スウィートホーム・シンフォニー 13話
楽屋に戻った天馬は、椅子に座って封筒を開く。
その様子を撮影しているのは、メイキングカメラマンだ。事前に天馬の誕生日祝いのことは聞いていたようで、今までの様子はカメラに収められている。これからの天馬の動きも撮影する予定だという。
一成のことなのでこの辺りは当然想定内だろうし、天馬自身異を唱えるつもりはなかった。
封筒から出てきたのは、一筆箋が六枚。キーワードは六つの言葉から成立するのだろうし、六人の人物を探す必要がある。
思案しながら中身へ目を移そうとしたところで、天馬はメイキングカメラマンへ顔を向けた。実際に収録されるかはわからないけれど、特典映像として残る可能性がある。視聴者に向けて、ある程度の説明が必要だろう。
「一枚に一人分のヒントがあるみたいですね。六枚なので、これから六人を探します」
言いながら唇に笑みが浮かぶのは、これを渡されるまでの経緯を思い出したからだ。
サプライズだと言ってケーキを用意しているところまでは予想内と言える。だけれど、こんな風にちょっとしたレクリエーションを仕掛けてくるとは思わなかった。MANKAIカンパニーならいざ知らず、まさか現場で。
「サプライズ自体は、一成のことなので想定内だからそこまで驚かなかったんですけどね。高校時代からの付き合いだし、十年以上サプライズ仕掛けられ続けてるんで」
軽口めいて告げたのは、メイキングカメラマンに「サプライズは驚いたか」と聞かれたことを思い出したからだ。
MANKAIカンパニーで出会って、長い時間をともに過ごした。一成はサプライズも大好きなので、誕生日に限らずいろんな場面で驚きを仕掛けてくる。なので、慣れているというのは純粋な事実だった。
「昔から、あいつはオレを驚かせては楽しんでるやつなんですよ。だから、まあ多少は何か仕掛けてるかもな、という気持ちはなくもなかったんです。誕生日が近いっていうのはちょっと忘れてましたけど」
言いながら、六枚の一筆箋を机の上に並べた。文章は短くて、すぐに読み終えてしまう。天馬は笑みを浮かべた唇で一枚を手に取った。
「まさか現場でもこういうことを仕掛けてくるとは思ってなかったので、驚きはしました。でも、一成らしいなとも思いますし……そこまで難しくないみたいなので、すぐに見つかると思いますよ」
一枚の一筆箋をカメラへ向けた天馬は、書かれた文章を読み上げる。白い便箋に記される、見慣れた一成の文字。本人の声が聞こえてくるような錯覚を覚えながら、書かれた文字をゆっくりと口にする。
「『お弁当毎日楽しみ!最近新しく車買ったんだって』」
わくわくとした表情で、唇をほころばせながら。天馬のことを思って、きっと一成はこの文章を書いたのだろう。
想像すれば、胸の奥があたたかくなるような気がした。天馬は一筆箋を封筒にしまうと、椅子から立ち上がる。行く先はわかっていた。
楽屋から出て向かったのは、制作部のスタッフルームだった。
慌ただしく人や言葉が行き交う部屋に、天馬は遠慮がちに声を掛ける。仕事の邪魔をするわけにはいかないので、誰か手の空いてる人がいれば話が聞きたかったのだ。
「え、皇さん!?」
「今待ち時間ですよね――あ、もしかして誕生日のやつ!?」
手前にいたスタッフがすっとんきょうな声を上げると、連鎖的に次々と声が上がっていく。ただ、ここへ来た経緯を説明しなければ、と思っていた天馬は少し拍子抜けした気持ちになる。説明する必要もなく、とっくに事態を理解していることを察したからだ。
「三好さんから話は聞いてます! スタッフ全員にめっちゃ説明してくれたんで、みんなちゃんとわかってると思いますよ」
「三好さん、マジでマメですよね……」
「そうそう。バイトも含めて、全員にきっちり説明してた」
感心した素振りの言葉に、天馬はつくづく「一成らしいな」と思う。
サプライズを仕掛けることが大好きな人間ではあるけれど、決して独りよがりにならないよう、細心の注意を払うのだ。迷惑を掛けることなく、誰もが笑顔でいられるよう立ち回るのが、一成という人間だと知っている。
映画の撮影スタッフは、アルバイトも含めればずいぶんと大所帯になる。それでも、一人としておろそかにしない。
それは一成のやさしさであり、同時に途方もない強さでもある。天馬はそれを、ずっと大事にしてやりたい。
天馬はあらためて、誕生日の一件で訪れたことを伝えて、仕事の邪魔をしないよう手短に済ませる旨を告げた。
ただ、本題へ入る前に日頃の感謝を口にする。制作部は、ロケの下準備から撮影予算の管理など、円滑な撮影のために欠かすことのできない仕事を担ってくれている。自分たち役者が、何も気にせず演技を行うための土台作りとも言える部署なのだ。
