秋桜と揺れる日々
それから一成は天馬の願い通り、天馬以外との交流を深めていった。
幸とはデザイナーならではの観点で盛り上がって、一緒にショッピングへ出掛ける機会が増えた。
三角の日課であるさんかく探しへ同行するようになり、天鵞絨町の新しい顔を知っていく。
椋から聞いたおすすめの少女漫画について感想を言い合っている内に、お茶会へと発展していき、今では202号室の名物になりつつある。
さらに最近では、本なら何でも読む左京もくわわって、少女漫画について語り合う会が開催されているのだ。一成の交流は、夏組だけに留まることはない。
公開講座に参加してから、美大についての話を万里とする機会が増えた。太一はもともと人懐こいことにくわえて、ずいぶん気が合うこともわかって、二人で遊びに行くこともある。
寮内で絵を描くことにも慣れて、スケッチブックを開いているとよく話しかけられる。特に咲也は嬉しそうに「隣で見ていていいですか」と言ってくれて、日向ぼっこをしているような気持になるのだ。
東とは、海外の風景画を描いていたことがきっかけでずいぶん話が弾んだ。「いつか一緒に旅行へ行きたいね」という言葉に、一成はおおいにうなずいたものだ。
さらに、東の誘いで麻雀をやってみることになり、シトロンや左京も参加して麻雀卓を囲むようにもなった。毎週木曜日に訪れる四人の時間を、一成は心から楽しみにしている。
そんな一成の日々に、天馬の存在はずいぶん薄くなっていた。ドラマの撮影が始まって、寮の滞在時間が極端に減ったからだ。休日も朝から仕事へ出掛けてしまうし、顔を見る機会がそもそもない。
それでも、今までの一成であれば時間を見つけて天馬の姿を探して、毎日の報告をしていたかもしれない。しかし、天馬から「オレ以外との接点を多く持ってほしい」と言われているのだ。
天馬の願いを蔑ろにしたくないし、これはどこまでも自分のことを思ってのことだとわかっている。だからきちんと叶えたくて、意識して天馬ではない人と関わろうと、なるべく休みの日は寮の誰かと出掛けるようにしていた。
「――美術系の古本っていうと、ここの二階かな」
手元のメモ帳と見比べながら言ったのは、冬組リーダーの紬だ。目の前には年季の入ったオフィスビル。この中に古書店が入っているのだと、紬が案内してくれた。
現在冬組はGOD座とのタイマンACTも決定し、公演に向けた稽古の真っ最中だ。ただ、他の組同様一筋縄ではいかないらしい。
特に紬はリーダーとしてあれやこれやと思い悩んでいる姿が日常的に見受けられる。休みの日も芝居と向き合う姿はさすがだけれど、たまには気分転換も必要ではないか、というのが監督の弁だった。
その話を聞いていた一成は、思い立って紬に声を掛けたのだ。「オレ、ちょっと古本屋行きたいんだけど、つむつむおすすめのところない?」と。東から、紬はよく本を読んでいるし本屋や図書館、古本屋が好きだと聞いていたからこその言葉である。
紬は快く教えてくれたので、そのまま一緒に出掛けないかと持ち掛けた。当初、紬はためらっていたものの、最終的にはうなずいてくれたのだ。一成の誘いをむげに断ることに罪悪感があったのかもしれないし、紬も気分転換の必要性は感じていたのかもしれない。
「ベリサン~。スマホじゃ出てこなくって口コミだけで評判になってるお店とか、つむつむがいてくれなきゃ来られないよねん! マジでつむつむがいてよかった!」
心から言ったのは、紬が教えてくれたのはスマートフォンで検索しても出てこない店だったからだ。
一成に尋ねられた紬は、知り合いから聞いたんだけど、と言って特に美術系古書の品ぞろえがいい店のことを口にした。さらに、こうして実際に店まで案内してくれている。
