スウィートホーム・シンフォニー 10話




 控室の扉が控えめにノックされた。返事をすれば井川が入ってくるので、一成は「あれ、もう時間だっけ?」と尋ねた。情報番組のインタビュー収録のため、開始を待っているところなのだ。

「いえ。少し開始時間が遅くなりそうだ、ということですのでご連絡を。ただ、そこまでの遅れではないようですので、次のスケジュールにはあまり影響はないと思います」

 落ち着いた調子で告げられた言葉に、一成は「おけまる~」とうなずく。それから、明るい笑顔で先を続けた。

「連絡ありがと、いがっち!」
「仕事の内ですから」

 苦笑めいた表情で答える井川にとって、それは至極当たり前の事実でしかない。マネージャー業務の一環なのだから、取り立てて礼を言われるようなことではないのだ。ただ、一成という人間の性格を知っているので、心から言ってくれていることも理解していた。

「てか、まさかいがっちが担当してくれると思わなかった。オレの方来ちゃってテンテンは平気な感じ?」

 収録までまだ時間がある、ということで多少の雑談は問題ないと判断したのだろう。一成が心配そうに問いかける。
 天馬と話をしてから、正式に皇事務所と契約を交わした。結果としてマネージャーがついてくれることにはなったのだけれど、担当として紹介されたのはよく見知った相手である井川だったのだ。
 天馬のマネージャーとして、今までずっと従事してきた人物である。完全に天馬の担当を外れたわけではないし、天馬と一成両方のマネージメントに関わる、という形になるのだとは説明された。しかし、どちらかと言えば一成と行動することが多くなったので、一成は心配だった。
 井川は一成の質問に、目をまたたかせた。ただ、すぐに落ち着いた表情になる。時間には余裕もあるし、一成の気がかりを解消するのも大切なことだろう、と井川は口を開く。

「私以外にマネージャーはついていますし、比較的天馬くんの仕事は落ち着いていますから。映画撮影がメインですし、問題ありませんよ」

 多忙な天馬のマネージメントは、井川をメインとしたチーム体制が取られている。部下に当たるマネージャーたちも、一切のオフがない約半年をくぐり抜けたことでだいぶ仕事を任せられるようになってきた。
 あの時に比べれば業務量は格段に少ないし、基本的には映画撮影に注力すればいいという状況なので、だいぶ余裕を持ってマネージメントができているはずだ。
 なので、天馬のことを任せて問題ない、と判断したのが一つ。ただ、理由としてはそれだけではなかった。

「それに、三好さんのサポートをする役を私以外の人間に任せるとは思えないんですよね。天馬くんですし」

 困ったような呆れたような、それでいて奥底ににじむのは確かな慕わしさだ。一成は、その意味をしかと理解している。

「お二人の関係を知っているのは、天馬くんのご両親以外だと私だけですので。三好さんをパートナーとして扱える人物というと、必然的に私になりますからね」

 落ち着いた調子で井川は言う。もちろん、関係性を知らないマネージャーが担当になったなら、友人としての顔を保ち続けるつもりだった。だけれど、井川が担当してくれるならわざわざ隠す必要はない。

「天馬くんのことですから。三好さんには自然体でいてほしいんでしょうね」

 何一つ心を隠すことなく、あるがままの自分でいられること。天馬は一成の心がのびやかでいられるよう願って、井川を担当にしてくれたのだろう、と一成は察している。それくらい大事にされていると、当たり前のように思っている。自惚れでも何でなく、単なる事実として。

