秋桜と揺れる日々
天馬を迎えに行ってくれないか、と井川から連絡があった。
スタジオでの撮影が予定より早く終わったものの、井川は別の仕事で現場を離れており、すぐに迎えに行けそうにない。天馬は電車で帰宅する気らしいのだけれど、いかんせん無事に帰りつけるのかが怪しい。
時間が空いている人がいれば、一緒に電車で帰ってきてくれないか、という内容だった。
二つ返事で引き受けて、一成は指定されたスタジオへ向かった。学生組はまだ学校だったし、大人たちもそれぞれ仕事や用事がある。
学校にも行っていなければ働きに出ているわけでもなく、知り合いもいない一成は、一番自由時間が確保できる。フットワーク軽くすぐに出てこられるのだ。
それに、天馬の顔を見られるのだと思えば「むしろご褒美じゃね?」なんて思いながら、天馬を迎えに行ったのだ。
井川から教えられた手順でスタジオへ向かい、通用口で待っている天馬のもとへ向かう。オレンジの髪はあざやかだし、まとうオーラの影響か。一成の目には遠くからでもぴかぴか光っているように思えた。
「テンテン!」
笑顔で駆け寄ると、天馬は一成の顔を見ると大きく目を瞬かせた。迎えを頼んだとは聞いていても、誰が来るかまでは知らされていなかったのだろう。しかし、すぐに笑みを浮かべて「悪いな」と言うので一成は首を振った。
「今日はもうオフっしょ? 最近テンテン忙しかったしさ、息抜きにちょっと寄り道しない?」
スタジオの敷地を出たところで、一成は天馬に言う。今日これからのスケジュールがないことはわかっているし、井川からも多少の寄り道は許可を得ている。
だからこその言葉で、明るい笑顔を浮かべているものの、奥底にはうかがうような調子がある。もしかしたら天馬が嫌がるかもしれない。早く帰りたいと言うかもしれない。そういう兆候を見逃さないでいようと、一成はじっと天馬を見つめている。
すると、天馬が楽しそうに笑った。白い歯をこぼして、一成の胸を真っ直ぐ射抜くようなまばゆさで。
「そうだな。このまま帰るだけじゃつまらないし、少しゆっくりしてもいいかもな。一成はどこか行きたいところがあるのか?」
そう言う声は弾んでいて、一成の憂いなんか全てを吹き飛ばしてしまうようだった。嫌がるだとか早く帰りたいなんて言うわけがないだろ、と声や言葉よりもっと確かに伝えてくれる。
受け取った一成は、ほっと安堵する。そうだ、テンテンならそう言ってくれる、という気持ちで、じわじわと体中に満ちるのは確かな喜びだ。
突き動かされるように、顔いっぱいに笑みが広がる。一成はスマートフォンを取り出して、天馬に写真を見せた。
「ちょっと歩くんだけど、結構大きい公園があるんだって。それで、今の時期はコスモスが咲いててエモい写真めっちゃ投稿されてるんだよねん」
表示されているのは、一成がSNSで収集した写真だ。夕暮れだったり青空だったり、様々な空の下にコスモス畑が広がっている。どこか異国の地のような雰囲気もあり、まるで映画のセットにも見える。
天馬は「へえ、面白そうだな」とうなずいて、その公園へ行ってみることにした。
「季節系の投稿はマストだからねん。秋組公演の宣伝にも、コスモス畑ってばっちりっしょ?」
「確かにな。秋組のアピールになると思う」
重々しく同意を返すと、一成が嬉しそうにうなずく。それから「カンパニーアカウント、少しずつフォロワーも増えてるし、ばんばん写真アップしたいんだよね」と続くのは一成がカンパニーのSNSを担当しているからだ。
せっせと作っていたWebサイトは、無事開設にこぎつけた。そのあとは、SNSでの活動が議題に上がった。カンパニーのファンを増やすためには、いろいろな媒体を使った情報発信は重要だし、カンパニーを身近に感じてもらうことも大事だろう。
そういうわけでSNSを活用することになり、運営者として白羽の矢が立ったのが一成だった。
もともと、あちらの世界ではインステをよく活用していたおかげで、操作にも慣れている。好奇心旺盛で明るい話題を選ぶことが得意という点も向いていると判断されたのだ。
一成も「時間はあるからねん」と屈託なく言って、自分なりにあれこれ調べながらSNSを精力的に更新しているのだ。
自分のスマートフォンは持っていないので、業務用として購入したスマートフォンを駆使して、一成は毎日あれこれと投稿をしている。他人を気遣う性質と人を笑顔にすることが得意、という性分が合わさって、SNSでのフォロワーは順調に増えていた。
「どうなるかって思ったけど、秋組もまとまってきたし。公演も今からわくわくしちゃうよねん」
