おやすみナイチンゲール 18話
コンビニでの用事を済ませて、帰路を辿る。「一成を一人にしない」という目的はあるので、一応連れだって歩いてはいるものの、真澄はいつものヘッドフォンを耳に当てているので、外界は完全にシャットアウト状態だ。隣を歩いてはいても、特に会話は発生しない。
ただ、一成も特に気にしてはいなかった。真澄の人となりを知っているので、特に一成が何かをして不快にさせたわけではないということはわかっている。それに、こうして一緒に着いてきてくれるだけで充分だった。
監督の言葉があるから、というのが一番大きな理由だとしても、真澄は無言ながら一成のことを気にはしてくれていたのだ。車道側は歩かせないようにしてくれるし、ちゃんと一成が隣にいることを確認して歩調を進めてくれる。
コンビニ内でも、「早く終わらせろ」という圧はあれど、一成のあとをきちんと着いてきた。真澄がそんな風に自分の近くにいることはなかったので、一成は新鮮な感動を味わったくらいだ。この感動を留めておくために、「ツーショ撮らせて!」と頼んだら冷たく拒否されたけれど。
真澄は何も言わないので、一成は一方的に話しかける。テンションが高くてうるさい、と言われている通り、軽快に口から言葉が飛び出して行く。それは恐らく、昼間ならばこうして自由に動けることへの喜びもあるのだろう、と一成は他人事のように納得していた。
夜になれば、とてもこうして外には出られない。誰かが一緒に着いてきてくれて、明るい道だけを選んで歩けばどうにかなるとは思う。だけれど、万が一外で倒れてしまったらと考えると、迂闊に外出はできなかった。
だから、太陽の下であればこうして好きに出歩けることが嬉しかったのだ。真澄をわずらわせること自体は申し訳ないと思うけれど、今までと変わらない行動ができるという事実は一成の胸を弾ませた。
「そういえば、この先に新しいお店できたのまっすー知ってる? 商店街とはちょっとズレてるけど」
寮までの帰り道、もう少し先の交差点を指して一成は言う。当然真澄は答えないし、それはもちろん予想していた。ただ、一成は面白そうな笑みを浮かべて続きの言葉を口にした。
「アジアン系の雑貨屋さんなんだけど、併設でカフェもあってカレーも出してるんだよねん」
「どこ」
カントクちゃんも気になってたみたいだよ、と言う前に真澄が反応した。予想通りの答えに、一成は心からの笑みを浮かべてしまう。
監督への愛情を、隠すことなく表に出して、彼女のためにできることなら何だってしたいと思っている。真っ直ぐな愛情がほほえましいし、そんな真澄の力になれることは一成だって嬉しいのだ。
「あそこの交差点の手前のとこ、曲がった先だよん。細い道だしわかりにくいかもだから、ちょっと寄り道してかない?」
「する。アイツが好きそうなメニュー見つける」
きっぱりと言った真澄は、ヘッドフォンを外して首に掛けた。一成から情報収集をするつもりであることを察して、件の店がいつできたのか、どんなメニューがあるのかなど、仕入れた情報を披露する。
ただ、SNSでの情報で実際に現地に行ったわけではないから、そこまで詳しいことはわからないのだけれど。そういう意味でも、実際の店に行けるチャンスはありがたかった。
目印代わりの交差点が見えてきて、一成は歩くスピードをゆるめた。真澄は無言ながらもどこかそわそわした空気を醸し出している。
交差点の近くでは、大きなビルが建設中だ。工事車両が行き来してせわしないし、交通整理の看板や誘導員が立っているし、通行止めの道もある。
一成も初めて行く場所なので、スマートフォンの地図を頼りに歩いているのだけれど、実際の地形とはほんの少し差異があるようだ。ただ、これくらいなら問題はなかった。
再度地図を確認した一成は、テンテンン絶対辿り着けないだろうなぁ、と思ってそっと笑う。もっとも天馬の場合、正しい地図を持っていても奇跡的なアクロバットでとんでもない方向へ向かうから、工事中だろうが何だろうかあまり関係ない。
一緒に出かける口実ができていいかもねん、なんて思いながら一成は道を曲がった。この先に目指す店があるはずだ、と真澄を手招いて先へ進もうとした時だ。