深々とお辞儀をすれば、制作部のスタッフたちは慌てたように声を上げる。ただ、戸惑っているだけで嫌がっているわけでないことは、声から感じ取っていた。天馬は顔を上げると「それで」と言葉を続けた。
「秋崎さんいらっしゃいますか」
進行担当のスタッフの名前を出すと、「え」「名指し」「バレてる」という声が上がる。その反応に、どうやらキーワードを誰が持っているか、制作部のスタッフ間では共有されているらしい、ということを天馬は察した。
スタッフの一人が部屋の奥に声を掛けると、ほどなくして、メモ帳を手にしたポロシャツ姿の男性がやって来る。「お仕事中すみません」と言えば、該当の人物――秋崎はぶんぶん首を振る。
「いや、今なら大丈夫なんだけど――え、待って、俺がキーワード持ってるのわかったの!? 早くない!? 始まってから三十分経ってないよ!?」
もう少し時間がかかるだろうと思っていたようで、予想外に早く天馬が訪れたことへの驚きを口にする。
スタッフからも同意の声が上がり、制作部まではわかったとしても、そこからの聞き込みが発生すると思っていたらしい。そうではなく、単刀直入に名前が出てくるのは想定外だったのだろう。
「ヒントがわかりやすかったんですよ。『お弁当毎日楽しみ!最近新しく車買ったんだって』だったので」
一成からのヒントを告げて、天馬は言う。
現場で用意される弁当は進行スタッフが手配している。一成は毎日「今日のお弁当何かな~」と楽しみにしているし、蓋を開けるたび歓声を上げていた。その話を伝えつつ、だから進行スタッフの誰かであることはすぐにわかった、と言う。
「さらにそこで、最近新車を買った人と言えば秋崎さんだな、と」
「ええ……確かに三好さんにそんな話はちらっとしたけど……よく覚えてるなぁ……」
単なる世間話の一端である。しかも、進行スタッフと役者など、接点が大きいわけでもないのだ。確かにそんな話はしたかもしれないけれど、まさか記憶に残っているとは思っていなかった、と顔に書いてある。
さらに、一成に伝えただけの話を天馬まで知っていたのも意外だ、と言う。二人の仲の良さは知っているので雑談の内に話題になるところまではわかるけれど、まさか覚えているなんて、と。天馬はその言葉に、笑みを浮かべて答える。
「一緒に映画を作るスタッフですから。それくらい、自然と覚えますよ」
心から天馬は答える。確かにスタッフの数は多いし、直接関わりのある人ばかりではない。それでも、一人一人の仕事がなければ撮影は立ち行かない。
表に出るのが自分たち役者であるだけで、その裏にはどれほど多くの人が関わっていてくれるかなんてこと、天馬も一成もよく知っている。
だから、二人で交わす会話の中のちょっとした話だって覚えていた。まあ、そこには多少なりとも、一成の言葉を聞き漏らしたくないという気持ちがないわけではなかったけれど。
「――そう言ってもらえると嬉しいし、キーワードを任せられたのも光栄だなって思います」
天馬の言葉にはにかむように笑うと、ごそごそとポケットを探る。オレンジ色の小さな封筒を渡されて、中を開ければ「ヨ」と書かれたカードが一枚。なるほど、これがキーワードらしい。天馬が礼を言うと、「いえいえ」と首を振る。
「皇さんの誕生日祝いにちょっと参加できたって、家族にも自慢になるし! あ、他のキーワードも探しに行くんでしたっけ」
「そうですね。ここが一番だったので、これから他の所に向かいます」
うなずくと、制作部スタッフたちは「頑張ってください」「早く終わりそう」と楽しそうに言い合っている。その中の誰かが「次はどこに行くんですか」と言うので、天馬は「衣装部です」と力強く答えた。
一筆箋に書かれたヒントは「シャツの刺しゅう手刺しなんだって。メロンちゃんかわいい」。
ヒントの構成は、最初に所属部署、そこから個人を特定する言葉になっていた。
シャツの刺しゅう、というのは遼一郎のオーダーシャツのことだ。カフスボタンの位置にはイニシャルとワンポイントの刺しゅうが入っている。衣装部のスタッフが、染井監督からの要望で手ずから刺繍したことは話に聞き及んでいた。
そこから続く「メロンちゃん」というのは、スタッフの一人が飼っているモルモットの名前である。
衣装合わせの時に何となく話は聞いていたし、一成は写真も存分に見せてもらっており夕食の席などであれこれと情報は入手していた。だから、キーワードを託された人物が誰なのか、天馬はすぐに察したのだ。
衣装部に赴いて、制作部と同じような経緯を辿る。一成が全員に説明した、という言葉通り天馬の登場にすぐに事態を察してくれた。
普段のお礼を告げてから、該当の女性の居場所を尋ねればすぐに出てきてくれる。驚いたように「早いですねぇ」と言うので、もっと時間がかかると踏んでいたのだろう。
