おやすみナイチンゲール 21話
ショッピングに行くから付き合って、と幸に言われた。今度の土曜日にショッピングモールへ行くので、予定を空けておくようにというお達しである。
元々特に予定はなかったし、幸からの誘いを断るつもりはなかった。だから「おけまるだよん!」と明るく答える。すると幸は、わかりにくいながらもどこかほっとしたような空気を流すので、これは幸なりの気遣いなのだろうと一成は思った。
中庭に明かりが灯されたことから、一成の行動はずいぶんと自由になった。寮内であれば以前とあまり変わらない行動ができるようになったのだ。それは恐らく、寮にはカンパニーのメンバーがいてくれる安心感もあるのだろう。
ただ、それは同時に寮の外へのためらいも生んでいた。寮ならば安心できる。だけれど、寮の外――誰もいない場所で何かがあったら。昼間なら問題ないと言い切れないことは、以前の体験が如実に物語っている。
実際、昼間であろうと暗くなる場所は足がすくんでしまうし、陰に入らないよう注意をしている。大学はまだ慣れたところなので対処はできるし、病院も同様だ。だけれど、それ以外の場所へ出かけることを、一成は何となく避けるようになっていた。恐らく幸はそれに気づいたのだ。
だから、あえて一緒に出かけようと言った。行ったことのない場所でも自分がいるから平気だと。心配をしなくてもいいのだと、幸は伝えたいのだ。
一成自身は新しい場所もショッピングも好きな性質だ。それなのに、外へ行くことに恐怖が付随してためらってしまうことが、幸にはもどかしい。だからこそ、気分転換も兼ねて出かけようと一成を誘ったのだろう。
行き先は、車で1時間弱のところにあるショッピングモールだという。
多種多様な店舗の集まる複合型商業施設は、一風変わった品揃えや関東初出店を売りにした店舗が数多くあるようで、幸の目的はその中の手芸店だった。
一般的な店では出回っていない、少し変わった輸入品からハンドメイド作家の生地などを扱っているらしい。
電車で行くことも可能だけれど、恐らくカンパニーの誰かが車を出してくれるんだろうな、とは思っていた。
だから用意ができて玄関に集合した時、丞がいたことはさして驚くことでもなかった。ただ、紬まで出かける準備をしていたのは、少々意外だったのだ。
紬はその驚きを察したのだろう。件のショッピングモールに出店している園芸店に行きたいのだ、とはにかんで教えてくれた。
意外ではあったけれど、紬と出かけることが嫌なわけではないのだ。むしろ、変わった組み合わせに何だか楽しくなってきて、ワクワクしながら一成は車に乗り込んだ。
◆
早めに出発したことが功を奏したのか、混雑する前にショッピングモールへ着くことができた。
ショッピングモールはずいぶんと大きい。行きたい店は各自で違うので、落ち合う場所を決めて自由行動を取ることにした。ただ、一成と幸は一緒に店を見て回るつもりだったし、紬と丞は共に園芸店へ行くらしい。何でも、培養土や肥料を購入するようで人手がほしいと言う。
「結構な重さになるだろ。お前だけで持ち運べると思えない」
「うん。丞がいるからこれくらいは大丈夫かなと思って」
「……お前の荷物持ちをしに来たわけじゃないんだが」
若干不機嫌そうな空気を流すものの、紬はまるで気にした様子がなかった。気安い雰囲気で言葉を交わし合う様子は、普段の二人とは少しだけ違っていて一成は何だか貴重なものを見ているな、という気持ちになっていた。
「一成はどこか行きたいところとかないわけ。オレが行きたい店はここからだと遠いんだよね」
紬と丞のやり取りを一切気にしていなかった幸は、入ったところにある館内地図を確認してから尋ねた。駐車場から一番近い出入り口が現在地点だ。幸の目的である手芸店は、正反対とも言える位置にあるようだった。
特に目的なく、目についた店を見て回るつもりとは言え、もしも希望があるなら沿いたいと思っての言葉だろう。一成はスマートフォンを取り出して、画面と地図を見比べた。目的の店を見つけて、ぱっと顔を輝かせる。
「ここのチーズタルトのお店行きたいんだよねん! 限定チーズタルトがあるみたいだし、お土産にもちょうどいいし!」
