夜明けまでのエトランゼ 11話
「毎日よく飽きませんね……」と言うものの、一応毎回円は外に出てきてくれる。世間話もできるようになったし、もうそこまで悪い印象を抱かれていないことは天馬も察していた。今日は他の誰もいないことを尋ねられるし、椋は家族と用事があり、幸は部活動関係で出かけていて、九門は絶賛練習中だと告げれば、「そうなんですね」とうなずくくらいだ。
いくらかの雑談を交わしたあと、天馬は円におにぎりの包みを渡した。
一成の言葉をヒントにして、持っていくおにぎりを探すと駅の方に有名な店があることを知った。古くから総菜とおにぎりを販売しており、豊富なメニューと確かな味が評判だという。
事前に場所を調べていったものの、迷いに迷って大変だった。結局、先導するように歩く黒猫のあとをついていったら、大通りに到達できたので無事に店には辿り着いたのだけれど。
ただ、着いたら着いたで、あまりにも具材が豊富すぎてまた天馬は迷った。定番の鮭か明太子か、意外と肉とかもありか、シンプルに塩もいいかもしれない……とメニューの前でうなる羽目になった。考えすぎたせいで、道案内をしてくれた黒猫に向かって、「お前だったらやっぱり魚がいいか……?」と話しかけてしまったくらいである。
目的は無事に果たせたので、こうしておにぎりを渡すことはできている。ただ、一仕事を終えたような気になってはいたけれど、ここからが本番なのだ。天馬は円がおにぎりを受け取ったことを確認して、あらためて「三角に会わせてくれないか」と頼もうとしたところで、口をつぐんだ。
円がおにぎりの包みをじっと見つめていた。店名のロゴが書かれた、ありふれたビニール袋だ。それなのに、やたらと真剣な顔をしているから何も言えなくなってしまった。もしかして自分は何かをやらかしてしまったのだろうか、と天馬は冷や冷やする。せっかくここまで、時間を掛けて不審者ではないと思ってもらえるようになったのに。全ては振り出しに戻ってしまうのか。
どんな反応をすればいいのかわからなくて黙り込んでいると、不意に円が動いた。視線を天馬に受けると、「少し待っていてください」と言って門の向こうへ姿を消す。天馬は背中を見送るしかなかった。
頭上には、よく晴れた青空が広がっている。ただ、まだ午前中であり、斑鳩家の庭からは大きな木の枝が張り出して影を作っているおかげで、少し温度は下がって感じられる。影の中に立って待っていると円が戻ってきた。しかし、一人ではなかった。
見知らぬ青年である。ただ、円によく似た面差しをしており、やさしい目をしていた。左耳のピアスが印象的だ。顔を知らなくてもきっとこれが斑鳩三角なのだと天馬は察した。
「いっぱいさんかく、ありがと~」
のんびりとした調子のやさしい声は、以前聞いたものと変わらない。円とやり取りしていた、兄のもの。間違いなく目の前の彼が斑鳩三角だ。天馬が「いや、たいしたことじゃない」と首を振ると、三角はにっこり笑った。
「円もたくさんありがとう。オレなら大丈夫だから、ちょっとお話してくるね」
円に向かってふんわりそう言うと、三角は天馬の方へ足を踏み出した。
ふらふら歩き始めた三角のあとを、天馬は追いかける。「どこに行くんだ?」と尋ねると「オレの好きなとこ!」とのんびり言うだけだ。三角は「あ、あの雲さんかく!」と立ち止まって空を見上げたり、道行く猫に話しかけたりしている。「今日はどこ行くの?」と言えば猫はにゃあ、と答えるし、「そっか、あそこは工事中だから気をつけてね」という言葉にうにゃうにゃうなずいていて、まるで会話が成立しているようだった。
そんな三角の先導で辿り着いたのは、小さな公園だった。日陰が落ちるベンチに座ると、「猫さんのおすすめだよ~」とあどけなく笑う。三角はにこにこ「いっぱいすてきなさんかくもらったから、オレの好きなとこ連れてきたかったんだ」と言って嬉しそうだった。
