スウィートホーム・シンフォニー 12話




「最初から間違ってたっていうのか。オレの手を取ったことも、二人で生きると決めたことも」

 遼一郎の、押し殺した声が部屋に落ちた。落ち着こうとしているものの、漂う雰囲気は険しい。声の端々に揺らめく炎をまとわせて、天馬は遼一郎の心情を表現する。

「――そいうことじゃない。だけど、本当なら遼一郎はこんな暮らしをする必要はなかった」

 泣き出しそうな表情の奥底に、強い意志を宿らせて蒼生が答えた。部屋の明かりが強く二人を照らすものの、漂う雰囲気は重苦しい。

「遼一郎には、もっとふさわしい場所がある。輝かしい未来がある。オレが遼一郎を縛りつけてるんだ」

 深呼吸をした一成は、震える声で告げる。目の前の遼一郎に向けて、蒼生が心から思う言葉を形にして届ける。
 すると、天馬演じる遼一郎の瞳がいっそう鋭くなった。酷い暴言を耳にしたような、そんな目つき。まとう空気が、少しずつ変わっていく。憤りがより強固に、凶暴さをはらんでいく。
 それを肌で感じながら、一成は次の言葉を口にする。遼一郎にとって、とうてい許せない言葉。それでも、蒼生が告げなくてはならないこと。

「このまま二人で暮らしていくなんて、最初から無理だったんだ」

 悲痛な声で吐き出した言葉に、遼一郎がぎろりと蒼生をにらみつける。びくり、と肩をすくめる演技。圧倒されて、声を失って、何も言えない沈黙。揺れる瞳で、蒼生は遼一郎を見つめる。ここはしばらくの無言が必要。間を置く。
 一成は状況を分析して、唇を結ぶ。どのタイミングで口を開けばいいかは、天馬を見つめていればわかる。
 明らかな怒気を振りまく遼一郎。だけれど、それがやわらぐ瞬間がある。蒼生のことを大切に思う遼一郎だからこそ、怒りの裏側には悲しみが潜んでいる。天馬はその空気をきちんと演技に乗せてくる。
 言葉は必要なかった。天馬とともに作り上げる舞台なら、何度だって立ってきた。何もかもは、細胞にまで刻み込まれている。だから、どこで声を発すればいいかなんて、考えるまでもなかった。
 互いを探り合う時間も要らない。向き合えば、お互いの演技を始めてしまえば、望んだところに望んだ以上の演技が返ってくる。ためらうことなく、すぐに世界へ飛び込んでいける。
 それが天馬との芝居だ。体中の全てで天馬の演技を受け止めた一成は、空気がゆるんだ瞬間に口を開く。
 無理に引きはがすような、ごろりと言葉を押し出す素振りで。もっと、もっと、持てる力以上の演技で応えるのだ、と思いながら。

「終わりにしなくちゃ。二人で暮らしていくなんて、間違ってたんだよ」

 悲しみに諦観を乗せて。絶望に祈りを混ぜて。しんとした静けさとともに吐き出した言葉に、遼一郎が怯んだような空気を流す。その隙に、蒼生は「さよなら」と告げて部屋を飛び出した。



「カット!」

 一成の姿が消えてから数秒後、スタジオ内に声が響いた。途端に空気が変わり、慌ただしくなる。
 走っていった一成も部屋のセットで立ち尽くしていた天馬も、染井監督のもとへ向かったのはモニターチェックのためだ。物語の終盤近く、二人の口論シーンは何度かテイクが重ねられており、染井監督の判断を待つ必要がある。
 染井監督は、今しがたのシーンを真剣な表情で見つめている。
 これまでのテイクで指摘されたのは、遼一郎の感情表現とそれを受ける蒼生の反応だった。遼一郎の感情を強めにするか、蒼生の反応を弱めるか、どのバランスが最も理想的か、と何パターンも試しているのだ。

「――ああ、いいですね。遼一郎の苛烈さにも落ち着きがありますし、蒼生の静謐な雰囲気にも意志の強さが見えます。やはり、お互いの部分を混ぜ合わせたバランスがいい」

 鋭いまなざしでモニターをチェックした染井監督が、ふっと空気を緩めて言った。
 最初の演技プランでは、遼一郎の感情表現は比較的強く、蒼生はそれを静かに受け止めていた。だけれど、染井監督はあまりに通り一辺倒すぎると異を唱えて、二人ならではの空気を感じられるバランスにしてほしい、と言ったのだ。
 それを踏まえて何度かのテイクを重ねて調節を行ったのが、今回のテイクだった。天馬と一成が染井監督へ視線を向ける。すると、染井監督はにっこり笑って告げた。