一成が示したのはチーズタルトの専門店で、幸の目的である手芸店までの道すがらに位置している。元々一成の提案を断るつもりなど毛頭なかったので、幸は「じゃあ、そこ寄りながら店見て回るか」と方向性を定める。
「色んなお店があるみたいだけど、チーズタルトの専門店なんてあるんだね」
感心したように館内地図を見ている紬は、「さすがはカズくん、よく知ってるなぁ」としみじみつぶやく。一成はその言葉に「まあね~☆」とうなずいて、数日前の出来事を思い出している。
※
幸と一緒に出かけるショッピングモールについては、事前に情報を集めていた。ざっとどんな店があるのかをチェックして、行ってみたい場所をピックアップするのだ。
ぶらぶらと店を見て回るのも楽しいけれど、いくつか目的地は絞っておいたほうがいいし、そもそも出かけること自体が楽しみだったので、嬉々として情報を集めていた。
夏組のみんなにもショッピングモールのことは話して、何か欲しいものないかと尋ね回りもした。
もっとも、誰もが幸と楽しんできてくれればいい、と言うだけで特にほしいものは伝えられなかったので、密かにそれぞれにお土産を選んでやろうと一成は思っている。何だかんだで幸も一緒に選んでくれるに違いない。
実用重視かそれとも面白アイテムがいいのか。スマートフォンを駆使しながら、一成はあれこれと頭を悩ませていた。
園芸店もあるし、テンテンには盆栽の肥料とか買っていったら喜びそう。だけど、こだわりとかありそうだしな~。呑気にそんなことを考えていると、202号室の扉がノックされた。
返事をすると、入ってきたのは十座だった。一成は笑顔で歓迎の言葉を口にしてから、椋なら今部屋にいないと告げた。確か買い出しに出かけているはずだった。十座は少しだけためらうような空気を流したあと、ゆっくりと口を開く。
「俺が用事あんのは、一成さんです」
「マ!? ヒョードルがオレに用事とか珍しいね!?」
意外に思いつつも、めったにないこととなるとレア感があって何だかウキウキしてくる。真面目な顔はしているけれど、取り立てて深刻そうな雰囲気がなかったこともある。
「どしたん? むっくんのこととか? それともくもぴ?」
共用スペースに座っていた一成の向かいをすすめれば、十座は少しだけ考えてから腰を下ろした。一成はそれを確認してから用事について問いかける。
十座が自分に用がある、と言って思い浮かぶのはそれが一番だったからだ。十座は重々しい雰囲気で、椋や九門が世話になっていることは事実だしありがてえと思ってる、と頭を下げた。
真剣な様子に、一成は慌てて頭を上げてくれと頼む。お世話をしているつもりは微塵もないし、むしろ二人とも一成のことを何かと気にしてくれているので、礼を言うのは自分のほうだった。
二人そろって礼を言い合う事態になり、何だか奇妙な空気が流れる。ただ、当然それは険悪なものではなかったので一成は思わず笑って口を開いた。
「感謝訪問的なやつだったりする?」
そのために部屋を訪れたのか、という意味で問いかけると十座は「そういうわけじゃないっす」と首を振った。まあそうだろうな、と思ったので一成は十座の言葉の続きを待った。
十座はいくらかの沈黙を流したあと、意を決したように一成へ視線を向ける。ともすればにらみつけるようにも見えるまなざしだけれど、これは十座の真剣さの現れであることを、一成はよく知っていた。
「今度ショッピングモールに行くって、椋から聞いたんで。あの、ここのチーズタルト美味いんで、一成さんが良かったら行ってみてください」
言いながらポケットから取り出したのは、どうやらその店のリーフレットらしい。
三つ折りのそれを開くと、チーズタルト専門店のようで、ベーシックなものからアレンジの効いたものまで様々なチーズタルトが載っていた。店舗を見れば、確かに一成たちが行く予定のショッピングモールにも出店している。
「そこの店限定のメニューもあるみたいっす。シンプルなチーズタルトも美味いんで、他のも美味いと思う」