「そだねん。テンテン、やさしいから」

 ふふ、とやわらかな笑みを浮かべて一成は答える。井川も嬉しそうにうなずきつつ、さらに言葉を重ねた。井川にしては珍しい、冗談を口にするような響きで。

「それと、単純に他の人と二人きりにさせたくないんだと思いますよ。三好さんのことを信用していないわけではありませんが、面白くはないんでしょうね」
「マ!?」

 さらり告げられた言葉に、一成は思わず声を上げる。昔のテンテンならともかく、今でもそんな感じなのマジで、という気持ちだった。

「テンテン、めっちゃ大人になった~って思ってたのに! そういうとこ、最近あんま見てないんだけど!」
「三好さんを前にすると、嬉しさの方が勝るから表に出ないんだと思います。たまに、三好さんが共演者と親しそうな場面を見ると、ちょっとそわそわしてますよ」

 井川の言葉に、一成の唇は自然とゆるんでいく。井川が担当になった経緯は深く聞いていないけれど、どうやら天馬の独占欲も多少はからんでいるらしい。
 天馬にとって井川は信頼に足る人物だし、一成をはじめとした夏組とも親交は深い。もはや身内の感覚なので、一成と二人きりにしても問題はないと判断したのだろうけれど、それ以外だと何だか思うところがあるようだ。
 そんなのめっちゃかわいいんだけど! 何それ、もうちょっと見せてくれても良くね!?
 笑顔を抑えきれないまま、一成は内心で悶える。井川はそんな一成の心情もおおむね理解しているのだろう。天馬からの独占欲を一成が不快に思うことなどあるはずもないし、何だかほほまえしい雰囲気を漂わせていた。
 ただ、そのままのんびりと見守っているわけにもいかない。井川は腕時計に目を向けると、雰囲気を切り替えて口を開く。

「もう少ししたら予定時間です。スタッフが呼びにくるまではまだ時間があると思いますが、何か気になることなどはありますか」

 対処できることがあればしておこう、ということなのだろう。井川の言葉に一成は「大丈夫かな~」と答えかけて、はた、と表情を変える。

「そういえばさ。オレ、今までずっとインタビューって私服で受けてたんだけど。スタイリストとかつけた方がいい系?」

 自身の服装を示して、一成は尋ねる。今日の収録はエンタメ系情報番組なので、あざやかなブルーのサマーニットを中心としたカラフルな装いだ。報道系の番組であればもう少し落ち着いた装いにするけれど、今日はその限りではなかった。
 一成はファッションも好きだし、デザイナーとしての宣伝にもなると踏んで、要請されない限りスタイリストを頼むことはなかった。
 ただ、皇事務所的にはどうなんだろう、と思ったのだ。特に何も言われていないので、今まで通りでいいということなのだろうとは思ったけれど、意向を聞いておいて悪いことはない。

「皇事務所としては基本的にスタイリストをお願いしていますが――三好さんの場合、デザインセンスを発揮するという意味合いもあるのでは」
「そそ! そーなんだよねん! でも、事務所的にはもっとちゃんとしてほしいっていうなら、考えなくちゃかなって」
「ああ、そういうことでしたら問題はないと思いますよ。念のため確認はしますが――三好さんとの契約では、いろいろと例外もありますし。役者以外の活動も業務の範疇ですからね」

