第二章:日々群青

夜明けまでのエトランゼ 05話




 放課後、天馬は椋と共に美術室を訪れた。一成の絵は美術室に保管されていると聞いたからだ。
 コンクールの類に出品することはせず、主に校内だけで鑑賞されていたらしい。青空の下に広がる向日葵畑の油彩画や、名画の模写、色鉛筆で描かれた四季の風景。スケッチブックに描かれた絵をほうふつとさせる作品に、天馬は「本当に一成はここにいたんだな」と実感していた。

「ありがとな。向坂のおかげで、一成の絵を見られた」
「ううん。ときどき、美術室の片付けお手伝いとかしてたから……」

 絵を鑑賞した二人は、寮までの道を辿る。同じく満開寮生同士、目的地は同じなので自然と連れ立った。下駄箱までの道を歩きながら礼を言ったのは、一成の絵を特別に見せてもらえたのは椋のおかげだからだ。
 展示会を行っているわけでもないのに、わざわざ保管場所から持ってきてくれたのは椋が美術部顧問に頼んでくれたからだった。椋本人の性格と、一日三善をモットーにしていることから椋は自然と人助けをする機会が多いらしい。結果として、椋の頼みなら……とうなずく人間が多いのだろう。

「とってもすてきな絵だから、皇くんにも見てほしいっていうボクのワガママだよ。付き合ってくれてありがとう」

 ふわふわとやさしい笑みで言われて、天馬は戸惑う。椋はいつだってこんな調子で、天馬に対して丁寧な気遣いを見せる。人のことを慮る性質は一成にも通じるところがあって好ましく、椋のためならと力になってくれる人の多さにも説得力があった。

「――いや、オレも嬉しかったからいい。……その、そうだ、向坂は、いつから一成の絵が好きなんだ?」

 何か会話をした方がいいんじゃないか、と思った天馬は頭を絞ってそう尋ねた。椋はスケッチブックの絵の反応から察する通り、一成の絵のファンだった。だから美術室に絵が保管されていることも知っていたし、興味があるならと天馬を誘ってくれたのだ。
 椋は天馬の質問に嬉しそうに答える。やさしくて落ち着いた雰囲気の椋は、好きなもののことを語る時は情熱にあふれて力強い。

「一昨年の文化祭の時に、展示されてた絵を見たんだ。さっき見た、向日葵畑と青空の絵だよ。まるで夏の扉が開いたみたいですごく印象的で――。もともと志望校だったんだけど、絶対にこの学校に入りたいって気持ちが強くなったんだ」

 はにかむ笑みを浮かべて、椋は文化祭の思い出を語る。今は大学生の伏見臣という学生の作品を指して「伏見先輩の写真は今も部屋に飾ってるんだ」と言うし、「シトロン様と皆木先輩のシトルン漫才は本当に面白くて!」というのは、同じく大学に進学しているシトロンと、現在高校三年生の皆木綴による漫才コンビのことだった。
 文化祭での出来事はよほど強く心に残ったようで、椋にとっては受験に対するモチベーションにつながったのだろう。心を広げて素直に受け止められる向坂らしいな、と天馬は思う。天馬だったら、きっとこうも真っ直ぐ楽しむことはできないだろう。

「三好先輩と直接話したことはなくて……。でもずっとファンだったから、事故のことを聞いた時は本当にショックだったよ。だけど、同じクラスになったのも何かの縁だし、力になりたいってずっと思ってたんだ」

 澄んだ瞳で告げられるのが、椋の本心だと天馬は理解している。本当に一成の絵が好きだということも、椋の素直な人柄もすでに充分知っているのだ。椋であればそう言うだろう、と当たり前に思えた。

「協力してもらえてありがたい。いきなり幽霊なんて言われて、普通だったら信じられないだろ」

 長い廊下を歩いて、突き当りの階段を下りながら言う。美術室は本校舎の奥まった位置にあり、下駄箱まではそれなりに距離があった。吹奏楽部の練習する楽器の音が、遠くから聞こえていた。
 椋は天馬の言葉に目を瞬かせてから、そっと笑みを浮かべて答えた。

「確かにびっくりしたけど、トリックがあるとは思えなかったし……。出来上がった絵も筆談の内容も、本当に三好先輩なんだなって思ったんだ」

 あれから天馬は意を決して、椋たちに全ての事情を説明した。
 幽霊(死んでいないもののそう呼ぶ以外ない)の一成は旧校舎から出られないこと、旧校舎の解体が迫っていること、心残りを解消するべく友人を探していること。三人は半信半疑といった様子だったので、実際に一成とコミュニケーションを取ってもらうことにした。もっとも、一成の姿は見えないし声も聞こえないので手段は筆談だ。
 最初はどうなることかと心配していたけれど、一成のコミュニケーション能力の高さは筆談でも発揮されていた。ときおりイラストを交えながら軽快に言葉を交わした結果、とりあえず一成の存在を信じてくれたし、心残り探しにも協力を約束してくれたのだ。
 ありがたい、と天馬は思っている。一人だけではどうしたってできることは限られる。協力者が増えるのは願ってもいないことだ。しみじみ思って、天馬はぽつりと言葉をこぼす。

