夏と神様 最終話





 雨は止んでいた。湿気を含んだ生ぬるい空気が辺りを漂い、雫が葉を伝って水たまりに落ちる。木々の中、突如としてぽっかり開けたような空き地。小さな神社の軒先で、二人は雨宿りをしていた。
 遠くから、祭囃子が聞こえてくる。虫の鳴く声。風に揺れる葉擦れの音。それに重なるように、スマートフォンがメッセージの受信を知らせた。聞き慣れた音に、天馬と一成ははっと我に返る。
 慣れた仕草で一成がスマートフォンを確認する。天馬も自身のポケットを探れば、手元には見慣れた自分のスマートフォン。取り上げられることもなく、きちんと持っている。同じように確認すると、夏組のグループトークへのメッセージだった。
 二人して出掛けたけれど何時に帰ってくるのか、という質問だった。
 天馬も一成も、見慣れたアイコンが並ぶ画面をじっと見つめる。誰も欠けていない。自分以外の五つのアイコンが、きちんとそろっている。
 夏組グループトークも、いつものようににぎやかだ。さかのぼれば、些細な話も日常のやり取りも、特別な出来事も、今までの全てが記されている。
 今日まで重ねた日々を刻むような、大事な宝物だ。ここまで一緒に来たんだと、ずっと一緒に歩いてきたんだと、証明するような言葉たちが並んでいる。
 ああ、ちゃんとオレたちは夏組のいる世界に帰ってきたんだ、と二人とも思っていた。
 MANKAIカンパニーに所属していなかった世界を知っている。夏組と出会うことなく、存在すら知らずに生きていた。自分のスマートフォンに、みんなのアイコンなんてなかった。交わることなく生きていくのが当たり前だった世界。
 だけれど、今の二人は夏組を知っている。当たり前のように夏組みんなで言葉を交わし合っているのだ。
 その事実を噛みしめていると、ぽこん、とメッセージが増えた。一成が「そろそろ帰るよん! オレたちに会いたくなっちゃった系!?」なんて返事をしたのだ。
 すぐに既読がついた。幸は「別に」とそっけないけれど、三角は「会いたい~」と言うし、九門と椋も「何か二人がいないと変な感じ!」「昨日のドラマの感想、二人にも聞きたいな」と返してくれる。
 一成はぱっと笑って、「ハッピー」「嬉しい」というスタンプを送る。こんなことさえできなかった。何でもないやり取りを交わせることが嬉しくて、追加でさらにスタンプを送ってしまう。
 すると、幸から「無駄にテンションが高い」と呆れたような言葉が返り、同じ調子でメッセージが続いた。「そういえばポンコツは? 迷子?」というのは、天馬の反応が一切ないからだろう。
 天馬はほぼ反射で「誰が迷子だ!」と送りつける。すぐに全員から既読がついた。天馬のフォローをするようでいて、わりと失礼なことを言い出すのはいつもの流れだった。
 そんなやり取りに、一成が笑い声を立てた。まるで、実際に同じ場所にいるみたいだと思ったのだろうし、天馬だって同じ気持ちだ。六人全員一緒にやり取りをしているみたいだ。

「はー、みんなに会いたくなっちゃった!」

 一通りのやり取りを終えてから、一成はにこにこと言った。適度なところで区切りをつけなければ、帰宅の道を辿れない。そろそろ帰るということで、続きは寮で、ということになったのだ。

「全員ちゃんといてよかったし、オレらもちゃんとMANKAIカンパニーの夏組だったねん」

 心底ほっとした調子で言う一成は、自分のスマートフォンをざっとチェックしていた。
 撮りためた写真は、MANKAIカンパニーでの日々をあざやかに切り取っていた。カンパニーメンバーはそこかしこに映っていて、誰一人欠けてはいなかった。みんなちゃんといるのだと、一成は安堵した。

「――ああ、そうだな。今までの公演も全部やってる。ちゃんと元の世界だ」

 天馬も自分のスマートフォンで、ざっと調べたのだ。MANKAIカンパニーの今までの公演は記憶通りに行われている。プライベートだって、天馬は葉星大に進学して太一たちと大学生活を満喫している。
 これがオレの記憶だ、とはっきり言える世界に戻ってきていると言えた。
 天馬はMANKAIカンパニーで舞台のトラウマを克服した。一成は夏組と過ごして本音を言えるようになった。自分が体験してきた、この場所が元の世界だ。だから、燦飛も皓望もこの場所にはいない。
 何一つ、燦飛や皓望の痕跡はなかった。記憶の中にも、いくら情報を調べても。八高燦飛という役者は存在しなかったし、一成の同級生に因幡皓望なんて名前はなかった。
 二人はそっと後ろを振り返った。雨宿りしていた小さな神社。瓦屋根は大きく、ひさしが張り出している。風合いのある木製の格子扉や柱は、長い年月ここにあったという事実を感じさせた。よく知る神社を見つめた一成は、そっとつぶやいた。

