おやすみナイチンゲール 06話



 最近よく手伝いしてくれるね、と言ったのは監督だ。
 元々一成は、人手が足りないとあらばすぐさま手を挙げてくれるし、そうでなくてもよく気がつく人間なので、自然と手助けをしてくれる。
 だから、一成があれこれと手伝いをしてくれること自体は、何ら不思議なことではない。
 ただ、どうもここ最近はその頻度が多いような気がしたのだ。
 買い出しには必ず着いてきてくれるし、寮内の掃除にも率先して取り組んでくれる。シーツなどの洗濯の際も、気を利かせてあちこち走り回る姿は寮内の誰もが目にしている。
 一成は監督の言葉に、あっけらかんとした風情で答えた。いつもの明るい笑顔を浮かべて楽しそうに。

「そっかな~? カントクちゃんのお役に立てるの嬉しいからからかも!」
「そう言ってくれるのはありがたいけど……一成くんもやることあったりするんじゃないかなって」
「課題は終わったからだいじょぶだよん!」

 欠席分の代替措置として、課題やレポートが追加で課されたことは監督も知っていた。そのために倉庫を借りたいと言われていたし、無事に提出は完了した旨も連絡は受けていた。
 だから、課題の類が終わっていることはわかっていたのだけれど、それ以外にも一成は何かと多忙な人間だ。だからこその台詞だったのだけれど、一成は気軽な調子で手伝いは自分の意志でやっていることだから気にしないでほしいと告げる。

「今日もいっぱい買ったしねん! やっぱ人手はあったほうがいいっしょ?」

 そう言う一成は、今日の買い出しで仕入れてきた品々をキッチンへ広げていく。玉ネギや豚バラ肉、冷凍食品や各種缶詰などの食品だけでも大量だけれど、今日の買い出しはこれだけではない。
 洗剤やトイレットペーパーなどの日用品などは、一緒に買い出しに行った莇が、風呂場やら洗面所やら所定の置き場へと仕舞いに行っている。
 人手があることを幸いと特売品を買い込んだので、今日はずいぶんと大荷物になった。

「確かに手伝ってくれるのはすごくありがたいんだけど、無理はしてない?」

 袋から缶詰を取り出した監督は、心配そうな表情を浮かべて尋ねる。
 至っていつもの通り、明るい笑顔で一成は日々を過ごしているけれど、彼の身に起きた出来事は監督だって知っている。
 謂れのない暴力により怪我を負った。無事に回復して寮に戻ってきてくれたことはわかっていても、刺された上に緊急手術まで行っているのだ。
 時間が経ったとは言え、心配が拭いきれないのも仕方ないことだろう。一成は監督の言葉に、眉を下げて笑った。

「カントクちゃんも、夏組の仲間入りしちゃう?」

 冗談めいて告げられた言葉は、一成に対する夏組の過保護な振る舞いに起因している。
 今は落ち着いているものの、一時期などは、送り迎えは当然で出かける時は一緒についてくるのが基本だった。
 莇が今回同行を申し出たのも、夏組の過保護っぷりをよく知っていることとまるで無関係ではないかもしれない。
 心配を前面に出す監督は、夏組と似た表情を浮かべていたから、一成はそう言ったのだ。監督は、一成の言葉の意味を正しく理解していた。

「さすがに私も四六時中一成くんと一緒ってわけには行かないけど、気持ちはわかるよ」
「カントクちゃんからのラブコールじゃん、ベリサン~」

 軽い口調で一成は言うけれど、彼女が純粋に心配してくれていることはわかっているので、すぐに落ち着いた表情を浮かべる。それから静かに言った。

「ありがとねん。でも、退院してからずいぶん経ってるし、カントクちゃんが心配するようなことは何もないよ」

 一成は基本的に誰かと騒がしくしていることが多い。だけれど、時々こんな風に静かな表情を浮かべるのだ。ほほ笑んではいるけれど、いつもの様子とはまるで雰囲気が違う。
 あまりにもしんとしたまなざしに、思わず監督が口をつぐむと、一成はすぐにいつもの笑顔に切り替えて続けた。

「それにほら、テンテンいない間は夏組として代わりに力になっておかなくちゃ的な!?」

 天馬がロケのために三日ほど寮を空けていることを指しての言葉だ。口調は軽く、茶化したような物言いだった。
 ただ、天馬が不在の日以外でも何かと手伝いをしてくれているので、それだけが理由ではないことを監督は察している。
 だけれど、恐らくこうして冗談に紛らわせようとしているということは、あまり口にしたくない理由があるのかもしれない、と思う。

「充分すぎるくらい力になってもらってるよ」

 監督は少しだけ考えてからそう言った。まったくの本心だったし、実際一成の手助けはありがたい。
 本当はもっと深く尋ねたほうがいいのかもしれないとも思ったけれど、恐らく一成はそれを望んでいない。それなら今は何も言わないでおこうと思ったのだ。
 何かがあればきっと、夏組のみんなが気づくに違いないから、という信頼もあった。今までの夏組の様子を見ていれば、それは予想というよりただの事実だ。
 一成は監督の言葉に嬉しそうに笑って「やっぴー! それじゃ、もっともーと頑張っちゃうねん!」と張り切っている。
 監督が思わず「そんなに頑張らなくていいからね!?」と答えてしまうのは、一成自身わりと根を詰める性質だということを知っているからだろう。