ただ、当の紬は困ったように笑って首を振るだけだ。
「俺にできることなんてこれくらいだから……。カズくんの探してた画集、見つかるといいんだけど」
今回一成が古書店へ繰り出したのは、記憶の中にある画集を探すためだ。
あちらの世界で好きだった、青をテーマとした風景画を集めた画集。こちらへ来てから探してみても見つからず、どうやら出版されていないのではないか、と思った。
ただ、もしかしたら絶版になり忘れ去られている可能性もあるのではないか、というわけで古書店を探してみようと考えた。
見つかる可能性が低いことはわかっていたけれど、行動しないで諦めるのは嫌だった。それに目的の本がなくても、心惹かれる画集に出会えるかもしれない。そう思って、一成は紬と共に古書店を訪れたのだ。
「ありがと! てか、つむつむ、忙しいのにオレに付き合ってくれるのもマジでベリサン!」
「――ううん。たまにはこうやって外出するのも大事だよね。カズくんに声を掛けてもらえてよかったって思ってるんだ。ふふ、カズくんは本当にいろんな人と仲良くなれてすごいな」
おだやかな微笑を浮かべて言う紬は、心から思っているのだろう。確かに、ここ最近の一成は特に積極的にカンパニーメンバーに話しかけているし、どこかへ出掛けている。組のくくりにとらわれず、どんな人のところにも飛び込んでいくのだ。
カンパニーメンバーは誰もが心根が健やかで、気持ちのいい人たちだから親交を深めたい、というのが一番大きな理由だ。
実際、寮にいるだけでは知らなかった顔を見られるし、もっと仲良くなれた気がして一成の胸はおおいに弾む。また遊びに行きたいと思うし、カンパニーメンバーのことがもっと大事になるのだ。
ただ、同じくらい理解していることもあった。たくさんの人に話しかけて仲良くなって、多くの接点を作っていく。そのたびに増えていく思い出はきらきらと輝いて、一成の宝物になっていく。
それを自覚するたび、一成はどうしたって思ってしまう。――ああ、テンテンと話したいな。
もともと天馬には、言葉にできないほど感謝していた。
絵を挟んで向き合っていた時から、一成の心を受け取ってくれたことはもちろん、こちらの世界に来いと手を伸ばしてくれたこと。さらに、夏組の一員として迎え入れて、MANKAIカンパニーという居場所をくれた。
今の生活があるのは、比喩でも何でもなく天馬のおかげだった。だから一成にとって天馬は恩人で特別な人間であることは間違いない。毎日のように顔を見て話をしていたこともあり、ぱたりとその機会がなくなって寂しいと感じるのも自然だろう。
しかし、他のメンバーと過ごす時間が増えれば今の状態にも慣れて、寂しさも和らぐはずだと考えていた。天馬の不在もいずれ日常になり、「テンテンめっちゃ忙しいよねん」なんて笑っていられるようになる。そう思っていたのに。
時間が経てば経つほど、募るのは天馬への思慕だった。顔が見たい。会いたい。話がしたい。話を聞きたい。何をしていても天馬のことが頭から離れなくて、慣れるどころかそれまで以上に、天馬のことを考える機会が増えていったのだ。
みんなと仲良くなればなるほど、楽しい思い出が増えるたび、天馬に「こんなことがあったよ」と言いたかった。きっと天馬は楽しそうに話を聞いてくれて、「よかったな」と笑ってくれる。
同じくらいに、天馬が過ごした時間を少しでも教えてほしかった。何を思って、どんなことを感じていたのか。近くにいないからこそ、よけいに天馬は今何をしているだろうかという気持ちが強くなるのだ。
