夜明けまでのエトランゼ 22話




 三角に連絡を取ると、すぐに返事があった。幸い家にいるようで、「今から行く!」とメッセージを送って、天馬は病院から三角の家へ走った。
 門の前には三角が待っていた。息せききって駆け寄った天馬は、一成のペンケースにあったプラスチックを見せて、勢い込んで尋ねる。

「これは、三角の三角定規か?」

 三角は天馬の言葉に目を大きく開く。じっと手の中のプラスチックを見つめると、静かな調子で答えた。

「うん、そうだよ。どこかに行っちゃったのかと思ってたのに……」

 三角の返答に、天馬は大きく息を吐き出す。そうか、やっぱりこれは三角定規だったのか、と思っていた。
 猫が三角定規を持ってきてくれたのだと、三角は言っていた。当然天馬は言葉通りに受け取ったのだ。猫がくわえて三角に届けた三角定規とは別に、割れた三角定規があるなんて、まったく想像していなかった。プラスチックの定規が壊れるという発想自体がなかったのだ。しかし、今天馬の手には割れた三角定規がある。
 病室で見つけた時、もしかしてこれは三角定規じゃないか、と思った。同時に「これこそが三角の三角定規かもしれない」と考えるのは自然な流れだった。今まで何度も話には聞いていた。突然無関係の三角定規が出てきた、なんて突拍子がなさすぎるし、一成が持っていることからも可能性は高い。実際三角本人に確認すればそうだと認めた。一成は三角の三角定規を持っていたのだ。
 恐らく猫が持ってきたのは残りの部分。二等辺三角形の頂角を中心とした、小さな三角形になった三角定規を三角は持っている。二つが合わさって、三角の宝物になる。
 壊れた三角定規。片割れを一成が持っていること。この事実が意味することは何か。考える天馬の頭には、おのずと答えが浮かぶ。何かがきっかけで三角定規が壊れて、たまたま猫が見つけた。それを一成が目撃して追いかけたという可能性はもちろんある。しかし、恐らくそうではない。
 思い浮かぶのは、恐慌を来したような一成の表情。「ごめん、すみー」という言葉。三角にとって、三角定規が宝物であることを知っている。他人の宝物を自分のもののように大切にする人間だ。わかっているからこそ、一つの推測が成り立つ。

 ――三角定規を壊したのは、一成なんじゃないか?

 故意にやったことではなく、恐らく不慮の事態ではあったのだろう。しかし、理由はたいして重要ではなかったはずだ。三角がどれだけ三角定規を大切にしているかなんて、痛いほどわかっている。誰かの大切なものを、同じように抱きしめようとするのが一成だ。他人の心に自然と寄り添える、そういう人間だからこそ。
 三角の宝物を自分が壊してしまった。その事実をあの瞬間に思い出したとしたら、絶望的な表情を浮かべるのもうなずける。三角に対しての謝罪の言葉も当然だ。あの瞬間の光景に、ぴたりとピースがはまっていく。確かな証拠はない。それでも予想できる。三角定規を壊したのは、恐らく一成なのだ。

「半分なくなったままなのは、オレが悪いことしたからなんだって思ってた……」

 呆然とした表情で三角がつぶやく。三角定規が壊れていることを、三角は言わなかった。それは、この結果は自分が甘んじて受け入れなくてはいけない罰だと思っていたからだ。一成の事故は自分のせいだと、三角は思っていた。自分のせいで一成は落下して目を覚まさない。あんな目に遭わせたのは自分なのだから、このまま壊れた三角定規を持っているしかないと考えていたのだろう。だから、誰にも何も言わなかった。元の三角定規を取り戻したいなんて、望むことすら許されないと信じて。
 その言葉に、天馬は眉を寄せる。そんなことを思う必要はないのに。三角のせいじゃないし、三角が宝物を諦める理由なんかどこにもない。一成がそんなことを望むわけがない。

「お前のせいじゃないんだから、戻ってくるに決まってるだろ」

 絞り出すように天馬は言った。やさしくて、誰かに与えた傷に敏感な人だからこそ、三角は自分に罰を与えてしまう。しかし、三角がそんなことをする必要はないと天馬は信じている。事情を説明すれば一成の家族なら返してくれるだろうし、三角のもとに戻してやるのが筋だろう。
 しかし、懸念点はある。もしもこのまま、三角定規の片割れを戻したとしても完全な形ではないのだ。三角定規が割れてしまったという事実は覆らない。だから、天馬は恐る恐る尋ねた。

「ただ、壊れてても問題はないか」
「うん」

 天馬の憂いを気にするそぶりもなく、三角はうなずいた。天馬が手にした三角定規を見つめて、しょんぼりした雰囲気で言葉を続ける。

「昔、オレが折っちゃったんだ……」

 悲しげな表情で、三角は言う。祖父に三角定規をもらったことが嬉しくて、幼い三角は毎日いつでもどこにでも三角定規を持ち歩いていた。毎晩一緒に寝ていたし、お出掛けにも必ず連れて行った。
 ある日のことだ。家族みんなで出掛けることが嬉しくて、三角定規を持ったまま全力で辺りを走り回る。周囲が見えていなくて車道に飛び出しかけたところ、慌てて父親が三角を引き留めた。その時、手から離れた三角定規は地面に落ちて、トラックに踏まれて折れてしまった。
 悲しそうに告げられる言葉を聞いていた天馬は、しばらく意味が飲み込めなかった。しかし、何度も咀嚼してようやく頭に染み込んだ辺りで、唇から言葉がこぼれる。

