おやすみナイチンゲール 10話
「カズくん、寝る準備できた?」
ロフトベッドの下から椋の声が聞こえて、一成は「おけまる~」と答える。すると、それに呼応するように部屋の電気が消えた。小さな豆電球の光が、202号室をささやかに照らす。
布団に入ったまま操作していたスマートフォンは、枕元に置いた。ほどなくして、一成のロフトベッドに椋が上がってくる。
一成は嬉しそうに「いらっしゃい、むっくん」と言って、布団をめくった。椋はくすぐったそうな笑顔を浮かべて、体を潜り込ませる。
「カズくん、狭くない?」
「だいじょぶだよん! むっくん近くて楽しいし!」
心配そうな椋の言葉に、一成は力強い笑顔で答えた。
かろうじて二人で寝られるとしても、さすがにキングサイズのベッドとは違う。枕を二つ並べる余裕はあるけれど、隣同士でくっつくように横になるので、必然的に距離は近くなる。椋は穏やかな笑い声を立てた。
「うん。こんなに近くで寝ることなんて、全然ないもんね」
「そそ。さすがに、合宿でもこの距離はないし、夏組添い寝サービスならではだよねん」
あっけらかんとした調子で言う一成は、新しいアトラクションの話でも口にする素振りだ。一成自身が楽しんでいるから、ということも当然あるけれど、暗い雰囲気にならないように、という配慮でもあった。
こうして椋が一成の隣で眠るように、毎日誰かが一成のベッドにやってくるのが、ここ最近の夏組の日常だった。
「夏組添い寝サービス」と名づけたのは一成で、「めっちゃ贅沢~!」とはしゃいでいたのは、本音半分気遣い半分だということは全員理解していた。
なぜなら発端は、一成が見る夢だからだ。
天馬に一通りの話をしたあと、一成は201号室で睡眠を取った。天馬は一成の願い通り一緒に寝てくれたし(ロフトベッドは狭かったものの、かろうじてどうにかなった)、結果として夢を見ることはなかった。
起床後一成は興奮しきりに「テンテン効果すごくね?」と天馬をたたえたものである。
夢を見ずに眠れたことは、一成に安堵をもたらした。またあの夢を見たら――という恐怖も「テンテンと一緒なら大丈夫かも」と思えたことは大きい。
ただ、問題は天馬がいつでも一成と一緒に眠れるわけではない、ということだった。天馬としては、状況が許せばいくらだって一緒に眠ってやりたいとは思う。ただ、仕事の関係で寮を離れることもあるし、そもそも帰宅時間が遅くなることも多々ある。
一成は天馬を待つことを苦にしないことはわかっていたけれど、夜更かしをさせる気は毛頭ないのだ。自分を待っていてくれ、なんて言えるはずもなかった。
悪い、と謝る天馬に一成は全力で首を振った。さすがに、常に天馬に一緒に眠ってもらうつもりはなかったのだ。何かあったら天馬がいる、と思えるだけで心強いから充分だ、と一成は言ったのだけれど。
天馬はそれで良しとするような人間ではなかった。一成が安心して眠るためにできることは何か、というわけで夏組に協力を仰いだのだ。
具体的な夢の内容を伝えたわけではない。ただ、死んだ時の夢を見ることと、それゆえ不安を覚えて眠れないことを話せばそれで充分だった。
天馬が一緒に眠った時は夢を見なかったことから、夏組が日替わりで一成と一緒に寝ることにしよう、と決まるまでは早かった。「だいじょぶだって」と言っても、全員に「いいから」と押し切られて、張本人の一成が一番当惑していた。
ただ、自分のために時間を取らせてしまう事実を申し訳なく思っているだけで、一緒に眠ることを嫌がっているわけではない。だから、「自分たちがしたくてしていることだ」と夏組に言われれば首を振る理由もないのだ。
そういうわけで、毎日夏組の誰かが一成のベッドへやって来る。
忙しい天馬はあまり順番に入れないけれど、それ以外の夏組がローテーションを組んでいるのだ。