「ああ。稽古も熱が入ってるし、どんな舞台になるのかオレも楽しみだ」
一成の言葉に、天馬も大きくうなずいた。
当初の秋組はお世辞にも上手く行っているとは言い難かった。今でも万里と十座は喧嘩しているし左京の説教も健在だけれど、これまでとは雰囲気が変わっていることも、それにともなって芝居がいい方向へ変化していることも、カンパニーメンバーは気づいている。だから、どんな公演が見られるのかと期待しているのだ。
秋組のあれやこれやについて話しながら、二人は公園までの道のりを歩く。
目を見張るようなものがあるわけではない、何てことのない道のりだ。しかし、ささやかな話をしているだけで時間はあっと言う間に過ぎた。気づけば、それなりに歩くはずの自然公園へと到着していた。
一成が公園の入り口にカメラを向けて、何枚も写真に収める。大量に写真を撮って、あとでアップするものを吟味してから投稿するという。
「どの写真が必要になるわかんないかんね。いろいろ撮っておかないと!」
張りきった調子で言う一成は、すっかりカンパニーSNS担当者の顔をしている。本人が楽しんでやっていることは天馬もわかっているけれど、責任感もおおいに関係しているのだろう。
一成はカンパニー運営において、細々とした雑多なことから事務作業に経理関係などに携わっている。くわえてSNSでの更新も任されているし、フライヤーやWebデザインについても勉強を怠らない。
秋組フライヤーはさらにパワーアップしちゃうかんね、と監督に宣言していた姿は、天馬の記憶にも鮮明だ。
「もともとよく働いてると思うが――最近は前より忙しそうだよな。無理はしてないか」
公園の案内地図を確認して、コスモス畑への道を歩き出した一成の背中に、天馬は尋ねる。
元来よく気がつく性格だし責任感もあるので、寮内の仕事を進んで手伝ってぱたぱたと動き回っていた。さらに、好奇心旺盛でどんなことも楽しんでしまうし、興味のあることには驚異的な集中力を発揮することも知っている。
もともとやることが多い一成が、いっそう忙しくなっているのは間違いない現状だ。休む時間を取り忘れているんじゃないか、と天馬は心配だった。
「大丈夫だよん! 夜更かししてるとむっくんが心配してくれるし、ゆっきーはばっちり休憩タイム取ってくれるし、すみーはサンカク探しに連れてってくれるし」
振り返った一成は楽しそうに言って、天馬の隣に並ぶ。それから、真っ直ぐ天馬を見つめて続きの言葉を口にする。
「テンテンはオレのことちゃんと見てて、こうやって気に掛けてくれるし!」
「――当たり前だろ」
心底嬉しそうに、何だか特別なことのように言うけれど。一成のことを気にするなんて、天馬にとって当然のことでしかない。こちらに連れてきた人間としての義務というのも間違ってはいないけれど、ただ自然と目が追ってしまうのだ。
「一成は本当によくやってると思う。監督と左京さんも褒めてるし、寮のことは大体把握してるから一成に聞けばどうにかなるだろ。それだけでも頼りになるが、サイト作ったりSNS運営したり、劇団にとっても欠かせない存在だ」
隣同士で歩きながら、天馬は言う。
寮での生活がスムーズに行くことも、デザインという方面から劇団の力になってくれることも、SNSを駆使して多くの人にカンパニーの魅力を届けていることも。何もかも、一成が毎日一生懸命になってくれている成果なのだと、はっきり告げる。
一成は天馬の言葉に、ぱちぱちと目を瞬かせた。驚いたような意外そうな表情。ただ、すぐに明るい笑顔を浮かべて答える。
「やりたいことやってるだけだけどさ。そう言ってもらえるとめっちゃ嬉しい!」
一成は、たいしたことをしているつもりなんて一切なかった。むしろ、世話になっているのだからこれくらい当然だとさえ思っていた。
しかし、天馬はそんな一成の行動を「よくやってる」と言ってくれる。当たり前のことだと流すことなく、一成のことをしっかり見ていてくれる。その事実が嬉しくて、胸が弾んで仕方なかった。
「テンテンに言われると、よけいにやる気になるかも! テンアゲな写真いっぱい撮りたいよねん。コスモス畑でやばたんな写真撮っちゃお!」
わくわくした表情で言う一成は、前方に見えるコスモス畑への案内表示を示した。どうやら目的地が近いらしい。
表示に従って大木の並木道を道なりに進む。「コスモス畑 入口」という看板が現れて、矢印に沿って角を曲がると一面のコスモス畑に出迎えられる。
