夜明けまでのエトランゼ 23話




 学校へ戻った天馬は、旧校舎へ入れるタイミングをうかがっていた。一刻も早く、一成に事実を伝えたかったのだ。一成は三角定規を自分が壊してしまった、と思っているはずだった。その罪悪感が目を覚ますことを妨げているのではないか。そうだとしたら、罪の意識を薄めれば目を覚ますかもしれない。だから、すぐにでも三角定規は元から壊れていたのだと、一成に伝えたかった。
 しかし、夏休みが近づいているということで、学校全体はもちろん、寮の空気も浮き立っていた。教師陣もそれは理解しているようで、夜間は見回りがさらに強化されていた。だから、日没前後の明るい内に旧校舎へ入り手紙を残そうと思った。ただ、今日は解体工事関係者が現地で調査でもしているらしい。夕方を過ぎても旧校舎には作業着姿の人たちが作業しており、中に忍び込むことなどできそうになかった。
 人がいなくなるタイミングをうかがって、旧校舎の近くで待っていた。すると工事関係者に見つかって声まで掛けられてしまった。長居はできないと、ひとまず天馬は寮に戻る。
 寮でじりじりとしている間に、辺りはすっかり暗くなってしまった。夜になってからの外出は、見回りの教師陣に見つかる可能性が高い。部活動に所属していれば多少は言い訳もできるかもしれないけれど、天馬は無所属である。そんな状況ではマークの対象になるだけだし、旧校舎へ入るところを見られたらそれでおしまいだ。
 一成に事実を伝えたい。どうにかして外へ行けないか、と寮でそわそわタイミングをうかがっている内に門限になってしまった。点呼を取れば、外出は禁止である。
 とはいえ、簡単に諦めたくはなかった。ようやくつかんだ手がかりであり、一成の目を覚ますきっかけになるかもしれない事実を知ったのだ。今すぐ一成に伝えたい。もしもこれが空振りだったなら、別角度からのアプローチも必要だ。時間は有限にあるわけでもないし、先手で行動しなくてはならない。
 だから天馬は、点呼後談話室に顔を出した。見回りの教師陣の動きを把握するには、人のいるところの方が情報は集まると思ったのだ。外出は禁止だけれど、就寝時刻までは寮内なら自由に動いても問題はない。
 談話室には大きなソファやテーブル、テレビなどが設置されている。思い思いにくつろいでいる生徒たちは、夏休みの話題で盛り上がっていた。

「やっぱり夏って言ったら恋の季節っスよ! デートスポットもいっぱいだし!」
「早くめくって。デートスポット、チェックするから」

 ひときわ大きな声が響いて、天馬は声の方を見る。楽しそうに言って雑誌を掲げているのは赤髪の青年――七尾太一だ。天馬と同学年で、いつも明るく人の輪の中心にいることが多い。そんな太一に真剣な顔で詰め寄ったのは同じく天馬と同学年の碓氷真澄。雑誌のデートスポット特集に対して、並々ならぬ意欲を燃やしている。
 そういえば、片思いしてるとか何とか椋が言ってたな、と天馬はぼんやり思う。太一は慣れた調子で「いっぱいあるっスよ~。あ、でもその前に恋愛運チェックしないっスか?」と答えている。
 恋愛運、と天馬は思う。今までそんなものは一切気にしたことはないし、占いなんてくだらないとさえ思っていたのに。ふたご座の恋愛運はどうなんだろうか、と思うのと同時に一成の顔が頭に浮かんだ。くだらないなんて思えなかった。少しでもいいことが書いてあってほしかったし、良くないことが書いてあったら落ち込んでしまうかもしれない。

「やっぱり、好きな人との相性は気になるっスよね~!」

 朗らかな声に、どきりと天馬の心臓が跳ねる。好きな人。そうだ、頭に浮かぶたった一人。特別な相手なら知っている。これを恋と名付けた。胸が高鳴って、思い描くだけで幸福が満ちる。高揚感にあふれて、ただここにいてくれることが嬉しい。何だってできる気がする。会いたい。いつだって会いたい。
 そうだ、オレの好きな人は一成なんだ。あらためて思った天馬は、恥ずかしくてくすぐったくて落ち着かないけれど、同じくらいに胸が弾んで仕方なかった。


