おやすみナイチンゲール 22話




 目的の店は、大きなスクリーンが特徴的なダイニングカフェだった。店内に窓がない代わりに、スクリーンにはビーチの動画が映し出されて開放的な雰囲気がある。
 一通りのカフェメニューはそろっているけれど、特にサンドイッチの種類が豊富な店だった。定番から変わり種まで様々だし、サイズも選べるという。
 キングサイズもあるからタクスも食べ応えあるよん、と言う通り確かに運ばれてきたサンドイッチはボリュームがあった。一成は見た目によらず意外と量は食べられるので、無事に完食していた。
 あらかた食事を終えて、セットのドリンクを飲みながらこれからのことを話す。紬と丞は大体目的のものは見たので、あとは幸と一成に付き合うつもりだと言う。

「まだ見て回りたいところとかあるんじゃない?」
「まあね。他にも気になるところはいくつかあるし」

 穏やかな紬の問いかけに、幸は肩をすくめて答える。一成は一成で、丞がどんな店に行っていたのか、なんてことを尋ねていた。
 どうやら紬の用事を終えたあとはスポーツ用品店を訪れ、映画館で新作のチェックをしていたらしい。研究熱心なので、映像作品にもアンテナを張っているのだろう。映像、という言葉に一成は「そういえば」と口を開く。

「ここのお店も、スクリーンあるから持ち込みの映像流してくれるらしいよん。サプライズパーティーにも対応可っぽいし、いきなりタクスの映像とか出てきたらびっくりじゃね?」

 面白そうな表情で言う一成は、店内を見渡して「結構席あるからカンパニーのみんな来られそうだよねん」などと言っている。丞は呆れたように息を吐いた。

「わざわざこんなところに来なくても談話室で充分だろ」
「えー、たまには全然違うところっていうのも面白いじゃん」

 屈託なく雑談を交わしている間にも、ちらほらとお客さんが入っている。4人が訪れたのは、ランチには少し遅い時間だったこともあり、そろそろティータイムに差し掛かるのだろう。いい時間だし席を立とうか、と話している時だった。

 突然、店内の電気が消えた。

 スクリーンに流れていたビーチの動画も消えて、一気に店内が薄暗くなる。ショッピングモールの通路の明かりは点いているので、完全な暗闇になったわけではない。それでも、途端に全てが薄墨色に染まったようだった。
 一体何事か、と周囲を見渡すと軽快な音楽が店内に流れた。
 ポップなメロディに合わせて、店員が蝋燭のついたケーキの乗った皿を持って登場する。そのまま、テーブルの一角に運んでいくのと同時にスクリーンに明かりがついた。お洒落な字体の「Happy Birthday!」という文字と、カラフルな花やリボンの映像が映し出される。
 ケーキが運ばれていった一角では歓声と「誕生日おめでとう!」という声が上がり、店員からはバースデーサプライズの演出である旨が告げられる。
 一成はサプライズパーティーにも対応すると言っていた。今、正にそれが行われたのだ、ということはすぐにわかった。

「一成」

 事態を理解するのと同時に、幸の鋭い声が響いた。見れば、一成は唇を閉じてぎゅっと目をつむっている。机の上に投げ出された手は力強く握りしめられていて、まるで何かにすがるようだった。
 何が起きたのか、紬も丞もすぐに察した。呼吸はか細く、顔は白い。明らかに様子がおかしい。誕生日の演出はまだ続いているようで、店内は暗いままだ。

「カズくん、歩ける?」
「無理なら俺が担ぐ」

 そっと背中に手を当てた紬が言って、丞はすぐに席を立った。一成は目を開くと、ほとんど吐息に紛れるような声で「歩く」とつぶやく。

「ちゃんと歩いてかなきゃ、何事かって思われちゃうっしょ」

 細い呼吸で、それでも笑みを浮かべた一成はそう言った。何の話だと丞が思っていると、一成はよろよろと立ち上がる。
 眩暈でもするのか、一瞬ふらつくのでその腕を取る。ただ、自分の足で歩くという意志だけは確かなようで、ふらふらとしながらもどうにか足を踏み出した。
 丞が紬へ視線を送れば、それだけで言いたいこと理解したのだろう。こくりとうなずいたのを確認して、丞は一成の腕を取ったまま店外へ足を踏み出す。
 決して長い距離ではない。それでも、一成にとっては恐らく途方もない道のりだったはずだ。
 暗い店内を抜け出し、ショッピングモールの通路に辿り着いた瞬間、崩れ落ちるようにその場にしゃがみ込んだ。短い呼吸を繰り返しており、苦しそうに顔を歪めている。