「すげー体験しちゃったねん。みんなと会わない別ルートの世界とか」

 思い出す姿がある。小柄で色白。色素の薄い癖毛に金色の瞳。一成の絵を大事にして、どんな時も一成の味方でいてくれた。一成を見守っていた神様。

「まさか、そろって夢でも見てたんじゃないよな」

 もしかして、といった調子で言いながら、天馬は思い浮かべる。すらりとした体躯に少し長い黒髪。印象的な金色の瞳。天馬の芝居を真っ直ぐ信じて、天馬の力になることが喜びだと言っていた。天馬を見守っていた神様。
 二柱の神様と一緒に時間を過ごしていたなんて、まるで夢のような話だと思うのはうなずける。だけれど、一成はぽつりと言った。そうだね、とうなずくのではなく。

「夢だったら困るかな~」

 そう言う一成はうっすら頬を染めて、照れくさそうな表情を浮かべている。どうして、と天馬は思わなかった。もしも全てが夢だとしたら、さっきまでの記憶が全て現実ではないとしたら。想いを告げた言葉もなかったことになってしまうからだ。

「そうだな。オレも困る」

 確かに一成の言うことはもっともだな、と思った天馬は一成に腕を伸ばした。景品の類を持ったままだったから、一体これがどこの世界の続きなのかあやふやになりそうだけれど。きっとどんな世界だって結論は変わらないのだ、と思い直す。
 隣に立っていた一成の腕を引いて、自分の方へ向かせる。真正面から向かい合うと、一成の頬に触れる。そのまま顔を固定させる動きに、一成は察したらしい。告白が夢だったら困る、と一成が言ったから天馬は行動で答えようとしているのだと。

「ちょっと何か、目撃されてる感がすごいんだけど」

 何をするつもりか理解して、耳を赤くして言った。嫌なわけではない。むしろ全力で嬉しい。ただ、場所が場所である。
 神社で二人を見守っていたと明言されているのだ。今の自分たちには何一つ感知できないけれど、もしかしてここにいるのでは?と思ってしまうのも仕方ない。しかも、今の自分たちがいるのは神社の真正面である。絶対目撃される。
 天馬は一成の言葉に、数秒黙った。しかし、すぐにきっぱり言った。

「あいつら、オレたちが会えないようにさんざん邪魔してきたんだ。これくらいいいだろ」

 たとえば週刊誌の記事が出たタイミングだとか、スマートフォンを取り上げたことだとか。二人の気持ちを通じ合わせないように、という力が働いていたことは確かだし、神様なのだからそれくらいできても当然だろう。
 わざわざ「きみと会いたくない」と告げに来たという事実もある。二人を邪魔する意図があったことは、充分理解している。
 だから、そんな存在に遠慮する必要はない、と天馬は結論づける。むしろ見せつけてやった方がいい、とまで言うので一成は笑った。

「まあねん。ラブラブなんだって、お知らせしといた方がいいかも?」

 くすぐったそうに一成も答える。目撃されるのは何だかちょっと恥ずかしいけれど、いくら邪魔されたって揺るぎないのだと伝えるにはいいのかもしれない。そう思って言えば、天馬は満足そうにうなずいた。
 一成はこぼれるような笑みを浮かべると、そっと手を動かした。頬に触れた天馬の手に、自身の手の平を重ねたのだ。心を丸ごと預けるように。気持ちがぴたりと重なるように。
 その意味なんて、もちろん理解している。二人はゆっくりと顔を近づける。至近距離で向かい合った。お互いの瞳を見つめる。
 言葉はもう、要らなかった。きらきらと輝く瞳。この目を、色を、光を、ずっと覚えている。何があってもどんな世界でも、どこにいても見つける。必ずきみと出会う。そうして、きみを好きになるから。
 導かれて惹かれ合って、ずっと前からこうすることが決められていたみたいに。二人はそっと唇を重ねる。















夏と神様