おやすみナイチンゲール 03話
ベンチに腰掛けて、一成はスマホを操作している。大学構内にいくつか設置された休憩所の一つで、奇抜なデザインの屋根が特徴的だった。何期か前のデザイン学科の卒業制作らしい。
学科棟からほど近いこともあり、さっきから授業を終えた学生があちこちへ歩いていく。午後の授業も一段落して、帰宅する学生も多い時間帯だ。
「あれ、カズじゃん!?」
LIMEに返信していると、突然声を掛けられた。顔を上げれば、同じく日本画専攻の友人が立っていた。人懐こい笑みを浮かべて近づいてくると、隣に座る。一成はスマートフォンをポケットにしまった。
友人は明るい笑顔で、先ほどまで受けていた授業の話題や何でもない話を口にした。教授の雑談が面白かっただとか、来期の展覧会情報だとか画材屋の割引セールのことだとか。
大袈裟な身振り手振りとともに、冗談を飛ばすみたいな口調で言葉を並べる。
「でさ。カズ、体調は平気なわけ?」
一通りの話が一段落したところで、友人は心配そうな表情で尋ねた。一成の調子が悪そうに見えた、というわけではないことくらいさすがにわかっている。一成は努めて明るく答えた。
「だいじょぶだよん! 退院してからだいぶ経ってるし、むしろ規則正しい生活してるから、前よりめっちゃ元気!」
友人は一成の言葉に、見るからにほっとした表情を浮かべる。嬉しそうに「なら良かった!」と言っていて、それは紛れもない本心だろう。
「カズが通り魔事件見たっていうのもビビったけど、犯人に刺されるとかマジですげー心配したし!」
心から、といった調子で言う通り。目の前の友人は、一成が刺されて入院したこともその経緯も知っていた。
無事に退院して大学へ復帰していることはわかっていたけれど、事情を知っているだけにやはり心配なのだろう。
「ごめピコ~。刺される予定はなかったんだけどねん」
「刺される予定あるほうがおかしいだろ」
「たかし!」
からからと笑って軽口をたたき合う。すると、友人はしみじみとした調子で言葉を落とした。
「マジで元気そうで安心したわ。何かほら、カズのカンパニーの人たちめっちゃ来るじゃん。摂津は――今日はいないみたいだけどわりと一緒にいるから、カズなんか大変なのかと思ってた」
きょろきょろ、と辺りを見渡して他に誰もいないことを確認したらしい。
目の前の友人は、万里とも親交がある。いつもというほどではないにしろ、万里が度々一成に付き添っていることは何となく察していたのだろう。
「付き添いが必要ってことはやっぱ具合悪いのかな、とか思ってさ。でも、何か元気そうでよかった」
「めっちゃ元気だよん! 普通に大学来られてるし――てかまあ、あんまり休むと単位やばたん的なあれもあるけど」
明るい笑顔で言うのは、今回の件で授業を長期間休んだ件についてだ。幸い、事情が事情だったので代替案が示されており、単純な欠席扱いにはされていない。友人は「ああ」とうなずいた。
「レポートと課題の追加提出だっけ?」
「そそ。あ、デザイン論のノート、マジでありがとん! 助かった~! あとでお礼するねん!」
今回一成に示された代替案は、通常の提出物にレポートと課題を上乗せするというものだ。通常であれば一つでいいところを、二つ以上提出しなくてはならない。
純粋にやるべきことが増えるので忙しくなるけれど、授業を欠席したことは事実なので、これくらいは当然だと思っている。
制作自体は好きだし、レポートや試験も一成は得意なほうなので、あまり苦に思わないのは幸いだろう。
ただ、レポートの類は授業内容をベースにするので、ノートなり何なりがなくては成り立たなかった。目の前の友人は、一成が欠席した授業のノートを貸してくれた人間だ。
心からの感謝を口にすると、慌てたように首を振った。
「困ってるならこれくらいするって。むしろ、オレのほうがカズには世話になってるし! 美術史概論とかカズのノートなかったらマジで落としてたし……」
ぼそぼそと言うのは、大多数が一年次に取得する必修科目の話だ。一年・二年と落第し続けて、三年でようやく単位を獲得したのだけれど、試験の際に一成がノートを貸した経緯があった。
確かに、いたく感謝された記憶はあった。ただ、一成としてはお礼がしたいというのも本心だ。そう言うと、友人は少しだけ考えてから口を開いた。
「じゃあ、都市デザインの実習の時ちょっとアドバイスしてくんない? 空間デザインってオレあんまり得意じゃないからさ、カズにちょっと話聞きたいかもしんない」
「おけまるだよん! フィールドワークでデザイン収集して、最終的にデザイン案発表するやつだよねん」
「そうそう。公園とかの公共系空間とか美術館とかのディスプレイ系とか色々あって迷うんだよな~」
二人とも共通で取っている科目なので、あれやこれやと話が弾む。デザイン自体は一成の得意分野だし、実際に街に出るフィールドワークというのも好奇心が刺激されそうなので、一成も楽しみにしているのだ。
確か、実際に街で何を見るかという点は事前に申告が必要なので、そろそろ方向性は決める必要がある。一成も一緒になって何がいいか、と頭を悩ませていた。
しばらくの間そうしていただろうか。マナーモードを解除していたスマートフォンが、LIMEの通知音を連続で鳴らした。
一成は「ちょっちごめん」と断りを入れてからスマートフォンを操作する。
友人は気にしなくていいし、と笑って自分もスマートフォンを取り出した。気を遣ってのこともあるし、実際自分もやるべきことがあるらしい。
