第三章:トライアングル・スパークル

夜明けまでのエトランゼ 10話




 目の前には、瓦屋根の乗ったどっしりした門。掲げられた表札も立派で、堂々とした字で「斑鳩」と記されている。
 病院と学校の中間地点に位置するのは、古い住宅が並ぶ区画だ。そこに斑鳩家はある。
「斑鳩三角」について調べて比較的すぐ家までわかったのは、三角が「斑鳩八角の孫」だったからだ。天馬はよく知らなかったものの、斑鳩八角は有名な劇作家で全国的にも名前が知られているという。
 地元の人間であれば、たとえ家族構成までは把握していなくても、家の場所は大体わかるというのだから、さすがのネットワークということなのだろう。
 そういうわけで、天馬たち四人は斑鳩家の前に立っている。知り合いはいないし、担任経由で連絡を取ろうにも見舞いという名目がある一成とは違うのだ。担任には良い顔をされなかったので、結局アポイントメントは取っていない。
 それらしい理由をでっちあげるには、情報が足りない。かといって、訪問の理由を素直に言っても信用されないだろうということで、ひとまず真正面から挑んでみることにした。「斑鳩三角」と会うことさえできれば、一成の話も聞くことはできるはずだ。
 門の外のインターホンを押して、学校名と三角に会いに来た旨を告げると、「少々お待ちください」という返答だった。言われた通り待っていると、門から出てきたのは中学生くらいの少年だった。誰も「斑鳩三角」の顔は知らない。だから、目の前の人物が当人だろうか、と思っていると少年は言った。

「兄に何の用ですか」

 落ち着いた口調ではあったけれど、声は剣呑とした響きをしている。少し垂れた目も鋭い光を宿しており、歓迎されていないことはよくわかった。先頭に立った天馬が、自分の名前と同学年であることを告げると、椋たちも続く。さらに、実は同じクラスだった九門(そういえば不登校の人いるなとは思ってた、と言っていた)を引き合いに出して、クラスメイトとして会いに来たのだ、と言い募る。しかし、少年の表情は変わらなかった。

「同じ学校であることはわかりました。確かに兄は今学校には行っていません。ですが、もし何か用事があるなら先生から連絡があるはずです。あなたたちは一体何なんですか」

 少年は完全に警戒態勢に入っており、不審者を見るような目を天馬たちに向けている。ぶっつけ本番はさすがにまずかった、と思っても遅いのだ。

「兄は学校のことなら教えてくれます。もしも友人だったら、僕にも話をしてくれるはずです。だけど、あなたたちの名前を聞いたことはありません」

 少年はぴしゃりと告げた。天馬たちの名前を聞いても思い当たることがない、と言うけれど当然だ。この中の誰も斑鳩三角に会ったことがないのだから、お互い完全に知らない人間である。まさか幽霊である一成から話を聞いて、ぜひ会ってほしいとお願いしたくて訪れたなんて思うわけがない。
 ここで素直に全てを話しても、いっそう不審者扱いされるだろうことは予想がつく。何をどう言えばいいのか、と考えあぐねていると話は終わったと思ったのかもしれない。少年は門を開いて家の中へ戻ろうとするので、天馬は慌てて口を開いた。

「三好一成を知らないか」

 少年の動きが止まった。明らかに一成の名前に反応している。やっぱり「斑鳩三角」と一成はつながりがあるのだ、と天馬は勢い込んで言葉を続ける。一成を知っているなら、それなら、願いを口にしたら叶うかもしれない。

「一成が三角に会いたいって言ってるんだ」

 明確な言葉ではない。それでも、おぼろげな記憶の中で唯一残っていたのが三角の名前だ。きっと一成は会いたいと望んでいたのだ。すると少年は、ゆっくり顔を動かして天馬を見つめる。氷のように冷淡な目をしていた。

「三好さんのことは知っています。ただ、現状もよくわかっています。会いたいなんて言えるはずがない。いたずらならお帰りください」

 それだけ言うと、少年は門の中に入ってしまった。何かを言う暇もなかった。分厚い門は閉じられて、天馬たちを拒絶している。
 少年の反応は、明らかに一成のことを知っていた。言動から察するに、昏睡状態であることも知っているのだろう。手がかりは間違っていなかった。確かに三角と一成はつながっているのだ。確信を持つには充分だったけれど、同時にせっかく辿りついた道が目前で閉ざされたのも事実だった。
 椋や九門は「どうしよう」「怒らせちゃったかな」とおろおろしているし、幸は「一筋縄じゃいかなさそう」とつぶやいている。それを聞く天馬は、現状ではまるで先へは進めないという事実に頭を抱えるしかなかった。