最初は、同室である椋がその役目を負う、という話もあった。だけれど、最終的に一人ずつ順番に添い寝サービスを担当することになったのは、他のメンバーも一成の役に立ちたかったからだ。
椋は元々同室なので、ベッドから自分の枕と布団を移動させるだけで済むけれど、それ以外のメンバーは枕と布団を持参して202号室を訪れるのが、新しい日課になった。
MANKAIカンパニーのメンバーはその様子を「夏組らしい」とほほえましい気持ちで見守っているし、至などはしみじみとした調子で「夏組の親密度がレベルアップしていく」と感慨深く感想を漏らしていた。
もっとも、当の夏組はと言えば一緒に眠ること自体の楽しみに加え、使命感も抱えていた。
純粋に、一成と二人で夜を過ごすことは楽しいけれど、悪い夢を見ることなく眠ってほしいと願っているのだ。だから、それぞれ何かできることはないかと考えているし、それは椋も同じだった
肩を並べて横になる二人は、今日の出来事だとか最近気になっている少女漫画だとかの話をしていた。それが途切れた時、椋がそっと口を開いた。
「ボクの添い寝でカズくんがちゃんと眠れるかわからないから、今度あず姉さんに色々教えてもらおうと思ってるんだ」
薄明りの中でもはっきりとわかる、決意を秘めた表情で椋が言う。重要な使命でも任されたような様子に、一成はにこやかに答えた。
「むっくんめっちゃ研究熱心じゃん! でも、むっくんいたらめちゃくちゃ安心できるからだいじょぶじゃないかな~」
それは、嘘偽りのない心からの本音だ。
夏組の誰かが毎日やって来て一緒に眠ってくれるようになってから、一成は一切自分が死んだ夢を見ていない。
夏組が一緒にいてくれる、という事実は一成の心を何よりも勇気づけてくれたのだ。だから、これ以上頑張る必要なんてないと思うんだけどな、というのは純粋な本心だった。
一成の気持ちを、椋はしかと理解しているだろう。だけれど、静かな調子で「でも」と言葉を継ぐ。
「どうして今になって夢を見るようになったのかとかもわからないし……。原因がわからないなら、対処法はたくさん知ってるほうがいいと思うんだ」
穏やかながら芯のある口調で、椋ははっきりと言った。一成は一つまばたきをしたあと、「そうなんだよね~」と言葉を落とした。
夢を見ることに、必ずしも明確な規則性があるとは限らない。だから、これが原因で夢を見たのだと断じることが難しいのはわかっている。
それでも、事件からしばらく経った今になってどうして夢を見るようになったのかは、確かに一成も不思議に思っていた。
何か事件に関わるものを見ただとか、そういったきっかけがあるのならばうなずける。しかし、一成にはとんと思い当たる節もなかった。
特別記憶を刺激されるような、事件と結びつける某かがあったわけではないのに、一成は夢を見るようになった。
もっとも、事件に関係した出来事は大体が荒唐無稽な話ばかりなのだ。
過去と未来の時間がつながったなんてことが起きるなら、夢のきっかけなんて些細なことのようにも思える。それこそ、夏組の誰もが予想しえない出来事が結びついている可能性だってある。
「なんでだろね。過去と未来がつながるアイテムなら、テンテンの別荘の時計だったけどさ。実は夢を見せるアイテムでもあったとか?」
不思議な力を持つ時計であることは、夏組全員重々承知している。そんな時計を所蔵していた場所なのだから、それ以外にも不思議な力を持つものがあってもおかしくはない、と一成は素直に思った。
今のこの状況にも別荘の何かが関係しているんじゃないか、なんて想像を広げてしまうくらい。その可能性はないだろうなとわかっていても、つい考えてしまうくらい。
「あの別荘にあったものなら、不思議なことが起こってもおかしくない感じじゃん?」
森の中にたたずむ洋館には、確かな年月を蓄えたアンティーク品が静かに収蔵されている。