濃い影の中に自分が入ったことに気づいて、思わず立ち止まった。
まだ日も出ている時間帯だ。天気が悪いこともなく、青空には太陽が確かな輝きを放っていた。それなのに、暗い影が落ちる。一気に視界が暗くなる。体が強張った。
それでも、一成はどうにか首を動かして周囲へ視線を向けた。まるで、一気に日が落ちたような、この影は。
ぎこちなく動かした視線の先には、建築途中のビルがそびえたっていた。足場が組まれて、一面にシートが張られている。高いビルだ。太陽の光を遮り、道路に暗い影を落とすには充分だった。
は、と一成は息を吐いた。だめだ。息をしろ。ここはどこだ。今はいつだ。ここは公園じゃない。夜じゃない。まだ昼間だ。自分に言い聞かせながら、どうにか足を動かそうとする。
この影から出なければ、と思ったのだ。しかし、足は縫いつけられたように動かない。まずい、と思う。同時に、過敏になった神経に音が響いて、今度こそ一成の呼吸が止まった。
些細な音だった。恐らく、普段なら聞き逃してしまう小さな音だ。道路の向かい側。民家の庭に植えられた木が風にそよぐ。ささやかに葉同士がこすれあい、さわさわと揺れている。いつもであれば気にも留めない音は、今の一成にとって充分な凶器になる。
思い出す。暗い。じわじわと夜が迫る。視界が陰る。音が唸る。耳鳴りみたいな木々の音。痛い。ナイフ。血が出ている。動けない。背中。痛い。刺される。血が出ている。木の音が。暗い。殺される。痛い。
ひくり、と喉が動くのに息ができない。ぐらぐらと視界が揺れている。心臓の音が頭に響いた。だめだ、と思う。昼間なのに。いつも通りに動けるはずなのに。力が入らない。
真澄の顔が浮かんだ。だめだ。迷惑を掛けてしまう。踏み止まらなくては、と思うのに体は言うことを聞かなかった。息を忘れた喉で、それでも「ごめん、まっすー」と絞り出すのと同時に、一成の体は地面に引っぱられていく。
しかし、地面に崩れ落ちる前に強い力で腕を引かれた。続いて、一成の耳に突然音楽が流れ込んだ。独特のリズムで奏でられるギターの音色や、不思議な和音が、耳に響くような葉擦れの音を上書きしていく。
さらに、陰った視界は突如としてまばゆさを取り戻す。強い腕で引っ張られて、縫いつけられたような足は地面から引きはがされた。そのまま影から連れ出される。太陽の下へ戻るのと同時に、一成の体は呼吸を思い出した。
せわしく息をする一成は、そこでようやく周囲の状況を理解した。
真澄が自分の腕を引いて、日のあたる場所まで連れてきてくれていた。建築現場から少し離れた、路上の一角だ。遮るものは何もないから、太陽の光はあますところなく降り注ぐ。
さらに真澄は、自分のヘッドフォンを一成に装着してくれた。今流れているのは、真澄が普段聞いている曲なのだろう。何かを言おうと、真澄へ視線を向ける。すると、一成よりはやく真澄が言った。
「これなら、木の音は聞こえない」
流れる音楽にかき消されることもなく、真澄の声は届いた。いつもの通り抑揚のない声で、表情も淡々としている。それでも、真澄の行動は何よりも雄弁に語っている。
一成の手を引いて、影から連れ出してくれた。普段真澄が使っている大事なものを、一成に貸してくれた。木の音に怯えるのなら、聞けないようにすればいいと。
「……まっすー、ありがとねん」
「別に」
ぽつりと言葉を落とすと、真澄はそっけなく答えた。照れているだとかそういうことではなく、純粋にどうでも良さそうだった。そういうところがまっすーらしいなぁ、と思って、一成はくすりと笑みを浮かべる。普段の調子を取り戻しつつあるけれど、体のほうはまだ上手く力が入らなかった。
ごめん、と言って一成は道路の端にしゃがみこむ。ひどく震えているわけではないけれど、万全の調子とは言い難かった。真澄は面倒くさそうな表情で一成を見つめたあと、ポケットからスマートフォンを取り出す。いくつか操作すると口を開く。
「迎え呼んだから」
それだけ言うと、真澄もしゃがみこんで一成の隣に腰を下ろした。どうやら、ここで迎えを待つ気らしい、と察した一成はそっと口を開く。
「まっすー、迷惑かけちゃってごめんね。ヘッドフォンもありがと」
