スウィートホーム・シンフォニー 03話
カメラのシャッターがあちこちで切られ、フラッシュが川の水面のように反射する。
染井芳暢新作映画撮影の報は、国内外で大きく話題になった。制作発表会見には多くのマスコミが集まり、予定した時間を大幅にオーバーしながら、ようやく最後の写真撮影が始まったところだった。
「監督を中心に――主演お二人も視線をこちらにお願いします!」
カメラマンの言葉に、壇上に立つ染井監督と天馬、それから一成が応じると一際強いフラッシュが炊かれた。
映画の原案となった夏組公演では、天馬が主演で一成が準主演というキャスティングだ。ただ、映画は「遼一郎と蒼生の話」といった趣が強い。恋人同士の関係性を丹念に描くからこそ、どちらか片方だけではなくダブル主演の形に落ち着いたのだ。
「ありがとうございます。次は主演お二人の写真を何枚かよろしいでしょうか」
別のカメラマンの言葉に、染井監督はにこにことした笑みで一歩下がった。制作発表会見に臨んだ他のキャスト陣と、「主役のお二人はたくさん撮っていただきたいですからね」と和やかに話している。
うなずくのは、スーツ姿の男性とワンピースに身を包んだ女性、二人の役者だ。今回、スーツ姿の男性は天馬演じる遼一郎の親戚筋を演じ、女性は物語が動くきっかけとなる喫茶店の店主を演じる。
二人とも紆余曲折のキャリアを積み、五十代前後になろうとする今では、滋味のある演技に定評がある。名前も顔もよく知られており、天馬ほどではないにせよ、舞台や映画、テレビなど様々なメディアで活躍している。
登場人物の少ない映画である。遼一郎と蒼生の日々を描くことがメインであるため、主演以外の主なキャストとして会見に臨んでいるのは、この二人だけだった。
「皇さん、三好さん、もう少し近くに……ありがとうございます。それでは、まずこちらに視線を――」
カメラマンの言葉に、天馬と一成が立ち位置を調整する。笑顔を浮かべて視線を向ければ、あちこちでフラッシュの光がまたたいた。目のくらむようなまばゆさ。視界の全てが光に埋まり、何もかもが白く染め上げられる。
天馬にとっては慣れたもので、日常の一部と言っていい。一成とて単なる一般人ではないので、取材陣に囲まれた経験は数多い。ただ、今回集まったカメラの数はけた違いだ。会見は生中継で海外にまで届いているし、これほど注目される経験はこれまでなかったはずだ。
一成はそれぞれの領域で、着実にキャリアを積んでいる。比例するようにメディアへの露出も増えているし、それなりに取材を受けていることは天馬もよく知っている。特に、日本画家としての活躍は顕著で、雑誌やドキュメンタリーで大きく取り上げられることもある。
ただ、役者・三好一成としてはまだそこまでの知名度があるわけではない、というのが現状だ。役者に詳しい人間であれば顔と名前は一致していても、一般的にも認識されているわけではない。
出演作においても、脇役や端役の方が圧倒的に多い。一つ一つの役は丁寧に演じられており、一成らしい芝居だと天馬は思っているし評価もしているけれど、これといった代表作も持っていなかった。
今回の制作発表会見に臨んだキャスト陣の中で、最も知名度が低いのは三好一成という役者だった。天馬は言わずもがな、二人の役者も日本国内では広く知られているし、海外で評価を得た作品にもいくつか携わっている。染井監督の新作映画出演者としては妥当なキャスティングと言えた。
だからこそ、キャストが発表された時の戸惑いを、天馬は理解している。
染井芳暢が、これまでの長い沈黙を破って新作映画を撮る。
その一報は、演劇に携わる人たちに驚きと熱狂を持って迎えられた。一体どんな映画になるのか、誰が出演するのか。様々な憶測が乱れ飛び、演劇界隈での話題をさらっていった。
詳細は会見まで伏せられており、キャストが発表される時、期待値は最高潮に達していた。弾む心と緊張感に満ちた会見会場へ、告げられた名前と共に天馬が登場すれば、光の洪水へと飲み込まれる。ただ、どこかほっとしたような空気が流れていたのも事実だ。