「OKです。このテイクで行きましょう」

 その言葉に天馬と一成は「はい」とうなずき、スタッフたちからもわっと声が上がる。無事に理想の画が撮影できたことの喜びと安堵が、スタジオを包む。わいわいとした雰囲気が流れて、現場の空気も高揚する。
 すると、突然声を張り上げたのは一成だった。

「――ってことで、時間的にもオッケーなので予定通りにお願いします!」

 きらきらとした笑顔でスタジオ全体に声を掛ける。途端にあちこちから「オッケーでーす!」「準備完了してます!」という答えが返ってくるので。
 天馬はハテナマークを盛大に浮かべながら、隣の一成を見た。一成は天馬の視線を受け止めると、心底嬉しそうなぴかぴかした笑顔で言った。

「日付的に、そろそろじゃんって思わなかった? テンテン」

 イタズラを仕掛ける時の、サプライズを用意している時の、そんな表情で。さらに、日付という言葉も加わって天馬はすぐに理解した。
 六月も下旬に向かうこの時期に、一成がこんな表情を浮かべる理由なんて一つしか思い当たらない。
 天馬が事態を察したことに、一成はすぐに気づいた。こらえきれない、といった笑顔を浮かべると「正解だと思うよん」と言ってから、一成が両手を広げた。

「テンテン、ハッピーバースデー~!」

 弾けるような声とともに、スタッフが台車を押してやって来る。
 上に乗っているのは、オレンジがふんだんに使われたタルトのケーキ。輪切りのオレンジが華のように広がり、周囲はクリームで繊細にデコレーションされている。
 上には、ご丁寧に「天馬くん 誕生日おめでとう」というプレートがあって、一成が面白がって用意したに違いなかった。
 一成は楽しそうにスタッフに向かって音頭を取っており、気づけばスタジオ全体からバースデーソングが響く。
 天馬は数秒戸惑うものの、すぐに笑みを浮かべる。演技でも何でもなく、純粋に嬉しくて自然と笑ってしまったのだ。
 一成もそれに気づいて、ますます顔を輝かせる。軽やかな声で歌を口ずさみ、最後の言葉とともにクラッカーが鳴らされた。

「ってことで、おめでとテンテン! テンテンって言ったらやっぱりオレンジってわけで、リサーチがんばっちゃった! ヒョードルとかむっくんに、いっぱい聞いたんだ。ここのケーキ、めっちゃおいしいって評判なんだよん」

 きらきらと目を輝かせて、一成は一息にまくしたてる。
 目の前のオレンジタルトは、あざやかなオレンジ色が目を惹く。花びらのような輪切りやデコレーションのクリームも華やかで、ブーケを丸ごとケーキにしたようでもあった。
 さらに、一成曰く評判の店のケーキだというので、味も確かなのだろう。天馬の誕生日のために、スイーツに詳しい二人からせっせと情報を集めたことは想像に難くない。
 心を丸ごと形にしたような。天馬のためを思って贈られたものが目の前のケーキなのだと、天馬は理解している。だから、しみじみとオレンジタルトを見つめてからそっと口を開く。

「ありがとな。毎年祝ってくれるのはもちろん、現場でこんな風に祝ってもらえるのもすごく嬉しい。ありがとうございます」

 最後の言葉とともにスタッフに向かって頭を下げると、「おめでとう!」という声や拍手が送られる。現場で誕生日を祝われること自体は初めてではないけれど、その度ありがたいと思っているし、素直に嬉しいという気持ちになる。
 スタッフに漂う空気も楽しげで、誰もが笑顔を浮かべていることも天馬の心を弾ませた。その様子を見守っていた一成は、嬉々として口を開く。

「テンテンが喜んでくれて、オレもめっちゃ嬉しいけど――本番はここからなんだよねん」
「は?」
「テンテン、オレがケーキだけで満足する男だと思う?」

 にっこり、力強い笑みで問いかける。すると天馬は、これまでの様々な出来事を思い浮かべたのだろう。心からといった表情で答えた。

「思わないな……」
「でしょ~!」

 さすがテンテン、オレと付き合い長いだけある!と一通りはやしたててから、一成は一つ深呼吸をする。それから、ちらりと視線を向けた先にいたのは染井監督だった。
 天馬がぎくり、と体を強張らせる。もしかして、よりによって染井監督を巻き込んでるんじゃないだろうな、という視線を一成へ向けると、それはもう楽しそうにほほえまれたので。天馬は全てを理解した。