「俺もいろいろ本を見てみたいなって思ってるんだ。中庭で育てた花で、何か作るのも面白いかなって。デザインの参考になる本を探したいんだ」
おだやかな微笑で言いながら、紬はビルの扉を開く。物思いにふけっていた一成は、はっとした表情を浮かべて「中庭の花きれいだよねん!」と反応する。
紬が手入れをしている花壇は、どれもが見事な色彩で団員たちの目を楽しませてくれているのだ。紬は嬉しそうに笑った。
「ありがとう。夏組のみんなで、いろいろ工作をしてるのが楽しそうで……。押し花で何かを作れたらいいなと思ってるんだ。やっぱりしおりとかがいいかなぁ……台本にも挟めるし……」
後半は単なる独り言だったのだけれど、一成は内心でドキリとする。さっきまで天馬のことを考えていたところに、さらに天馬を連想させる言葉が聞こえてきたからだ。
(テンテン、しおり使ってくれてるかな)
思い浮かべるのは、天馬にプレゼントしたお手製のしおりだった。
天馬から距離を取ろうと言われる前のことだ。
一成は、大体いつも天馬のために何ができるか考えている。天馬にはたくさん力になってもらっていたから、少しでも恩返しがしたかった。だから、何かできることはないだろうか、と常に思っていたし、天馬を喜ばせたかった。
きっと天馬なら何だって喜んでくれるけれど、今までの会話を思い浮かべた一成は天馬のために絵を描こうと思った。
不思議なギャラリーで二人の時間を過ごしていた時も、別れを予感した天馬は「一成の絵が欲しい」と言ってくれた。
こちらに来てからも、一成が絵を描いている姿を嬉しそうに見守っていてくれたし、コスモス畑でも一成の描いた絵が欲しいと言って、実際とても喜んで大事にしてくれているのだ。だからこそ、天馬に絵を描こうと思った。
一成は、すぐに必要な物を買いそろえて心を込めてしおりを作った。天馬が選んでくれたコスモスはしおりにして大事にしているので、作り方はよくわかっている。
それに、大きな絵だとびっくりさせちゃうかも――という懸念があったし、小さなしおりであれば持ち運んでもらえるかも、という期待もあった。
台本や文庫にも挟めるし、スマートフォンのケースにしまうことだってできる。それくらいのサイズなら、どこでも天馬と一緒に連れて行ってもらえるかもしれない。
そんなことを夢見て、一成は丁寧に絵を描いた。一枚は向日葵畑、もう一枚はコスモス畑。天馬と過ごした季節を思い浮かべながら、鉛筆を走らせて水彩絵の具で色を塗った。焼け付く日射しも、夕暮れの風も感じられるような、渾身の出来栄えだった。
ただ、前触れもないプレゼントであることは違いない。困惑するかもしれない。不審がられるかもしれない。そんなわけはないと思いながら、拭いきれない不安におずおずしながら差し出すと、天馬はぱっと顔を輝かせて受け取ってくれたのだ。
頬を紅潮させて、白い歯をこぼして「いいのか」なんて言うから。一成は思いっきりうなずいて「テンテンが喜んでくれるかなって、思いながら描いたんだよ」と一生懸命告げた。
カンパニー宣伝用のSNSやWebサイトの更新、デザインの勉強に公開講座の課題、カンパニーの細々とした仕事、アルバイトの面接。
日々やるべきことは山積みだったけれど、天馬に贈るプレゼントを作る時間は一成の胸を弾ませた。
素材ははどれがいいか、どんな構図がいいか、配色はどうするか。一つ一つに頭を悩ませながら、少しずつ形になっていくのが楽しくて、うっかり夜遅くなってしまうこともあったくらいだ。
天馬がそれを知れば「無理するなよ」なんて言うだろうけれど、夜更かしをしてあくびすることでさえ一成には嬉しかった。天馬のことを思って夜を過ごせることは、天馬が喜んでくれるだろうかと思いながら作業を進めることは、確かな喜びだったのだ。
