スウィートホーム・シンフォニー 06話
リビングのソファを背もたれにして座った一成は、ローテーブルのパソコンと向き合っている。周囲に広げたスケッチへ時々目を向けて、何かを考え込む素振りをしたあと、思い出したようにパソコンへ指を滑らせる。
キッチンに立つ天馬は、リビングルームの様子をうかがう。壁で区切られてはいるものの、扉を開けていれば一部屋のように使うことはできる。天馬は、一成の真剣な横顔をじっと眺めていた。
しばらくしてから、キーボードを軽やかに叩いていた一成が指を止めて、一つ息を吐く。集中が途切れたことを察して、天馬は声を掛けた。
「一成、何か飲むか」
「――え、テンテン入れてくれんの?」
「ついでだからな」
ソファから明るい表情で一成が問いかけるので、天馬はさらりと答える。普段の一成なら天馬が様子をうかがっていたことにも気づいただろうけれど、目の前に集中していたため、そうも行かなかった。純粋に、天馬が何かを飲むためにキッチンへ立ったのだと思っているのだろう。
「うーん、それじゃアイスティーがいいな~!」
「ああ、水出しの茶葉だな。アリスさんおすすめの」
「そそ!」
一成の言葉にうなずいて、天馬は冷蔵庫からアイスティーのボトルを取り出した。二人分にはちょうどいいくらいの量だ。グラスにそそいで、ソファに座る一成のところへ持っていくと「ベリサン!」と無邪気に笑った。ただ、ところどころに疲れの陰が見えている。
「仕事、部屋でやらなくていいのか」
ソファに腰掛けた天馬は、自然な調子で尋ねた。一成はアトリエとして一部屋を使っており、画材を持ち込んで制作作業を行っている。
ただ、それ以外にももう一つの洋室を仕事部屋として使うことにした。配信作業などがあるため、諸々の機材を設置する必要があるということと、集中したい時には一人になる時間も必要という判断だ。実際、一成はその部屋で作業していることが多かった。
「んー、ちょっと気分転換したくて。部屋に一人より、こっちの方がはかどるかなって」
言いながら一成はグラスを傾けて、こくりとアイスティーを飲み下す。ほっとしたように息を吐くと、「テンテンがアイスティーも入れてくれるし!」と笑った。
「入れるも何もついだだけだぞ。まあ、一成の役に立つのは嬉しい。忙しそうだからな」
「まあね~。映画撮影があるから一応、多少はセーブしてるんだけど。どうしても外せない仕事はあるし、オレに依頼してくれたんだもん。ちゃんと応えたいよね」
一成の視線の先はパソコン画面に向かっている。具体的な情報は一切わからないけれど、デザインメモのようなウィンドウがいくつも開いていた。
役者ではあるものの、デザイナーであり画家でもある一成なので、他の仕事が入っているのは想定の範囲内ではある。スケジュール管理も上手いし、自分のキャパシティーは理解している人間だ。やれると判断したなら、やり遂げることができる能力があると、一成のことを信頼している。ただ、心配は心配だった。
「今回は取材もいろいろ多いだろ。広報関係の対応もしてるんだ。忙しさも違うんじゃないか」
活動するジャンルが異なっているため、ただでさえ取材の機会は多い。加えて、一成自身コミュニケーション能力に長けているので、広報対応に慣れていることは知っている。それでも、純粋に数が多ければ負荷も大きくなるはずだ。
「それな~! ある程度増えるのは予想してたけど、反響大きすぎてびっくりだよねん。染井監督の名前、マジすげーね」
心から感嘆した、といった調子で言う通り。
染井芳暢新作映画出演の報道がされて以降、舞い込む取材の数はこれまでとは比べようもないほどの件数になっていた。瞬く間にあらゆるメディアで取り上げられるようになり、連日顔と名前を報じられているような状況だ。