「オレだけじゃ、知り合いもほとんどいないからな。他の学年にも話を聞いてくれて、助かってる」
「ううん。十ちゃんは三好先輩と同学年だから、いろいろ話を聞かせてもらってるんだ。あ、でも、十ちゃんはこれから大事な時期だから、詳しい話はしてないんだけど……」

 十ちゃんというのは九門の兄であり、椋の従兄弟でもある兵頭十座のことだ。頼めば協力してくれることはわかっていたけれど、十座は受験生である。無理だと言われていた志望校を目指してコツコツ勉強をしてきて、ようやく合格圏内に入ってきた。受験生として山場と言われる夏を迎えるにあたって、集中してほしいという気遣いで二人は何も言わないことに決めたという。
 ただ、尋ねればあれこれ答えてはくれるので、一成は特に目立つ生徒でもなかったし、クラスでも影が薄かったということはわかっていた。

「向坂はもちろん、瑠璃川と兵頭にもありがたいって思ってる。忙しいのに時間見つけて来てくれて、いろいろ話も聞いてくれてて感謝してる」
「ううん。九ちゃんと幸くんは忙しいけど、ボクは部活も落ち着いてるから……!」

 慌てたように答える椋は陸上部に所属している。ただ、自身は大きな大会が控えていないから時間は取れると言っていた。とはいえ、練習もあれば他の選手の大会サポートもあるので、暇というわけではないのだけれど。九門と幸に比べればそうでもない、ということなのだろう。
 九門は四季崎学園野球部のエースピッチャーであり、甲子園出場を期待されている。来月には地方予選も始まるはずで、忙しいのも道理だ。幸は被服部に所属して、自分でデザインした洋服を作っているという。発表の場はいくつかあって、必要な品の買い出しや実際の制作などでやはりこちらも毎日忙しそうだ。それでも、二人は時間を見つけては何かと協力してくれている。

「こんなに協力してもらえるとは、正直思ってなかった」

 ぽつり、と天馬はつぶやく。正直なところ、最初はいぶかしんでいたのだ。椋の言動からは協力にも納得できる。ただ、幸と九門はそこまで一成に思い入れがあるようには見えない。もしかして興味本位で近づいたんじゃないだろうな、と多少なりとも警戒していたのだけれど。
 一成を相手にした二人はいたって自然だった。面白がるようなそぶりもなければ、恐怖や嫌悪を抱く様子もない。姿の見えない一成のため、できることをしようとしてくれていた。

「幸くんも九ちゃんもすごくやさしいから。困ってる人がいるなら助けようって、自然と思える人たちなんだ。だから、三好先輩のために協力するのも不思議じゃないんだよ」

 天馬の疑問を察した椋は、真っ直ぐな目をして言った。ただ、幸と九門のことを評しているけれど、むしろそれは椋のことなんだろうと天馬は思う。根っから善良で、誰かのために自然と動ける。椋はそういう人間だし、そんな椋が信頼している二人だと思えば説得力があった。

「でも、三好先輩と話をするのがすごく楽しいからっていうのが一番の理由かも」

 ふっと唇をゆるめると、椋はぽつりと言った。協力してくれるのを意外に思っている天馬の言葉。いろいろと理由をつけることはできるけれど、結局のところ行き着くのは単純な答えなのかもしれない、と椋は言う。

「筆談だけなのに、三好先輩はとっても話が上手だよね。すごく話が弾むし、いくらでも話してたくなっちゃう。たぶん、幸くんも九ちゃんも同じなんじゃないかな」

 楽しそうな椋の言葉に、天馬は今日までの光景を思い浮かべる。
 夜の旧校舎で、外の明かりを頼りに筆談を交わす。最初こそぎこちなかったものの、一成は人の気持ちを汲み取ることに長けている。何より、人と話すことが大好きな人間である。嬉々として話を広げていく内に、三人とも緊張がほぐれてきていつの間にかずいぶん気安い雰囲気になっていた。
 最終的にはくだらない冗談で笑い合うようになっていたし、その時の笑顔は天馬の記憶にも残っている。椋は頬を薔薇色に染めて、きらきらとした輝きを瞳に宿して。幸は控えめながらしっかり唇に笑みを刻んで、楽しげな雰囲気を漂わせて。九門は白い歯をこぼしてはつらつと、わくわくした表情を浮かべて。
 声は聞こえなくても、姿は見えなくてもそんなことは些細な問題でしかないと示すように、共に過ごす時間を楽しんでいることは明白だった。そんな風に一成との時間を過ごす様子は、確かに一つの答えなのかもしれない。