秋桜と揺れる日々




 天鵞絨美術大学のカフェテリアは、一成のお気に入りだ。スイーツはどれもおいしいし、見た目もかわいらしい。写真映えという意味でも満点だし、何よりも美大生たちの話を聞けるのが楽しかった。
 一般人も利用可能とはいえ、美大構内にあるという特性から利用者は美大生がほとんどである。
 周囲の座席から聞こえてくるのは、何でもない日常会話だ。ただ、彫刻科が彫像制作について語っていたり、演劇舞踊科がステージ発表の話をしていたりと、ささやかな話すら何かを表現する話につながっているので、耳に入るだけでうきうきとした気持ちになれるのだ。
 もっとも、中途半端な時間帯ということもあり、現在店内にはあまり人がいない。一成もいつもなら講座を終えて帰宅している時間帯だけれど、今日は人を待っていた。

(セッツァーとゆっきーは、もうちょいかな)

 思いながら一成はスマートフォンを取り出して、LIME画面を開いた。寮を出る時に連絡すると言っていたけれど、まだメッセージはない。もう少し時間はかかるだろう。
 一成はそれを確認したあと、すいすいと指を動かしてインステ画面を開いた。カンパニーのものではなく、一成個人のアカウントでさっき投稿したキャラメルラテの写真が目に入る。特に反応があるわけではないけれど、一成の唇には笑みが浮かんでいる。
 キャラメルラテはさっき、ここのカフェテリアで買ったものだ。それを撮影した手の中のスマートフォンも、ようやく入手した一成個人の所有物だった。
 こうして、自分のお金で物が買える、という現実が一成には嬉しい。デザイン会社でのアルバイトを始めたことで、少しずつお金を稼げるようになった結果だった。

 以前左京が「戸籍はどうにかする」と言っていた通り、諸々の手続きを取ってくれた。一成も法律的な知識が皆無ではなかったので、必要な書類をそろえる手伝いもできた。
 何より、左京のツテは強力だった。迅速に手続きが進み、きちんと合法的に戸籍を手に入れたのだ。おかげで一成はアルバイトも始められるし、スマートフォンも契約できた。自分で通信費も払えるし、好きな飲み物だって気兼ねせず買えるのだ。
 まだまだ経済的に余裕があるとは言えないものの、大きな一歩だ。
 デザイン会社のアルバイトは定期的な収入だけではなく、スキルを磨くこともできるし、周囲の人も親切でいろんなことを教えてくれる。オーディションを経て本格的に始動した冬組公演でも、より魅力的なフライヤーをデザインできるだろうと思えた。
 このまま、アルバイトを続けていけば少しずつ貯金も可能だろう。そうすれば、今まで天馬から借りていた分も返せるだろうし、天馬の世話になる場面も減っていくはずだ。
 天馬の稼ぎから考えればさしたる額ではないから気にしていないことはわかっていたけれど、たとえわずかでも天馬の負担になっていることが一成は心苦しかった。だから、自分のできることが増えるのは嬉しかった。

(講座の案内できるのも嬉しいよねん)