皇天馬という役者は、日本国内はおろか海外でも名前の知られた存在である。圧倒的な演技力で、日本演劇界の頂点にもほど近い場所に立っている。伝説とも言える、染井芳暢監督が満を持して再びメガホンを取る映画の主役として、これ以上にふさわしい役者はいない、と取材陣も思ったのだろう。
しかし、続いて三好一成の名前が告げられた時、会場には明らかな戸惑いが広がった。
もちろん、シャッターを切る手が止まったわけではないし、その後の会見は滞りなく進んだ。MANKAIカンパニーの芝居を原案とした映画であることも、だからこそ一成がダブル主演という形に落ち着いた、ということも充分に説明された。不自然なことは何一つなく、いたって当たり前の流れだと、マスコミも認識はしたはずだ。
それでも、三好一成の知名度の低さも純然たる事実ではあった。役者としての経験がゼロではないし、まったくの無名でもない。ただ、今までの経歴から考えた時に、他のキャストと比べて明らかに釣り合いが取れていなかった。
加えて、一成が役者だけに専念しているわけではない、という事実も戸惑いに拍車をかけた。
伝説とも言える監督の新作映画。その主役を演じるのは、役者以外に日本画家とデザイナーの顔を持つ人間だ。役者に専念しているわけではない人物に、果たして無事に主演が務まるのか。
声にはならずともそんな空気が流れていたし、いくらかオブラートに包みつつ、似たような趣旨の質問もあったくらいだ。
染井監督はにこやかに、それでいてきっぱりと一成の起用について太鼓判を押したので、それ以上の質問はなかった。ただ、完全に疑問が拭い去られたわけではない。戸惑いや訝しむような空気は、くすぶったまま会場を漂っていた。
感情の機微に聡い一成が、気づかないはずがない。天馬だって察したくらいだ。一成は痛いほどに理解していただろう。
実力不足ではないかと疑念を持たれ、作品にふさわしい人物なのか、と懐疑的な見方をされる。役者としてそれは屈辱的なことだと言えたし、ショックを受ける可能性はある。しかし、天馬は特に心配していなかった。
「それでは、次に何かポーズを取っていただいてもよろしいでしょうか」
肩を並べる二人をカメラに収めたあと、別のカメラマンが言う。一成は明るく了承を伝えたあと「最初はいつもの感じ、次に作品イメージでいいですか?」とにこやかに尋ねた。「お願いします」との答えに、一成は笑顔で天馬へ顔を向ける。
「んじゃテンテン、二人でハートでも作っちゃう?」
「普段そんなことしないだろ」
「バレたか~」
軽やかな調子で言いながら、一成は距離を詰める。天馬の受け答えも、いつもの夏組の空気感を漂わせていて、会見の壇上というより日常的なやり取りに近かった。
一成は自然な調子で天馬に手を伸ばし、肩へ腕を回す。ハグでもするようにぎゅっと体を寄せてくるのは、昔から変わらない仕草だ。
一成のことを意識するようになってからは内心ドキドキしていたけれど、今はさすがに慣れている。そもそも、役者としての仕事の最中という自覚はあるので、これは単なる友人としての振る舞いであることはわかっていた。
天馬も、いつも通り夏組としてスキンシップを取る時のように、一成の肩に手を回した。夏組らしいやり取りであることは周知の事実なので、カメラマンたちも自然に受け入れて次々とシャッターを切っていく。
笑顔で光に包まれながら、天馬はちらりと一成へ目を向ける。すると、一成も同じように天馬の方へ視線を動かしていたらしい。ばちり、と目が合う。
瞬間、一成はぱっと表情を輝かせて、呼応してフラッシュがいっそう強く光った。
一成は笑顔を作るのが上手い。悲しみも苦しみも、全てを閉じ込めて笑うことができる人間だ。まるで心からの喜びをたたえるみたいに、作り物だとわからないくらい、完璧に。
だけれど、天馬や夏組、MANKAIカンパニーにはそんなもの通じないのだ。いくら上手に笑うとしたって、心を殺したものかどうかがわかるくらい、共に過ごした時間は長かったし、一成の本音に触れてきた。
だから天馬には、今一成が心から楽しんでいることがわかっていた。