そう言って、十座は真剣な顔でとつとつとチーズタルトの味を語る。どうしていきなり、十座がそんな話を始めたのか。一成はその意味を察している。
「俺に何ができるかわからねえ。でも、美味いもん食べたら一成さんも元気になるんじゃないかと思った」
真っ直ぐと一成を見つめた十座は、迷いのない表情で告げた。
きっと十座は、色々なことを考えてくれたのだと一成は思う。元々十座はやさしい人間だから、寮内でも一成のことは気にしてくれていた。はっきりとした言葉や態度に出すことはなくても、具合を悪くしていないだろうかとか心配してくれていることは、一成も感じていた。
加えて、十座は自分にできることを考えた結果として、美味しいと思うものを一成に教えてくれた。
本人が吹聴したがらないので黙っているけれど、十座が甘いものを好むことはカンパニー全員知っている。だから、今一成に教えてくれたチーズタルトは、十座が心から美味しいと思ったものなのだろう。
そうやって、自分の心が動いたものを一成に教えてくれる。
好きだと思うもの、美味しいと感じたものを一成に味わってほしいと伝えてくれる。それは、一成の心がどうか喜びで満たされますように、という十座の祈りだ。
「めっちゃ美味しそうだし、この店舗限定のチーズタルトも可愛くってやばたんじゃん!」
リーフレットに載っているメニューを指して言えば、十座がほっとしたように息を吐く。「季節限定のチーズタルトもあるっす」と教えてくれるので、スマートフォンで検索をかければ栗のモンブランやイチジクのチーズタルトがヒットした。
「めちゃかわ! イチジクのチーズタルトとか食べたことないかも~!」
「俺もそれはないっす」
「マ!? じゃあお土産買ってくるねん!」
素直に言うと、十座は慌てたように首を振る。催促するつもりで言ったわけではない、ということだろう。
それでも一成は「オレが買ってきたいだけだよん」と言うし、何だかんだで喜んでくれるだろうとも思っていた。椋たちにも買ってくればきっと受け取ってくれるから、その時は一緒にお茶会でもしたいな、と思う。
「美味しそうなお店教えてくれて、ありがとねん!」
にこやかな笑顔で言えば、十座は「大したことじゃないっす」と首を振る。一成は「マジでベリサン!」ともう一度礼を言うけれど、それは店を教えてくれたことそのものでもあると同時に、そこに宿った十座の心への感謝でもある。
一成の現状を知った十座は、苦しみは遠ざけて喜びを呼び寄せようとしてくれたのだ。
素敵なもの、美味しいもの、確かに心を動かす快いもの。そういうもので一成の心が満たされるよう、自分の知っているもののなから取り出して、そっと教えてくれた。
そのやさしさが嬉しくて、一成は心からの感謝を告げたのだ。
※
「それじゃ、途中でこの店寄るルートにするか」
幸がつぶやいて、おおよその道順を決めたらしい。
チーズタルト専門店のことは十座から聞いたと告げてもいいのだろう。ただ、本人が甘いものを好きであるとあまり知られたくはないようなので、とりあえず今は黙っておくことにした。
一成は幸の言葉にうなずいて、「いいね! この辺の店とか良さげだし」と地図を示した。
「――紬と丞、昼はどうするの。オレたちは一成が行きたいって店あるからそこ行くつもり」
そういえば、という顔で幸が二人に質問を向ける。自由行動なので、昼食もバラバラに取ったところで問題はないのだ。紬と丞は一瞬目配せをしてから、すぐに答えを出したらしい。
「良ければ俺たちも合流したいな。そのあとどうするかって話もしたいし」
穏やかに紬が言うので、幸も一成も了承の意を込めてうなずいた。もちろん嫌なわけがないし、一成は「4人で食事とかあんまなくね?」と楽しそうだ。
店の情報を全員で共有し、概ねの時間を決定する。変更があれば連絡すること、という注意事項を確認してからひとまず解散した。
◆
マネキンやウィンドーのインテリアにあれこれと言い合いながら、幸と一成は目的の店を目指した。あれは舞台に映えそうだの、色の組み合わせが斬新だのと、デザイナーとしての観点から話は弾む。
