夜明けまでのエトランゼ 19話
三角おすすめの三角形ということで、サンドウィッチ専門店に寄った。買ったのは、フルーツサンドにチョコレート系、それから総菜サンドウィッチだ。椋たちと話をしようと考えて、取っ掛かりになるものが欲しかった。
今までさんざん逃げ回っていた自覚はある。今さら何の用だと思われるかもしれないし、あらためてあの日のことを聞かれるだろう。せっかく協力してもらったのに、一成の目が覚めることはなかった。失望されても文句を言われても、受け止めるしかないのだ。
緊張しながら寮に帰った天馬は、夜の練習へ出掛ける前の九門を見つけて声をかけた。忙しい時期だから無理かもしれない、と思いながら「少し時間をもらえないか」と言えば九門はうなずく。連れ立って椋と幸の部屋を訪れると、二人とも在室していた。意外そうな顔をしながらも、部屋へ入れてくれた。
「悪かった」
三人それぞれにお土産を渡して、三角のおすすめであることや選んだメニューにについて話をした。その流れで、天馬は謝罪を口にして頭を下げた。取っ掛かりがあったおかげで、固まってしまうことはなく、きちんと言うべきことは声に出せた。
「何に対しての謝罪なわけ」
じっとしたまま頭を下げていると、淡々とした声が降ってくる。天馬は頭を上げて、声の主である幸に向かって言った。
「オレが巻き込んだのに、結局お前たちの期待に応えられなかった。上手く行かなかったし、ショックを受けてるんじゃないかと――」
「はあ?」
皆まで言う前に冷たい声が返ってきて、天馬はひるむ。何を言われても仕方ないとは思っていたけれど、いざ辛辣な声を目の当たりにしたことでぐっと言葉につまる。何かを言わなくては、と思っていると幸はとげとげしく続けた。
「別に、アンタに強要されてやったことじゃないし。自分で選んだことに勝手に罪悪感持たれても困るんだけど。結論がポンコツすぎるでしょ」
完全に呆れた調子で言われて、天馬は何を言えばいいかわからない。文句を言われても罵倒されても仕方ないと思っていた。確かに幸の言葉は辛辣だ。しかし、これは。
「うん。カズくんが目を覚まさなかったのはショックだけど、天馬くんのせいじゃないよ」
「だよね。別に天馬さんが、カズさんに何かしたわけじゃないし!」
幸の言葉を肯定するように、椋と九門が続いた。二人とも「ボクが協力したかっただけだから」「オレがカズさんに会いたかったんだよ」とためらいなく告げる。
力強くもやわらかな言葉には、天馬を責める響きなんて一切なかった。協力してほしいと巻き込んで、一成の目を覚まさせるのだと時間も労力も使ってもらって、結局何一つ成し遂げられなかったのに。それらは全て、自分の行動の結果であると三人は言うのだ。たとえきっかけが天馬だったとしても、自分で決めて自分で行動した結果なのだと受け止めている。
「ま、でも、オレたちのこと無視してたから謝罪は妥当」
「天馬くん、すぐどこか行っちゃうから……」
「お昼に話聞こうと思ったのに!」
肩をすくめた幸が言って、椋はいささかしょんぼりした空気を流し、冗談めいた雰囲気で九門は唇を尖らせる。その様子は屈託がなく、天馬はまざまざと現状を思い知る。
椋も幸も九門も、天馬のせいだなんてかけらも思っていない。全ては自分で決めたことだから、ときちんと現実を見据えている。目をそらしたくて逃げ回っていた天馬より、よっぽど達観して大人びていた。
「わあ、美味しそうだね」
「しょっぱいのもある!」
「へえ、かわいい」
三人は口々に言いながら、あらためて天馬のお土産へ手を伸ばす。透明なセロファンで個包装されているので、具材がよく見えるのだ。楽しそうに、わきあいあいと感想を口にしている。その様子を眺める天馬はどうにもくすぐったくて、どんな顔をすればいいのかわからない。
こいつらにとって、オレの失敗なんて大したことじゃないんだな、と思い知ったのだ。逃げ回っていたことの方がよっぽど重要で、間違ったってミスをしたって、気にしたりしないのだ。