これは三角なりの感謝の気持ちらしい、と察した天馬は三角の隣に座る。すると、三角はぽつぽつ言葉を並べ始めた。
「ずっと来てくれてたのは知ってるけど、なかなか会えなくてごめんね。てんまと、あと、むくとゆきとくもんにも伝えてね」
円から名前はちゃんと伝わっていたようで、天馬たちのこともきちんと認識しているようだった。三角はぱあっと顔を輝かせると「さんかく、たくさんくれて嬉しかった。おにぎりもありがとう」と言った。曰く、天馬が持ってきたおにぎりは、三角だけでなく斑鳩家が全員好きなのだと言う。三角や円にとってのやさしい思い出と結びついているおにぎりなので、持ってきてくれたことが嬉しかったのだと告げる。
ただ、それからすぐに表情を一転させる。輝きは消えて、憂いを帯びた表情を浮かべると静かな声で言った。
「――あのね、まどかはオレが悲しい気持ちになったらどうしようって、すごく心配してくれるんだ。すごくすごくやさしい子だから。オレのことを考えてくれただけなんだ。だから、悪いのは全部オレだよ。まどかは悪くないんだ」
今までずっと、円が三角に会わせないようにしていた。その事実を指して、天馬が円を悪く思っていたらどうしよう、と三角は考えているのだろう。ただ、そんな心配は杞憂だった。実際、自分の立場はいきなり現れた不審者だったろうし、兄に害を及ぼすのではないかと考えてもおかしくない。だから円の反応は当然だろうと思っている。
そう答えると、三角は心底ほっとしたように笑う。円が悪者にならなくて済んだことに安堵しているのだと伝わってきて、やっぱりこいつは一成の友達だな、と天馬は思っていた。他人に対して心からのやさしを向けられるところが、よく似ている。
「まどかは、すっごくかわいいんだ! オレの話をいっぱい聞いてくれて、お話にもしてくれたんだよ。冒険にも一緒にでかけたし、二人でたくさん紙飛行機も飛ばしたし、オリジナルの飛行機も作ったんだよ」
きらきら顔を輝かせた三角は、円と過ごした時間をお披露目するようにあれこれと並べた。さらにそこから、大好きだった祖父のことや仲のいい両親へと話がつながっていく。
もともと、三角は学校という場所があまり合わなかったようで、小学校・中学校としょっちゅう呼び出されていたらしい。しかし、両親は三角を無理に型に当てはめるようなことはせず、自由に過ごさせてくれていた。
「今学校には行けないけど、オレが学校に行けるって思える時まで待ってるって言ってくれるんだ」
三角が単なるワガママで言い出したことではなく、必要があっての行為なのだと家族は信じてくれている。三角の気持ちを最優先に考えて、意志を尊重しようというのが家族の総意なのだろう。
「学校の猫さんにも会いたいな~。用事があったらうちまで来てくれるんだけど……。あ、でも、街のパトロールしてる子は、よくうちに来てくれるよ。てんまのことも、迷ってたから助けてあげたって、さっき教えてもらった」
さらりと告げられて、天馬はぎょっと目を見張る。どうして迷っていたことを知ってるんだ、と思ったからだ。
そんな天馬の様子など意に介さず、三角は猫に教えられたという話を続ける。定番の鮭か明太子か、意外と肉とかもありか、シンプルに塩もいいかもしれない……とメニューの前でうなっていたことまで、ぴたりと言い当てられた。あの時他に人はいなかった。いたのは黒猫だけである。
本当にあの猫が三角に教えたのか。気づけば姿が見えなくて、天馬より早く店からはいなくなったようだから、時間的には可能だろうけれど――と思っていると、三角はぽつりと言った。
「街の猫さんは学校のことわからないから、オレもわからないんだ。みんな、元気かなぁ」
しょぼんとした雰囲気に、天馬は意外な気持ちになる。てっきり三角は、学校というものが嫌になって不登校なのだと思っていた。しかし、三角の言い方はまるで学校に未練があるように思えたからだ。