「一成さん、最近何か張り切ってるよな」

 わきあいあいと会話を交わしていると、戻ってきた莇がそんなことを言う。
 キッチン用洗剤を一緒に持ってきていたようで、「これはこっちだよな」とシンク下の扉を開けている。何だかんだで臣の手伝いもよくしているので、莇は案外キッチン用品の置き場に詳しい。

「サッカー部の練習時間も聞かれたし……一成さん、サッカーとかやったことあんの?」

 立ち上がった莇は淡々とした調子で尋ねた。買い出しの道中で団内サッカー部の活動の話になった。その流れで一成は、今度の練習はいつなのかなんて興味を示したのだ。
 てっきり写真を撮りたいとかそういう話かと思えば実際にやってみたいという話だったので、莇は少々意外に思った。

「遊びでちょっとやったことあるくらいかな~。ぶっちゃけ初心者だから、迷惑になっちゃうかもだけど」
「そういうのは気にしないし……臣さんとか、めちゃくちゃ丁寧に教えてくれると思う」
「たかし~! おみみ、絶対やさしいコーチしてくれそ~」

 臣ならば良いコーチになるだろうし、そもそも綴や丞も面倒見がいい。初心者を邪険に扱うなんてことはしないだろうし、きちんと教えてくれるに違いなかった。
 莇はそういったことが得意ではないけれど、自分にできることがあれば力になりたいという気持ちはある。
 なのでそんなようなことを言えば、一成はぱっと顔を明るくして「アザミンちょーやさし~!」と大袈裟に騒いだ。

「てか、一成さん、あんまり運動しないイメージなんだけど、そうでもないんだな」

 真っ直ぐと喜びを伝えられるのが面映ゆくて、莇はぼそりと言葉を落とす。
 サッカー部の練習に興味を持ったこともそうだけれど、他にも聞いていたことがあった。だからこその「最近張り切っている」という感想なのだ。

「九門ともキャッチボール練習したりしてるとか、色々トレーニングについても聞いてるんだろ」
「やっぱ、もうちょっと体力作りとかしたほうがいいかな~みたいな?」

 九門から聞いた話を指して言えば、一成は笑顔で答えた。
 舞台に立つという関係上、体力作りは人並み以上にしているはずだ。ただ、一成自身筋肉がつきにくい体質のせいもあり、あまり体力があるように思われていないのが現状だ。
 それに、人並みを通り越した体力自慢が存在しているカンパニーなので、比べれば体力がないという判断になりがちということもある。

「まあ、無理はしないほうがいいと思うけど……体力つけて悪いこともないんじゃね」

 ここ最近、やたらと手伝いに精を出してあちこち動き回っているのも、もしかしたらその一環なのかもしれない、と莇は思う。日常生活だって、真面目に取り組めば意外と体力作りになるのだ。
 それなら後押ししたいという気持ちはある。一成がそこまでか弱いとは思っていないものの、事件の記憶がある手前やはり心配なのだ。
 夏組がやたらと一成を心配することに、恐らく影響されているのだろうな、とは莇自身も気づいてはいるけれど。

「うん。私もそう思うよ。でも、本当に無理は禁物だからね!」

 莇と一成の会話を聞いていた監督も、力強く声を掛ける。体力作り自体は歓迎されることだし、体を動かすことも一成の気晴らしになるのなら積極的に推進したいところだ。
 ただ、根を詰めすぎる傾向も否めないので念のため釘を刺す。一成は明るい笑みを浮かべて答えた。

「りょっす! 二人ともやさしいねん!」

 そう言う一成は、至っていつも通りの顔をしている。










 買い出しの品物を全て仕舞い終えて、一成は一旦部屋に戻る。
 今日は聖フローラの課外学習日で、休日にもかかわらず幸も椋も登校している。九門も友人との約束があり、三角はアルバイトだ。天馬はロケで寮を空けているため、珍しく夏組の誰も寮にいなかった。

 一人残る一成を心配して、LIMEにはしょっちゅうメッセージが入っていた。
 一つ一つに返信をしてから、監督や莇と一緒に買い出しに行ったこと、特に何も事件は起きていないことを記して送る。これで安心してくれるといいんだけど、と思いながら。
 それ以外のメッセージに返事をして、SNSの巡回を行い目ぼしい投稿にはチェックをつける。自身も何か写真でもアップしようかとフォルダをさかのぼるけど、結局何も投稿しないままアプリを閉じた。
 これ、というものが見つからなかったということもあるけれど、そんな気分になれなかった。