「天馬くん。誕生日おめでとうございます」

 ゆっくりと天馬の前に近づいてきた染井監督は、にこにこと笑顔を浮かべて言う。天馬は「ありがとうございます」と深々お辞儀をした。
 それから、そっとうかがうような調子で「あの、一成が何か迷惑かけてませんか」と尋ねた。一成は「なにそれ、どういう意味?」と楽しそうに笑って、染井監督は一つ瞬きをしたあとゆるやかに首を振った。

「とんでもない。むしろ、光栄な役目を任せてもらったと思っていますよ」

 嬉しそうに言うと、染井監督は懐から白い封筒を取り出した。天馬に向かって真っ直ぐと差し出す。

「天馬くんのプレゼンターといったところでしょうか。この中に、ヒントの手紙が入っているそうです。キーワードを見つけて、私に報告してください」

 楽しそうな光をひらめかせて、染井監督が言う。ヒントの手紙。キーワード。為すべきことの全貌がいまいちよくわからず、封筒を受け取った天馬はハテナを浮かべるしかない。察した一成は、すぐさま言葉を添えた。

「監督には正解のキーワードを言ってあるんだよねん。それとおんなじキーワードをテンテンが答えられたら、テンテンは監督から誕生日プレゼントゲットできるよん!」

 がんばってね、と言う一成は、簡単にルールを説明する。
 天馬が探すキーワードは、今日の現場にいるスタッフがそれぞれ一字ずつ持っている。そのためのヒントが、染井監督の渡した手紙の中には入っている。該当の人物を探し当て、持っているキーワードを全て入手するのが天馬のゴールだ。

「制限時間は、今日の撮影が終わるまでだよん! それまでにキーワード見つけてね!」

 ぐっと拳を握りしめて言えば、染井監督も「楽しみにしています」とにこやかに答える。一成も嬉しそうに笑っていて、それを見つめる天馬は、心から思う。
 イベントごとが好きな人間であることは、これまでの付き合いから重々承知している。こういうことを考える時は生き生きしていて楽しそうだし、よく考えるよな、と素直に感心してしまう。
 純粋にイベントが好きだから、というのは理由の一つだろう。だけれど、その根底にあるものを天馬は知っている。
 直接言葉にしなくても、声にならなくても。天馬の誕生日を祝えることが嬉しいと、心から思っていてくれる。天馬がこの世界に生まれたことを、目いっぱいに喜んで祝福したくて、その思いの果てに今この瞬間がある。

「――ああ。必ず見つけてやる」

 あふれだすような気持ちが声になったような、弾んだ響きで答える。一成が用意してくれたものなら、一つ残らず見落としたくない。全部きちんと拾いあげて、ちゃんと染井監督のもとまで辿り着く。
 決意の言葉に、一成は「テンテン、かっこいい~」と答えた。軽口の冗談に似て、奥底にはどこまでも真摯な響きをたたえながら。
 それを感じ取った天馬は、封筒へと意識を向ける。
 ここに記されたヒントから、キーワードを持っている人間を探さなくてはならない。糊付けされていない封を開こうとしたところで、ケーキを冷蔵庫で保管するよう頼んでいた一成が声を上げる。

「あ、ちなみにこのサプライズは、監督とかプロデューサーとか、えらい人にはちゃんと許可取ってるから! 心置きなく探してオッケーだよん」
「まあ、お前のことだからその辺はしっかりしてると思ってる」
「さすがよくわかってんね。撮影ちゃんと進まなかったら、ケーキだけになる予定だったから、テイク数そんなになくてよかったよねん」

 しみじみと一成がこぼす。あくまでも撮影がメインなので、順調に進まなければサプライズ自体なかったことになるのは当然だった。結果として、無事に撮影は終わったのでこうしてちょっとしたレクリエーションが展開されているのだ。

「お前の撮影中は、オレに空きができるスケジュールだしな。この辺も考えてたのか?」
「それは偶然かな~。どっちかっていうと、スケジュール見てここならテンテン一人で探せるから、この日がいいんじゃねってなった感じ!」

 にこやかに告げる通り、今日の撮影スケジュールは天馬に少々の空き時間があった。一成がスタジオで撮影をする間は、天馬の待ち時間なのだ。

「――ってことで。オレはそろそろ撮影だから、テンテンがんばってねん!」

 そう言っている間に、ケーキはスタジオから冷蔵庫へと移されていた。他のスタッフたちも、めいめい自分の場に戻っていく。そろそろ撮影が始まるのだろう。察した天馬は、こくりとうなずいてひとまずスタジオを出ることにした。