 談話室では特に目ぼしい情報を得ることはできなかった。ただ、太一が気さくに話しかけてくれて、ふたご座の恋愛運がなかなかいいことを知ることはできた。嬉しくはなったものの、旧校舎を抜け出すタイミングは結局わからないままだった。
 結局、就寝時刻が迫ってきて寮生たちは自室へ引き返していった。天馬も同じように部屋に戻ってはいるけれど、そわそわしながら窓から様子をうかがう。一刻も早く一成に全てを伝えて、罪悪感を減らしたい。これが一成の目を覚ますヒントなのか確かめたい。その気持ちだけで、天馬は窓の外を何度も確認する。
 懐中電灯の明かりが、寮の周りを移動している。一瞬見えなくなったと思ってもすぐに次の明かりが現れる。抜け出すのは窓側からである可能性が最も高いという判断なのだろう。重点的にこの場所が見張られていることは想像がつく。この状況で寮を抜け出すのは馬鹿げた行為だとわかっている。
 しかし、天馬の気持ちは止まらなかった。三角から聞いた事実。一成の目が覚めるかもしれない。少しでも早く一成に伝えたかったし、手紙を読んでくれたという実績があるのだ。もしかしたら、今日は一成がいてくれるかもしれない。旧校舎で、天馬を待っているかもしれない。そう思ったら、いてもたってもいられなかった。
 どうしても旧校舎へ行きたくて、部屋に常備しているスニーカーを持ってうろうろしていた。あまり外を眺めていては怪しまれるかもしれない、と窓から離れてもすぐに気になって、カーテンを開けては明かりの位置を確認してしまう。特に重点的にこの辺りを警戒しているのだ。遠い位置に移動したり、明かりが三つから二つになるなど数を減らしたりはしても、なくなることはなかった。
 他のことに気をそらしてくれれば、その隙に窓から抜け出せるんじゃないか。何か大きな音を出すとか――なんてことを考えていた時だ。不意に部屋の扉がノックされた。返事をしてから、慌てて靴を隠そうとするけれど遅かった。入って来たのは椋・幸・九門の三人で、幸が呆れたように肩をすくめて口を開いた。

「ほらね。靴持ってるし」
「さすがに今出てったら、バレると思う!」
「見つかっちゃったら、天馬くんだけ夏休みなしになっちゃうかも……!」

 九門と椋も続いて、天馬が靴を持って窓辺に立っているという事態から状況を察したらしい。いつもは出てこない談話室に天馬がいたことを、太一から聞いたのだという。雑談の中で、見回りのことを気にしていたという情報から、寮から抜け出そうとしているんじゃないか、と予想して部屋を訪れたら案の定だった、と三人は言う。
 特に見回りが強化されていることは、寮生全員知っている。だから、今はもう少し自制した方がいい。監視の目が緩くなってから、寮を抜け出すのが賢明な判断だ。そう思うのは理解できたから、もしかして三人は抜け出す天馬を説得しにきたのか、と身構える。
 天馬の雰囲気を感じ取ったのだろうか。おだやかな笑顔で椋が口を開いた。

「カズくんに会いたいのは、ボクたちも一緒だよ」

 にっこりとひだまりのような雰囲気で言った。さらに、幸が澄ました顔でクールに告げる。

「でもまあ、顔見て声聞けるのは天馬だけだし」
「一番抜け出すの慣れてるの天馬さんだしね」

 はきはきと続いたのは九門で、天馬は首をかしげた。説得や制止をしに来たんだと思った。しかし、これはむしろ正反対だ。天馬の考えを肯定して後押しするような言葉じゃないか。
 不思議そうな顔で三人を見つめると、椋が力強くうなずいた。幸は面白そうに笑っている。九門はぐっと拳を握った。それが答えだった。

「――いいのか?」

 戸惑いつつ、念のためそう尋ねる。すると幸は「別に、脱走の手助けじゃないし」と答えるし、九門も「たまたま先生に用事ができたタイミングがかぶった的な?」と続いて、「偶然そういうこともあるよね」と椋も言う。どうやら、何をするかはとっくに決めていたらしい。
 三人は手短に作戦を話してくれた。もっとも、そこまで大がかりなことをする必要はない。天馬が窓から抜け出す一瞬だけ、隙を作ればいいのだ。大事件を起こすには準備も必要だし、失敗の可能性も高まる。ささやかな出来事くらいがちょうどいい。
 就寝時刻である二十三時までに行動を起こす必要がある、ということで三人はすぐに部屋から出て行った。作戦開始は二十二時四十五分。その一分後に部屋から抜け出すように、という指示だった。
 天馬はスマートフォンで時間を確認しながら、抜け出す準備を整える。窓から見える明かりは、変わらずうろうろ動いていた。見回りは四名の教師が担当している。あれは一体誰なのか。思いながらじっと目を凝らしていると、明かりの動きが止まった。時計を見れば二十二時四十五分ちょうどだった。
 一分を数える天馬は、三人の言葉を思い出している。
 天馬が抜け出すタイミングを作るための作戦はシンプルだ。全員が同じタイミングで、見回りの教師陣の気をそらせばいい。相手は四人。いつの間にか椋たちは三角にも連絡を取っており、しっかり作戦に参加していたので、人数は問題なかった。
 役割分担はすでに決まっていた。左京には椋が勉強でわからないところを聞きに行くし、九門は丞にマッサージのアドバイスを尋ねる。幸はとっておきのマシュマロを取り出して密用のわいろだと言っていた。涯には、クラスLIMEを通じて三角が電話を掛けるという。涯はいつもスマートフォンを持っているしすぐ反応するから、実際に出るかは置いておいても気は引けるはずだ、というのが三角の弁だった。
 時計を見る。秒数をカウントする文字が着実に増えていく。全員上手く行ったのだろうか。少なくとも明かりは止まっている。問題はないだろうか。予想外の出来事は起こっていないだろうか。何もわからないまま、六十秒が経過する。
 時刻が二十二時四十六分を示した瞬間、天馬は窓から外へ飛び出した。成功したかどうかはわからない。オレはただ、あいつらを信じて走るだけだ、と天馬は旧校舎へ向かった。