「三好。ゆっくり息を吐け。できるか」
「――ごめん」
「謝らなくていいから息を吐け」

 強い語気で繰り返せば、一成は素直に従った。意識的に息を吐き出せば、必然的に次は酸素を吸い込むことになる。時間を掛けて息を吐かせてやれば、次第に一成の呼吸は落ち着いていった。

「立てそうか」
「……ちょっとまだ力入んないかも」

 へらり、と笑った一成はしゃがみこんだまま答えた。笑っていう話じゃないだろう、と丞の眉が寄ったのを察して一成は「迷惑かけてごめん」と謝った。
 丞はいっそう眉間の皺を深く刻むけれど、それは一成に対するものではなかった。一成は空気を読むことに長けた人間だ。その一成を前にして自分の不機嫌さを不躾に表に出した自分への苛立ちだった。

「お前に怒ってるわけじゃないし、別に迷惑だとは思ってない」

 きっぱりそれだけ言うと、一成はか細い声で「ならよかった」とつぶやく。普段の華やぐような明るさはすっかり影を潜めていて、その事実は一成の不調を本格的に伝えている。
 一成が暗闇や木々の音に怯えることは知っていた。そのための対策が寮では為されているし、一成が混乱を来たす様は実際に目にもしている。昼間においても例外ではないことは聞かされていた通りだ。
 今回は突然店内が暗くなったことが原因だろうと察しはついた。夜ほどの暗さではなくても、思いがけず暗がりが訪れたことで一成は自身が襲われたことを思い出し、ひいては命の危機を感じてしまったのだろう、と丞は思った。

「――お店のほうは大丈夫な感じ?」

 うかがうような視線で問いかけられて、丞は黙る。何を示しての言葉なのか、いまいちわからなかったからだ。一成はそれを察して言葉を継いだ。

「オレが具合悪くなったのバレてないかなって。お店だってびっくりしちゃうし、誕生日に嫌な思い出作りたくないじゃん」

 静かな声で紡がれた言葉に、丞は思わず目を見張った。
 店を出る際、ふらふらになりながら何を気にしているのかと思っていた。そうまでして自分の足で歩こうとするのはどうしてなのかといぶかしんでいた。その答えがこれか、と丞は思う。
 一成はあの時、自分が倒れでもしたら騒ぎになると思ったのだ。そうしたら店側も確かに慌てるだろうし、何よりも誕生日を祝われた誰かがどう思うかと心配していた。
 サプライズで誕生日を祝ってもらった楽しい記憶に、誰かが倒れたなんて事実を刻みたくなかった。幸せの記憶に、要らない染みがついてしまうようで。

「誰も気づいてない」

 多少は不思議に思われたかもしれないけれど、特に騒ぎになっていないことは事実なのでそう言った。一成は丞の言葉にほっとしたように笑った。それを見ていた丞は何とも言えない気持ちになるけれど、今はそんな感傷に浸っている場合でもないと判断する。

「ひとまず車に戻るぞ。ここでずっとうずくまってるわけにもいかないだろ」

 車のほうが一成も安心して休めるだろう、という判断だ。ただ、一成はまだ上手く力が入らないようで、車まで戻れるようになるまではまだ時間がかかりそうだ、なんて言うので。

「担いだほうがはやいな」

 あっさり結論を出した丞は、「え?」と目を白黒させる一成に構わず体を担ぎ上げた。







 後部座席を倒して作ったスペースに、一成は横になっている。運転席の丞は紬とスマートフォンで話をしているところだった。

「わかってる。呼吸も落ち着いてるし、顔色も戻ってきてる。もちろん目を離したりはしないが――ああ、聞いてみる」

 そこまで話したところで、丞は振り返って一成へ「電話に出られそうか」と尋ねた。淡々としながらも気遣いの見える言葉に、一成は「出られるよん」と言って体を起こした。

「眩暈はないか」
「うん。バッチリ~」
「呼吸も正常そうだしな。ただ、あまり無理はするなよ」

 それだけ言うと、丞はスマートフォンを渡してくれた。紬の名前が表示された画面を少しだけ見つめてから、一成は深呼吸をして電話に出た。

「つむつむ?」
『カズくん、体調はどうかな。ずいぶん落ち着いたって、丞からは聞いたんだけど』
「うん、全然だいじょぶだよん! 眩暈とかも全然ないし、ちゃんと起きてられるし!」

 さっきまで横になっていたおかげか、ずいぶんと体調は回復していた。いつも通りの受け答えもできるし、さっきまで具合が悪かったことが冗談のように思えるくらいだ。紬は電話の向こうでほっとしたように息を吐いた。