三人の笑顔を見つめる天馬は、最初から逃げずに話せばよかったんだな、と噛みしめるように思っている。
それから天馬は、あらためて現状報告としてわかっていることを伝えた。三角へ話したことをかいつまんで説明して、消える直前に残した言葉が「ごめん。すみー、オレはすみーに会っちゃいけなかったんだ」「ごめん、ごめんねすみー」であることも告げた。
「三角にも話したんだが、三角定規にまつわる何かが鍵になるような気がするんだ。何か思いつかないか」
真剣な顔で問いかけるも、三人ともはてなマークを浮かべている。それも当然だろう。三角定規に関する出来事なんて、大体の人は算数の時間に使った記憶がせいぜいだ。
「とりあえず、三角さんの宝物だから――何か宝物についてってことかな……?」
取っ掛かりとしては妥当だろうと、椋の提案に全員うなずく。とはいっても、すぐに何かが思いつくわけではない。九門は首をかしげなら「実はカズさんの宝物と関係してるとか?」と言うと、幸が冷静に「自分の宝物なら、そこまで罪悪感持たないでしょ」と答える。確かに、「ごめん」という言葉からは、自分自身より他人の存在を強く連想する。人の心に寄り添う一成という人間だからこそ、自分よりも他人に対しての言葉なのではないか、と思わされるのだ。
「カズくん、ボクの宝物もすごく大事にしてくれたな……」
そういえば、という顔で椋が言うのは一成との思い出だ。椋が大切にしている少女漫画を読んでほしくて、昔から大事にしている漫画を教室へ持ってきた。一成に渡そうとした時、受け取ろうとして落とした一成は椋が驚くくらいに慌てていた。
「ボクの大事なものだから、汚したりしたら大変だってすごくいっぱい謝ってくれたよ」
筆談からでもわかるくらい真剣に、必死になって謝っていたのだ。それくらい、椋の宝物を大事にしてくれるんだな、と心から実感した出来事だという。
「オレはカズさんに、宝物のペン直してもらったことある! 上のとこに野球ボールがついてるペンで、兄ちゃんにもらったんだ! これで勉強すると、テストでいい点取れる気がするんだよね」
宝物から思い出した記憶として、九門がはつらつとした笑顔を浮かべて言う。小学生の時に十座からもらった誕生日プレゼントで、ずっと大事にしている。ただ、年季の入った品物でノック部分の野球ボールは取れやすくなっていた。勉強しながらそう言うと、一成は「オレ直せるかも」と言って預かってくれたのだ。
「接着剤?か何かで上手くくっつけてくれてさ。『くもぴの大事なものだから、気合入れて直したよん』って言ってくれて嬉しかったな~」
「一成って基本器用だから、大体何でも直せるんだよね。幽霊なのに、ボタンつけもやらせたらできたし」
淡々とした調子で幸も続いた。制服のボタンをつけなおそうとした時、ふと思い立って「一成ってこういうのできるの」と渡してみたら、難なくボタンをつけていた。一成の姿は見えないので、自動的にボタンが縫い付けられていく不思議な光景だったという。
「オレの裁縫セット使う時も『ゆっきーの宝物なのにいいの!?』って、やたらテンション高かったし」
椋たちから聞く話は、天馬にとって初耳だ。一成と過ごす時間が最も長いのは天馬だけれど、全ての動向を把握しているわけではないのだから、それも当然だ。もっとも、少女漫画を読んでたなだとか、接着剤が欲しいと言われたとか、裁縫の話をしていたな、だとか思い当たることはあった。それはこんな話につながっていたのだ。
一成は人の心を細やかに受け取る。だからこそ、宝物に込められた気持ちだってあますところなく理解する。そっと寄り添って、大切なのだと抱きしめる。自分にとってかけがえのないものを知っているから、同じように大事にしていこうとしてくれる。一成はそういう人間だ。誰かの宝物を、まるで自分のもののように心底大切に丁寧に、そっと包み込もうとしてくれるだろう。
一成の持つやさしさが、真っ直ぐとそそがれる愛情が、些細なエピソードから伝わってくる。一成という人間の奥底に触れるたび、天馬の胸には一成への慕わしさが増していく。