重ねた時代を身の内に宿した器物たちの気配はそこかしこに漂っており、洋館自体に独特な雰囲気をまとわせていたのだ。まるでそこだけ日常とは切り取られたような、物語の中の舞台のように。
そして、実際におとぎ話のような出来事は起こったのだ。過去の一成と電話はつながって、死ぬはずだった未来は回避された。だからこそ、今一成はここで確かに生きている。
そうだね、と椋は静かにうなずいた。荒唐無稽な話だとはわかっている。それでも確かに自分たちに起きた出来事が現実であると椋は知っている。
恐らくあの場所で、あの時計でなければ、この結末には辿り着かなかったのだろう。ただ、そこにどんな因果があるのかは夏組の誰にもわからない。
あの場所にあの時計があったこと。それ以外にも、到底予想つかない出来事が結びついて起こった奇跡だった、という可能性だってあるのだ。
もしかしたら今のこの状況も、不思議な因果が影響しあった結果の一つなのかもしれない。
「それなら、良い夢を見る何かもあるかもしれないね。天馬くんに聞いてみようかな……」
「たかし~。何かそんなアイテムくらいありそう」
考え込むような椋の言葉に、一成は朗らかに答えた。色々なアンティーク品があるのだ。良い夢をもたらすアイテムが存在している可能性はあるだろう。天馬に尋ねたら実際に問い合わせるくらいはしそうだな、と思う。
ただ、同時に一成は理解していた。
天馬以外の夏組には伝えていないけれど、一成が見る夢はただの夢とは少し意味が違っている。良い夢を見られるという道具があったところで、効果が得られるとは限らないのではないか、と一成は思っている。
一成が見る自分自身が殺される夢は、単なる夢ではない。起きたはずの過去で実際に一成の身に起きた出来事だ。
過去の記憶が一成に追いついて、夢という形になった。よくできた悪夢というより、起きるはずった過去の追体験というのが正しい。
だから、単純に悪夢を見たというよりも、記憶にブレが生じていると言ったほうが正しいのではないか、と一成は推察していた。それはたとえば、夏組が二つの記憶を持つように。
一成以外の夏組は、一成が死んだ過去と助かった過去の記憶を同時に保有している。並列しないはずの二つの記憶は、奇妙なことに彼らの中で共存しているのだ。
ただ、一成は自分が死んだという過去を事実として納得はしているものの、助かった過去の記憶しか持っていない。だけれど今、何の因果か記憶にブレが生じて、死んだ過去を夢という形で追体験しているのではないか、と一成は思っていた。
夏組は全員二つの記憶を持っているのだ。最後の一人である一成が、同じように二つ目の過去を追体験してもおかしくはないはずだ。
もっとも、一体それがどんなきっかけなのかは、誰にもわからないので、話は最初に戻ってくるしかない。
そもそも、夏組が二つの記憶を取り戻した理由だってわからないのだから、どれだけ頭をひねったところで答えは出そうになかった。
結論を出した一成は、明るい笑顔を浮かべて椋に言った。
「なんでなのかは全然わかんないけど――こうやって、むっくんと一緒に寝たりとかできるから、結果的にはラッキーじゃん?」
実際、夏組が一緒のベッドで寝てくれるのは何だか特別な気がして一成の心を弾ませるのだ。原因は置いておいて、嬉しい事態をもたらしてくれたことは事実だった。
椋も嬉しそうに「うん、ボクも楽しみなんだ」と答えた。
椋は基本的に通常通りベッドで眠っているので、他の夏組が一成のベッドへ来れば3人で会話が発生する。毎晩楽しい夜を過ごしていることは事実だった。だけれど、椋は何かを思い出したそぶりで表情を曇らせた。
「だけど、カズくんが夢を見ないならそっちのほうがいいな。全然起きられなかったボクが言うことじゃないかもしれないけど……」
沈痛な面持ちで椋が言うのは、一成が悪夢によって何度か目を覚ましていたという事実を知っているからだ。同時にそれは、椋が何一つ気づかなかったという事実を浮かび上がらせる。
