さんかくの友達」は見つかっていない。調査は続行するし、それなら協力者は必要だ。
自分が変に思われるなんて、たいしたことではなかった。一成のためにできることなら、何でもやると決めたのだ。
だから天馬は大きく深呼吸をすると、三人を見つめてこくりとうなずいた。