ただ、そこから明確な答えにつながるわけではなかった。一成が宝物を大事にしてくれることは、天馬だって充分理解している。自然と思い浮かぶのは、一成が「宝物」だと口にしていた場面だ。「これはオレの宝物だよ」と言って、スケッチブックを見つめていた。全てを抱きしめるようなまなざしで、天馬からの贈り物をとびきり大事にしてくれた。
だからこそ一成は三角定規の絵を描こうとしたわけで――と考えながら、天馬は頭の中に散らばるものを拾い集めていこうとする。あの時一体何があったのか。必要なピースはそろっているのか。考え込みながら、今まで知った情報を組み立てていく。脈絡なく思えるものものたちを順番に並べれば、何らかの意味を持つような気がしている。星座のように、正しい線を結べば何かの形になるような気がする。
しかし、そこで部屋のドアをノックする音が響いて、天馬の思考は霧散する。はっとした顔でドアを見れば、九門を呼びに来た野球部員だった。
「わ、ごめん、山口! 今行くね!」
勢いよく立ち上がった九門はそう言って、三人に頭を下げる。「夜練行ってくる、ごめんね!」と言って飛び出そうとするので、「初戦突破しろよ」「九ちゃんがんばって」「応援はしてあげる」と背中に声かける。九門は「うん! 気になってたことなくなったし、オレめっちゃがんばる!」と答えて出ていった。
◆
日没を待って、天馬は旧校舎へ忍び込んだ。太陽が沈んでしばらくは、まだ周囲も明るい。寮では夜中に外へ出ようとした人間が見つかって、見回りが強化されている。とても夜間外出できるような状態ではなかったし、暗くなってから外へ出ようとすれば見咎められるようになった。罰は与えられないものの、要注意人物として監視対象に入れられる可能性が高い。
だから、まだ外が明るい内にこうして訪れている。もしも夜間の外出が見つかったら、自由に動けなくなる。旧校舎の解体が迫っているこの時期に致命的すぎるので、慎重に動く必要があった。
資材を運ぶ工事関係者の姿は、ちらほら見るようになった。旧校舎内にも資材を運んだりしているらしいけれど、幸い本格的な工事はまだだ。夕方にはいなくなることがわかっていたから、この時間になってから天馬はこっそりと旧校舎へやって来た。
まず訪れたのは、三階の美術室だ。以前と違って、まだ太陽の気配はある。そこかしこに暗闇が潜むなんてこともなく、人けがないだけの単なる校舎といった雰囲気だった。
あらためて、がらんとした美術室に入る。一成が絵を描いていた場所は、太陽の下で見れば至って普通の教室だった。夜の暗さも迫っては来ないし、寒々とした雰囲気もない。一成はここで絵を描いていたんだな、とただの事実として思えた。
天馬は内鍵を開いて、中庭に面した細いバルコニーに出る。通路も兼ねていて、バルコニーを歩いて他の教室にも行けるようになっている。次第に暮れ始めた空の下、手すりに手をついて、天馬は上を見上げた。
思い出しているのは、三角から聞いた話だ。三角はあらためて猫に話を聞いてくれて、結果を天馬に伝えていた。
あの日三角定規をくわえた猫は、三階から四階のバルコニーへ飛び移った。近くには手すり以外にも、手ごろな出っ張りや雨どいがあり、足場には事欠かないだろう。縦格子の手すりは、猫が通れるほどの隙間もあった。難なく四階へ到達して、軽やかな足取りで四階のバルコニー歩いていたのだ。
一成は猫が三角に三角定規を持っていこうとしていることなんてわからないから、どうにか返してもらおうとしたのだろう。鞄に入っていたにぼしを取り出して、猫に向かって差し出したのかもしれない。ただ、四階のバルコニーにいる猫に手を伸ばしても、三階のバルコニーからでは届かない。手すりの上に乗って、ようやく手が届くかどうかだろう。恐らく一成はそうしたのだ。