 あっさり言われて、一成はほっと息を吐いた。恐らく平気なのだろうと思っていたけれど、はっきり言ってもらえたことは大きかった。それならこれからもインタビューとかは私服で大丈夫なんだな、と思うのと同時に、一成はそっと胸元を撫でた。
 身に着けた服の下。首から下がるチェーンには、大事な指輪が光っている。天馬から贈られた。心の全て込めたような指輪が、胸元で輝いているのだ。
 指輪をするのは家の中だけだと決めている。左手の薬指に指輪なんて追求される事態にしかならないし、わざわざスキャンダルの種を撒くつもりはない。だから家以外では、基本的にチェーンに通して首からぶら下げている。
 ただ、撮影がある場合は家へ置いてくるのが常だった。衣装を着脱するのでその際にどこかへ行ってしまうのも怖いし、誰かに見られる恐れもある。わざわざそれは何か、と指摘される可能性を高めることもないと思ったのだ。
 大事な指輪なのだから、丁寧に大切に、宝物としてそっと手のひらで抱えるように守っていたかった。
 もっとも、言い換えれば私服での仕事なら指輪を身に着けることができる。衣装を変えることもないし、指輪の存在に気づかれる可能性は限りなく低いからだ。そういうわけで、私服でも構わない、と言われたことに一成は安堵した。これからも、天馬の心を形にしたこの指輪と共にいられる、と思って。
 天馬の愛情を疑ったことはないから、物がなくたって充分心強い。
 それでも、あのオレンジ色に染められた海辺の景色や、心ごと取り出すような天馬を思い起こせば、いつだって一成の胸は幸福で満たされる。そのまま、どこへだって走って行けるような気がするくらい。宇宙で一番幸せなのは自分なのだと、世界中に向かって叫びたいくらい。
 だから、天馬からの指輪をこれからも身に着けていられる、という事実が一成は嬉しかった。浮き上がるような気持ちのまま、一成は井川に礼を言う。
 いえ、と井川は首を振り、そのままこれからの予定に話が移っていく。
 インタビューのあとはコスメパッケージのデザイン打ち合わせが入っているのだ。持ち込む機材やデータ媒体をあらためて確認していると、スタッフから声が掛かった。収録が始まるのだ。



 明るく挨拶をしながら、一成はカラフルなスタジオセットへ入る。今日の収録は、スタジオでの生放送インタビューだ。ピンマイクなどがセットされ、所定の椅子へと案内される。
 ただ、座る前に一成は番組MCであるお笑いタレントと、アシスタントのアナウンサーへ「今日はよろしくお願いします」と声を掛ける。

「おお、三好くんか。こっちこそよろしく!」

 はつらつとした調子で番組MCが答えて、アナウンサーも続いた。丸顔の番組MCは、人の好い笑みをはちきれんばかりに浮かべて言う。

「今ちょっと通販番組やってるから、それ終わったら三好くんのインタビューね。めっちゃ注目度高いから、初っ端からエンジン全開でお願いします」

 うきうきした様子で、「旬の人がゲストに来てくれるとテンション上がるわ」とつぶやいていて、一成はくすりと笑う。それに気づいたのか、番組MCはにやりと唇の端を上げた。

「いや~、三好くんちょっと見ない間に出世しちゃって」

 からかうような口調は気安い。彼はお笑い関係のメディアだけではなく、ドラマや映画などにも多数出演している。一成とも何度か共演経験があるので、お互い気心は知っていた。
 なので、一成は軽い雰囲気で答えを返す。

「そんなことないですって。オレはいつもとおんなじ、安定のカズナリミヨシです!」
「いやいや。染井芳暢新作映画の主演様ですから。毎日俺はきみの顔見てるよ」
「オレも毎日オレの顔は見てますね」
「鏡の話してる?」

 軽快なやり取りは、以前の現場でも交わしたものだ。番組MCは楽しそうに「変わってないなぁ、三好くん!」と嬉しそうに言う。別スタジオの通販番組はそれなりの尺があるようで、まだ終わらないのだろう。さらに言葉が続く。

「でも本当に久しぶりだね。MANKAIカンパニーの子とは、この前ドラマ一緒になったんだけど。ほら、七尾くん」
「ああ、あの刑事ドラマですよね。たいっちゃんとコンビ組んでた」
「そうそう。七尾くん芝居上手くて努力家でいい子だよね。めっちゃご飯おごっちゃったわ」

 しみじみとした言葉に、一成は嬉しそうにうなずいた。太一は芝居に一生懸命で繊細な演技力を持っていることはもちろん、当人の気質として年上からよくかわいがられる。目の前の彼もその例に漏れないのだろう。掛け替えのない仲間が大事にされている、という事実は一成の胸をあたたかくするのだ。

