第一章:夜と青空
夏と神様 01話
遠くから、祭囃子が聞こえている。笛の音が響き、太鼓はかすかに空気を震わせ、鉦が甲高く鳴っている。高台の頂上に鎮座する神社からのものだった。
八月の終わりでも、夏の気配はまだ色濃い。夜闇には熱気がこもり、昼間の気配を漂わせている。にぎやかな人の声も流れてくるけれど、それも今は遠い。
呼吸を整えた一成は、隣の天馬へ視線を向ける。笑みを浮かべて言った。
「ここまで来れば、大丈夫っしょ」
「悪いな。最後まで祭りにいられなくて」
「全然! さすがはテンテンって感じだし、全力で楽しんだし!」
嘘偽りない本心を明るい表情で告げると、天馬はほっとしたように笑った。
天馬と二人で、神社で開かれる夏祭りへやって来た。変装していたとはいえ、そこは皇天馬である。途中で正体がバレて騒ぎになりそうになり、全速力で避難したのがこの場所なのだ。
自分のせいで一成の楽しみを奪ってしまったのではないか、と思っていたからこそ、一成の答えに安堵したのだろう。
テンテンのそういうとこ好きだなぁ、と思いながら一成は口を開く。途中までで切り上げることになったけれど、気にすることはないと伝えたかった。充分楽しんだということもそうだし、何よりも。
「――それに、ここなら落ち着けるし」
落ち着いた響きで告げた一成は、ぐるりと辺りを見渡す。高台の途中、細い階段を下った先。木々の中、突如としてぽっかり開けた空き地には、小さな神社と石造りのベンチがあった。
北側の木々との境に建つ神社は、両手を広げるより少し大きいくらい。石造りのベンチは空き地の西側――神社と直角の位置にあった。いつも使っている階段は、ベンチの正面である東側の木々の中だ。ベンチのすぐそばに立つ外灯が、ぼんやりと全てを照らす。外灯に羽虫がぶつかり、ぱちりと音を立てた。
道案内や標識があるわけでもないし、地図にも載っていない場所だ。偶然辿り着く以外の方法はない。ここまで追いかけてくるような人間がいるとは思えなかった。
「ここでのんびりするのも、オレららしくていいんじゃね?」
やわからく笑って告げれば、天馬は目を細めて「そうだな」とうなずいた。普段の力強い笑みとは違う。一成の言葉の意味を、託した心を余すことなく受け取ったからこその答えだと、一成もわかっている。
「ここならなじみの場所だ。確かに落ち着ける気がする」
「テンテンの迷子も役に立つよね~」
「迷子じゃない!」
憤然とした調子で返ってきた答えに、一成は軽やかな笑い声をたてた。
天馬と二人で買い物に行った帰り、寄り道をしようと一成が提案した。天馬の気の赴くままに歩かせてみたところ辿り着いたのがこの場所だった。本人は寮の方へ向かっていたつもりだったので、不思議そうな顔をしていたけれど。
「オレらだけの秘密基地って感じだよねん」
「――まあな」
楽しげな一成の言葉に、天馬も笑みを浮かべてうなずく。
高台の途中にある小さな神社は、誰からも忘れ去られたような存在だった。場所そのものも知られていないだろうし、神社自体もこぢんまりとしとしている。くわえて、相当年季が入っているため、いっそう周りの自然に同化してしまうのだ。
瓦屋根は大きく、ひさしが張り出しているけれど、所々しっくいが剝がれ、コケが生えている。木製の格子扉や柱はずいぶん古びていて、今にも朽ちてしまいそうだ。鈴や賽銭箱は設置されておらず、鳥居の類もない。かろうじて小さなしめ縄が張られているものの、千切れてしまいそうに細かった。
誰が手入れをしているのかもよくわからないし、お参りに訪れる人間はほぼいないだろう。そんな場所だからこそ、二人にとっては都合がよかった。誰もここを訪れる人はいない。人目を気にする必要もなく、二人きりになれる。