テンテン笑ってくれるかな。嬉しいって思ってくれるかな。そう考えるだけで、一成にはいくらでも力が湧いてきたし、空だって飛べるんじゃないかなんて思うくらいだった。
天馬は一成のしおりを気に入ってくれたので、恐らく日常的にも使ってくれているだろう、と一成は思っている。
ほとんど顔も見られないし、一緒に過ごす時間もない。しかし、自分の作ったしおりが近くにいてくれるなら、まるで同じ日々を過ごせるような気がしていた。
「ああ、ここだね」
ゆっくり階段を登り切った紬が、目の前の扉に目を向ける。アンティークがかった看板がかかっており、見慣れないアルファベットが並んでいる。どうやらこれが店名なのだろう。紬が扉を開くと、深みのあるドアベルの音とともに部屋いっぱいの本に出迎えられる。
落ち着いた明かりに照らされるのは、ずらりと並んだ木製本棚と隙間なく所蔵された書籍たち。美術系の本が多いということで、大きめの画集なども豊富にそろっているようだ。一成が目を輝かせていると、紬もにっこり笑みを浮かべている。
「すごいなぁ。どれも手に取ってみたくなるね」
「うん、めっちゃテンアゲ空間!」
古書店という場所柄、二人とも声量を抑えて会話する。一成もきらきら目を輝かせているものの、いつもよりだいぶ控えめな反応だ。紬はやわらかな笑みを唇に刻んでから、そっと言った。
「俺はあっちを見てみるね。カズくんも、いろいろ探したいものがあると思うし……」
店内は思ったよりも広く、並んだ本の種類も多種多様だ。ざっと周りを見渡した紬は、デザイン系統の本棚と画集の本棚の位置を把握して、離れた位置にあることを確認したらしい。指先で示す方向は、店内の端と端といった具合だ。
店内まで連れ立つ必要は確かにない。それに本を選ぶというのは、自分の中に深く潜っていくような行為だ。自分と対面する時間なのだと考えれば、個人行動が道理かもしれない。
紬の考えを察した一成はこくりとうなずいて、ひとまずそれぞれが好きに店内を歩くことにした。
当然一成は画集の棚に向かった。記憶にある青い風景の画集を探したかったのだ。
作者の名前や出版社は正確に覚えていない。ただ、紙製のケースのつるつるした感触や持った時の重み、ケースに描かれる夜明け前の海と空が青い光に照らされる風景、銀色の箔押しがされた「BLUE LANDSCAPE」というタイトルははっきり刻み込まれている。
しかし、覚えているといってもそれだけだ。実際に巡り会う可能性は限りなく低いだろうし、運に頼るしかない。わかっていても、もしかしたら――と思いながら一成は画集の棚の前に立つ。視線の高さに並ぶ背表紙から、目に飛び込んだ青い本を一冊ずつ抜き取っていった。
記憶にある画集が現れる、なんて劇的なことは起きない。それでも、「いいな」と思う画集は何冊かあった。
どれかを買っていくのもいいかもしれない、と思いながら一成は本棚から画集を取り出しては中身を確認していた。一つの棚が終われば次の棚へと、よどみなく移動していく。
しかし、とある一冊を手に取った瞬間全ての動きが止まった。
青い風景の画集ではなかった。ただ、どうしようもなく心臓が高鳴って仕方ない。一気に顔に熱が集まる。一成は呼吸すら忘れて、手の中の本を凝視していた。
(えっ、テンテンだよね!?)
青空を背景に、真っ直ぐこちらを見つめるのは今より少し幼い顔立ちの天馬だった。力強い瞳に、はにかむような笑みを浮かべた表紙が、光を放つように一成を射抜く。
(なんでテンテン!? テンテンに会いたすぎて幻覚見てる!?)