 スマートフォンから目を離した一成は、一つ息を吐き出す。誰もいない部屋で、溜め息のようなそれは案外大きく響いた。
 一成は一瞬ギクリとするけれど、一人きりだということを思い出して肩の力を抜いた。
 夏組のみんながいてくれることが嫌なわけではない。ただ、今だけは一人きりでよかったと思う。
 特別体調が悪いわけではない。だから、無理をしているつもりは本当になかった。具合が悪いとか倒れそうだとか、そういうことを隠していつもの顔をしているわけではない。
 浮かぶ笑顔は心からのものだし、事実カンパニーのメンバーは誰も不審に思っていないはずだ。しかし。

(夏組のみんなには、バレそうなんだよねん)

 胸中で一成はごちる。決して無理をしているわけではない、というのが一成の見解だ。だけれど、何もかもが万全かと言えばそんなことはなかった。
 恐らく、ずっと一緒にいる夏組であればそろそろ違和感を覚えるだろう、と一成は察している。ただ、どうしたのかと聞かれても一成は上手く答えられる自信がなかった。

(寝られてないわけじゃないんだけど)

 寝不足による体調不良であれば素直にそう言う。だけれど、現状は少し違う。
 眠ることはできているし、具体的な不調があるわけではない。ここが悪いといういうわけではないから、何て言えばいいのかわからないのだ。

(――夢を見たらどうしようなんて)

 ぼんやりとした思考で一成は思う。悪い夢を見るから眠れないだとか、そういう不調ではないのだ。
 今の一成が万全ではない理由。夏組が察するであろう違和感の正体。それは、もしもまた夢を見たら、という恐れだった。

 自分が刺される夢を見た。あまりにもリアルで、実際に刺されたのではないかとさえ思った。夜の公園が、ざわめく木々の音がこびりつくような夢だった。
 まるで現実のようで一成は混乱し、実際に気分も悪くなった。ただ、あれ以降同じ夢は見ていなかった。
 だからもう大丈夫なのだと思えばいいと、頭ではわかっている。だけれど、一成はどうしても不安が拭えない。
 またあの夢を見たら。あまりにもリアルな、まるで現実みたいな夢を見たら。
 襲い来る恐怖や混乱、痛みは確かに一成の心に影を落としたのだ。あの夢をもう一度見たらどうしよう、という恐れはどうしたって去らなかった。

 夜眠る前、一成はベッドの中でそっと祈る。まるで現実みたいな、実際に体に傷を負った痛みをまざまざと思い知らされる夢。命を奪われる直前みたいな。
 どうかあの夢を見ませんように、と祈ってから眠りにつくのがここ最近の一成の日課になっていた。
 夢を見ない方法なんてわからなかった。だから、せいぜい祈るくらいしかできなかったけれど、せめてもの対策として、なるべく体を動かすようにはしていた。
 実際みんなの役に立てるのが嬉しいということもある。一連の事件でMANKAIカンパニーのみんなには色々と世話になっているのだ。
 自分にできることなら何だってやりたいと思っているから、率先してあちこちの手伝いをするのはまったくの本心からだ。
 ただ、どこかで、こうやって疲れるまで体を動かせば、夢も見ずに済むかもしれないという淡い期待があった。事実として深く眠りに落ちるから、効果はあるのかもしれない。
 それでも、いつ夢を見るかわからない現実は変わらない。だから、何も考えずに深く眠れるようになりたいと、一成はあちこち動き回る。
 普段はあまりやらない運動だって試してみようと思った。くたくたに疲れて、泥のように眠りに落ちることができたら夢は見ないはずだと安心したくて。

 果たして意味があるのかはわからない。それでも、何もしないままではいられないから、できることはしようと思っていた。
 夏組のみんなは、素直に話したら心配してくれるだろう。一成が一人で寮に残るだけで、LIMEのメッセージをこんなにも送ってくれるのだ。
 だからこそ、こんなに些細な、具体的ではない不調でみんなの気持ちを不安にさせることはしたくなかった。
 実際に眠れないのならまだしも、今はただ一成が不安に思っているだけなのだ。体調が悪くなっただとか、そんな事態ではないのだから、自分にできる対処をすればいいというのが一成の結論だった。

(――そろそろ、むっくんとゆっきー帰ってくる時間だ)

 ぼんやりとしていた一成は、壁掛け時計の時刻にはっとする。
 今日はいつもよりも帰宅時間が早めだと聞いているし、さっきのLIMEでも帰宅時刻を知らせてくれていた。一人残る一成をずいぶん心配をしてくれていたから、玄関で二人を出迎えようと一成は立ち上がる。
 途中で、ついでに玄関周りの掃除でもしようかな、と思い立って掃除道具を手に玄関へ向かった。気づいた監督に「働きすぎだよ」と言われたけれど、「いーから、いーから!」と押し切った。
 こうやって、カンパニーのためにできることがあるのは純粋に嬉しかった。幸も椋も、玄関で出迎えたら喜んでくれるだろうことも一成の背中を後押しする。
 それに、こうやって体を動かしていれば、何も考えなくて済む。見るかもしれない夢のことも、こびりついて離れない景色も、全部みんな忘れてしまえるような気がした。