わかっていたので、その辺りは上手くぼかして話していたのだけれど。最終的に洗いざらい白状することになり、案の定椋を落ち込ませることになってしまった。
その事実に一成も凹んだけれど、天馬には「黙ったままのほうが椋も傷つくだろ」と言われている。実際その通りだろうなとも思っていたので納得はしている。ただ、落ち込む椋を前にすると一成の心はざわざわと騒ぐので、明るい笑顔を浮かべて口を開く。
「そんなことないって! 起きたって言っても、そんなにしょっちゅうじゃないし、それに、むっくんが起きなくて良かった~って安心してたし!」
一成が悪夢を見て目覚めても、気づくことなく眠っていたという事実が椋を落ち込ませている。だけれど、それは一成にとっての安堵であったことは事実だ。一成は努めて明るく、椋の憂いを取り除くように言葉を重ねる。
「むっくんも一緒に起きちゃったら、オレがめっちゃ凹むもん。だから、むっくんが寝てくれてよかったんだよん。むっくんの寝顔見てたら落ち着けたし」
椋を慰めるためだけではない、純然たる事実を口にする。思い出すのは、死ぬ瞬間を夢に見た夜のことだ。あまりにもリアルで、一成はただ震えるしかできなかった。オレは死ぬ。殺される。命が終わる。その恐怖は一成を混乱の渦に陥れた。
どうにか落ち着いたあとも、一体どうしたらいいかわからず、膝を抱えていた。
そんな時に目にしたのは、すやすやと、何の憂いもなく眠る椋だ。その様子を見つめていた一成が思い出したのは、日常の風景だった。
混乱して冷え切った心に、ふわりとあたたかな気持ちが広がった。一成を大事にしてくれる椋や夏組の姿が浮かんで、彼らの願いを思い出させた。そうでなければ、一成は一人で耐えることを選んでいただろう。
きっかけは椋がただ穏やかに眠っていたことだ。何にも気づかず、日常生活を体現するように眠っていたことには大きな意味があるのだ。
「むっくんがちゃんと寝ててくれたからさ、オレめっちゃ安心したんだよ」
だから、椋が落ち込む必要は一つだってないのだと告げる。それは椋を慰めるための言葉というより、至って純粋な一成の本心だ。
起きられなかったことを椋は申し訳ないと思っているけれど、何も知らずに眠っていてくれたことがどれほど一成の助けになったのか。切々と言葉を重ねれば、曇っていた椋の表情が少しずつやわらいでいく。
恐らく椋は、真っ直ぐと放たれる言葉が一成の本心である、ということを理解したのだろう。
「――ありがとう、カズくん」
薄明りの中で、椋はやわらかく笑って言った。あふれだす心を抱きしめて、そっと一成へ手渡すようなそんな笑みだった。
一成も釣られたように笑顔になって「どういたしまして!」と元気よく答える。それから、その言葉の調子で先を続けた。
「でも、夜中に起きるのってちょっと特別感あるよねん! 変な夢見て起きるのとかは嫌だけど、夜中にみんなで話すの楽しいじゃん?」
いつぞやの合宿を思い出しながら言う一成は、ワクワクした調子で「夏組みんなで寝るのもよくね?」と続ける。
202号室に誰かが来てくれるし、大概そこには椋も居るので3人で合宿しているようなものだけれど、どうせなら6人全員で寝てみたい。寮内でだって実現可能な話なのだし、6人が一緒で夜を過ごすのは特別な思い出になるだろう。
椋はその言葉に「楽しそうだね」と相槌を打って、布団敷ける場所ってどこだろレッスン室?だとか、床にそのまま布団を敷くと冷えそうだよね、なんて話をしていた。
ただ、一成が明るく「絶対盛り上がっちゃうよねん」と言うと、すぐに厳しい顔になって「夜更かしは駄目だからね、カズくん」と釘を刺された。さらにそこで、ずいぶんと話が弾んでしまったことに気づいたらしい。
名残惜し気に、だけれど、きっぱりとした調子で「おしゃべり楽しいけど、そろそろ寝なくちゃ」と言うので、一成は肩をすくめて「はーい」と元気よく返事をした。