「すみーセキュリティ、やっぱり手ごわいね……」

 教室の床に隣同士で座った一成は、困ったような表情で言う。定期試験の合間に天馬は斑鳩家を訪問しては、旧校舎の一成に進捗状況を報告していた。とはいえ、内容は毎回同じだ。少年――三角の弟である円――にすげなく断られ続けている。

「いじわるでやってるわけじゃないのはわかってる。あいつらもそれは感じてるし、弟として兄を守ろうとしてるんだろうとは思う」

 さすがに天馬ほどの頻度ではないものの、椋たちも時間を見つけては斑鳩家訪問には同行しているし、毎回円によって門前払いを食らっていた。ただ、それが天馬たちを困らせることを目的としていないことは、全員が感じていた。円から感じるのは兄である三角への労りであり、目的のはっきりしない人間と会わせて三角が傷つくことを恐れているのだろう。
 三角と話もできない状況であり、円の存在が障害になっているのは事実だ。しかし、家族を思っての行動だとわかっているから、あまり強くは出れなかった。だからこそ、よけいに天馬はもどかしい。
 家族を大事にする姿は、一成の病室での光景とも重なる。天馬はあれから何度か見舞いに訪れており、一成の家族ともよく話をしている。そのたび、一成が家族に大事にされているのだと実感する。
 一成にも家族の話は伝えていて、本人は覚えていないことを申し訳ないと思いつつ、「会いたいな~」と言っている。記憶にはなくても、慕わしさのかけらは残っているのかもしれない。妹のふたばについても、「何となくかわいかったような気はするんだよねん」と言っていたし、家族への思慕がうかがえる。
 円から三角への態度を見ても、三角は家族から大事にされているのだろう。そんな気持ちを無視して強行突破することはできない。

「――でも、最近は多少態度が軟化してる気はする。顔は見られなかったが、声は聞けたしな。やっぱり、三角形の差し入れは効いてるんじゃないか」

 害意がないことやいたずらではない真剣さを感じ取ってもらうため、斑鳩家を訪れる時は何かしらの三角形を持参していくことにしていた。椋たちも協力してくれて、紅茶の三角錐型ティーバッグや三角カットのスイカがあしらわれたデザインカード、三角模様が躍るタオルなど、集めた三角は多岐に渡る。円は受け取ることを拒否はしていないし、天馬たちのことを三角に伝えてはくれているらしい。この前は、様子を気にした三角が門の近くまでやって来たので、円と会話する声を聞いたのだ。のんびりとした調子の、やさしい声をしていた。

「たぶん、あと少しなんじゃないかと思う。もう一押しあれば、斑鳩と直接話ができそうな気がするんだ」

 三角がどんな人間であるか、はっきりとはわからない。しかし、唯一の接点とも言える三角形の贈り物は確かな効果を発揮しているのだ。それなら、この方向で進めていくのが最も妥当な結論だろう。一成は天馬の言葉に、へにゃりと眉を下げた。

「いろいろやってもらってごめんね。みんな忙しいのにさ……」

 三角形のものを探すのも斑鳩家を訪れるのも、決して片手間でできることではない。それぞれの時間を使ってくれているのは、一成のためなのだ。申し訳ない、と思っていることは天馬も察したし一成の性格から考えればそれも当然だろう。

「気にするな。オレがしたくてやってることだし――あいつらもそうだ。強制されてるわけじゃない」

 椋は純粋に「力になりたい」という気持ちが強いし、九門も「できることあるならじっとしてられない!」と言っていた。幸は「まあ、気になるし」とそっけないものの、何だかんだで一成を助けたいと思っていることはわかっていた。だから、時間を見つけては一成のために行動している。
 一成とて、その気持ちはしかと受け取っている。申し訳ないと思うのは事実でも、同じくらいに感謝もしているのだ。だから、天馬の心からの言葉に「うん、ありがと」と答えた。悲しい顔をさせたくてしていることではないとわかっていたから。

「一成の意見も聞きたい。もう少しだとは思うんだが、決め手には欠けるんだよな。三角形の中でも、特に斑鳩の好きなものは知らないか? これだけは特別だって、宝物になるようなものだ。おぼろげでもいい。引っかかるものがあるなら教えてくれ」

