おやすみナイチンゲール 25話
天馬が監督と話をしてから数日後、夏組はレッスン室に布団を持ち込んだ。
布団は2列で、頭同士が向き合う形に敷かれている。一成の近くで寝るのは誰かについて多少一悶着はあったものの、最終的にはジャンケンで決着がついた。一成の左右には九門と椋、真向いには三角という布陣である。
「レッスン室で寝るとか、なんかすげー新鮮!」
テンション高めの一成が、周囲を見渡してそう言う。寒さ対策のために持ち込まれた暖房器具や、6組の布団が並ぶ光景は、いつもなら稽古を行っている場所を見たことのないものに変えていた。
「やっぱここはトランプ大会とかする感じ?」
ワクワクした様子の一成は嬉々として言った。
布団を持ち込んで眠る準備は万端だけれど、さすがにまだ寝る時間には早かった。めいめい、自分の布団の上でくつろいだ態勢で向かい合っており、自然と車座のような状態になっている。
一成は嬉しそうにポケットを探って、トランプケースを取り出した。
「オレちゃんとトランプ持ってきたんだよねん」
「さすがパリピ。用意だけはいい」
呆れたように幸が言うものの、唇には笑みが刻まれていた。三角は「サンカク探しもしたいね~」とふわふわ言っていて、レッスン室で宝探しでも始める気なのかもしれない。
「トランプか~。オレ、また大富豪やりたい!」
快活な笑みを浮かべた九門が言えば、椋が控えめに「ボクは七並べがいいな」と言葉を添える。二人が何を思い出しているのかは、全員わかっていた。
過去の一成と電話がつながって、通り魔事件から遠ざけようと一成を天鵞絨町から連れ出した。あの時、海辺の合宿所の一成とビデオ通話をしながらみんなでトランプをしたのだ。
痛ましい記憶も辛い思い出も何一つ知らないみたいに、ただ笑顔あふれる時間を過ごした。何の実にもならないような、くだらない話をたくさんした。
あの時彼らの前にいたのは、スマートフォンの向こう側の一成だった。声を聞いて会話もできるけれど、決して触れることのできない人だった。だけれど、今一成は目の前にいてくれる。手を伸ばせば触れられる距離で笑っていてくれるのだ。
「そかそか。どうせならもう一回ペア制トランプやる? あれ楽しかったよねん!」
楽しそうに一成が言って、「ってことは、最初はテンテンとババ抜きか~」と続ける。そのままの調子で「やべ~、最初からハードモードじゃん」と言うので、天馬は思わず突っ込んだ。
「どういう意味だ」
「にゃはは、あ、それとも先にババ抜き特訓する?」
まったく悪びれる様子もなく、突き抜けるような明るい笑顔で言われるので。天馬は顔をしかめるけれど、口元にはこらえきれない笑みが浮かんでしまう。
自分と組むことをハードモード呼ばわりするなとか、だからババ抜きを強くしてどうするんだよ、だとか。言いたいことは色々あったはずなのに、一成があまりにも楽しそうなので、何だか胸がいっぱいになってしまうのだ。
だってずっと笑っていてほしかった。手を伸ばせば触れられるこの距離で、他の誰でもない一成に笑っていてほしいと願っていた。
決して叶うことのないはずの望みだ。だけれど、今確かに一成は笑っていてくれる。その事実は、言いようもなく天馬の胸を満たしていた。
「エチュードも楽しそうだよねん。せっかくだから、布団使ったエチュードとか!?」
6人そろってのエチュードを思い出して、一成は楽しそうに提案する。確かに、布団を敷いた状態でのエチュードというのはなかなか特殊な条件なので、こんな機会でもなければ経験することはないかもしれない。
三角が「面白そう~」と言って、幸が「まあ、普通はないよね」と続く。一つ一つにうなずいた一成は、「でも」と言葉を継いだ。
「レッスン室で寝るの初めてだから、めっちゃ満喫したい気持ちもあるんだよね~」
しみじみとした調子の一成は、再度周囲を見渡した。端に片付けられた机や椅子、箱馬にホワイトボード、それから一面の鏡。いつもレッスン室で目にしている見慣れたものたちだ。この場所で何度だって稽古を行ってきた。