事実三角は、高校は自由な校風であることも手伝って、息苦しさはなかったと言うし、体育館で様々な道具を使えることやグラウンドを走り回ることを楽しかった思い出として語っている。
天馬は少し考えて、「本当は学校に行きたいんじゃないか?」と尋ねる。そうであるなら、話は早いと思ったのだ。
しかし、三角は悲しそうに首を振った。それからぽつりと落ちた言葉は、それまでと様子がまるで違っていた。
「オレは行けない。行っちゃいけないんだ」
ふわふわとした響きはどこにもなかった。三角の唇から発せられたことが嘘のように思えるほど、ごろりと硬い。どういうことか、と思っていると三角が「てんまは、かずのお友達なんだよね?」と尋ねた。天馬は質問の意図がわからずに戸惑うけれど、こくりとうなずく。
三角は落ち着いた調子で、「かずは、放課後によく会う友達だったんだ」と言う。それから、ぽつりぽつりと語られるのは二人が過ごした日々だった。
三角も一成も、クラスでは一人でいることが多かった。いじめられていたわけではないけれど、親しい相手はいなかったのだ。しかし、ある日三角が日課のさんかく探しで学校内を歩いている時、旧校舎で絵を描く一成に出会った。
美術部の主な活動場所は、本校舎にある美術室である。ただ、一成は一人で絵を描きたいということで、別室扱いになっている旧校舎の美術室を使っていた。物置として使われている部屋で、雑多に物が並ぶ中一成は一人でイーゼルに向かっていたという。
些細なきっかけから言葉を交わすようになり、二人は放課後の美術室で少しずつ親交を深めた。特に決まりを設けていたわけではない。それでも、昼間二人で会うことはなく放課後だけともに時間を過ごした。三角も毎日学校に来ていたわけではないし、一成も積極的に三角を訪ねることもなかった。だから、放課後しか顔を合わせなかったけれどそれくらいがちょうどよかった。
一成はおとなしい見た目に反して、慣れてくればずいぶんと明るい。三角に「すみー」というあだ名をつけてくれたし、三角は三角で放課後の猫集会に一成を連れていったこともある。ささやかな、誰も知らない放課後だけの友達がお互いだった。
三角の言葉を聞く天馬は「それなら」と意気込んだ。幽霊なんて荒唐無稽な話をどう切り出そうかと思っていた。しかし、一成へこんな風に親愛を向けてくれているなら、すげなく断ることはしないはずだ。
「なあ、斑鳩。一成に会ってくれないか」
真っ直ぐ三角を見つめて、話を切り出す。十中八九うなずいてくれるだろうと思った。しかし、予想に反して三角は首を振る。一体なぜだめなのか、と問うと三角は言った。苦しそうな顔で、罪を告白するような重苦しさで。
「オレのせいでかずは目が覚めない。かずが落ちたのは、オレのせいなんだ」
三角の唇から飛び出した言葉に、天馬の顔色が変わる。一成の事故。三階の美術室から落下して、中庭で発見された。教師や家族から話を聞いて、概要は天馬も知っている。
遺書などはなく、家庭環境にも問題はなかった。友達はいなかったようだけれど(三角の存在は誰からも認識されていなかったのだろう)一人を好んでいたし、いじめの類も確認されていない。それに、落下現場には鞄も一緒に落ちていた。自殺なら鞄と一緒に飛び降りるのも不自然ではないか、ということもあり、自殺の可能性は低いとされている。さらに、旧校舎に外部から人の出入りはなく、美術室にも一成以外の人間の痕跡はなかった。事件性はないと判断されており、事故という結論には誰も異論を持っていないはずだ。
それなのに、三角のせいとはどういうことなのか。こわばった視線で意味を問うと、三角はうなだれて言葉をこぼす。
「オレがじいちゃんの宝物をなくしたせいなんだ」
懺悔するような調子で、三角は言う。
三角の祖父――斑鳩八角は有名な劇作家だ。すでに鬼籍に入っており、もうこの世にはいない。そんな八角が執筆時に愛用していた三角定規を三角はもらいうけており、宝物として大切にしてきた。