馬鹿げたことを本気で思いながらも、一成は目の前の天馬から目が離せない。
場所はどこかの海辺だろうか。太陽の光を受けて、オレンジ色の髪がきらきらと輝く。紫色の瞳は宝石のまばゆさで、神様が丹精込めて作ったように整った面立ちには、ほんの少しのあどけなさが混ざる。
胸をぎゅっとつかまれるような魅力が写真一枚からでも伝わってきて、一成の心臓は目まぐるしく鳴り続ける。
表紙の天馬をしばし見つめたあと、息が苦しくなって呼吸を止めていたことに気づく。我に返って大きく息を吸ったところで、ようやく思考がクリアになっていった。
周りを見渡せば、画集の本棚は写真集に隣接している。移動している内に、気づかないままジャンルを超えていたらしい。
美術系の本が多いとはいえ、一般的な写真集も取り扱っているようで、天馬の写真集が現れるのも意外な話ではなかった。幼い頃から子役として活躍しているのだ。仕事の一環として写真集が出版されていても、おかしくはない。
(これ、中学生くらいかな……。テンテンかわいい……)
ドキドキしながらページをめくる一成は、しみじみ思う。
今の天馬もときどき「かわいいな」なんて思うことがあるけれど、写真集の天馬は今より少々幼いので、よけいにその気持ちが強くなるのだ。
内容としても「大人びていく瞬間の少し前」を意識しているのか、無邪気な様子を収めているものが多い。今の天馬にも通じる青年期への片鱗も見えるけれど、はつらつとした少年の趣が強かった。
(テンテン、こんな感じだったんだ)
楽しそうな笑顔はあくまで仕事用のものかもしれない。プロ意識の高い天馬なので、求められるものを的確に返した結果がこの写真なのだろう。
ただ、恐らく幼い頃の天馬はこんな表情を浮かべていたんだろうな、と思う。もしもプライベートでも親交があったなら、きっとこんな風に笑ってくれるのだ。
一成が天馬と出会ったのは、つい最近のことだと言っていい。まだ一年も経っておらず、高校生の天馬しか知らない。だから、それより前の少年時代といった天馬の姿を見られることが嬉しかった。
子役として有名だから、小さな頃の天馬を知っている人間はそれなりにいるだろうけれど、一成の世界に役者皇天馬はいなかったのだ。少なくとも、リアルタイムで天馬の幼い姿を知ることはできなかった。
(――カンパニーのみんなも、この写真は知らないかもしれない)
中学生くらいの天馬を見ながら、一成はそっと思った。胸の中にじわりと感情がにじんでいく。
カンパニーメンバーと仲良くなるにつれ、それぞれの趣味やプライベートを知る機会が増えた。特に意図したわけではないものの、一成は天馬がきっかけで入団したこともあって、天馬の話題が出ることも多い。
その中で、カンパニーメンバーにとって天馬は同じカンパニーの仲間である、という意識が先にあって、あまり芸能人としてはとらえられていないことを知った。
事実として売れっ子役者であることは知っていても、取り立てて芸能人皇天馬という意識をしている人間はいない。だから恐らく、わざわざ写真集を買っているようなメンバーもいないだろうと思った。
今より少し前に出版された、ファンに向けて作られたような写真集。カンパニーのみんなが手に取ったとは思えない。だからきっと、カンパニーでこの写真を知っているのは自分だけなんじゃないか、と思った一成の胸ににじんだのは、はっきりとした喜びだった。
その事実に、一成の心臓がドキリと鳴った。最初に天馬の写真集を見つけた時の胸の高鳴りとは違う。これはもっと、強くて濃くて、どろどろしている。だってこれは、この感情は。
カンパニーのみんなと仲良くなるにつれ、一成は他のメンバーのことが大好きになった。夏組は当然特別だったけれど、MANKAIカンパニーのみんなは魅力的で、楽しいことや嬉しいことを分かち合いたいと思った。
それなのに、今写真集を手に取る一成ははっきりと思っていた。