「マジ、いっぱいお世話になってるよね~。テンテンの映画撮影前、ずっと稽古してたりとか」
「一成がこの辺スケッチしたりとかな」
二人して語るのは、ここで過ごした時間の思い出だ。
寮での時間が嫌いなわけではない。ほっとするし、カンパニーメンバーとの日々は何にも代えがたいものだと、二人とて思っている。それでも、時々二人きりになりたいと思うことがあった。
何かを言い交わしたわけではない。あくまで二人は夏組の一員で、友人という関係を結んでいる。それでも、いつの頃からか二人の関係性は、ほんの少し違う色を帯び始めていた。
はっきりと言葉にしなくても、お互い同じ気持ちでいることはわかっていた。だから、時折時間を見つけて、二人だけの時間を過ごす。どこかへ行きたいわけではなかった。ただ、同じ場所に一緒にいるだけでよかった。
どちらかが外出した日だとか、二人そろって買い物へ出掛けた時だとか。待ち合わせをしたり連れ立ったりして、二人はここへやって来る。寮からは少し歩くものの、そう遠い場所ではないので少しの時間さえ見つけられれば、訪れることはできた。
ここで過ごす時間は、カンパニーで芝居に明け暮れる日々とも少しだけ違っている。まるでカンパニーでも夏組の一員でもないような。不思議な感覚で、二人は秘密基地めいた場所での時間を過ごしていた。
「いつもお世話になってるし、お菓子とかお供えしとこ!」
ぱっと表情を輝かせた一成は、軽い足取りで神社へ近づく。いつものように、格子戸の前にお菓子の箱を置いた。祭りの景品で手に入れたものだ。
天馬も隣に続いたのは、一成がこれから何をするかわかっていたからだ。予想通り、一成は神社に向かって手を合わせる。天馬も隣に立ち、それに倣った。
何度かここを訪れる内に、さびれた神社の様子が気になった。大きな修復はできずとも、せめてきれいにはしてやりたい、というわけで雑草を抜いたり木々の中のゴミ拾いなんかも始めていたのだ。この辺りは、何でも楽しくしてしまう一成の功績だと天馬は思っている。
さらに、こっそりと二人きりの時間を過ごさせてもらっている、という感謝もあって、自然と手を合わせるようになった。これからもこんな風に時間を過ごしたい。二人で特別な時間を分かち合いたい。
願いを形にする気持ちで手を合わせたし、飲み物やお菓子を置いておくこともあった。それは二人だけの秘密を育てていくようで、胸を満たすことでもあった。
「神様、喜んでくれるといいねん!」
ぱっと笑った一成はそう言って、きらきらと天馬へ視線を向けた。ぴかぴかと明るい笑顔は、夜でも何だかまぶしい。天馬は胸が詰まるような気持ちになりながら、そっと口を開く。
「そうだな。ただ、こういう菓子でいいのか謎だが」
「あ、やっぱしょっぱいものあった方がよかった!? 甘党とは限らないし!」
「そういう意味じゃない」
もっとお供えらしいものの方がいいんじゃないか、という意味での言葉だったので、一成の言葉に思わず突っ込む。ただ、何だか一成らしいな、と思っていたから唇には自然と笑みが浮かんでいた。
「神様の好物とかわかんないよね。ウサギって別にそこまでニンジン好きじゃないとか聞くし、カラスって好きな食べ物何って感じだし」
「そもそも、普通のカラスとウサギで考えない方がいいんじゃないか。神様だろ」
小さな神社に興味がわいて、一体どんな神様が祀られているのか、と二人で調べた。夏祭りの会場である神社と直接の関わりはない、ということで果たして詳細が判明するのかは謎だったけれど。一成の持ち前のコミュニケーション能力を発揮したおかげで、ささやかな文献には辿り着いた。
結果として、太陽と月に対する自然信仰がもとになっている神社であることがわかったのだ。象徴として金烏と玉兎を掲げていることからの、一成の発言である。