『それならよかったな。でも、無理はしないでね』
「ありがとねん! てか、つむつむたちに迷惑かけちゃってめんご~」

 なるべく明るい口調でそう言うと、紬は一瞬黙った。ただ、すぐに口を開いてやわらかな声で答える。

『そんなことないよ。カズくんの調子が悪くなったのはカズくんのせいじゃないし、突然暗くなったからびっくりしちゃったんだよね』

 やさしい言葉は至って素直な紬の本心だろう。一成のことを迷惑だなんて思わないことくらい、一成だって十分わかっている。それでも、余計な心配を掛けてしまったことは事実だった。

「うん。つむつむならそう言ってくれると思ったけど……ゆっきーのこともありがとねん」

 丞と紬の電話越しの会話を、一成は横になりながら聞いていた。だから、現状は正しく把握していたのだ。
 丞と一成が先に車に戻ってから、紬と幸がどう動いたのか。
 紬は会計を済ませてから丞に電話を掛けて一成の様子を聞いた。ぐったりはしているけれど、そこまでひどくはない、という言葉にすぐに車に戻るのではなく、少し幸と話をすることにしたのだ。

「ゆっきーもびっくりしてたっしょ。せっかく誘ってくれたのに、途中で具合悪くなっちゃうとかマジでごめんって感じ」

 心からの謝罪は、恐らく幸が一成の体調が悪くなったことにショックを受けるだろうと思ったからだ。
 幸だって頭ではちゃんと、自分の行為と一成の不調が直接関係していないことくらい理解している。だけれど、きっとどこかで自分が一緒に買い物へ行こうと言ったせいで、と思ってしまう。
 紬もそれを察していたから、車へ戻る前に幸と話をしようと思った。

『ふふ。二人とも相手のことを考えてやさしいね。でも、幸くんも一成くんも気に病む必要なんてないんだってことはわかっててほしいな。具合が悪くなるのはカズくんのせいでも、幸くんのせいでもないでしょう?』

 落ち着いた声で紡がれる紬の言葉は、丁寧に一成の心を撫でるようだった。ゆっくりと緊張や後悔を溶かしていってくれるような心持ちがした。

『誰も悪くないんだよ。たまたま雨が降って濡れてしまった、みたいな話だからね。雨を恨むよりも乾いたタオルを持ってくることが大切なんだ』

 一成の具合が悪くなること。それ自体は、ほとんど不可抗力と言っていいのだ。だから、誰が悪いとか誰のせいだとかを考える意味はない。必要なことは、その事実によってこれ以上苦しむ人間が現れないようにすることだ、と紬は言うのだ。

『それに、カズくんや幸くんにできることがあるのは、俺にとっても嬉しいことだから。むしろ、力になれたなら嬉しいな』

 迷惑を掛ける、と一成は言うけれど。それはつまり、無関係ではないことの証明でもある。
 何もできないまま遠くで見ているだけではなくできることがあるというのは、紬にとって嬉しいことであって決して不快に思う出来事ではないのだ。
 一成がその本心を察せないはずがなかった。心から紬は言ってくれる。それを否定することなどできるはずもなく、一成はただ「ありがとう」と告げた。紬は小さく笑ったようだ。

『幸くんがカズくんと話したいみたいだから、少し電話代わるね』

 やさしい声でそう言うと、わずかな沈黙が流れる。電話の向こうで何かやり取りしている声が聞こえた。耳を澄ましていると、ほどなくして耳慣れた声がスマートフォンから流れ出す。

『……具合は良くなったって聞いたけど』
「だいじょぶだよん! 全然めっちゃ普通だから!」

 幸の言葉に一成は明るい声で答えた。淡々としているように聞こえて、奥底に不安を秘めているような。そんな風に強がる声に、心配はないと言いたかったのだ。幸はわずかな沈黙のあとで、ぽつりと「ならいいんだけど」と答えた。
 幸とて、一成が心配を掛けまいとして明るく振る舞っていることくらいわかっているだろう。それでも、全てが嘘ではなく、倒れそうな顔をしていたあの時よりも体調が回復しているという雰囲気は感じ取ってくれたのかもしれない。

「マジで平気だからねん。さっきまで横になってたけど、今は普通に起きてるし」

 起きていられることは事実なのでそう告げる。ただ、それだけで幸の心配を全て吹き飛ばすことができないこともわかっているので、一成は何てことのない口調で言葉を継いだ。

「そだ。ゆっきーたち、こっち戻ってくるっしょ? その時、何か飲むもの買ってきてくれたら嬉しいな~なんて」

 喉乾いちゃったんだよね、というのは一成の本心だ。横になっている間は何かを飲みたい、という気持ちも沸いてこなかったけれど、こうして体を起こして会話をしていると何か飲み物が欲しくなったのだ。