「三好くんともまたどっかで共演したいけど――今日はがんがんインタビューするってことで」
「何か怖いんですけど! お手柔らかにお願いします」

 おおげさに反応しつつそう言えば、番組MCは「どうしようかな~」と面白そうに答える。たぶん全然手加減してくれないんだろうなぁ、ということが予想できる反応だった。

「実際、聞きたいこといっぱいあるんだよね。映画撮影のこととかもだし、視聴者的には三好くんがどんな人かってところもだいぶ気になるでしょ。だって、役者で画家でデザイナーってなに? UMCってなに?」
「ウルトラマルチクリエイターです!」

 明るく告げると、番組MCは「出た、三好くんしか名乗ってないやつ」とおかしそうに笑った。とはいえ、最近では連日の報道で一成の肩書もだいぶ有名にはなっているので、ある程度は周知もされつつあった。

「それじゃ、最初は軽い感じで三好くんの説明しつつ、映画撮影の話、そこからもうちょっと三好くんについて突っ込んでいく感じで」

 事前におおまかな流れは知らされていたので、その内容をなぞって再度伝えてくれる。一成は「わかりました」と答えて、頭の中で話すべきことを再度確認する。
 一つ一つの話題にラベルを付けて、引き出しにしまっていくイメージ。流れが決まっているとは言え、どんな風に話題が振られるかはわからないので、多くの引き出しを持っておくに越したことはないのだ。その際、すぐ取り出せるよう的確なラベリングが重要になってくる。

「皇天馬くんのことも、いろいろ聞きたいんだよね。同じ夏組だし、三好くんならではの視点で見た皇天馬くん、とかね」

 きらきらとした表情で、「三好くんと皇天馬くん、両方の話聞けるとなったら視聴率めっちゃ取れるわ」と告げる様子は純粋な期待に満ちていた。
 皇天馬の話題はただでさえ多くの人を惹きつける。さらに、現在注目度抜群の一成という存在が加われば、確かに高視聴率を望めるだろう。

「一緒に住んでるんだって? 役作りとかで」

 好奇心を前面に押し出した雰囲気で尋ねる。情報を伏せているわけではないので、知っていてもおかしくはない。
 映画関係者だけにとどまらず、芸能界では恐らく周知の事実なのだろう。皇天馬の動向というものはいつだって注目されているので、芸能界共有の情報になっている部分さえあるのだから。

「そうですね。染井監督からの要望で、一緒に住んでます」
「は~、俺なんて帰って皇天馬いたら絶対落ち着かないけど――まあ、三好くんは慣れてるか」
「ずっと寮暮らししてましたからね~。さすがに慣れたっていうかわりと普通」
「やっぱ気心知れてる感じなんだ。その辺詳しく聞きたいね。いつから知り合いなんだっけ? 何年の付き合いなの?」

 至って自然な調子で聞かれた言葉。当然だ。何も特別な質問ではないのだから。
 それでも、一成は一瞬だけ黙った。大学二年生、十九歳だった。あの時に訪れた出会いが、人生を決定づけるなんて思っていなかった。あの時出会った人と、これから先の人生をともに分かち合っていくだなんて。
 一つだって思っていなかったけれど、今の自分は知っている。重ねた年月と一緒に、これからの未来まで共に生きていくのだと。

「――二十歳になる年からなので、今年で十一年ですね」
「十年越えか~! そりゃまあ家に皇天馬いてもびっくりしないか!」

 笑いながらの言葉に一成はおおいにうなずく。ただ、内心ではそっと思っていた。
 十一年。そんなに経ったんだな、という気持ちは確かにある。だけれどきっと、これから先二人で過ごす時間の方が、きっともっと長くなる。予感ではなくただ純粋な事実だ。
 一成は自身の胸元を撫でた。服の下にある、天馬からの指輪に込められた思い。答えるように、一成は思う。

 ――ねえ、テンテン。オレたちこれから、十年よりもっとずっと一緒にいるんだね。

 心の中でそっと告げれば、「当然だろ」と力強く言う天馬の声が聞こえる気がした。