「まあねん。太陽のカラスと月のウサギだし、意外と宇宙食的なものが好きかも!」
「宇宙食を食べる神様っていうのも何かシュールだよな……」
伝統と科学技術が混ざり合っているような不思議な感覚である。一成は、しみじみとした天馬の言葉に面白そうに笑っている。
「そういうモチーフもいいかもねん。ここの絵はけっこう描いたけど、写生が多めでファンタジー系はそうでもなかったし。宇宙テーマとかいいかも」
「そういえばそうだな。わりと落ち着いた感じが多かったし、宇宙系っていう一成の絵は見てみたい」
「いろいろ面白そうだよねん。宇宙モチーフのテンテンの一人芝居もいいかも!」
言い交わすのは、この場所で分かち合った記憶たちだ。小さな神社の前で、石造りのベンチに座って、二人は思い思いに時間を過ごした。
一成は小さなスケッチブックを持ってきて、絵を描く。天馬は映画やドラマの練習として、一人芝居をする。もちろん、二人で芝居することもあったけれど、それぞれが自分の世界に没頭することも多かった。
同じことをしなくても、ただ隣で共に過ごす時間があれば充分だった。むしろ、どんな言葉もなく、自分の世界にお互いが混じりあっていく感覚が心地よかったのだ。
「お祭りの絵も描きたいな~。夜の夏祭りって雰囲気すごくいいし、めっちゃ楽しかったし! 景品もいっぱい取れたもんね」
うきうきとした調子で言うのは、一成が持っている数々の品物たちだ。もっとも、天馬も同じようにあれこれ持っているので、状況は変わらない。一成は心底楽しそうに天馬を見つめて続けた。
「テンテンもお祭りガチ勢って感じ! ヨーヨー二個持ちとか、すっげー気合い入ってる感あるよねん」
「お前もだろ。ったく、さんかくクジ引きすぎなんだよ」
「だってサンカク見つけたらやるしかないじゃん?」
「三角の目当てはあくまでクジ、景品はおまけだろ」
面白そうに天馬が言ったのは、一成が持っているお菓子や文房具セットである。屋台のさんかくクジに何回も挑戦した結果、やたらと景品をゲットすることになったのだ。一成は弾んだ声で言葉を返す。
「テンテンだってめっちゃ乗り気だったっしょ」
「それは――まあ、せっかくなら上の賞目指したいだろ」
「そゆとこもテンテンだよねん」
きらきらとした笑顔で言って、一成はさっきまでいたお祭り会場へ思いを馳せる。天馬も同じことを思っていることはわかっていた。
カンパニーのみんなに詳細は言わず、寮からは少し離れた神社へやって来た。聡い人も多い寮内のメンバーだ。きっと気づいているだろうけれど、何も言わずに送り出してくれた。
太陽は沈み、少しずつ夜へと向かっていた。昼の熱気がまだ消えない中、提灯をぶら下げた石段を上る。境内に入れば、参道の両脇にはさんざめくような色彩の屋台が並んでいた。
テンションの高い一成につられるようにして、天馬の気持ちも浮き立った。
腹ごしらえだと言って、たこ焼きや焼きそばを買って二人で分けた。フライドポテトと唐揚げをつまみながら、一成は「めっちゃきれい!」と、小さなりんご飴を購入する。飴をかじりながら挑むのは、ヨーヨー釣りやスーパーボールすくいだ。
何でもない話をしながら縁日を歩き回る。さんかくクジに白熱して、わたあめを買い、射的に挑戦した。「あれ食べたい!」なんて言ってじゃがバターの屋台へ突進する。「お前、本当よく食べるな」と笑いながら半分こして、「ラムネあるよ」という言葉に、よく冷えたラムネの瓶を開けた。
そうやって、二人で夏祭りを楽しんだ。
八月も終わりに向かう時期は、夏の終わりを感じさせてどこか物寂しい気持ちにもなるけれど。二人でいれば、そんなものは一つも感じなかった。ただ、嬉しくて幸せで、心が弾んで仕方なかった。