(オレしか知らないテンテンの顔があることが、嬉しい)
全国的に出版されているのだから、写真自体は多くの人の目に触れているだろう。ただ、その誰も天馬のプライベートを知る人間ではないのだ。そして、もっと近い位置で天馬を知る人物――MANKAIカンパニーのメンバーはきっとこの写真を知らない。
天馬と親しくしている人間の間で、この写真集を見たことがあるのはきっと自分だけなんじゃないか、と思うと一成の胸は甘美な気持ちで満たされる。だってずっと思っていた。口にしないだけで、奥底にあったものを知っている。
夏組の仲間として天馬とは特別なつながりを持っている。だけれど、当然それ以外のカンパニーのメンバーとも天馬は親交を深めている。
同じ学校に通っているから、太一や十座とも仲がいいし、万里とよく買い物に行っているのも知っている。何か迷ったら咲也に相談しているし、監督とも真剣な顔で話し込む姿を見掛けたこともある。
天馬がいろいろな人と仲良くしている事実を喜びこそすれ、それ以外のことを思う必要なんてないと頭ではわかっていた。しかし、一成は自分の前とは違う顔を見せる天馬の様子にずっと思っていた。
あんな風に笑うのは、やさしくしてくれるのは、オレだけでいいのに、なんて。
これはきっと、一成をこちらの世界に呼んでくれた天馬だからなのだと思っていた。
恩人であり特別な相手だから、自分勝手な独占欲を抱いているのだと。狭い世界で生きてきた結果、子供みたいなワガママを抱いているだけで、情緒が発達していないだけなのだと。
たくさんの人と触れ合って精神的に成長すれば、天馬への執着もなくなっていくのだろうと、そう思っていたはずなのに。
目の前の写真集を見つめる一成は、雷に打たれたようにはっきり理解した。
手の中の写真集。カンパニーのみんなはきっと知らない、かわいくてかっこいい天馬の姿。自分しか知らないのだと、優越感を覚えてもいいのかもしれない。
しかし、これはあくまで芸能人としてファンに向けられた表情だということもわかっていた。天馬の魅力が充分に伝わってくるから胸は高鳴るけれど、これは不特定多数へ対する顔だ。万人に向けられたものであり、あくまでこの天馬はみんなのものでしかない。
こんな風にあどけなさをまじえて、魅力的な青年になっていく途中の表情を一成にだけ見せてくれたたわけではない。ファンであれば誰でも見られる顔だ。
それなら、日常生活の天馬を知っているのだと思えばいいのかもしれないけれど。寮で過ごしている限り、条件はカンパニー全員同じで、日常の天馬はみんなにとって見慣れたものだ。
近しい場所にいるから、いろんな天馬の顔を知っている。だけれど、どれ一つとっても一成だけのものではなかった。
その事実を理解したからこそ、芽生えた感情が胸の奥から湧き出して、はっきりとした言葉になる。
(オレだけに見せる顔が欲しい。芸能人でも他の誰かに向けるのでもない、オレだけのテンテンが欲しい)
するりと言葉は形になった。万人に向けての顔じゃない。カンパニーのみんなにだって見せたことがない。オレだけしか知らない、オレだけのテンテンが欲しい。
形になってしまえば、一成はもう観念するしかなかった。渦巻く気持ちも、じわじわとにじむ感情も、さっきから胸に渦巻くものも。何を意味するかなんて、火を見るよりも明らかだった。
――これは独占欲だ。これは嫉妬だ。他の誰かのものになってほしくない。オレだけのテンテンでいてほしい。
(オレはテンテンの特別になりたいんだ)
はっきりと自覚した一成は、手の中の写真集をじっと見つめる。
今までずっと、天馬への気持ちは恩人だからなのだと思っていた。事実それは間違ってはいないのだけれど、きっともうそれだけでは満足できないのだ。
だって一成は、自分の望みを知ってしまった。
特別になりたい。他の誰とも違う扱いをしてほしい。自分だけしか知らない顔をたくさん見せてほしい。それは、友達や仲間の一人としてだけの意味ではなかった。
