おやすみナイチンゲール 27話




 一成は、泣き疲れて眠っている。
 心を全部取り出すみたいに、しゃくりあげながらぼろぼろと涙をこぼしていたのだ。普段あまり眠れていないことも手伝って、ある程度落ち着いたかと思ったころには眠気に襲われていた。
 本人は「ごめん」と申し訳なさそうにしていたけれど、一成が謝る必要などどこにもない。ゆっくり休んでほしいと告げれば、こくりとうなずいたあと眠りの海に沈んでいった。

「――ちゃんと眠れてるみたい」

 規則正しい呼吸で眠る一成を見つめて、椋がほっとしたように言葉を落とす。一成を起こさないよう、普段よりもいっそう静かなトーンだ。
 苦しそうに眠っているわけではないし、近くで夏組がぼそぼそと会話をしても起きる気配がないことから、恐らくきちんと眠れているのだろう、という予想はできた。

「ちゃんと息してるかなって、ちょっと心配になっちゃうよね」

 困ったような笑顔で、九門が静かに言った。一成はあまり寝返りも打たないため、寝ている時は微動だにしない。そのため、ちゃんと呼吸をしているかどうか気にしてしまうことは多々あった。
 一成本人は知らないだろうけれど、一緒に眠っている夏組は大体同じ経験をしている。一成が死んだ過去を知っているからこそ、ちゃんと生きていてくれるのかを確かめたくなってしまうのだ。
 それゆえ、眠る一成の呼吸を確認してしまったことは、一度や二度ではない。

「かず、泣いてくれてよかったねぇ」

 心から、といった調子で三角は言葉をこぼした。
 眠る一成の目は腫れぼったくなっており、恐らく明日には大騒ぎするだろうな、とは誰もが思った。だけれど、それは一成が確かに泣いてくれた証拠でもある。夏組にはそれが嬉しかった。
 一成は自分一人で抱え込みがちな人間だ。笑顔でいることが得意な一方で、自分の感情を表に出すことが苦手で、特に泣きじゃくる姿なんて誰も見たことがなかった。そんな一成が夏組の前できちんと泣いてくれたのだ。
 恐慌を来たしても、自分の中に恐怖を閉じ込めるだけだった一成が、夏組に向けて「怖い」と言った。
 一成は、自分の傷を夏組に見せたのだ。己の心に宿る恐怖も、抱えた痛みも、受けた傷も、負った重荷も。自分一人で抱え込むのではなく、夏組に向けて心の内を見せてくれた。
 だからそれなら、一緒に持てる。一成が背負う荷物を、夏組みんなが抱えてやれる。

「オレたちだって一成がいなくなることが怖かったけど、一成が一番怖かったよね」

 一成を見つめた幸が、独り言のようにつぶやいた。
 殺された瞬間を指して、一成は何度も「怖い」と言った。幸たちにとっての一番の恐怖は、一成がいなくなってしまうことだ。世界中のどこを探しても一成がいなくて、二度と会えない恐怖を知っている。
 だけれど、それよりもっと強い恐怖だったはずだ。自分自身の命が奪われる瞬間なんて。
 それを一成はずっと口にしなかった。自分の内側だけでは何度も形にして、閉じ込めた言葉にはなったけれど、他の誰にも言わなかった。
 それは恐らく一成のやさしさで、恐怖を伝播させることを望まなかった。だから何も言わずに、一等恐ろしい恐怖を自分の身の内に抱え続けたのだけれど。

「カズさん、ちゃんと怖いって、泣いてくれてよかったね」

 やわらかなまなざしを一成に向けて、九門も言う。
 やさしくて強い人だ。だから、恐怖も痛みも苦しみも全部一人で抱えようとした。誰よりも一番、怖くて痛くて苦しい思いをしたのに、誰にも渡すまいと握りしめていた。
 だけれど、ちゃんと泣いてくれた。怖いと言って、自分の痛みも苦しみも恐怖も全部、自分たちに渡してくれたのだ。
 よかったと夏組は思う。笑顔でいることがとても得意な大事な人が、心をきちんと見せてくれてよかった。

「これ以上カズくんが泣かなくていいようにしなくちゃ」

 ひっそりとした決意を宿して椋が言った。
 一成が泣いてくれて嬉しい。その傷を渡してくれたことにほっとした。だけれど、泣いてほしいわけではない。
 これから先、一成に待っているのはたくさんの笑顔と幸いが相応しい。だから、自分たちにできることをしなくては、という決意だ。それはもちろん椋だけではなく、夏組全員共通の思いだった。

「泣かせたら絶対許さないから」

 強い声で言ったのは幸だ。にらみつけるようなまなざしは、それまでずっと黙ったままで一成を見つめていた天馬に向けられている。
 天馬と一成、二人が互いを特別に思い合っていることを夏組は知っている。現に、一成を見つめる天馬の瞳は、限りない愛おしさにあふれていて、どれほどまでに大切な存在なのか、という事実を物語っていた。
 だからこそ幸は言うのだ。
 これから先、夏組だってずっと一成と共にいる。だけれど、天馬は恋人としてこれからの人生の多くを一成と共に過ごすだろう。
 一番一成の近くにいる人間なのだ。距離が近くなればぶつかることだって、すれ違うことだってあるかもしれない。その結果として万が一、一成を泣かせるようなことをしたら許さない、と幸は告げる。
 その言葉に他の夏組も重々しくうなずいた。「てんま、かずのこと泣かせたらだめだよ」と三角はきびしい顔をするし、九門も「うん。カズさんには笑っててほしい」と力強い。

「天馬くんなら絶対大丈夫だと思ってるけど、カズくんのこと傷つけたらボクも許さないから……」

 静かな口調だった。どんな激情もないからこそ椋の本気がうかがえて、天馬はしばし目をまたたかせたのだけれど。夏組4人の顔を順繰りに見渡すと、息を吐いて答えた。

「オレがこいつを傷つけるわけないだろ」

 4人それぞれ表情も言葉も違うけれど、天馬に対する圧は同じだった。一成が傷ついたり泣いたりするような事態になったら、絶対に許さないと告げている。
 天馬なら大丈夫だと信じてはいるはずだ。ただ、それとは別に4人の意識の問題として、どうしても言いたかったのだろう。
 それは、一成に対する愛情の表れでもあるし、何よりも一成と天馬の間にある特別さをこの上もなく認めていることの証明でもある。

「これからずっと、こいつを守ってやる」

 きっぱりと天馬は告げる。一成のことが大切な夏組から、オレはこいつを託されたんだな、とくすぐったくなるような誇らしさとともに。