 円の言動から、三角は全ての三角形をこよなく大事にしていることがわかっている。天馬たちが渡したものも漏れなくコレクションにくわえているのだ。ただ、だからこそ全てが均等な印象になっているはずだ。もっと飛び抜けた、ここぞという三角形があれば最後の一押しになるんじゃないか、と天馬は考えていた。

「宝物……」

 天馬の言葉に、一成はそっとつぶやく。真剣なまなざしで、記憶の底を探るような表情を浮かべた。天馬たちが自分のために頑張ってくれているのだ。せめて、何か役に立ちたいと思っているのだろう。「すみーの宝物……。三角形……」とぶつぶつつぶやいている。

「――オレの宝物だったら、これなんだけどなぁ」

 そっと言葉を落とすと、ずっと手に持っていたスケッチブックを撫でた。床に座って膝に立てかけながら、一成は会話の合間に絵を描く。
 スケッチブック自体は、天馬が買ってきたもので、何の変哲もない品物だ。どこにでも売っているし、特別高級なものではない。しかし、一成は心から言っている。
 スケッチブックはすでに二冊目になっているし、ペンのインクも色鉛筆もだいぶ減っている。使い込まれた時間はもちろん、中に描かれる作品は一成にとって大切なものになっているのだろう。

「これがなくなっちゃったらって思うと、すごく怖い。これがあるから、一人だって怖くないんだ。テンテンのおかげだよ。ありがとね」

 唇に笑みを浮かべて一成は言う。天馬たちが寮に帰って、一人になった教室で夜を過ごす。その相棒とも言えるのがこのスケッチブックで絵を描くことだ。「絵を描くことが好きだった気がする」という一成の言葉に、「それなら」とほんの気まぐれで買ってきただけで、深い意味はなかった。だから、感謝の言葉に「たいしたことじゃない」と答えたのは、天馬の紛れもない本心だった。

「うん、でも本当に嬉しかった。これはオレの宝物だよ」

 そう言って、スケッチブックを見つめるまなざし。熱っぽさではなく、しんしんと降り積もるような愛情が宿る。何もかもをなぎ倒すような荒々しさではなく、全てを抱きしめるようなやわらかさで、スケッチブックを見つめている。その様子に、こんなにも大事にしていてくれるんだな、と天馬は思う。心を丸ごと預けるように、宝物はこれなのだとまなざしが告げている。

「すみーにとっても、きっとそういうものはあったと思うんだ。オレがスケッチブックを大事にしてるみたいに、これだけは絶対だっていう宝物……」

 つぶやく一成は懸命に記憶を取り出そうとする。しかし、もともと全てが曖昧としているのだ。自分のことだって、名前以外はおぼろげだった。家族のことすらぼんやりしていて、三角の存在が残っていることが例外なのだ。具体的な思い出やエピソードを取り出すのはなかなか難しいのだろう。
 真剣に考えこむ表情がだんだん険しくなる。まるで痛みでもこらえるような顔に、天馬は「無理するな」と声を掛ける。記憶をこじあけることで、一成に負担がかかることは避けたかったのだ。今の一成には体がないし、意識だけの存在と言っていい。精神や心が密接に結びついているからこそ、著しいストレスが掛かったら存在そのものが揺らいでしまうんじゃないかと思ったのだ。

「――ごめん」

 苦しそうな顔で一成が謝るので、天馬は首を振った。笑顔を浮かべて「大丈夫だ」と答える。一成を心配させたくなかったのだ。それに、八方ふさがりというわけではない。夏休みが始まるまでは、あと少しだからそれまでにどうにかするため、あれこれと試すつもりだった。ようやく試験も終わり、自由に使える時間が増えたから、できることは多いはずだ。

「三角形以外にも、好きなものはあるかもしれないしな。もっと斑鳩のことを知れば、突破口はあるはずだ。この前あげた紅茶も、美味しいって言ってたみたいだし、椋がおすすめのチョコレートもあるって言ってたし……」

 そこまで言ったところで、一成が「あ」とつぶやいた。大きな目をまたたかせているので、どうしたのかと視線で問う。すると、一成はおずおずとした調子で口を開いた。

「すみー、甘いものっていうか……もしかしたら、おにぎりが好きだった、かも? 俵型じゃなくて、三角形のおにぎり……?」

 天馬の言葉に触発されて、記憶の蓋が開いたのかもしれない。一成は「勘違いかもしれないし絶対じゃないんだけど!」と言うものの、天馬は「なるほど」と思っている。もともと何だって試すつもりだったのだ。それなら、おにぎりを持っていくのもありだな、と天馬は考えている。