 残り少なくなったキャラメルラテに口をつけながら思うのは、今日美大を訪れる万里と幸のことだ。
 一成が美大で公開講座を受けている、ということはカンパニー全員知っている。一成は絵画科開催の講座でいろいろな専攻を学んでおり、最近では日本画が中心になっているものの、当然それ以外の講座も存在する。
 その中で、舞台舞踊科が開催する講座があるという話になって興味を示したのが万里と幸だった。万里は芝居というものを学ぶこと、幸は舞台における衣装という観点から講座を受けてみたいという。
 空きはあったようで、面白そうだと思った一成もくわえた三人で受講することになり、一成は二人を待っていた。
 定期的に美大を訪れているので、構内地図は頭に入っている。カフェテリアのおすすめメニューだって知っているし、大まかな講座の流れだって把握している。何も知らない二人のことを、ある程度案内することは可能だった。
 そんな風に役立てることが、一成には嬉しい。今まで世話になっていた自覚があるから、ささやかながら恩返しができるように思えるのだ。
 それに、一緒に講座を受けられる、ということ自体が一成の胸を弾ませていた。新しい人たちとの出会いも刺激になるし楽しい。ただ、MANKAI寮で日々を共にしている人たちと一緒に同じ講座を受けるというのは、いっそう特別な気持ちになるのだ。
 そんなことを考えていると、スマートフォンがLIMEの通知音を鳴らした。幸からのもので万里とともにこれから向かう、という内容だ。
 一成は了解のスタンプと共に、自分がいるカフェテリアの地図を送った。時間が来たら迎えに行くつもりだったけれど、合流する場所の目安として現在地を知らせた方がいいだろうという判断だ。
 幸からはすぐにメッセージが返ってきて、一成はいくつかやり取りを交わした。もっとも、移動中なのでそう長くは続かない。
 反応がなくなったことを確認した一成は、他の連絡が来ていないかチェックを行う。すると、MANKAI寮全体のグループトークにいくつか新規メッセージがあった。とはいえ、緊急を要するものではなく他愛ない話だ。いくつかスタンプを送った一成は、あらためてトーク一覧画面を眺めた。
 自然と目が向かうのは、盆栽のアイコン。自然と指が動いて、トーク画面を開いた。
 残されたやり取りは、一成がスマートフォンを買って、天馬のアイコンを追加した時のものだ。業務用のスマートフォンでLIMEのやり取りはしていたから、天馬のアイコンが盆栽であることは知っていた。
 ただ、それが自分個人のLIMEに追加された、という事実が嬉しくて特に意味もなくスタンプを送っていた。天馬は呆れていたようだけれど、いくつかスタンプを返してくれたので、一成の胸はおおいに弾んだ。
 しかし、それ以降のトーク履歴はほとんどない。ぽつぽつ連絡事項が並ぶだけで、雑談が続くこともなかった。
 あらためて文字として認識すると、一成の気持ちは沈む。本当はもっと話がしたかった。たいそうなことではなくても、ほんの些細な出来事でも、天馬になら何だって話がしたかったのだ。
 カフェテリアの新作マロンタルトが美味しかったとか、デザイン会社で窓から見える雲が何の動物に見えるかなんて話で盛り上がったとか、駅前で見かけた面白そうな舞台のフライヤーのことだとか。
 胸に浮かんだ情景を一つ一つ数えていく一成は、そこで今日の出来事を思い出す。ついさっきの講座で、交わされた会話。天馬に伝えたいこと。講師から告げられた言葉。

(今日の講座で、画塾に来てみないかって言われたこととか)

 定期的に通っているおかげで、顔見知りはずいぶん増えた。一成自身コミュニケーション能力に長けているということもあり、講師とも気軽に話をするようになった。
 中でも一成は日本画に強く興味を惹かれて、本格的に勉強したいと思うようになった。どんな方法があるかと尋ねたところ、講師は言ったのだ。やっぱり美大で学ぶのが一番だと思うし、一度画塾に来てみたらどうか、と。
 講師と親交のある画塾の名前を挙げて、一度体験してみるのはどうかと提案されたのだ。美大への進学を念頭に置いての話であることは、すぐにわかった。
 とはいえ、二つ返事で美大進学を目指せる境遇でないことは、一成自身がよくわかっている。だから答えにためらっていると、講師は真っ直ぐ一成を見つめて「三好くんには才能があると思う。一度ちゃんと学んでみた方がいい」と告げたのだ。
 その言葉に一成の胸は高鳴った。
 絵を描くことが好きだった。どんな時もずっと描いてきた。日本画を知ってわくわくして、もっと深く知りたいと思った。講師の言葉は、そんな一成の気持ちを、真っ直ぐ拾い上げるようだった。
 本当に才能があるかどうかなんてわからない。講師の言葉が全てではないのだから、いざ勉強してみれば自分の限界に打ちのめされるかもしれない。
 それでも、突然目の前に新しく開けた道はどうしようもなく一成の胸を躍らせた。困難があることはわかっていても、ハードルがどれだけ高いとしても、挑戦してみたかった。
 胸に宿った決意を、確かな思いを天馬に報告したいと一成は思ったのだ。
 こちらの世界に来いと天馬が手を伸ばしてくれた。だから今自分はここにいて、信じられないくらい幸せな生活を送っている。天馬との出会いをきっかけにして、また新しい世界が開かれたのだ。
 心からの感謝を伝えたかったし、きっと天馬は自分のことのように喜んでくれる。嬉しかったことや楽しいこと、心が弾む出来事を一成はいつだって天馬に伝えたい。そうして、一緒に分かち合っていたかった。

(テンテンに言いたいけど、ちゃんと距離取らなくちゃねん)

 連絡事項だけが並ぶLIMEの画面を見つめて、一成は自分に言い聞かせる。
 新しく自分のスマートフォンを購入して以降、ほとんど更新のないトーク画面だ。実際に顔を合わせているので、わざわざLIMEをする必要がないから、というわけではない。
 最近一成は、意識的に天馬と距離を取るようにしている。そうしなくちゃいけないのだと、仕方ないのだと自分を納得させる一成は、今日までの出来事を思い出している。