おやすみナイチンゲール 16話
談話室へ入ってきた綴に、至は「徹夜のプロ」と呼びかけた。綴は顔をしかめて「なんすかそれ。自己紹介ですか」とにべもない。しかし、起きているのが一成だけではなく九門もだということに気づいて、意外そうな表情を浮かべて言った。
「あれ、九門も起きてたんだな」
「あはは、至さんにもびっくりされた!」
快活な九門の言葉に、綴はしばし逡巡したあと至の向かいに座った。一成は一成で、そういえば、と口を開いた。
「くもぴ、わりとマジで夜遅いけどだいじょぶ?」
気づけば夜もいい時間なので、単純に心配になったのだ。九門は「眠くなったら寝るね!」と言っているので、どうやら今のところ眠気は来ていないらしい。綴はしみじみと「九門がこの時間まで起きてるのって何か不思議だな」とつぶやく。一成は面白そうな声を投げた。
「くもぴ、めっちゃ朝型のイメージあるもんね!」
「そうっすね。三好さんも、最近は朝型って感じですけど」
そう返す綴は、何だか微妙な表情を浮かべていた。規則正しい生活自体が喜ばしいことはわかっている。ただ、それが実現するまでの経緯を知っているからこそ、手放しで喜んでもいいものか、と思っているのだろう。一成が今規則正しい生活を送っているのは、通り魔事件が発端だからだ。
「まあねん。前はしょっちゅう徹夜とかしてたんだけどな~。今徹夜したら絶対夏組に怒られるもん」
「そうだよ。カズさん、ちゃんと寝ないと!――って、今のオレたちが言うことじゃないけど」
面白そうに九門が言って、一成も楽しそうに笑った。それを見つめる綴からは、肩の力が抜けていく。無理をしたわけではなく、素直に一成が笑っているという事実を目の当たりにしたからかもしれない。
「まあ、あんまり無理は良くないし、気をつけてくださいよ。三好さんのことは、夏組だけじゃなくてみんな心配してるんですから」
一つ深呼吸をしたあと、綴はきっぱりと告げた。何かを吹っ切ったような調子で、一成は数度まばたきを繰り返したけれど。すぐに、イタズラを仕掛ける顔で口を開いた。
「ありがとねん! みんなってことは、つづるんもオレのこと心配してくれた系~?」
「当たり前じゃないですか」
冗談のつもりの言葉だった。綴はきっと、こんな風に言えば「何言ってるんですか」なんて言って、つれない態度を取るだろうと思ったのだ。しかし、綴は予想外に真面目な顔で答えた。
「心配しないと思ってるんですか。刺されたってだけでも充分なのに、今の自分の状況わかってますか。あんな……今にも死にそうな顔して震えてるところ見て、心配しないわけないだろ」
怒るような口調で告げられた言葉に、一成はさっと顔色を変える。綴は、一成が夜に怯えて恐慌に来たす場面を見てしまった。綴がとてもやさしい人間であることはよく知っている。だから、あんな姿を見てしまったことで何か心に傷を残してはいないだろうか、と一成は心配になる。
謝罪の言葉がこぼれ落ちそうになるけれど、その雰囲気を察した綴が先回りをした。
「謝らないでください。別に三好さんが悪いわけじゃないですし、謝ってほしいわけでもないです。ただ、心配だったってだけです」
そう言った綴は、何だかバツの悪そうな表情を浮かべる。それから、ためらうような空気を流したあとで「本当はもっと早く、心配だったってちゃんと言えば良かったんですけど」と続けた。
一成はぶんぶん首を振って、「そんなの気にしてないよん」と答えた。カンパニーのメンバーが心から心配してくれていることは、充分にわかっていた。わざわざ言葉にしなくても伝わっていたから、綴が謝る必要はないのだ。綴は一成の言葉に、一つ息を吐き出してから言った。
「まあ、三好さんならそう言うと思ってましたけど……これはどっちかっていうと俺の問題っすね。ずっと気にはしてたんですけど。あんまり普段と違ってて、どうしたらいいかわからなかったんですよ」
綴にとって一成は、軽くてチャラい先輩だった。MANKAIカンパニーに所属するようになって、一成がそれだけの人間ではないことを知った。
実はとても真面目で、何事に対しても真摯に取り組む。相手を気遣うことに長けていて、当たり前みたいに自分の心を差し出す献身さもある。