今までにないほどのマスコミの数。全世界から注目されている現状。役者として実力を不安視されている。伝説的映画監督の新作映画に出演すること。ともすればプレッシャーにもなる全てを理解して、それでも一成は心からの笑顔を浮かべるのだ。
「次は作品イメージか~。蒼生だったら、まあ、こうだよね」
そう言うと、一成は笑顔を消して落ち着いた表情を浮かべる。そっと一歩下がり、天馬の後ろに隠れるような位置に立つので。
「だろうな。ただ、それだと二人の写真にならない」
一成へ応えるように、自然と天馬の声の調子が強くなる。遼一郎であればどうするか。一度公演を経ているから自然と体が動いた。一成の腕を取ると、力強く引き寄せて自分の隣に立たせる。ここがお前の場所だと、立つべき位置だと、強引に告げるように。
「だよね~。さすがは遼一郎」
「逃げないように捕まえておく必要があるからな」
感心した口調の一成に、尊大とも言える態度で返した。遼一郎としての受け答えだ。一成は少しだけ肩をすくめて、いつもより静かな雰囲気を漂わせて天馬の隣に立つ。三好一成ではなく、蒼生という人間がここにいるのだ、と思わせるには充分だった。
夏組としての明るさとは違った二人の様子を、無数のカメラが写真や映像へ収めていく。自分ではない自分自身の顔をして、天馬と一成は目がくらむようなフラッシュの光を受けている。
◆ ◆ ◆
予定時刻から大幅にずれ込んだものの、制作発表会見は無事に終わった。ホールから控室代わりの部屋へ戻ると、染井監督は役者陣に「お疲れさまでした」と深々頭を下げる。
「思いがけず時間が延びてしまいましたね。お忙しいみなさんです。申し訳ありません」
恐縮した調子の言葉に、役者陣は慌てたように首を振る。スケジュールに変更を余儀なくされたことは事実だけれど、想定内の範囲でもあったのだ。染井芳暢の新作映画制作発表会見ともなれば、時間通りに終わることはないだろう、という予想はできた。
「むしろ、制作発表会見が長くなったおかげで得をしてる部分もありますからね」
肩をすくめて、冗談めかした響きで言ったのはスーツ姿の男性だ。全世界に生中継される会見である。出演者としての情報は国内外を問わず駆け巡るのだから、これ以上の宣伝はない。時間が延びれば延びるほど、より効果的だと笑っている。
「確かにそうですねぇ。ずいぶんと反響もいただいてるみたいですし」
のんびりした調子で、ワンピース姿の女性が続く。マネージャーから、自身のファンや演劇界隈からのコメントが多く届いているのだと知らされたらしい。
「世界的にも注目されてる作品に出演、ということでファンの人たちも喜んでくれてるみたい。あんなにカメラがあってびっくりしちゃったけど――そういえば、三好くんは落ち着いてたねぇ」
はた、といった調子の言葉に一成は楽しそうな笑みを浮かべる。ワンピース姿の女性とは、以前にも共演経験があるので気心が知れているのだろう。軽やかな声で答える。
「お祭りって感じでわくわくしてました!」
きらきらした笑みで言えば、女性は「さすが三好くん」と面白そうに答えた。
天馬はそんなやり取りに、つくづく「一成らしいな」と思う。
数多いメディアに囲まれるという状況だ。気圧されても仕方ないし、注目度の高い作品に関わるのだというプレッシャーを感じることも考えられる。
もちろん、一成がそれらを一切感じていないわけではない、ということはわかっていた。周囲をよく見ている人間だ。求められるものや向けられる感情をいち早く察知していただろう。だけれど一成はそれによって緊張を覚えるよりも、ただ純粋に今の状況に楽しみを見出す。
楽しいこと、快いこと、笑顔になれること。そういうものを拾いあげるのが、殊の外上手いのが目の前の人間だと知っている。だから、たとえ役者としての実力やキャスティングに戸惑いや疑問を持たれても、一成はしなやかな心で全てを受け止めて、その上で笑うのだ。
心からの楽しみを見つけて、お祭りみたいだと心を躍らせて、これから作り上げる世界への期待に胸を膨らませて。