天馬は視線を転じて、目の前の手すりを見た。アルミでできた、ありふれたものだ。手すり自体は細すぎることもないし、上部は四角張っているから、足場にすることは難しくないだろう。さすがに手すりの上に立つ、なんてことはしていないだろうけれど、腰掛けて伸び上がったか、周囲の出っ張りを支えにして膝立ちくらいはしたのかもしれない。そうすれば、四階にもかろうじて手は届きそうだった。
三角定規を取り返すため、手すりを足場にして身を乗り出す。猫に対して集中していたから、他への注意がおろそかになっていたのかもしれない。それとも単純に不自然な体勢だからかもしれない。一成はバランスを崩して、中庭へ落下したのだ。
天馬はそのまま、視線を下に向ける。旧校舎の中庭は憩いの広場として芝生が広がり、木々も植わっている。美術室の下にはちょうど大きなクスノキがあった。恐らくこれがクッションになったのだろう。何もない場所へ頭から落ちたら、さすがに怪我がないままというわけにはいかなかったはずだ、と思って天馬はぞっとする。
同時に、そうはならなかったという現実を噛み締める。一成は今、生きている。生きていてくれてよかったと思う。たと今天馬の前にはいなくても、いくら呼んでも答えはなくても、一成は生きている。だから決して諦めない。
決意を固めながら、天馬は一階のいつもの教室へ戻る。一成が出迎えてくれることもなく、教室はただひっそりとしていた。気落ちする自分を叱咤して、天馬が一直線に向かったのは、一成お気に入りの机だ。花とちょうちょが落書きがしてあり、机の中にはスケッチブックやペン、未開封の手紙が残されている。もしかしたら読んでくれるかもしれない――と手紙を残してはいるけれど、読まれた形跡はない。本当に一成は消えてしまったんじゃないか、と思うとひるんでしまいそうになるけれど、天馬は首を振った。
深呼吸をして、新しい封筒を取り出す。机に入れると、天馬は「一成」と名前を呼ぶ。きっとこの声は聞こえていない。それでも。
「どこかにいるって信じてる。お前は生きてるんだ。だからきっと、また会える。またお前の笑った顔が見たい。くだらない話をして、何でもない話をして、また二人で一緒に笑おう」
見えないだけで、もしかしたらここにいてくれるんじゃないか、と思いながら天馬は言った。一成に言いたいことは、山ほどあった。謝りたかったし、一体何があったのか聞きたかった。どうしたら目が覚めるのか、記憶を取り戻す方法に心当たりはないか、話したいことはあふれるほどに出てくる。しかし、今天馬が口にすべきことは、伝えたいことは一つだった。
「会いたいんだ」
絞り出すように、天馬は言った。読まれないかもしれない、と思いながら書いた手紙にも同じことを書いている。言いたいことは山ほどあった。ただ、過去の後悔を聞かせるために、一成に姿を現してほしいわけじゃない。一成に目覚めてほしいのは、何度も何度も呼び掛けているのは、単純な理由からだった。
「もう一度、一成に会いたい」
消えてしまった一成。しかし、このまま終わりになんてしたくなかった。顔を見て、声を聞いて、同じものを見て一緒に笑いたい。何でもない時間さえ、きらきらと輝いていた。一緒に過ごした日々はどれも天馬の心に強く残っている。もう一度、そんな風に一成と過ごしたい。もう一度、一成に会いたい。結局のところ、天馬の望みはそれだけなのだ。
天馬の言葉は、空っぽの教室に落ちるだけでどこからも反応はない。予想通りだったけれど形にしたかったのは、これが他ならない天馬の決意だからだ。言葉にすることで自分を奮い立たせたかった。だからこそ、天馬は一人で訪れた。一対一で一成と向き合って、決意を形にしたかった。
じわりじわりと夜が忍び寄ってくる教室で、天馬はたたずんでいる。できるならいつまでだって、教室で一成を待っていたかった。ただ、暗くなってから戻ってくればどこにいたのかと問いただされるし、要注意人物としてマークされる恐れがある。そうなる前に、帰らなくてはいけない。
名残惜しさを振り切って、天馬は窓を開ける。「またな」と言って外に出ると、寮に向かって走って行く。