その様子にほっと息を吐き出して、一成はスマートフォンへ目を向ける。
LIMEの新着メッセージは夏組のトークルームで、そろそろ授業が終わったころなのかもしれない。
未読のメッセージに目を通せば、今日は帰りに本屋に寄るという椋が「何か買うものあるかな?」と尋ねている。九門が「オレちょっと見たい雑誌ある!」と答えて、待ち合わせをしようかなんて話が続いていた。
幸のメッセージはないけれど、恐らく椋と一緒に帰宅するだろうから、本屋には幸も同行するに違いない。
まるで声が聞こえてきそうな、にぎやかなLIMEのトークだ。思わず笑みを浮かべると、友人は何だか楽しそうな表情で口を開いた。
「夏組?」
「え、なんでわかったの? もしかしてエスパー的な?」
「なんでだよ。普通に、カズがめっちゃ嬉しそうなの大体夏組相手じゃん」
本当仲良いよな~としみじみ言われて、一成は何だか照れくさい。そんなに自分はわかりやすかっただろうか、と思うけれど、同時に納得もしていた。
だって、大好きで大切な夏組だ。思わず笑顔になってしまうなんて、嬉しそうな表情を浮かべるなんて当たり前のことだ。
だから、一成は「まあね~」と答えた。朗らかに明るく、どこか自慢げな空気さえ漂わせて。友人は面白そうな笑顔で「知ってる」と答える。
その間にもLIMEではメッセージが増えている。何か返事をしようかな、とトークを見つめていると、新しいアイコンが現れてメッセージが送られる。
――大学着いたよ~
サンカクくんのアイコンは三角のものだ。今日の迎え担当として、一成のところへ向かっているという連絡だろう。
夏組のトークルームへ投稿したのは、ちゃんと一成を迎えに来たことの報告も兼ねているからだ。
一成はするすると指を動かして、三角へ居場所を伝える。三角は送り迎えのために大学へ訪れることが多いので、構内地図はちゃんと把握している。おおよその目印を伝えれば、ちゃんとやって来てくれるのだ。
一成がメッセージを送れば、夏組のトークルームは途端ににぎやかになった。それぞれが自分なりの言葉で「気をつけて帰ってきてほしい」という旨を記してくれるのだ。
今まで特に反応のなかった幸や天馬からもメッセージが届いているので、一成の笑みはいっそう深くなる。
申し訳ないと思う気持ちも照れくささもあるし、何だか落ち着かない気持ちがなくなったわけではない。
それでも、こんな風に真っ直ぐと大事に思ってくれることが嬉しい。大好きな人たちから届けられるものは、確かに一成の胸に降り積もっていく。
一成はそれぞれに感謝のメッセージを送り、それからもう一つ言葉を添える。さっきのトークで思い出したことがあったからだ。
――テンテンが載ってる雑誌、発売日明日じゃね? 駅裏の本屋さん、早売りしてるから今日ゲットできるかも!
メッセージを送ると既読はすぐについた。天馬が「よく覚えてるな」と言って情報の正しさを肯定するし、九門は「それじゃ駅裏の本屋さんも寄りたいね!」と続く。
今日の寄り道先は決定かな、と思いつつ、「オレも行こうかな~」とメッセージを送ろうとしたところで。
「――あれ、何かあの人こっちに手振ってね?」
隣の友人が、ぽつりと不思議そうに言葉を落とした。一成が反射的に視線を向けると、友人は真っ直ぐ前方を指し示していた。
その方向を辿ると、ちらほらと行き交う学生の間に見知った顔が一つ。三角が嬉しそう両手を振っている。
一成が大きく手を振り返すと、こちらへ向かって駆けてくる。軽やかに、重力なんて何一つ知らない素振りで。キラキラとした笑顔を浮かべて、一直線に一成の目の前まで駆け寄ると、明るく告げた。
「かず、迎えに来たよ~!」
「ありがとねん、すみー!」
嬉しそうな笑顔を浮かべて三角が言えば、一成はベンチから立ち上がる。友人はと言えば、数秒じっと三角を見つめたあと、ぱかりと口を開けて叫ぶ。
「サンカクの人だ!」
「サンカクの人いるの?」
発せられた言葉に三角が反応して、辺りをきょろきょろと見渡す。三角形の形をした人だとか、三角形をたくさん持っている人だとかがいるのでは、と思ってのことだけれど周囲にそんな人間はいないようだった。
一成は笑いながら「すみーのことだよん」と言葉を添えた。友人の言いたいこともわかっていたのだ。
「すみー、わりとうちの大学来るじゃん? だから、よくサンカク探してる人ってことで一部では有名人なんだよねん」
一部というのは主に一成の知り合いで、ということだけれど、一成には知り合いが多いので必然的に大学構内でもそれなりに知られている。友人はこくこくとうなずいた。
「大学のあっちこっちでサンカク探してた人じゃん? あれから、サンカク見るとサンカクの人思い出してたからさ」
うわ、本物だ~と感心したような素振りで言う。三角はと言えば「いいサンカク知ってる?」と問いかけていていつも通りだった。
友人は「いいサンカクの定義がわかんないんだけど」と言いつつも、「あっちの学科棟の屋根の隙間とかどうですか」と答えてくれていた。
「すみー、大学でサンカク探しする?」
目新しいサンカクがあるかもしれないし、という気持ちで問いかけるも三角は首を振った。真面目な顔で「かずは今日寝不足だから、寄り道しないで帰るんだよ」と告げる言葉は重々しい。
一成は「なる~……」とうなずくしかなかったのだけれど、それを聞く友人は「保護者じゃん」と爆笑していた。