気になる店があれば中に入り、いいサンカクがあれば三角にどうかと商品を手に取る。近頃、こういった場所を訪れていない一成は、弾んだ笑顔で買い物を楽しんでくれているようで、幸は内心で安堵していた。
ショッピングモールは外の明かりが入らないものの、常にやわらかな明かりで照らされているので、暗がりがないこともよかった。建物内であることから風の影響も受けないし、館内に植物が植わっているスペースがないことも確認済みだ。一成を脅かすものは何もないはずだ。
件のチーズタルト専門店では、一成のテンションはさらに高くなった。目を輝かせて「めっちゃ美味しそう~!」と言っているし、イートインコーナーもあるということで、ドリンクセットを頼んで一息吐く。
店舗限定だというイチゴとミルクのチーズタルトに舌鼓を打ちながら、幸と一成は何でもない話をしていた。
ささやかな話をするたび、一成は心底楽しそうに笑う。その様子を見つめる幸の表情は、普段とまるで変わらない。だけれど表に出さないだけで、一成が笑ってくれることが幸には嬉しかった。
いつも明るくて笑顔を絶やさない一成が、まるで別人のように怯える姿を知っている。その笑顔が失われて、自分が殺される恐怖に震えていた。そんな面影一つなく笑ってくれることは、幸にとっての喜びでもある。
無理に笑っているわけではなく、ただ心から楽しんでくれていることくらい幸にもわかる。こんな時間をたくさんあげたかったのだ。何にも脅かされることなく、ただ純粋に楽しいと思える時間を過ごしてほしかった。一成が寮の外へ出かけることに、ためらいを覚えていることに気づいた時からずっと。
一成はフットワークの軽い人間で、気になるところがあればすぐに出かけていく。楽しいことや面白いことの気配を感じれば、イベントにだってすぐ飛び込む。
そんな一成が寮で過ごすことが増えて、外出をあまりしなくなった。
本人ははっきりとした理由を言わないし何となく濁しているけれど、外で倒れたらどうしたらいいかと思っていることはわかった。突然昏倒してしまったら周囲に迷惑をかけてしまうし、何よりも外であの夜を思い出すことが怖いのだ。
ただ、カンパニーの誰かが一緒なら比較的外へ出かけることはできている。夏組――特に天馬がいれば安心できるらしい、ということは幸も察した。
天馬も当然それに気づいているので、出かけたい時は自分に声をかけろと言っているものの、いかんせん忙しい身の上である。
それに、一成も変なところで気を遣うので「あんまりテンテンに迷惑を掛けたくないし」などと思っているのだ。一成に求められれば天馬のことだ、喜びこそすれ迷惑がることなど絶対にない、とは一成以外の全員は確信しているのだけれど。
だから、というわけではないものの、それなら自分が一緒に出かけようと幸は思った。
ショッピングモールに行きたいと思っていたことは事実だけれど、どうせなら一成を連れ出そうと決めたのだ。
きっと一成は、楽しんで笑ってくれる。嬉しそうにきらきらと目を輝かせてくれる。目の前でチーズタルトを口に運ぶ一成は、幸の予想通りの顔を見せてくれた。
限定タルトをお土産として購入して、二人は店を出た。軽やかな足取りで店を見て、一成は楽しそうにショッピングをしている。
気になったものがあれば「これもいいかも」「こっちも買っちゃおっかな」なんて言っているので、荷物は次第に増えていった。幸もそれにつられるように浮き立つ気持ちになっているから、目的の手芸店での買い物は予想外に大荷物になってしまった。
ただ、どれも満足のいく買い物であることは間違いない。それは一成も察したのだろう。「この生地でゆっきーが作る衣装とか、マジ楽しみ!」と明るく言うので、「最高の衣装作るから」と力強く答えたのだ。
手芸店での買い物を終えたころには、いい時間になっていた。
そろそろ待ち合わせの店に向かうべきだろう、と思っていると丞から連絡が来た。一旦車に荷物を積むから、少し遅くなるかもしれない、というメッセージに二人は顔を見合わせる。
自分たちも荷物が予想外に多い。一成が行きたいと言っている店は駐車場に近いということもあった。荷物を乗せるために車に戻ろう、と決めるまで時間は要らなかった。