薄いピンクや濃いピンクにときおり白のコスモスが、見渡す限りに咲いていた。暮れ始めた空の下、可憐なコスモスたちはそよそよと風に揺れる。ピンク色の海のような光景に、一成は歓声を上げる。
「めっちゃかわいくね!? 何かちょっとメルヘンな感じするし、夕焼けと合わせるとエモさ倍増って感じ!」
きらきら目を輝かせた一成はさっそくスマートフォンを構える。まずは遠景からこのコスモス畑をとらえようということなのだろう。あれやこれやと場所や角度を変えて撮影する様子を、天馬は面白そうに眺めていた。
「わわ、つい夢中になっちゃった。テンテン、めんご~」
「いや、一成見てるのも面白かったからいい。近くでも見るんだろ」
「そだねん。えっと、入り口はどっちかな」
コスモス畑は遠くから見るだけでも充分魅力的だ。ただ、もっと近くで花を楽しむこともできる。
きょろきょろと周囲を見渡した一成が「あっちだねん」と言って、指さした先には警備員らしき人がたたずんでいた。ちょうど満開の時期ということで、平日でもそれなりの人込みが予想されるのかもしれない。
「え、てか待って、テンテン、コスモスの花摘みだって!」
はっとした顔で言った一成は、入り口近くの立て看板に気づいて天馬に告げる。木製看板には「コスモス花摘み 5本 100円」と書かれていた。コスモス畑自体に入るのは無料でも、お金を払えばコスモス畑から花を持ち帰れるらしい。
「へえ、そんなものあるのか。果物狩りとかはやったことあるが、花摘みはやったことないな」
「オレも! 自然公園とかは連れてってもらったことあるんだけどさ。着いたらすぐ帰っちゃうんだよねん」
さらりと告げる一成曰く、受験面接や外聞のためのエピソード作りの一環として家族で出掛けることはあったらしい。ただ、来たという実績が大事なので、その場所を楽しむことは重要でなかった。当たり障りなく周囲を見たあとは早々に帰宅していたのだ。
催される体験系イベントを楽しそうだ、と思っても言い出せるわけがなかった。後ろ髪を引かれる思いでその場を後にするしかなかったのだ。
「姉さんがやりたいって言ったら、もしかしたらやらせてくれたかもだけど。勉強してる方が好きな人だったから……」
少しだけ困ったような表情で、一成はつぶやく。一成の姉は、幼い頃から頭が良くて、満点以外を取ったことがない。記憶力も抜群で、一度目にしたものは覚えてしまう。教科書を読めば内容もすぐ理解できるので、授業に意味を見出してしない。
一成にはとうてい足元にも及ばないのが姉という存在だったし、両親はそんな姉を特別かわいがっていた。
目を細めた一成は、「本当にすごい人だったんだよねん」とつぶやく。自然公園の思い出から姉へと記憶が結びついて、ほとんど無意識に声になっていた。
「めちゃくちゃ頭良くてオレとは全然次元が違うから、勉強教われるレベルじゃなかったんだけど。でも、オレにとっては自慢だったよ」
小学校の頃は、姉に勉強を教わろうとしたこともある。しかし、一成の姉は何事も最初からできる人間だった。
だから、一成がつまずく理由もわからないし、書いてあることを読めばそれで問題は解けるはずなのに、どうしてわからないのかさっぱり理解できなかったのだ。姉に教われるほどのレベルに到達できないことを申し訳なく思って、一成は勉強の話をしなくなった。
成長するにつれ、両親ははっきりと姉と一成の扱いに差をつけるようになった。
比例して姉弟の関係性は薄くなる。姉はそもそも一成に興味がなかったし、一成は姉に対して気後れを感じて次第に苦手意識を持つようになった。それでも、姉のすごさはよくわかっていた。この人が自分の姉なのだ、と思えば誇らしい気持ちもあった。
しかし、そう告げる一成の顔は晴れない。じっと見つめていた天馬は、ゆっくり口を開く。
「――せっかくだし、やってみるか。オレも興味あるしな」
遠いまなざしを浮かべて、家族や「自慢の姉」の話をしている一成の表情は陰っている。一成にとって、それは決して快い思い出ではない。痛みをさえ伴う記憶だとわかっているから、吹っ切るような調子で天馬は言った。
「もしかしたら役作りに活かせるかもしれないだろ」
楽しげな雰囲気でそう言えば、一成は数秒黙る。しかし、すぐにぱっと笑みを浮かべると「花摘みする役かぁ。赤ずきんちゃんとかかな?」と軽やかに答えて続けた。
「赤ずきんちゃん役のテンテン、見てみたいかも!」
「まあ、どんな役が来てもちゃんと演じるが――」
「プロ意識ばっちりでかっこいいよね~」
和気あいあいと、何でもない話をしながら二人はコスモス畑の入口へ向かった。