そんなものたちの中で眠るなんてしたことがなかったからこそ、今日というチャンスにめいっぱい楽しみたいのだ、と一成は言う。
その言葉に、不思議な空気が流れた。一成以外の夏組は何かを思い出すような表情を浮かべたのだ。
それは本当に些細な一瞬で、ともすれば見逃してしまいそうなほどささやかだ。だけれど、一成は小さな変化を拾い上げることに長けていた。ぱちり、とまばたきをして自分以外の夏組へ視線を向けたのだ。
何も言わなければ、恐らく一成はそのままなかったことにするだろう。気づいたことをなかったことにして、何でもない顔をするに違いない。わかっていたから、天馬は口を開いた。これは一成に話すべきことだと、誰もが理解していたから天馬が口火を切ったのだ。
「――初めてじゃないんだ、オレたちは。前にもレッスン室でこうやって寝てたことがある」
真剣な顔をした天馬が、重々しい口調で言うので、一成はすぐに理解した。自分にその記憶がないこともあわさって、これはきっと、オレがいない時の――オレが死んだ過去の話なのだ、と。
「あの時はカズくんがいなかったから……今日はカズくんもいてくれて嬉しいな」
そっと笑みを浮かべた椋が、やさしく一成を見つめて告げた。他の夏組も同じまなざしを浮かべているのは、同じ思いを抱いているからだろう。
あの時。一成が死んだ過去で、5人は身を寄せ合っていた。
失ったものはあまりにも大きくて、そうしなければ立っていられなかった。かろうじて自分をつなぎとめるために、夏組は5人でいることを選んだ。
だけれど、今日の意味は違うのだ。ここには一成がいて、夏組はちゃんと6人だ。その事実を夏組は誰よりも強く噛み締めている。
「お前がいなくなって、オレたちはどうすればいいかわからなかった。一人じゃとうてい抱えきれなかった。だから部屋にも戻れなくて、オレたちはずっとここで寝泊まりしてたんだ」
夏組はほとんど本能で察していたのだ。一人きりでは耐えられない。6人で夏組だったはずなのに、たった一人がいなくなってしまった。二度と会えない。大事な一人が欠けてしまった。
その事実はあまりにも重くてあまりにも痛くて、たった一人で相対したらきっと自分を保っていられない。だから夏組は5人で身を寄せ合って、どうにか自分を失わずにいたのだ。
「どこを探したってお前がいない。二度とお前に会えない。そんなの、5人で分けなきゃ抱えていられなかった」
真っ直ぐと一成を見つめて、天馬は告げる。
あの時のことを思い出すと、今も天馬は底なしの穴に自分が落ちていくような感覚に襲われる。胸に穴が穿たれる。何もかもがこぼれ落ちて、流れ出ていく。あの感覚を、天馬はずっと覚えているのだろう。
一成は目を逸らすことなく、天馬の視線を受け入れる。ただ、その瞳は何だか泣き出しそうに揺れていた。それすらもなんて綺麗なのか、と思いながら天馬は伝えるべき言葉を頭の中で並べている。
今回、レッスン室で眠るにあたって、一成以外の夏組と天馬は話をしていた。
あの夜――監督の入れてくれたホットミルクを飲んでいる時に、胸には確かな決意が宿った。天馬はそれを、あますところなく夏組に伝えた。
一成の痛みを分けてほしい。きっと一人でも抱えられると言うだろうし、それだけの強さもあると思う。だけれど、悪夢は今もまだ一成のもとから去らない。あの夜に一成は囚われ続けている。
それなら、と天馬は願ったのだ。その痛みを、悪夢を、苦しみを、分けてほしいと。強い意志で思ったのだ。一成の手で抱えるにはあまりにも大きすぎるのなら、一緒にそれを持ってやる。
天馬の決意を聞いた夏組は、迷うことなくうなずいた。天馬も、夏組ならばそうするだろうとわかっていたのだ。だから、決意を伝えた時点でそれはもう夏組にとっての決定事項に他ならなかった。
少しずつ良くなっていく体調と合わせて悪夢が飛び去るのなら、ただ静かに見守っていようと思った。手をつないでここにいるよと伝え続けて、勇気の一欠けらになろうと思った。
だけれど、今もまだ悪夢は、あの夜は、一成を捕まえ続けて離さないと言うのなら、すべきことなど一つだった。