学校にもたびたび持ってきており、一成にも見せている。どこにも持ち歩いているのでずいぶんボロボロだったけれど、一成は「これがすみーの宝物なんだね」と笑ってくれた。
ただ、道なき道を進むのが当然の生活をしているせいなのか、ある日三角定規がなくなっていることに気づく。それを伝えると、一成は驚いた顔をして「オレも探してみる」と言ってくれたのだ。
しかし、一向に三角定規は見つからない。事故当日、三角は街の方で落としたかもしれない、と学校を離れていた。
「かずは、ずっとオレの三角定規を探しててくれた。だから――見つけたら追いかけてくれたんだ」
罪を握りしめるような声で語るのは、放課後の美術室の出来事。
いつものように絵を描いていた一成は、猫が三角の三角定規を持っているところを見つけて、返してくれるよう頼んだ。しかし、猫は身軽に体を翻し、三階から四階へと飛び移る。上層階へ上がっていく猫を追いかけて、一成は中庭に面したバルコニーへ出る。一成は猫集会のために、猫用のにぼしを鞄に入れているので、それを使おうと思ったのかもしれない。猫は一成のことなど気にせず、四階のバルコニーを歩く。このままでは届かないと判断した一成は、手すりを足場にして猫に向かって手を伸ばした。そこで一成は、バランスを崩して落下したのだ。
見てきたように語るけれど、三角はその場にいなかったはずだ。誰も一成の事故当時を知るはずがないのに――と思っていると、三角は見透かしたように答えた。
「オレの三角定規を見つけたって、持ってきてくれた猫さんが教えてくれたんだ」
陰鬱な表情の三角曰く、猫は三角定規を三角に渡すと、ちょっとした雑談のように自分を追いかけてきた人間のことを話した。三角はその言葉で、何が起きたのかを悟ったのだ。
馬鹿げた話だと一蹴することはできた。猫が言っていたなんて、そんなこと信じられるわけがない、というのはまっとうな反応だ。しかし、天馬は三角が猫の言葉を理解している、ということを否定できなかった。会話が成立しているような様子を見ているし、天馬のことだってぴたりと言い当てた。確かにあの時いたのは猫だけだったのだ。
何より、一成の行動として納得してしまった。一成なら確かに、猫が三角の宝物を持っていたら追いかけるだろう。取り戻したいと危険な場面にだって進むかもしれない。大切なもの。宝物をどれだけ大事にするかなんて、天馬はよく知っている。他人の心の機微に敏感で、寄り添うことを知っている。人の心を自分のように感じ取る。そんな一成なら、三角の宝物のために危険を顧みず行動したっておかしくない。だから、三角の言葉は事実かもしれない、と思っていた。
「オレのせいなんだ。オレのせいでかずは落ちちゃって、今も目が覚めない。だから、オレはかずに会えないよ」
震える声で三角は言って、天馬は理解する。三角はずっと後悔していた。一成が事故に遭って、その原因が自分の宝物のせいだと知って、三角はずっと自分を責めていた。
三角の言葉から、一成を大事に思っていることは伝わった。そんな三角なら、目覚めない一成を心配して毎日病院を訪れたっておかしくない。しかし、そんな人間がいないことは一成の家族の言葉からわかっている。それは三角が一成の事故は自分のせいだと思っているからだ。だから一成の見舞いにも行けないし、一成と顔を合わせることもできない。会いたいと言われたところでうなずけない。「一成に会ってくれ」という天馬の言葉に首を振るしかなかった。
そんなことはない。他の誰でもない一成がお前に会いたいって言ってるんだ。そう伝えることはできるし、三角は頭から否定することはないかもしれない。しかし、いきなり現れた自分が突然こんなことを言って、意味はあるだろうか。後悔を、罪悪感を消し去るほどの力があるだろうか。
思う天馬は、一つの結論に達していた。今のこいつに必要なのはオレじゃない。一成だ。