そう言って、貸してくれたヘッドフォンを外して真澄へ返そうとした。しかし、意外なことに真澄はそれを制して「聞いてれば」と言葉を落とす。目をまたたかせると、真澄は抑揚のない声で続けた。
「音楽聞いてれば他の音は聞かなくて済む」
太陽の光はちゃんと届く場所だから、突然暗闇に包まれることはないだろう。それでも、周囲の民家には庭木が植えられている。風が吹けばさわさわと葉を揺らすことは間違いなかった。
今度は倒れることもないかもしれない。だけれど、恐怖を呼び起こすのなら、わざわざ聞く必要もない。そのために、ヘッドフォンから流れる音楽を聞いていればいいと真澄は言うのだ。
一成は二度、三度目をまたたかせて、真澄を見つめた。何の表情も浮かんでいない横顔は整っていて人形のようだ。真澄が感情をあらわにするのは監督が関係した時くらいで、あとは大体似たような表情を浮かべている。
だけれど、真澄はわかりにくいだけで深い愛情を心の奥底に持っている。今だって、こうして大事なものを貸してくれる。腕を引いて助けてくれた。隣に座ってそばにいてくれる。それら全ての行動は、真澄の持つ愛情深さから来るものに違いない。
一成は静かにお礼を言った。すると、真澄はそっけない言葉を返す。抑揚のない淡々とした口調は不機嫌にも思えるけれど、そうではないことくらいわかっている。
「別に。一成はいつもうるさいから、静かにしてるならそれでもいいけど――別に苦しんでほしいわけじゃない」
真っ直ぐ前を見つめたまま落とされた言葉。一成の顔を見ることもない。だけれど、それが真澄の心からのものであることは、カンパニーの人間なら誰だってわかる。真澄は決して上辺だけの言葉を口にしない。いつだって素直で思ったことをそのまま声にする。だからこれは、どこまでも真っ直ぐとした真澄の本心だ。
一成は静かにうなずいて、もう一度「ありがとねん」と言った。真澄は何も言わないけれど、その沈黙は充分答えになっていた。一成はヘッドフォンをゆっくりと装着し直して、流れる音楽に身をゆだねる。
それからほどなくして、真澄が呼んだ迎えがやって来た。全力で突進してきて一成に抱きついたのは三角だった。
「かず、平気? もう具合悪くない?」
「だいじょぶだよん! 休んでたらだいぶ回復したし! これならお迎えなくても平気だったかも!」
ヘッドフォンを外した一成は、そう言いながら立ち上がった。思った通り、ふらつくこともなくきちんと立つことができた。
体に力が入らない状態では上手く歩くこともできない。真澄一人で一成を連れて帰れるかと言えば心もとないし、誰か迎えが必要だと思ったのは確かだ。ただ、休んでいる間にちゃんと力は入るようになったので、恐らく自分の足で歩いて帰れるだろう。
しかし、三角は険しい表情で「だめだよ、かず! 無理は禁物!」と言う。無理をしてより酷いことになってしまう可能性だってゼロではないのだ。大事を取るという判断をすべきだ、ということだろう。一成は勢いに押されるようにして「そだねん」とうなずいた。
一成の反応に笑みを浮かべた三角は、真澄へ向き直った。立ち上がった真澄は、一成から返却されたヘッドフォンを首に掛けていて、いたっていつも通りの姿だった。三角は浮かんだほほえみに、いっそうの明るさをまぜて口を開く。
「ますみ、お迎え呼んでくれてありがと~!」
「俺だけだと無理ってだけ」
別に大したことじゃない、といった口調で真澄は言う。事実に基づいた判断だ、ということなのだろう。真澄は淡々とした表情でさらに言葉を続けた。
「それに、一成はなるべく迎え呼んだほうがいいって咲也が言ってた」
真澄の言葉に、一成は目をまたたかせる。ここで咲也の名前が出てくるとは思わなかったからだ。
ただ、その名前と共に思い浮かぶ光景がある。咲也と迎え、という言葉から連想されるもの。咲也は大学へよく迎えに来てくれるのだ。
※
大学への迎えは夏組以外に、比較的時間の取れる人間が担ってくれる。その内の一人が咲也だった。アルバイトや芝居の都合をつけて大学までやって来てくれるのだ。日が沈んだ構内でも、一成を見つけた咲也が笑うとそこだけ日だまりができたように明るくなる。