『わかった。希望あれば聞く』
「うーん……何でもいいけど、ミネラルウォーターとかがいいかも!」

 明るい口調で答えれば、幸は再度了承の言葉をくれた。その声はさっきよりも強い響きをしていたので一成は内心でほっと息を吐いた。
 飲み物が欲しい、と思ったのは本当だ。ただ、わざわざ幸に頼まなくても自分で買ってくることだってできるし、我慢できないほどの渇きでもない。
 だから今頼んだのは、積極的に飲み物が欲しいというより、幸の心を軽くするためという側面が大きい。
 紬と話したことで幸のショックも落ち着いただろう。だけれど、幸の繊細な心はまだ揺れ動いているに違いない。
 だから一成は頼みごとをした。それだけで全てをフォローできるとは思わないけれど、やさしい幸のことなので「一成にできることがある」という事実は、彼の心を掬いあげる手段になる。一成のためになっていることが明確な形になるからだ。

 それから二言三言交わしたあと、再度紬に電話が代わる。これからの動きをいくつか話せば、通話は終了した。

「ありがとねん。飲み物買ってから戻ってきてくれるって」

 スマートフォンを返しながらそう言って、戻ってきたらそのまま寮へ帰ることになった、と続ける。もっとも、一成の具合が悪くなった時点で帰宅することは決定事項という扱いだったので、ただの事実確認でしかない。

「てか、タクスもっと見たいものとかあったんじゃね? ごめピコ~」

 体調を崩した時点でこうなることは一成もわかっていた。ただ、本来ならもっと長く滞在する予定だっただけに申し訳ないと思ったのだ。丞は淡々とした口調で答えた。

「俺はそもそも運転役だからな。別に取り立てて見るものがあったわけじゃない」

 ショッピングモールに用があったのは、丞以外の3人だ。丞本人は、単なる足として同行しただけなので滞在時間が短くなっても特に問題がなかったのだ。
 一成は丞の言葉に一つまばたきをしたあと、くすりと笑みを浮かべた。

「さすがタクスって感じ! 自分が興味なくても運転手してくれるとか、マジめっちゃやさしい!」

 茶化すような響きだけれど、それが一成の本心であることは丞にも何となくわかった。一成は心から、こうして運転手を引き受けた丞のことをやさしい人間だと思っている。

「瑠璃川には世話にもなってるからな。これくらい当然だ」

 衣装係として幸には色々と迷惑を掛けている自覚は丞にもあった。文句を言いながらもサイズ調整をしてくれる衣装係が、新しい生地を見繕いに行くというのだから車を出すのは当然だという気持ちすらあったのだ。
 だから、取り立てて「やさしい」と言われるような行為ではない。何よりも一成に言われることではない、と丞は思った。

「それに、見ず知らずの他人の誕生日を気にするお前ほどじゃないだろ」

 思い出すのは、店を出た時の一成の言葉だった。
 店の様子を気にしていた一成は、誕生日に嫌な思い出を作りたくないと言っていた。もしも店内で自分が倒れれば、誕生日を祝われた記憶に不穏な事実が重なってしまう。
 それを厭って、一成は何事もない顔で店を出ることを選んだ。
 あの時一成に何が起きたのか、丞は何もかもを理解しているわけではない。それでも、監督や紬から話は聞いているので想像することはできた。
 夜の暗闇や突然の暗がりは、一成に自身が襲われた時のことを思い出させる。通り魔事件の犯人によって明確に体を傷つけられた体験だ。さらに、今の一成はそれを「自分自身が殺される記憶」として認識するようになったと聞く。
 夜の暗闇や木々の葉擦れ。それらは、一成にとって殺される瞬間と重なるようになってしまった。ナイフを身体に突き立てられ、痛みと苦しみが与えられる。血が流れ出し、動くこともままならない。ただ悪意によって自分自身の命が蹂躙されていく。
 殺される役であれば、丞も何度か演じたことはある。
 役作りとして詳細にその状況を想像し、自分に起きたこととして置き換えたこともある。役者としての糧になったことは間違いないし、演技だということは充分理解している。それでも、心が重くなるような経験だった。
 それを一成は何度も繰り返すのだ。自分の意志とは無関係に、いつ起きるかともわからない状況で。
 さらに、役者としてではなく殺されるのは自分自身だ。丞とて役を己として生きることから、自分が殺されるという状況を何度も再現しているとは言える。それでも高遠丞が死んだわけではないことも事実だった。
 しかし、一成の場合意味が違う。何度だって否応なく殺されるのは、他の誰でもない一成自身だった。
 突然訪れた暗がりで、一成は己が殺される瞬間をよみがえらせた。自分が死ぬ瞬間なんて、何度味わっても慣れるものではないだろう。だから一成は青白い顔をして、呼吸すらままならない状況で必死に自分を支えていた。
 それなのに、あの時一成が気にしていたのは自分ではない他の誰かのことだ。顔も名前も知らない。ただ行き合っただけの、誰かの誕生日のことを気にしてここで倒れてはいけないと言い聞かせていた。
 一成が案外他人のことを気にする性質だということは、丞も薄々気づいてはいた。コミュニケーション能力に長けているのは、距離感の取り方を柔軟に変えられることの証明でもあるのだろう。
 だから、自分以外の誰かのことをいたって自然に気遣える人間だということは知っていたのだけれど。まさか、あの状況下で他人の誕生日を気にするとはさすがに思っていなかった。