「――三角が折った……?」
「うん。でも、お父さんがすごくきれいに直してくれたんだ~!」

 一転して明るい表情を浮かべると、三角が言った。宝物の三角定規が壊れてしまって、三角は目に見えて落ち込んだ。普段の明るさが嘘のように沈み込む姿に、家族も心を痛めたのだろう。三角定規を預かった父親は、あれこれと試行錯誤を繰り返し、結果としてきれいに補修してくれたらしい。

「力を入れると壊れちゃうから気をつけてるんだけど、もし壊れたらお父さんがいつも直してくれるんだ」

 いくら丁寧に扱っているとは言え、一度壊れたことは確かだ。頻度は高くないものの、たびたび割れてしまうことはあった。その都度三角の父親は補修を繰り返しており、次第に熟練の域に達していた。よく見ればわかるけれど、はた目には補修されていることはよくわからないレベルだった。わざわざ言うことではないと、一成にも伝えていなかったと三角は答える。
 その言葉に、天馬は脱力して地面にしゃがみこみそうになる。一成の抱えた罪悪感や自責の念を想像して、天馬は苦しくて仕方なかった。宝物を壊してしまったと、一成はどれほど自分を責めただろうか。自分自身に失望して、罪の意識に苛まれ続けていたことは想像に難くない。
 もちろん全てがなかったことになるわけではない。一成がきっかけになって、もろかった場所にダメージを与えた可能性が高い。だから、一つだって悪くないわけではない。それでも、天馬は安堵していた。元から壊れていたものと、一成が壊してしまったのでは、与える意味はずいぶん違うはずだ。もちろん全ては消し去れなくても、この事実を伝えれば、罪悪感は軽くしてやれるはずだ。
 思った天馬は、自分に活を入れる。このまま座り込みそうになったものの、やるべきことはまだあった。一成は何も知らないから、自分が三角の宝物を壊したと思っている。ちゃんと事実を告げなくてはならない。あの謝罪の意味も浮かべた表情の意味も、きっとここからつながっている。消えてしまった理由は、恐らくここにあるのだ。
 あともう少しで、一成に辿り着く。もうすぐ一成は目が覚めるはずだ。これはそのための重大な手がかりだ。あらためて思った天馬は、大きく息を吐き出すと三角を真っ直ぐ見つめた。

「なあ、三角。一成が目を覚ましたら、学校に来るんだよな」

 これからの話をしよう、と天馬は思った。今ここで気を抜いたらいけない。自分を奮い立たせるためにも、未来の話がしたかった。三角は一瞬戸惑うような雰囲気を流してから、こくりとうなずく。

「かずと一緒に卒業するって、約束したよ。だから、かずの目が覚めたらちゃんと学校に行く」
「そうだよな。オレたちも学校にいるし、お前に会わせたい相手もいるんだ」

 頭に浮かんでいるのは九門の顔だった。椋・幸と三角は顔を合わせているものの、九門は部活に出ていて三角とは会っていない。話には聞いているから存在はお互い知っているけれど。だからちゃんと会わせてやりたい、というのともう一つ言いたいことがあった。

「それに、夏にはいろいろやりたいって話をしてるんだ。椋と幸と九門と一成と――それから三角も一緒に」

 今朝、食堂で顔を合わせた時、三人には「夏休みにやりたいこと考えておいてくれ」と言ってある。必ず一成を目覚めさせて、夏休みを共に過ごす。誓いを確かにしたくて告げた言葉だ。三人は一瞬驚いていたものの、楽しそうにうなずいてくれた。
 一成の目が覚めたら、やりたいことはたくさんある。行きたい場所も見せたいものも山ほど思い浮かんだ。夏休みなら叶えられるはずだし、その時のメンバーは自然と頭に浮かんでいた。旧校舎で共に時間を過ごし、一成を目覚めさせるために協力してくれた三人。事故に遭う前からの友達である三角。一成と天馬にくわえた六人なら、きっと何よりまばゆくて明るい季節を迎えられるに違いない。根拠も何もないし、無責任な言葉かもしれないけれど、間違いようのない未来だと思っていた。
 三角は天馬の言葉に大きく目を瞬かせる。困惑した雰囲気で、おずおずと口を開いた。

「オレも行っていいの?」

 一成を介してつながっているとはいえ、それぞれと共に時間を過ごしたわけではない。そんな自分が加わってもいいのか、と心配していることはわかったので、天馬は力強く答えた。

「三角もいた方が、きっと楽しい」

 根拠もないし、これは勝手に天馬が思っているだけだ。それでも、一成だってきっとうなずく。オレたちが欲しいのはこの未来だろ?と、天馬は心の中で一成に思っている。