天馬は一成に対して責任感を覚えているから、特別にしてくれるだろうことはわかっていた。しかし、それはあくまで天馬のやさしさや責任感から来るものであると、一成は理解している。同時に、求めているものはもっと違う形をしていることも。
(――この世界で一番、オレのことを特別だって言ってほしいなんて)
まばゆいばかりの天馬の写真に目を細めながら、一成は思っている。たった今自覚した気持ち。特別になりたいと思った。天馬の一番になりたかったし、自分しか知らない顔で天馬に笑ってほしい。自分だけに見せる顔で、とびきりの言葉をささやいてほしい。
自然と頭に浮かんだのは、天馬が出演する恋愛ドラマのワンシーンだった。天馬に言われたいこと、見せてほしい表情として、もしも願っていいのなら。
(好きだって、オレのことが特別なんだって言ってほしい)
ドラマの中で何度も口にしただろう愛の告白が、一成の頭には鮮明に浮かんでいた。たとえばこんな海辺の景色で、ロマンチックなイルミネーションが輝く街で、二人きりで過ごす部屋の中で、天馬は今まで、多くの愛をささやいてきた。
もしも望んでいいのなら、天馬からどんな特別が欲しいかと考えたら、答えは自然と導き出される。
真剣な表情で、真っ直ぐ一成を見つめて、真摯な響きに燃えるような情熱を宿して、きっと天馬は言ってくれる。「好きだ」と、心を丸ごと取り出して届けるように、想いを告げてくれる。
その対象が自分でありたいなんて。他の誰かに同じことをしてほしくないなんて。愛の告白を向けてほしいなんて。思うことが、自分の気持ちへの明確な答えに他ならない。
◆ ◆ ◆ ◆
(テンテンの写真集、いい買い物だったな~)
空になったキャラメルラテのカップを手のひらで包み、一成はぼんやり思っている。カフェテリアで今までのことを思い返していると、自然と思考は紬と出掛けた古書店でのものになっていた。
あれから一成は、写真集を手にしたまま立ち尽くしていた。自覚した感情が恋と呼ばれるものであることは理解したものの、どうしたらいいかわからなかったのだ。
恐らく、それなりに時間は経っていたのだろう。一通り店内を見て回った紬に声を掛けられて、一成は慌てて写真集を棚に戻した。別に隠すことではないのだろうけれど、紬に天馬の写真を見られたくないと思ってしまった。
結局、思い出の画集を見つけることはできず、「残念だったね」と言い合いながら寮へと帰ったのだ。
ただ、一成はそれからこっそり天馬の写真集を調べると、あらためて書店へ向かった。さすがは売れっ子役者というべきか、きちんと書棚に並んでいたので、アルバイト代を握りしめて購入に至ったのだ。
もっとも、恋を自覚している手前、おおっぴらに購入を報告することも恥ずかしい。自分の気持ちがバレてしまうような気もしたし、そもそも天馬とは距離を取ろうとしているのだ。
わざわざ言うこともないよねん、と自分に言い訳をして部屋にこっそり隠し持っている。時々取り出して眺めては、「テンテンめちゃくちゃかっこい」と胸をときめかせているのは、椋にも内緒だった。
天馬の写真を見ているだけで、どうしようもなく胸が高鳴る。呼吸も速くなるし、顔も熱くなって、写真なのに目が合わせられない。同時に実際の天馬に会いたかったし、話がしたかった。
特別なんだとやさしい目で見つめられたら、愛の言葉をささやかれたら、と想像すると夢でも見ているようにふわふわ気持ちが舞い上がる。これは恋だと、一成はすんなり理解した。今までそんな経験はなかったけれど、自然とこれがそうなのだと思った。
ただ、何かしら行動を起こすつもりはなかった。思いを打ち明ける気もなかったし、アプローチだって考えてはいない。写真集を見てはときめいているくらいだった。
天馬の言う通り、一成の世界はあまり広いとは言えない。ようやくアルバイト先という場所ができたものの、一成の人間関係はカンパニーメンバーが大半で、それ以外では講座で知り合った人たちだ。