「大学って、こんな風になってるんですね」
一成と一緒に構内を歩く時、咲也は物珍しそうに周囲を眺めている。大学へは進学しなかったので、キャンパスの雰囲気そのものが新鮮なのだろう。
「サクサク、今度は普通に大学遊びに来てよ。学食で一緒にお昼食べよん」
「わあ、いいですね!」
迎えに来てくれることはもちろん嬉しいけれど、何もそれだけの理由で大学を訪れることはないだろう。せっかくなら、大学自体の雰囲気を味わってほしいという気持ちで一成が言えば、咲也は嬉しそうに顔を輝かせる。それを見つめながら、一成はさらに言葉を続けた。
「好きなの頼んでねん。お迎え来てもらっちゃってるし、めっちゃおごっちゃうよん!」
大学限定メニューもあるし、そこは美術大学と言うべきかなかなか奇抜なものも存在している。ささやかな感謝の気持ちを込めて、咲也には好きなものを食べてもらいたかった。しかし、咲也は大きな目をぱちり、とまたたかせたあと、慌てたように口を開いた。
「そんな、大丈夫です!」
「あはは、サクサク絶対そう言うと思った~。でも、迷惑かけちゃってるからさ」
咲也のことなので遠慮するだろうと思っていたし、実際その通りだった。一成は軽やかに笑ったあと、それでも、と言葉を重ねた。咲也に時間を取らせているのは事実なのだから、申し訳ないと思ったのだ。だからこその言葉だったのだけれど、咲也はきっぱりと言った。
「オレ、一成さんを迎えに行くこと迷惑だって思ったことありません」
真っ直ぐとしたまなざしを向けて、咲也は告げる。瞳には確かな光が宿っているし、声の端々からにじむものは、あたたかかくてやわらかい。やっぱりサクサクは日だまりみたいだな、と思っていると咲也は照れたような笑みを浮かべて続けた。
「むしろ、ちょっと楽しみにしてるくらいです」
言った咲也は、慌てたように「一成さんが辛い思いをしてるのに、こんなこと言ったらだめだと思うんですけど!」と付け加えた。一成はそんな咲也の様子に、思わず笑みを浮かべた。咲也が一成の状況に胸を痛めていることはよくわかっているのだ。そんな風に慌てる必要なんて欠片もないのに。
「あの、でも、大学っていう場所が新鮮だっていうのもあるんですけど」
そっと何かをうかがうような口調で、咲也は言う。自分が選ばなかった場所に触れることができるようで、大学を訪れること自体に心を動かされるのは事実だ。もしかしたらあったかもしれない未来を、垣間見るような気持ちになる。だけれど、咲也が楽しみにしていることは。
「誰かを迎えに行けるっていうのが、オレすごく嬉しいんです」
やわらかな日だまりのような言葉だ。だけれど、そこには切実なまでの祈りが宿っていた。一成は、咲也の境遇について詳しいことは知らない。それでも、周囲の様子や彼を取り巻く状況から、何となく察することはできた。だからこそ、なのだろう。
誰かを迎えに行けること。それはつまり、咲也を待っている人がいるということで、その事実が咲也にとっては、どうしようもなく嬉しい。必要だと求められることもなく、自分の居場所を持たなかったからこそ、誰かを迎えに行けるという事実は彼にとっての喜びなのだ。
心からの言葉なのだと、一成が理解できないはずがない。どんな打算も欺瞞もない。咲也の真っ直ぐな本音を受け取ってしまえば、一成が返すべき答えは一つだった。
目の前の咲也に告げるべきは、謝罪の言葉でもなければ罪悪感でもないはずだ。わかっているから、一成は精一杯の気持ちを込めて言う。
「サクサクがそう言ってくれると、オレも嬉しいよん」
申し訳ないという気持ちが消えたわけではないけれど、咲也が心からの喜びを伝えてくれるのなら、謝罪でかき消してしまうことはしたくなかった。だから、一成は答えた。咲也が来てくれること、迎えに来ることを嬉しいと思ってくれること。その事実は、確かに一成の心にあたたかさをもたらしたのだから。
咲也から受け取ったものを確かめながら、一成は口を開く。軽やかな雰囲気で、ワクワクとした様子で楽しげに。
「それじゃ、学食行ったらさ。サクサクとオレで、お互いに食べてもらいたいものプレゼン大会やらね!? オレはサクサクに食べてもらいたいもの探すから、サクサクはオレに食べてほしいもの選んでねん!」