「でも、テンテンだってすごいっしょ。いつもこれ以上の取材受けてるんだって思ったら、あらためてテンテンすごいな~って感心したもん」
「そうでもないと思うぞ。たぶん、今は一成の方が注目度高いんじゃないか」
「そっかな~」
一成は首をかしげているけれど、天馬は自分の予想は間違っていないだろうと思っている。
確かに、皇天馬という俳優は日本中で知らぬもののない存在だ。子役時代からの積み重ねや、著名な両親の存在で、誰もが知る俳優であるという自負もある。
ただ、芸歴が長いためにメディアが取り上げる素材はふんだんに用意されており、特に目新しさがないのも事実だった。染井監督の新作映画、という点での取材は確かに多いけれど、天馬自身に対するものはそうでもない。
対する一成は、芸能界でも少しずつ自分の立ち位置を確立しているとはいえ、全国的に名前を知られた存在とは言い難かった。
そんなところに、今回の報道である。三好一成とはどんな人間か。メディアはこぞってそれを報じようとしているのだ。
加えて、一成はマルチに才能を発揮しており、取材対象としてもなかなか面白い人間だし、本人のキャラクターもメディア向きと言える。あちこちから取材がしたいと声が掛かるのは当然だし、まさしく旬の人物が一成なのだ、と天馬は思っている。
「でも、確かに取材いっぱいあってさ。正直、ここの立地めっちゃありがたいんだよね」
アイスティーのグラスを両手で持つ一成は、ゆっくりとつぶやいた。事務所でもあればその一室を用意することもできるけれど、一成はフリーで活動している。それゆえ、特定の場所を持たず取材先に赴くことがほとんどだった。
ある程度は、先方が気を利かせてくれることもあるけれど、あちこちを移動する必要がある。その際、都内の中心地に立つこの家は都合がよかった。移動時間が短縮できるという意味でも、隙間時間に帰宅が可能であることも。
「めっちゃ疲れちゃったって時も、ちょっとここに帰ってこられるとほっとするんだ。ぼんやり庭とか見て、テンテンと日向ぼっこした時のこと思い出したりして」
しみじみとした調子で、一成は言葉を落とした。視線の先は、カーテンの開いた夜の庭だ。ヤマモモを中心とした庭はガーデンライトで照らされて、昼間とは違った顔を見せている。一成は静かな口調で「夜の庭もいい感じだよねん」と笑った。
以前天馬が「ここに帰ってくればいい」と言った通り、一成は隙間時間には家へと戻ってくるようになった。もちろん、全ての仕事でそうできるわけではないけれど、可能であればふらりと立ち寄るのだ。
天馬は仕事なので、家には一人きり。都内とは思えないほど静かな部屋で、一成はソファに座ってぼんやりと過ごす。
リビングから見える庭を眺めて、スケッチをすることもあった。天馬と過ごした時間や、初めてここを訪れた時のことを思い出しながら。これからの未来を照らす灯火のような、光を集めて立つヤマモモの木を紙の上に写し取る。
そうやって過ごす時間は、忙殺されるほどの日々の中でもほっと息を吐ける瞬間だった。摩耗しそうな心が、ゆっくりと息を吹き返すような感覚。
天馬と同じ家に帰る。「ただいま」と「おかえり」を交わし合って、二人分の日々を営んでいく。その事実を噛みしめれば、もっと頑張ろうと一成の体には再び気力が満ちていくのだ。
「やっぱりさ、家にいると落ち着くっていうか、オレの場所だ~って思えるんだよねん。このソファとか、ずっと使ってたやつだし!」
にこにことした笑顔で、一成は自分が背もたれにしているソファを指した。それから、座る天馬へ視線を向けて目を細める。
「テンテンがいてくれるみたいな気になるんだよねん。だから今も、ここの方が力出るかな~って」
一人きりで、部屋でずっとパソコンに向かっていた。その時間が必要な時もあるけれど、今の自分に必要なものが何であるかを一成は理解していた。