「一成」
天馬は美しい瞳を見つめて、ゆっくりと名前を呼んだ。一成が真っ直ぐと見つめ返す。
きらきらと輝く緑色の目。二度と開くことのないはずだったその瞳を、再び目にできることの幸福を天馬は誰より知っている。だから、告げる言葉は一つだけだ。
「お前の痛みくらい、オレたちに寄越せ」
心からの言葉を、天馬は形にする。一成の瞳を見つめて、どうか届くようにと願いながら、切々と言葉を紡ぐ。
「お前はきっと、一人でも大丈夫だって言う。実際、お前にはそれくらいの強さがあるってオレたちだって知ってる。だけど、もう嫌なんだ。辛いことも苦しいことも、もう一人で耐えるな。頼むから、オレたちに分けてくれ」
懇願する響きで天馬は告げる。
一成の強さを信じているし、見守っているという選択肢だってある。きっと一成はそうしたいと願っているし、時間を掛ければいずれは乗り越えられるのかもしれない。だけれど、一成は未だに悪夢に怯えているし、憂いのない笑顔でカンパニーのみんなの前に立てないことを申し訳なく思っている。
充分苦しんだ。たった一人で、よく戦った。だからもうそれなら、オレたちにその傷を分けてほしい。
心からの言葉を告げれば、一成は大きな目をぱちりとまたたかせた。それから天馬を見て、ゆっくりと視線を動かした。
真正面の三角、その隣の幸。自分の隣にいる椋と九門。全員が真っ直ぐと一成を見つめていて、その瞳には揺るぎのない決心が宿っていた。
天馬の言葉が夏組全員からもたらされたことを、一成はすぐに理解する。心から思っているのだ。一成が抱える悪夢を、負った傷を、自分たちに分けてくれと。
一成の知らない過去――自分が死んだ過去で、その欠落を分かち合うことでどうにか自分を保ってきた。わかっているから、同じように言うのだ。一成の苦しみも、重荷も、6人で分けるのだと。
「――みんな、めっちゃカッコイイじゃん」
明るい笑顔にも似た表情で、一成は言葉をこぼした。冗談のような、何かを茶化すような雰囲気が漂うけれど、それは一成の心からの本音だ。
自分のものではない傷ですら、一緒に背負うと言ってくれる。凛とした決意は夏組の強さの証に他ならなくて、それがどれほどカッコイイのかを一成はよく知っている。
「ホントにさ。めっちゃ男前でさすがって感じだよねん!」
笑い飛ばすような響きで言いながら、一成は返す言葉を探している。
みんなの気持ちは真っ直ぐと届いた。嘘偽りなく、心から言ってくれていると素直に思った。逆の立場だったら自分だってそうすると思う。だからきっとうなずけばいいのだと頭ではわかっていたのだけれど、心は簡単にうなずかなかった。
殺される夢を見るのだ。自分の命が終わる瞬間だ。夢という形を取ってはいるけれど、実際に起きた出来事だと知っている。嘘でも幻でもなく、現実として一成は殺された。夏組だってその事実は理解しているから、一成の感じた恐怖や苦しみを夢より強く感じてしまうに違いない。
だからこそ、大好きな彼らに同じものを分け与えたくはなかった。
「――あのね、かず。かずがここにいてくれて、本当に嬉しいんだ」
一成の逡巡に夏組は気づいている。それでも、まるで何も知らないような風情で口を開いたのは三角だ。にこにこと、やわらかな光を宿した笑顔でそっと言葉を紡ぐ。
「かずがいなくなっちゃって、オレたちみんな迷子になっちゃったんだ。どこに行けばいいかもわからなかったし、ずっと苦しかった」
自分の胸を抑えると、「ここがぎゅーってしてて痛かったんだ」と続ける。
その顔には陰鬱な影が落ちていて、普段の三角からはとても想像できない表情を浮かべている。やわらかな空気は微塵もなく、ただ真っ暗な目をして虚空を見つめているようだった。
「みんなそうだった。一成がいないなんて、二度と会えないなんて、それこそ酷い悪夢なんじゃないかって思った。だけど全部現実で、一成はどこにもいなかった」
淡々とした表情で言ったのは幸だ。いつもの様子に似ている。だけれど、声はどこまでも硬質で、過去を思い出しているのだと誰もが理解する。幸は静かに言葉を続ける。