「楽しそうですけど、全然知らないオレが選んで大丈夫なんですか?」
「サクサク信じてるから平気っしょ」
「責任重大ですね……!」
あまりにも真剣な顔で言うので、一成は思わず笑ってしまう。何にだって全力投球で、心の全てをあますところなく伝えてくれるような咲也は、やっぱり日だまりみたいだな、と一成は思う。
そんな彼だからこそ、一緒に時間を過ごしていると、まるで周囲にあたたかな春風が吹いたように思える。そのやわらかな風に、何度だって助けられているのだ。
※
「サクサクにはめっちゃお世話になってるよん」
咲也との帰路を思い出す一成は、心からそう告げた。迎えに来てくれることもそうだし、その行為を心から嬉しいと思っていてくれることも含めて、咲也には何度も助けられているのだ。
「なるべく迎えを呼んだほうがいい」というのも、咲也なりに一成を思って真澄に伝えた言葉なのかもしれない。迎えに来てくれることを当然だと思ってくれるように、それくらい大切だと思われているのだと、一成に知ってほしくて。もっとも、咲也のことなので「そうしてくれると嬉しいな」くらいのニュアンスだったのだろうけれど、真澄なりに変換して受け取った結果が今の状況なのかもしれない。
二人の会話をニコニコと聞いていた三角は、ゆっくりと口を開く。
「ますみから連絡が来て、びっくりしちゃった。でも、ちょうどアルバイト終わったところだったから、飛んできたんだ!」
三角はそう言ったあと、ぐるりと周囲を見渡して太陽の位置を確認した。日が沈むまではもう少し時間はある。ただ、暗くなる前に早々に寮へ戻ったほうがいいと判断したのだろう。笑顔で足を踏み出して、元気よく言った。
「それじゃあ、みんなで帰ろう~!」
三角の言葉を待つことなく、真澄はすでに歩き出していた。三角がいるなら自分の役目は終わりだと思っているのだろう。三角はその背中に「あ、そうだ」と声を掛ける。
「ますみ、カントクさんもいっぱいお礼言ってたよ~! かずと一緒に行ってくれたのも、迎えに来てって連絡してくれたこともありがと! オレたちからも、いっぱい、いーっぱい、お礼するからね! あとで、サンカクくんあげる!」
にこにこと笑みを浮かべての言葉に、真澄はすぐさま反応した。数メートル先まで行っていた距離を駆け戻ってくると三角に詰め寄る。
「監督帰ってきてるの」
「うん。ここに来る途中で会ったから、ちょっとだけお話したんだ。ますみ、かずのことちゃんと守ってくれて、とっても頼りになるね~!って言ってた」
その言葉を聞いた瞬間、真澄が一成の腕をつかんだ。鬼気迫るような顔で「俺が一成を守る」と言う理由なんて聞くまでもなかった。100パーセント監督の言葉が原因だ。
「いや、待って、オレ自分で歩けるからね!?」
「知らない。俺が頼りになるってところ、アイツに見せる」
「かず真ん中にして、手つないで帰ろ~」
三角は三角でのんびりそんなことを言うし、なし崩し的に両脇から支えられるような形になって一成はいたたまれない。大通りではないとは言え、まだ日もあるのだ。通行人が3人を奇異な目で見るけれど、一成以外は当然気にしていなかった。
「かず、恥ずかしくないよ。みんな、みーんな、かずのことが大切なんだよ」
一成の戸惑いを察した三角は、にっこりと笑顔を浮かべて言う。やさしいまなざしをしていた。だけれど、その奥に宿るものは、もっと強い光を宿している。何かを決意するような、決して離すまいと抱きかかえているような。
真澄の連絡はMANKAIカンパニー全員のLIMEグループに投稿された。時間が時間なので即座に反応できる人は少なかったけれど、内容を確認したメンバーからは次々と心配の声が上がる。迎えに行けないことを謝罪する言葉も並んだ。幸い、三角はすぐに駆けつけることができたし、それを伝えたのでグループLIMEは安堵の空気に包まれた。
三角は自分が迎えに行く旨を告げたあと、すぐさま全速力で駆け出した。行き先は一つだけ。三角の大切な友達のところだ。