「いろいろゲットできてよかったよねん。お菓子とかはみんなで分けられるし――それに、この辺とかも」
やさしく目を細めて示すのは、天馬が持っているヨーヨーやわたあめ。どういう意味かはわかっていた。
「ヨーヨーの模様っていろいろあって好きなんだけどさ。やっぱ、ゆっきーにはかわいい感じが似合うよねん」
「椋はこういう、カラフルなわたあめ好きそうだよな。パッケージもお伽噺みたいだし」
天馬や一成が手にしているヨーヨーは、ピンクを基調としたかわいらしいものばかりだ。本人たちの趣味というより、「ゆっきー好きそうなデザイン!」「ああ、あのピンクのやつか」というわけで、積極的に取りにいった。
天馬が持っているわたあめの袋には、ピンクや黄色、水色などカラフルなわたあめが袋詰めされている。メルヘンチックな雰囲気に合うように、パッケージにはお姫様と王子様のシルエットが描かれているのだ。一目見た瞬間、二人とも椋を思い浮かべたのは自然な流れと言えるだろう。
「スーパーボールすくいって、こういうのもあるんだな~って面白かったし!」
「まあ、野球ボールばっかりこれだけ狙うやつはいないだろ……」
「くもぴにぴったりじゃん!」
一成が持っているビニール袋には、スーパーボールすくいの景品が入っている。ほとんどが野球ボール型で、通常の白いものからカラフルな色がついているものまで様々だ。ついでとばかりに、小さなアヒルが入っているのはちょっとした愛嬌である。
「さんかくクジ本体もいっぱいゲットできたし」
「これだけあれば三角は喜ぶだろうな」
何回も挑戦した結果、ポケットには大量のさんかくクジがある。さんかくを愛する三角なので、景品ではなくこちらがあくまで本体だ。お菓子や文房具も、喜んで受け取ってはくれるだろうけれど。
ヨーヨー、わたあめ、スーパーボール、さんかくクジ。一つ一つが持つ意味を、二人はよく知っている。はっきりと口にしたわけではなくても、当たり前のように理解している。
二人きりで夏祭りに来たかった。だから何も言わずに出てきたけれど、みんなを蔑ろにしたいわけではなかったのだ。
「みんなにお土産だよん!」
「土産がないと、あいつらうるさいからな」
あらためて、といった調子でこぼされた言葉に、天馬は苦笑めいたものを浮かべて答える。呆れたような口調だけれど、にじみだすような慕わしさは隠しようもない。
夏組のみんな。何も言わずにこっそり夏祭りへやってきた。だけれど、お土産を持って帰る。その時は夏祭りに行ってきたのだと、きっとちゃんと言うのだ。だってもう、薄々と予感している。
少しずつ色づくように変わっていった。一歩一歩を確かめるみたいに進んで、向ける思いや育った気持ちは、あふれるように満ちていく。
だからもう、あとほんの少しなのだ。言葉にしなくてもお互いの気持ちは、もうわかっている。まなざしや仕草が、声の響きが、あふれでる全てが否応なく伝えていく。あとはもう、言葉にするだけだ。この気持ちを形にするだけだ。
きっとそれはこの夜なのだと、二人とも予感していた。寮を出る前と帰ったあとの自分たちは、ほんの少し変わっている。夏組のみんなには、きっとそれを伝えるのだ。
「縁日、いろいろあって面白かったな。射的とかはもう少し頑張りたいが」
「むずいよね~。でも、オレ的にはラッキーだったけど!」
大きな花火セットを狙っていたものの、獲得することはできなかった。結局取れたのは、よくわからないおもちゃやキャラクターグッズの類である。これはこれで、話のタネにはなるだろうから悪くない、とは天馬も思った。ただ、一成の言葉が違う意味を持つこともわかっている。
「ちょっと運命感じない?」