たった一人で向き合うのではなく、共に歩く存在が何より自分の力になる。積み重なった仕事を抱えて立ち止まりそうになっても、一歩踏み出すために背中を押してくれるのは、同じ道を歩くと決めた人の存在だ。
だからこそ、一成は天馬のいるリビングで仕事をしているのだ。告げられた言葉の意味を、天馬はしかと受け取っている。
一緒に住むことになり、家具の類はそれぞれの家から運び込んだ。
たとえば、リビングに置かれたソファセットは天馬の家から、ダイニングテーブルは一成の家から。細々としたものは、あらためて買いそろえてもいるけれど、ほとんどはどちらかの家で使っていたものだ。それぞれが持ち寄ったものたちで、一つの家になっていく。
二人がくつろぐソファは、天馬の家でずっと使っていたものだ。だから、付随する思い出はたくさんある。夏組がそろってにぎやかに過ごした時間はもちろん、二人並んで腰掛けて親密な時間を重ねた記憶も、互いの体温を分かち合った瞬間も、何もかもを知っている。
リビングだけではない。キッチンに置かれた調理器具や、寝室のフォトフレーム、バスルームのタオルやシャンプーボトルなど、家の中の一つ一つに二人の思い出が詰まっていた。
「確かにな。一成がいなくても、あの机で食事してるとお前がいるような気がする」
一成の頭をゆっくり撫でながら、天馬も答えた。二人が使っているダイニングテーブルは、天美の先輩が作ったという一点物だ。一枚板で作られており、木の温もりを感じさせる。一成の家で食事をする時にいつも使っていたし、一成の交友関係もうかがえて、たとえ本人がいなくてもその気配を感じるのだ。
「でしょ。そういうのがあっちこっちにあるの、嬉しいよね」
天馬の手を気持ちよさそうに受け入れながら、一成は嬉しそうに答える。本来なら、新しく購入して届けてもらった方が手間はないのかもしれないけれど、二人はそれぞれの思い出を持ち寄りたかった。そうして、二人の住む場所は少しずつ、自分たちの知ったもので彩られていく。
天馬は一成の言葉に「そうだな」とやさしく答えたのだけれど。数秒してから、はたと思い出した、といった顔でつぶやく。
「でも、あのラクダは必要だったのか……?」
「えー、お迎えしてくれるとテンアゲっしょ!?」
さすがに全てを持ってくることはできないので、品物はある程度厳選した。それぞれの家は、賃貸契約が切れたわけではないから、物を置いていくことはできるのだ。
これは必要か、こっちは置いていっても構わないか、とあれこれ話をしていた時、「これは持ってくやつ!」と一成が宣言したのは等身大のラクダのオブジェだった。MANKAI寮で行われた、天馬の誕生日パーティーにて、夏組から贈られたプレゼントである。
誕生日を祝ってくれた気持ちは嬉しいし、夏組からのプレゼントを持って行くことはやぶさかではない。ただ、あまりにもインパクトがありすぎるのだ。今回は天馬の家に置いていってもいいのでは、と思ったのだけれど一成は「連れてくに決まってるじゃん!」と力強かった。
天馬とて躍起になって否定するつもりはなかったので、「まあ、一成が言うなら」というわけでうなずいて、玄関先に鎮座することになった。ただ、毎回ラクダに出迎えられると「必要だったのかこれ」という気持ちになってしまうのだ。一成本人は出掛ける時も帰ってくる時も、きちんと挨拶しているけれど。
「リビングに置いておくのもいいかな~って思ったんだけど、玄関でお迎えも嬉しいから、あそこもいい感じだよねん」
玄関もだいぶ広いので、等身大のラクダのオブジェがあっても狭さは感じない。ただ、あえて玄関先を選んだというより、「どこに置く?」と聞かれて「リビングと寝室以外」と答えた結果だった。