家族もいないし、学校にも通っていないから自然とそうなってしまう。この状態で「天馬のことが好き」と言ったところで、「一成が他の人との接点がないから、そんな風に思うだけなんじゃないか」とやんわり告げられるのではないかと思った。
狭い世界の中で出会った、こちらへの道筋を示した相手だから選んだだけで、もっと多くの人と触れ合えば別の誰かと恋に落ちるんじゃないか、なんて。
そんなことはない、と一成は断言できたけれど。そもそも一成は、恋心を自覚した時点で天馬に気持ちを伝えないことを決めていた。
だって天馬は、一成にとってずっと特別な人なのだ。
不思議なギャラリーで天馬に出会い、一成の心を真っ直ぐ受け取ってくれた。誰からも否定された一成の絵を好きだと言って、大事にしてくれた。
さらに、こっちの世界に来いと手を伸ばして、新しい居場所をくれた。ここへ来られてよかったと、何度だって思った。大好きな人たちと同じ場所で生きられること、大好きな絵が描けること、夏組のみんなと芝居ができること。
ここで過ごす日々は一成にとって全てが掛け替えのない時間で、比喩でも何でもなく天馬に人生を救われたのだと思っている。
だからこそ、恋心なんて伝えてはいけないのだ。面倒を見てもらって、お世話になって、天馬のおかげで今があるのだと心から思っている。それにくわえて片思いまでしているなんて、あまりにも重すぎる自覚があった。
(テンテンに向ける気持ちが大きすぎて、迷惑になっちゃうよね)
恩人で、自分を救ってくれた人で、片思いの相手なのだ。一成の気持ちの大半以上が天馬に向かっていると言っても過言ではない。天馬が危惧した通り、あまりにも一成の世界は天馬に占められているのだ。
まるで自分の心を丸ごとぶつけるような。何もかもを全て捧げようとするような。そんな重い気持ちを受け取ってくれだなんて、望んではいけない。
(これ以上テンテンに負担かけたくないし。ちゃんと振ってくれると思うけど、テンテンやさしいからそれも気にしちゃいそうだし……)
恋心を自覚した時に思ったことを、一成は再度確認する。
ただでさえ、一成は天馬に生活全般の面倒を見られている立場だ。天馬は責任感があるしやさしいから、何かと気にかけることを当たり前だと言うけれど、本来ならしなくてもいいことをしているのも確かだ。
そこにくわえて、実は片思いをしているだなんて知ったら、きっと思い悩ませてしまう。しかも、世界の大半を占めるような相当重すぎる気持ちなのだ。
受け取ってほしいなんて迷惑にしかならないだろうし、天馬の性格から考えてなかったことにできるはずもない。何かアクションをしなければ、と考えるだろう。そんなこと、天馬の負担になるに違いない。
古書店で自分の気持ちを理解した時、一成はそう考えてするべき行動を決めたのだ。これ以上天馬に迷惑をかけたくない。自分の好意は、天馬の負担になる。だから。
(この気持ちは伝えない。伝えちゃいけないんだ)
だからきっと、この現状は正しいのだと一成は思う。天馬はあくまで一成のためを思って、自分以外と接点を持つようにと言ってくれた。事実として間違っていないと思うから、素直に従っているけれど今の一成からすれば、幸運な提案でもあった。
伝えてはいけない気持ちを抱えたまま、天馬と今まで通り過ごすことはきっと難しい。
だから、どれだけ会いたくても話がしたくても、このまま距離を取るのが一番だ。話をする機会を意識して減らして、少しずつ関わりを薄くしていく。単なる夏組の仲間として天馬と過ごせるように、自分の気持ちを押し殺していくのが正しいのだ。
そう思う一成は、ぼんやりスマートフォンを見つめている。そろそろ幸と万里が到着するだろうか。
気を抜くと天馬のことで頭が埋まってしまいそうだから、一成は舞台舞踊科の講座内容について考えることにした。
「秋桜と揺れる日々」END