それでも、いつだって笑顔でいることは揺らがなかった。綴が高校時代から知っている通り、一成はどんな時だって笑顔を浮かべていてくれる人だった。時には辺りに光を連れてくるみたいに明るく、時にはやさしく見守るように静かに。
それなのに、一成が笑わない。どんな言葉も耳に入らず、瞳に何も映さず、恐怖で震えている。そんな一成を、綴は知らなかった。
心から心配していたことは本当だ。ただ、今まで知っている一成とあまりにも違いすぎて、綴は戸惑ってしまった。普段通りに話しかければいいと頭ではわかっているのに、ためらっている内に時間が経って、そのままきっかけをなくしてしまったのだ。
「だから、まあ、至さんには感謝してます」
別に至に何かを言ったわけではない。だけれど、何だかんだで至は感情の機微にも聡い。綴の戸惑いを恐らく察していたのだ。
だから今晩、綴が起きていることを知った至は、ささやかなアシストをすることにした。一成と九門が起きている談話室へ、話をしに来るよう水を向けたのだ。
スマートフォンの操作はゲームをしていたのだろうけれど、いくつかは綴への連絡を兼ねていたのかもしれない。それを察した一成は、笑みを浮かべて口を開く。
「いたるん、やさしいよね」
「こういうところだけは大人だなって思います」
「感謝されてるのかdisられてるのかどっち」
「至さん、大人のとこと大人じゃないとこあるの、すげーいいよね!」
「待って純粋にえぐられる」
一成の言葉に綴が答え、至は突っ込んで九門が楽しそうに続く。わきあいあいとした空気が満ちて、談話室ではくだらない話が展開されていく。九門は案外夜に強いとわかったからなのか、明日は休みだと知っているからか、綴と至も段々遠慮がなくなってきた。
「ま、でも、何だかんだ言ったって、夜とか暗闇ってのは心惹かれるものなんだよ。九門ならわかるでしょ」
「浄化の力も惹かれるけど、闇の紋章とか正直めっちゃいいよね……」
何やら通じ合った二人の言葉に、綴も「悪役がいてこそ話が面白くなるのは確かっすね」と答えているし、一成も一成で「影って大事だよねん」とのんびりコメントした。二人が言っているのはそういうことではないと理解しつつ。それらの言葉を聞いた至は、淡々としていながら力強く言う。
「大体、夜なんて俺からすれば友達みたいなものなんだよね。夜更かし最高。いくらだって起きてられる。綴だって相棒みたいなもんじゃないの」
「そんな人をしょっちゅう徹夜してるみたいな言い方しないでくださいよ」
綴は何だか嫌そうに言うけれど、公演に向けた脚本執筆時はもちろん、それ以外でもちょこちょこ執筆作業で夜を越していることは一成だって知っている。
なにせ、朝まで絵を描いた一成が外に這い出してきた時、執筆明けの綴と出くわしたことは二度や三度ではない。なので、冗談めかした口調で言葉を掛けた。
「つづるん、徹夜明けでオレとよくモーニングとか食べに行ったじゃん☆」
「記憶を捏造しないでください」
綴の対応はそっけない。実際に行ったことはないのでそれもそうだろう、と一成は笑いつつ言葉を重ねた。
「でも、徹夜明けで一緒にコーヒーとか飲んだよねん」
モーニングを食べには行っていないけれど、徹夜明けのテンションが静まらなくて、二人してキッチンでコーヒーを飲んだことなら何度かあった。綴は目を細めて「そういえば」とつぶやく。
「そんなことありましたね。何かちょっと、特別な感じするんすよね」
「そそ。少しずつ空が白んでいくのを見ながらコーヒー飲んでるとさ、世界で起きてるのオレらだけみたいな気持ちになるよねん」
しみじみとした調子で一成が答えると、九門が「なにそれ、カッコイイ!」と目を輝かせる。徹夜明けでコーヒーを飲む、という構図は何だかいかにも大人、という感じで心惹かれるらしい。
「いいな~! オレもやってみたいかも!」
「九門も夜更かししてみたらいいんじゃない。意外と徹夜の才能あるっぽいし」
至が何だか嬉しそうに誘いをかけると、綴が心底嫌そうな顔で待ったをかける。九門はまだ成長途中なのだから充分な睡眠が必要だし、健康にも良くないから夜更かしに誘うな、と説教めいた口調で言ってから、それに、と言葉を継ぐ。
「九門に夜更かしさせると、十座とあと何か天馬に怒られそうなんで止めてください」