リビングで何となくいい雰囲気になった際、ラクダを目にした一成が爆笑することが頻発したため、という理由は一成も承知していたので、特に異論はなかった。
「わりとソファ周りは、テンテンの家からのもの多いよね。テレビとかあの辺のボードとかもそうだし、フォトフレームもばっちりだし!」
明るい笑顔の一成は、和気あいあいとした夏組メンバーが収まった写真を示す。天馬の自宅に置いてあったフォトフレームは当然持ってきているし、写真の更新は当然一成の役目だ。もっとも最近では、天馬も加わって二人であれこれと話をしながら入れ替える写真を選ぶことが多くなった。
「あとは、スクリーンあるといいかも。ソファ座ってさ、二人で見たいって言ってたじゃん?」
二人で交わした他愛ない話を思い出した一成はゆっくり立ち上がり、天馬の隣に座り直した。肩が触れ合うような距離。近くにある体温が伝わるようで、二人の心は弾む。その雰囲気を隠しもせず、天馬は答えた。
「ああ。ずっとほしいと思ってたし、いろいろ見てみるか。スクリーンだけじゃなくて、スピーカーとかも種類ありそうだよな」
「天井高いし、反響の仕方とかも違うかもね。テンテンの映画おっきい画面で見るのもいいし、夏組公演の上映会もしたいな~!」
きらきらと目を輝かせて一成が言う。スクリーンを置くならどの辺りがいいだとか、夏組みんなを招待したら楽しそうだとか。具体的な話を語る様子は心底楽しそうで、天馬の唇には自然と笑みが浮かぶ。
「インテリアももうちょっと凝ってみたいし、部屋も広いからいろいろ飾りがいもあるよねん。何にもなかった部屋がさ、少しずつオレたちの家になってくんだな~って思うと、楽しくない?」
くすぐったそうな表情で紡がれた言葉。天馬は目を細めて、一成を見つめた。
きらきらとした輝きを宿す緑色の瞳。うっすらと染まった目元に、唇からこぼれる白い歯。やわらかなものを抱きしめるみたいに笑うひと。
一成は、楽しそうにあれこれと部屋のインテリアを考える。デザイナーという肩書を持つ人間なので、本人の資質と趣味によるものであることは間違いない。
だけれど、それだけではないと天馬は知っている。
居を移した最初は、がらんとした何もない部屋だった。そこに二人が持ち寄ったものが集まって、少しずつ表情を変えていく。
シックな装いのローボード。部屋に花を添えるような、にぎやかなフォトフレーム。澄んだ青空を描くアートパネル。やわらかく明かりを広げる照明に、ナチュラルな部屋によく合う木製の時計。
一成は、一つ一つ、部屋を彩るように品物を選ぶ。そうして、無機質だった空っぽの部屋は二人で暮らす家になっていく。
家を作る。共に過ごす場所を作っていく。言葉や事実として理解していたことが、あらためて目の前で形になったようで、天馬の胸はいっぱいになる。
今までだってどちらかの家で共に過ごしてはいたけれど、それはあくまでも片方にとっては仮初の居場所でもあった。だけれど、今は違う。ここは二人が帰る場所で、二人だけの家なのだ。
持ってくるものだって、二人で相談しながら決めた。自分だけで独りよがりになるのではなく、思い出を分け合うようにしてここへと運んできた。
それぞれの選んだものたちは、この場所で一つになってこれからの生活を支えてくれる。天馬が選んだものも、一成が選んだものも、二人の思い出を一緒に抱えて時間を重ねていくのだ。
ああ、本当に二人で暮らしてるんだな、とあらためて天馬は思う。無性にそれを一成に伝えたかった。きっと一成は、「今言う!?」なんて言うけれど、きっと心底楽しそうに笑ってくれるのだと知っている。
だから天馬は、たった今心に浮かんだ言葉を伝えるため、そっと口を開いた。無機質だった空っぽの部屋は、今や天馬と一成の思い出をそっとしまうための宝箱になるのだ、と思いながら。