「永遠に一成に会えないなんて、信じられるわけなかった。葬式だって、全部よくできた芝居で、一成はいつか起きてくるんじゃないかって思った。そんなわけないってわかってたけど――でも、一成ならまた笑顔でオレたちの前に戻ってくるんじゃないかって」
張りつめていた声がわずかに揺らぐ。幸は両手をぎゅっと握りしめて、一成へ視線を向けた。小さく深呼吸をしたあと、押し殺したような声で言葉を続ける。
「だって、クロがシロを置いていくわけないでしょ。クロはずっとシロに餌を取ってきてくれるって約束したんだから」
一成の葬式の日、別れを告げる幸は言ったのだ。棺で眠る一成に向けて「さっさと起きてシロに餌を取ってきてよ」と。どこか怒るような口調で、強い語気で、泣いてしまうのをこらえながら。
思い出すのは、一成が描いてくれた絵本だった。
自分らしくない衣装だと図星をつかれて、だけれどどうすることもできなかった。そんな時に一成が見せてくれた絵本は、「助けて」と言えなかった幸に差し出された手だった。
そうして一成と二人、主演・準主演として共に立った舞台は、幸にとって思い出深いものになっている。
あの世界で、一成演じるクロは幸演じるシロにずっと餌を取ってやると約束したのに。クロがいなくなったら、シロは一体どうしたらいいのか。棺で眠り続けるなんて、このままお別れだなんて、そんな現実はおかしいとしか思えなかった。
「――オレもさ、ちゃんとカズさんのこと送ってあげなきゃって思ってたんだけど、できなかった」
泣き笑いのような表情でつぶやいたのは九門だった。
葬式の日、夏組はそれぞれが一成との別れを告げている。三角は傷ついた目をしながらも穏やかに「じいちゃんにかずのこといっぱい話したから、きっとすぐに見つけてくれるよ」と語りかけていた。
それから、「だから、かず、じいちゃんとオレのこと待っててね」とそっとほほえんでいた。悲しそうに、それでも綺麗に。
九門もそうしようと思ったのだ。一成は天国できっと楽しく暮らすに違いないから、笑顔で見送らなくちゃと。だってきっとカズさん、オレが悲しい顔をしてたら泣いちゃうから。
「一緒に行きたいねって言ってた海の写真とか、やってみたいって言ってたヨットの模型とかそういうのいっぱい用意してさ。あっちで先に楽しんでてねって言おうと思ったんだ」
棺の中で眠る一成に向けて、九門は精一杯の笑顔を浮かべていた。
天国にも海ってあるのかな。カズさんめちゃくちゃ上達しちゃうかも。そしたらいっぱいオレに教えてよ。
一成が好きだと言っていた、青空みたいな笑顔で九門は言っていたのだけれど。
「でも、やっぱりだめだった。どうしたってだめだった。だって、カズさんが目開けないんだ」
途中までは上手く笑っていられたのだ。だけれど、途中で九門は言葉を切った。棺の中で目を閉じる一成に、その事実にどうしても耐えられなくなった。
ひしゃげた声が、九門の唇から落ちる。笑顔で見送るなんて、そんな言葉はすっかり頭から消え去って、ただ心のままに言葉はこぼれた。くしゃくしゃに顔を歪めて、棺にすがりつくようにして、「やだよ、カズさん」と慟哭したのだ。
無理な願いだとわかっている。それでも、九門は棺の中の一成に向かって「目を開けてよ」とすがった。
きらきらと輝く目でいつもみたいに自分を見てほしかった。振り返ったらいつでも自分を見守っていてくれる、あのまなざしを浮かべていてほしかった。全ては二度と返らないとわかっていたけれど。
「うん。だからね、カズくん。ボクたち、カズくんがここにいてくれることが本当に嬉しいんだ」
穏やかな声に凛々しさを潜ませて、椋は言った。一成を真っ直ぐに見つめて、葬式の日の様子を思い描きながら。
一成の葬儀の際、椋は比較的落ち着いているように見えた。
恐慌を来たすこともなければ無気力になることもなく、泣き崩れる九門を慰めたり夏組リーダーとして立ち回る天馬を補佐したりしていた。一成に別れを告げる際もひどい恐慌を起こすことはなく、穏やかな笑みを浮かべて大事な思い出を語っていた。