道中で帰宅途中の監督に会って、少しだけ話をした。監督は事情を理解していたから、「一成くんのこと、よろしくね」と送り出してくれた。三角の身体能力であれば、誰より速く駆けつけることができると知っていたからだろう。
三角はわき目もふらず、一心に街を駆けた。早く行かなくちゃ、と思っていた。一成はきっと心細い思いをしているから、ということもある。一成を大切に思うカンパニーみんなの気持ちを知っているからでもあったし、同時に三角自身が思っていた。
(今度こそ、ちゃんとかずのこと迎えにいくよ)
訪れなかった過去を三角はずっと覚えている。一成が寮に帰って来ず、天鵞絨町を走り回った。見つからなくて寮に戻って、今度は天馬と一緒に夜の街を駆けた。猫たちの協力もあって公園まで赴いて、確かにそこに一成はいた。二度と覚めない眠りについて、物言わぬ亡骸となって。
あの夜、三角は一成のところまで走っていけなかった。いつもと変わらない笑顔の一成を迎えに行くことはできなかった。だけれど、今度は違うのだ。真澄がちゃんと教えてくれた。迎えに来てほしいと言ってくれた。だから今度こそ、一成のところまで走っていくのだ。
その思いを胸にして、三角は全速力で駆け抜けた。何一つ、彼を妨げるものはなかった。行き先はたった一つ。為すべきことはこれだけだ。今度こそ、三角は大事な友達を迎えにいく。走りながら、三角はぎゅっと自分の決意を抱えていた。
辿り着いた先に、一成はちゃんといてくれた。道路の端にしゃがみこんではいたけれど、三角が抱きつけば同じように抱きしめ返してくれたし、やわらかな声で「すみー」と呼んでくれた。
それら全てに、三角は思ったのだ。今度こそ、かずのところまで走って来られた。かずのこと、ちゃんと迎えに来られたよ。
「かずが怖くないようにって、安心していられるようにって、みんなお願いしてくれた」
手をつないだまま、三角は告げる。迎えに行くのだという決意とともに街を駆けた三角は、託された思いも知っていた。
LIMEに投稿されたメッセージは、どれもが一成のことを案じていた。恐怖を感じることがないようにと、その心が守られることを祈っていた。LIMEを見ていないメンバーだってきっと同じことを思うのだ。一成が夜に怯えて木々の音を恐れることを誰もが知っているからこそ。どうか、一成の恐怖が去るように、ただ安らいでいてくれることを願っている。
カンパニーみんなの祈りを抱えて走っているのだと、三角は知っていた。今度こそ迎えに行くのだという決意と、遠くから一成を想う気持ち。それを大事に抱きかかえて、三角は一成のところまで走ってきた。
だから、今こうして手をつないで、真澄と一緒に一成を抱きしめるみたいにして帰ることは当然なのだ。
「それにね、かず。ますみ、できれば夏組がいいって言ってくれたんだよ」
嬉しそうな笑みを浮かべて、三角は言った。とっておきの秘密を口にするような言葉は、真澄の思いをしかと感じているからだ。
真澄はLIMEで迎えを寄越してほしいと連絡する際、出来れば夏組の誰かがいい、と言葉を添えた。カンパニーのメンバーなら誰でも問題はないと思っていたのだろうけれど、それでもあえて夏組を選んだのは。
「一成は夏組が一番安心するってアイツも言ってた」
何でもない顔で真澄はそう言った。その選択は、監督の言葉を忠実に守っただけと言えるのかもしれない。だけれど恐らく真澄は、自分で考えて判断した。誰でもいいと言うのではなく、一成が一番安心できる選択をしてくれた。それは間違いなく、真澄から一成へ向けられる親愛の証だ。
「まっすー、オレ、帰ったらカントクちゃんに、まっすーがめっちゃ頼りになったって話いっぱいするからねん!」
腕を掴んで歩く真澄に向かって、心からそう言う。恐らく、それが一番真澄にとって嬉しいことだろうし、事実として真澄が一成に助けになってくれたことは間違いないのだ。案の定、真澄はきらりと目を輝かせた。
「約束だから。アイツに、俺のカッコイイ所たくさん話して」
「おけまるだよん! まっすーのめっちゃサイコーポイント、カントクちゃんにプレゼンするから任せて!」
力強く言えば真澄は満足そうにうなずくし、三角も何だか嬉しそうだ。3人そろって辿る帰り道は、明るい光に包まれている。