「まあ、三好らしいと言えば三好らしいんだろうけどな」

 恐らく夏組であれば納得できる事態なのだろう、という意味で言葉を添える。ただ、言われた一成本人は何だか申し訳なさそうな顔で口を開く。

「てか、タクスにはめっちゃ迷惑かけちゃってごめピコ~。ずっとオレに着いててくれたし、マジめんご。担がれるとは思ってなかったけど、迷惑だったっしょ」

 どうやら、ここに至るまでの経緯を改めて思い出して「迷惑をかけた」としょげているらしい、と丞は察した。思わず不可解な表情を浮かべたのは、心から「何を言ってるんだ?」と思ったからだ。

「具合の悪いやつを助けるのは当然だろ。お前は見ず知らずの他人じゃないんだ」

 全人類を助けられるわけがないし、自分の両手で掴めるものに限りがあることは丞とてわかっている。だからこそ線引きが必要だと言うなら、丞にとって一成は「助けて当然」の範囲に入っていた。

「お前はMANKAIカンパニーの一員だろ。さすがに俺も、カンパニーのことは大事に思ってるし、そこに入ってるやつらが困ってれば助けることくらいする。お前もその一人だ」

 気がつけば、丞にとってMANKAIカンパニーという存在は特別大切なものになっていた。
 ここで出会った様々なものが芝居の糧になっただけではなく、人生を豊かにして彩りを添えてくれた。世界を広げて、見えるものを増やしてくれた、大事な存在だ。
 それは、カンパニーに集う誰が欠けても恐らく成り立たなかったのだと、丞は思っている。

「今まで同じ時間を過ごしてきて、大事じゃないなんて思うわけないだろ。お前を助けるのは当たり前だ。大体、お前だって逆の立場ならこうするに決まってる」

 それは丞にとって自明の理だった。カンパニーが大切で、そこに属する人たちも特別である。それなら、カンパニーのメンバーが困っているなら、助けが必要なら、手を差し出すのだ。
 迷う必要もないくらい当然の結論だったのでそう言えば、一成がびっくりしたような顔で丞を見つめていた。丞にとってはあまり見覚えのない表情である。

「やっぱり、タクスってめちゃくちゃやさしいよねん」

 ふっと息を吐き出すと、一成が小さく笑ってそうつぶやく。いつもの明るい表情ではなく、やっぱり丞には見慣れないものだ。丞は不思議そうな表情で答えを返した。

「別にそんなことはないだろ。やさしいってのは紬とか他のやつのことだ」
「まあね~。つむつむは確かにやさしいしってか、カンパニーのみんなめっちゃやさしいしねん!」

 ぱっと表情を明るくさせた一成が、嬉しそうに言う。思い出しているのは、今日に至るまでのあれこれなのだろう、と丞は思う。
 一成の恐怖が遠ざかるよう、カンパニーの誰もができることをしようとしている。一成はきっと、その一つ一つをきちんと拾い上げているのだろう。

「まあ、全員何かしらやってるからな。卯木なんかも、懐中電灯改造してみるかなんて言ってたぞ」

 そういえば、という顔で丞はつぶやく。
 団内で何かと修理を任される二人は機械の改造についても話をするらしい。その際、千景は一成が暗いところが怖い、という点から懐中電灯を改造して明るさを強くしてみようかな、と言っていた。小さいながらも光量の強いライトがあれば、一成の安心材料になるだろうということらしい。

「マ!? チカちょんの改造懐中電灯とかマジでやばそうなんだけど!」

 ビームとか出るんじゃね?と言う一成は心底楽しそうだった。