言いながらポケットから取り出したのは、おもちゃのブレスレットだ。ラメ入りのプラスチックの輪っかは、あくまで子供向け、ファッションとして使用するようなものではない。それでも、どうして一成がそんなことを言ったのかなんて。
「テンテンのオレンジと、オレの緑じゃん?」
いたずらっぽい表情で言う通り。射的の景品として獲得したブレスレットは、オレンジと緑の二種類だった。単なる偶然で他の意味はないとわかっていても、その符号を運命と名づけてしまいたくなる気持ちは、天馬だってよくわかる。
「どうせならこれつけてみる? せっかくだし!」
言うが早いか、一成はビニールの封を開ける。オレンジのブレスレットを取り出すと天馬に差し出してくるので、「いや」と首を振った。一成が目を瞬かせてから、慌てたように口を開く。
「あ、ごめん。嫌なら全然――」
「違う、そういう意味じゃない。その、オレンジは一成がつけててくれ。オレは、緑の方がいい」
しょんぼりとした様子に、天馬は慌てて言った。一成の誘いを断りたいわけではなくて、もっと別の欲求があっただけだ。自分の色を身に着けることが嫌なわけではなかったけれど、それよりも。
「一成の色がほしい」
きっぱり言うと、一成はまた目を瞬かせた。ただ、それはさっきまでのものと意味は違っている。一成の色がほしい。強く放たれた天馬の欲求を、心そのものを受け取ったからこその反応だ。
「――うん。交換こしよっか」
やわやわとにじむ光で、一成は答える。自分の色と相手の色。象徴するようなその色を、お互いで身に着ける。その意味を、二人は理解してうなずきあうのだ。
一成は緑色のブレスレットを取り出して、そっと天馬へ渡した。受け取る天馬は、真っ直ぐ一成を見つめた。一成も同じように天馬へ視線を向けていて、ばちりと目が合う。
何度だってこの瞳を見てきたのだ、と天馬も一成も思っていた。きらきらとした輝き。目もくらむほどのまばゆさ。なんてきれいなんだろう。どんな言葉でも、きっとこの美しさを言い表すことはできない。
魅入られたように、視線が外せない。力強い紫も、揺らめく緑も、どうしようもなく胸に迫って仕方がない。心臓の音が、どくどくと頭に響いていた。
何も言わなくても、お互いの気持ちなんてとっくにわかっている。特別な人といって、思い浮かぶのは一人だけだ。いつの頃からか、友達だけの感情ではとうていおさまらなくなっていた。
夏組の大切な一人。それは今でも変わらないけれど、この世界でたった一人を選ぶならこの人だけだと、もうとっくにわかっていた。
あとは言葉にするだけだ。気持ちを伝えて、同じ心を交し合うだけだ。ずっとその時を待っていた。満ちていく心があふれだす瞬間を。目の前のたった一人に、確かな言葉を伝える瞬間を。
今がそうだ、と理解していた。お互いの瞳を見つめたまま、口を開いたのは天馬だ。
「一成」
熱を宿す声。一成は震える気持ちで「テンテン」と答える。今から心を形にする。思いを告げる。ずっと前からわかっていた。最後のピースを当てはめるのだ。天馬が深呼吸をして、声を発しようとした瞬間。
ぽつり、と雨粒が落ちた。そう認識するのと同時に、突如として強い雨が降り出した。
当然傘なんて持っているはずもない。二人は慌てた様子で、一段上がった先に踏み込んだ。格子窓にぶつかるような距離まで避難する。古びていて小さい神社とはいえ、瓦屋根はそれなりに大きい。軒先のひさしも張り出しているおかげで、どうにか雨宿りはできそうだった。
「テンテン、肩濡れない?」
「少しくらいは仕方ないだろ。一成も大丈夫か?」
「ギリどうにか~」
肩を寄せ合うようにして、神社の下で雨宿りをする。バケツをひっくり返したような雨だった。外灯で照らされた範囲だけが、かろうじて見えている。雨は土の地面をえぐり、瞬く間に水たまりができていく。