「そう言っていただけると頼もしいですね」
「なかなか面白いキャラクターをしてるな、三好くんは」
一成の言葉に染井監督は嬉しそうに言って、スーツ姿の男性はしみじみとした口調でこぼす。彼は一成との共演経験はないので、何だか興味深そうに視線を向けていた。ただ、すぐに面白そうに言葉を添える。
「まあ、天馬くんから夏組の話は聞いてるけれど」
「え、テンテンどんなこと言ってました!?」
男性の言葉に、すぐさま一成が飛びついた。彼は天馬と舞台で共演したことがあるのだ。親子役だったことに加え、長い公演期間だったことも重なって親交を深めた。その中で、夏組についてもあれこれ話していた。
「仲が良いんだな、というエピソードはいろいろとね。三好くんのことも、ハイテンションでいつでも明るい、何でも楽しくしてしまうのが上手い、だとか」
「テンテンめっちゃ褒めてくれるじゃん~」
ニヤニヤと笑みを浮かべた一成が、天馬の肩をつつく。からかわれていることはわかっていたので、天馬はあっさり「事実だろ」と答えた。こんな時、慌てふためいた方が遊ばれることを経験上重々承知していたのだ。
案の定、一成は一瞬驚いたような表情を浮かべたものの、すぐに笑みを浮かべた。先ほどのからかいではなく、感慨深げな様子で。
「大人の反応するようになっちゃったな~」
「大人だからな」
「そうだけど!」
明るい笑顔を浮かべて一成が言えば天馬も答えて、弾むような軽口が続いていく。周囲の人間はほほえましそうに二人を眺めていて、「夏組は本当に仲良しだねぇ」「話には聞いていたけどね」なんて話していた。
ただ、そのままのんびりしているわけにはいかなかった。控室にそれぞれのマネージャーが飛び込んで来て、次のスケジュールが待っていることを伝えたのだ。染井監督も例外ではなく、いくつもの取材が入っているという。
唯一、フリーで活動している一成だけはマネージャーがいないので、自身のスマートフォンを取り出して今後の予定を確認していた。もっとも、頭には入っているので念のための作業でしかない。そこで、「そういえば」と顔を上げて口を開いた。
「――テンテン、ソファは今日到着予定だから、オレが受け取るのでいいんだよねん」
「ああ。悪いが遅くなりそうなんだ。頼む」
井川とスケジュールを確認していた天馬に向かって言えば、申し訳なさそうにうなずく。天馬の多忙さは充分承知しているので、これくらいは何でもない、と一成は「全然おけまるだよん!」と明るく笑った。
「あ、でも、タクスたちが来てくれる時はいてくれた方がいいかも。最近会ってないっしょ」
「そうだな……丞さんはしばらく北海道の方に行ってたから、あまり機会がなかった」
「忙しいのに引っ越しの手伝いしてくれんの、マジベリサンって感じ」
軽やかな会話を、共演する役者たちは何とはなしに聞いていたらしい。二人が引っ越しの準備をしていること、業者に頼む以外にも知り合いの協力を得ていること。それらを理解し、「そういえば」と口を開く。
「役作りのために、二人で一緒に住むんだったね」
スーツ姿の男性が言って、女性が「染井節は健在といったところですか」と面白そうに染井監督へ言葉を向ける。役作りに妥協しないことは有名だったし、天馬と一成への「お願い」が共同生活であることは役者もスタッフも知らされていた。
もちろん、染井監督は他の役者にもあれこれと役作りのための依頼をしている。ワンピース姿の女性は実際に喫茶店での就業を経験しているし、スーツ姿の男性は財閥系の人間との会合を何度か重ねて、訪れる店などに同行している。ただ、生活全てをがらりと変えるほどの「お願い」は主役の二人に対してだけだ。
それほど気合いが入っている、ということなのだと誰もが理解していた。染井監督は「快く承諾してくださってありがたいです」と朗らかに答えてから続けた。
「人生を共にする二人です。お二人なら、遼一郎と蒼生の重ねた時間を、大切にしてくれると信じています」
きっぱりと告げられた言葉は、静かでありながら力強い。天馬と一成は、染井監督の思いを受け取ってこくりとうなずいた。