真剣な顔で紡がれた、やけに聞き覚えのある名前に。至も九門も一成も、たまらず爆笑した。綴はその意味がわからなくて心底不思議そうな顔をするので、一成は笑いながらさっきまでの話を教えてやる。
綴は何だか納得したような顔をしていて、至は笑いの残る顔で口を開いた。
「まあ、怒られるのは俺も勘弁だし、徹夜続きは良くないかもしれないけど。でも、夜更かし自体はそこまで悪いことじゃなでしょ。夜のほうが集中力増すし、独特の空気感もあるしね」
「……それは否定しませんけど」
確かに、と綴もうなずくのは実体験があるからだろう。綴の場合、単純に時間が取れるのは夜間が多いだとか、そういう理由もあるにはある。ただ、夜になると集中力が増してキーボードを叩く手が止まらないのも事実だったし、誰もが寝静まる時間帯の特別さは、何度も夜を過ごしてきたからこそ知っているはずだ。
一成も、至と綴の会話に思い出していることがある。
夜になると何だかワクワクして、イマジネーションが広がっていく感覚に覚えがある。友人たちと朝まで過ごす時、デザインアイデアがぱっと閃く時、スケッチブックに描く世界が止まらなくなった時。想像の翼が羽ばたいて、どこまでだって飛んでいけるような。夜を徹して旅をするような、そういう時間が一成は好きだった。
「夜更かししたくなったら、ゲーム大会でも開催する? 九門とか一成なら先輩もオッケー出しそうだし」
ひょうひょうとした口ぶりの至の言葉は、本気なのか冗談なのか判別がつかない。ただ、その言葉に込められたものが何であるか、一成は理解している。
至は言うのだ。夜更かしするのは、眠れないのは決して悪いことじゃない。眠れない時間を胸躍る瞬間に変える術なら持っている。眠れないなら、夜が怖いなら、こんな夜の過ごし方もあるのだと、言ってくれるのが至のやさしさだ。
恐らくそれは、綴や九門も察しているのだろう。夜更かしもあんまりひどいと考えものですけど、と言いつつ綴も肯定を返すし、九門はニコニコと「夜更かししてゲーム大会とかすっげー楽しそう!」とうなずいている。
「まあ、実際一成入れてゲーム大会でもするかって、万里とも言ってたんだよね」
さらりと告げる至曰く、一成が夜を恐れるというならいっそ楽しみながら夜を明かすのも手段の一つではないか、とゲーマー組は話していたらしい。一成はぱちり、とまばたきをしてから、本当にみんなはやさしいな、と思う。
夜が怖いと知っている。それなら、自分たちのできることで、どんな力になれるかを考える。至や万里はきっと、夜が怖いだけのものではないと伝えてくれるのだ。自分たちのテリトリーである場所が、楽しみの一つになることを祈って。
「オレ、今でもめっちゃセッツァーにお世話になってるのに、これ以上世話になったらマジで秋組に何かしなくちゃな感じじゃない?」
今の時点ですでに、秋組含めて万里には何かお返しをしなくては、と思っているけれど、軽口めいた口調でそんなことを言ってみる。至はあっさり答えた。
「別にいいんじゃないの。万里の場合趣味の延長みたいなものだし、大体アイツも夜更かしのプロだし」
負担になってるわけじゃないから問題はない、と言い切ると、それを聞いていた綴が口を開いた。
「さっきから思ってるんですけど、夜更かしのプロって何ですか」
「夜更かしにも意外と才能が要るんだよ。九門は結構素質あると思うし、俺とお前と一成は当然素質あるよ」
当然のような顔で答えられて、綴は呆れた顔で「何ですかそれ」と言うけれど。九門は「夜更かしの才能って何かカッケー!」と嬉しそうで、至は「さすが九門」と満足そうだ。
そんな会話を聞きながら、一成は思っている。
夜を徹して過ごした日々を知っている。友人たちと過ごす時間は、夜が深まるにつれ距離が縮まっていく。あふれだしたイマジネーションは、夜を自在に飛び回って、キラキラと星のように輝いた。誰もが寝静まった夜に、しんとした心持ちで筆を握った。一人だけれど、寂しくはなかった。だっていつだって、夜は寄り添っていてくれたのだから。
今の一成にとって、暗闇は殺された瞬間を思い出させる。だから訪れる夜が怖くてたまらない。だけどそれでも、と一成は思う。
ああ、そうだ。夜はずっと、オレにやさしかったよ。