神社は一段高いところにあるおかげで水浸しになっていないけれど、跳ね返った雨は勢いがある。足元に当たって、少しずつ濡れていく。木々をうがつ雨音が耳鳴りのように響く。
通り雨の一種だろう、と二人とも思ったのだ。ある程度時間が経てば、いずれ止むはずだと。しかし、どれだけ時間が経っても雨は弱まる気配さえ見えない。それどころか、ますます雨脚は強くなるばかりで、危機感を覚えたのは道理だった。
「――何かやばくね!?」
叫ぶように言ったのは、そうしなければ声が届かないからだ。隣にいるのに。こんなに近くにいるのに、轟音のような雨音がうるさくて、声はかき消されてしまいそうだった。
「これ以上天候が悪化したらまずい!」
天馬も叫び返すものの、その間にも雨はますます強くなる。息を吸い込むと、水の匂いがした。このまま雨が降り続けたらそれだけでも危険だし、さらに悪化する可能性もある。その前にここから動くべきではないか、と天馬は考えたし、一成も同じ気持ちだろう。
ただ、帰るためには細い階段を使わなくてはならない。この天候ではそれも危険性が高く、果たしてどの選択をするべきか。思っている間にも雨は強くなる。さらに、周囲の木々が揺れた、と思うのと同時に強い風が吹き込んだ。
神社の下で雨宿りする二人へ向かうように。強く、体をなぎ倒すような風が真正面から吹き付けて、二人の背筋がぞくりと冷えた。
寒い。八月の終わりだ。いくら夜になったとはいえ、熱気はいまだ残っている。雨が降ったところで、そこまで気温が下がるわけはないのに。たった今二人に吹きつけた風は、凍えるような冷たさだった。
おかしい、と思うのと同時に周囲の気温がぐっと下がった。雨は一向に止まず、視界を閉ざす。夏の夜とはとうてい思えないような冷気をはらんだ風が、ごうごうと吹き荒れる。
「――テンテン」
かすれた声で、一成がつぶやく。何かがおかしい。止まない雨も、冷たい風も、全てが異常事態を示している。
「一成」
天馬の唇から、名前がこぼれ落ちる。雨音にかき消されるとしても構わなかった。お互いの声が聞こえているかはわからなくても、呼びたい名前は一つだけだった。
叩きつけるような雨。耳鳴りにも似た水音。凍える風。身動きが取れずにいると、突然音がした。小さくてかすかな、それでも確かに聞こえる。涼やかな鈴の音が背後から響いた。
びくり、と反応した二人は振り返る。昔はあったのかもしれない鈴も、今はもう存在しない。それなのに、どこにも姿形はないのに、音だけが聞こえる。
りいん、りいん、と鈴が鳴る。明らかにこの神社から、あるはずのない鈴が鳴る。強い雨音にかき消されることもなく耳に届く。異常事態だなんてこと、とっくにわかっていた。
おかしい。何もかもが変だ。ここにいてはいけない。思って、隣にいるはずの人へ目をやって、二人はぎくりと体を強張らせる。
すぐ隣。肩を寄せ合って、雨宿りをしていた。小さな神社だ。くっついていなければ濡れてしまうから、すぐ近くにいた。そのはずなのに、目の前には誰もいなかった。
どうして。なんで。どこにいる。どうして。混乱した頭では、上手く物を考えられない。それでも、腹の底から忍び寄るような恐怖と絶望だけは確かだった。隣にいた人がいない。たった一人。世界中で選ぶなら、間違いようもなく彼を選ぶと言えた。たった一人がどこかに消えてしまった。
混乱と動揺で立ち尽くす中でも、雨は止まない。鈴の音は響く。さらに、目の前の神社がガタガタと揺れ出して、とっさに視線を向ける。地震ではなかった。神社そのものが、今にも動き出しそうに揺れている。
足を踏み出すだとか、きびすを返すだとか。何一つ行動を起こす余地はなかった。揺れが大きくなったと思った次の瞬間、木製の格子扉が勢いよく開く。
同時に目もくらむ強い光が放たれて、何もかもを飲み込んだ。