だけれどそれも、火葬場へ着くまでの間だった。
カンパニーからは唯一夏組だけが参列しており、近しい人たちとともに最後の別れを行った。その頃から椋の様子が不安定になり始めたことに、天馬たちは気づいていた。
注意深く見守っていると、椋はぽつりとつぶやいた。火葬炉の扉が閉まる瞬間、小さな声で。恐らく近くにいた夏組にしか聞こえない。ささやきみたいな声で言った。――カズくんを、連れていかないで。
とっさに幸は椋の手を握った。椋はただ茫然としたまなざしのまま、虚空を見つめるような瞳で、「連れていかないで」と繰り返す。
夏組の誰も何も言えなくて、ただ椋の近くに寄り添うことしかできなかった。椋は閉じられた扉を見つめたまま、「カズくんを焼かないで」と壊れたようにつぶやいていた。
あの時の感情を、椋は今も強く覚えていた。
理性はきちんと事態を理解しているから、全てが必要なことだと判断していた。だけれど、同じくらいにわからなかった。
どうして連れて行ってしまうのか。炎に包まれて一成は本当にいなくなってしまう。きらきらと笑ってくれた全てが、大きな口もまばゆい瞳も、軽やかに動く指先も、何もかもが灰になる。
光の全てに照らされていた。スポットライトを浴びて輝く一成が、灰になってしまう。一成を形作る全てが小さな骨になってしまう。目の前の現実が、椋にはどうしたって理解できなかった。
「カズくんがいないことが辛かった。二度と会えないことが苦しかった。悲しくて悲しくて仕方なかった。どうして、って何度も思った。カズくんがいないのに、どうして今日も毎日が続くのわからなかった。どこを探したってカズくんがいないんだ。二度とカズくんに会えないなんて、そんなの嫌だった。嫌だったんだよ」
過去の記憶を取り出して、椋の瞳が傷ついたように揺れる。一成が死んだ過去を、夏組は全員覚えている。一成の葬儀の記憶も鮮烈で、きっと忘れることなどないのだろう。
その事実は一成の胸を痛ませるけれど、椋は全てを振り払うように表情を変えた。
「だからね。カズくんがここにいてくれることが、ボクたち本当に嬉しい。大事なんだ。大切なんだよ。カズくんにしてあげたいことがいっぱいあるんだ。毎日大好きって言いたい。ただいまもおかえりも、何度だって言いたい。カズくんのこと、めいっぱい大事にしたい」
一成がいなくなってから、一体いくつの後悔を抱えたのか、恐らく誰も覚えてはいないだろう。
もっといっぱい話をすればよかった。出掛ける前に交わした会話が最後になるなんて思っていなかった。ちゃんと顔を見て、いってくるねと言えばよかった。一成の話をもっとたくさん聞いて、一緒に過ごす時間をたくさん作ればよかった。
一成は当たり前みたいにずっと一緒にいてくれるのだと思っていたから、全ては日常の一つに埋もれてしまった。二度と会えないなんて思いもしないで。永遠に一成が帰ってこないなんて思いもしないで。
「――カズくんがいなくなってから、こんなこと思うなんて遅すぎたんだ。だけど、カズくんともう一度会えた。カズくんを守るチャンスをもう一度もらえて、今ここにカズくんはいてくれる」
それは奇跡と呼ぶにふさわしい事態だ。過去の一成と電話がつながって、死を回避するためにあらゆる手段を講じた。果たして未来の自分たちの行為にどんな意味があるのかわからなくても、もう二度と一成を失いたくなかった。
揺るぎない決意は、今こうして目の前に一成が生きている現実へとつながったのだ。
「ボクたちは、カズくんのいない世界を知ってる。あの辛さも苦しみも、後悔も知ってるからもう間違いたくないんだ」
淡い水色の瞳をやさしく細めて、椋は一成へ言葉を紡ぐ。穏やかで落ち着いて、それでいて奥底に凛とした決意を秘めて。揺るぎのない意志で、何かを誓うように椋は言う。
「今ここに生きていてくれるカズくんを、めいっぱい大事にしたい。大事な人を大事にできないなんてこと、もう二度としたくない。だから、カズくんの痛みをボクたちにも分けてほしいんだ」
心からの願いを込めて、椋は一成へ告げた。