「誕生日おめでとうございます」という言葉とともに受け取ったキーワードには、「サ」と書かれていた。
天馬は順調にスタッフを訪ねていく。「本のタイトル凝ってて面白いよねん。最近のブームはスコッチエッグ」というのは、美術部の小道具班だと察しがついた。
スタジオに作られた1LDKのセットにはラックが置かれ、そこには何冊かの本が収納されている。小道具として用意されたそれらは、美術スタッフが制作したものだ。
名作をもじったタイトルに元ネタを二人で当て合った記憶もあるし、その際小道具班と話をした。ちょっとした雑談の中で料理が好きなスタッフがいるという話になり、最近スコッチエッグ作りにはまっている、と言っていた。
交わした記憶を思い出しながら、天馬は該当スタッフの居場所を尋ねる。日頃の感謝を伝えれば、誰もが恐縮した顔をしつつ嬉しそうに受け取ってくれた。
それから、無事に小道具班の若い男性のもとに辿り着く。料理が好きだと言っていたのが彼だった。男性スタッフは天馬の登場に、何度も目を瞬かせて「よく覚えてますね……」とつぶやいていた。
もっとも、すぐに驚きの表情は消えた。「オレの話とか、絶対忘れてると思ったのに」とはにかみながら、ポケットから取り出した封筒を天馬へ渡す。中のカードには「マ」という文字。
三つ集まった時点で、「ヨ」と「サ」と「マ」だけれど、まだキーワードの全貌は見えてこない。
「これからスタジオに向かいます。残りの三つを持っているのは、スタジオ内のスタッフなので。音響さんと照明さんと、あと共演者のうちの一人だと思います」
一連の流れを全て収めていたメイキングカメラマンへ話をしながら、天馬はスタジオに向かって歩いていく。ほとんど迷う素振りもなく、次の目的地を定めている様子にメイキングカメラマンは興味深そうに質問を向ける。
もしかして、ヒントを読んだだけで誰を指しているのかわかったのではないか、と。天馬はその言葉に、苦笑を浮かべて答えた。
「一成のことだから、ちゃんと誕生日プレゼントをもらってほしいってことだと思います。だいぶわかりやすいヒントですからね。スタッフの話から該当の一人を探すなんて、簡単じゃないですか」
映画は、決して一人では作れない。天馬には確かな演技力があるけれど、それだけだ。
撮影を順調に進めるためのあらゆる折衝や雑務ができるわけではないし、作品の中にしか存在しない人間に深みを与える衣装も、世界を構成するための小道具を作ることもできない。
映像を的確に撮影するための技術も能力も持っていないし、物語として話を成立させる手腕も、全てに目を配り、一本の映画作品を俯瞰して作り上げることも、天馬にはできない。自分一人だけしか存在しない世界では、天馬は役者でいられないだろう。
主役として天馬の名前が大々的に喧伝される映画だとしても、その裏側には膨大な人間が関わっていることを知っている。だから天馬は――一成は、スタッフ一人一人のことを当然のように覚えている。
誰が欠けてもこの映画は成り立たないと知っているからこそ、スタッフを大事にするのは当たり前の結論でしかなかった。
だから、一成のヒントを最初に読んだ段階で、すぐに天馬は誰を指すのか察したのだ。
二人で交わした会話が教えてくれる。それは、一成から天馬への確かな信頼でもあった。天馬なら、自分の言葉を覚えていてくれる。天馬なら映画を作る仲間たちのことを、きちんと覚えていてくれる。
揺るぎのない信頼を天馬は確かに受け取ったし、一成の想像は正しかった。だから天馬は、迷う必要なんてなかった。あとはただ、仕事の邪魔にならない順番で該当の人間を探すだけだったのだ。
スタジオに辿り着いた天馬は、そっと中に入る。ちょうどモニターチェック中だったようで、真剣な表情の一成を遠目にとらえてから、目的の人物を探した。
チームで打ち合わせをしているようで、タイミングを見計らって照明班へ声を掛ける。日頃の仕事に礼を告げてから、あらためてスタッフの一人と向き直った。
一成からのヒントは「影の作り方格好いい!漫画めっちゃ詳しい」。
照明の仕事については、カンパニーでもずいぶん近くで見せてもらった。その時から、照明というのは光だけではなく影をも作るのだと教えられた。
だからこそ、影に言及するのは照明班のことだとわかったし、その中で漫画に詳しいと言えば一人しかいなかった。古典と呼ばれる名作漫画から最新のWebコミックまで知識が豊富で、おススメを尋ねれば趣味嗜好を踏まえて答えを返してくれるのだ。
天馬の視線を受け止めて、面白そうに笑ったのはレフ板を構えた女性だった。何の用事かは当然察して、「いや本当に早いね」と言う。「もうちょっとかかるかなぁと思ってたんだけど」と肩をすくめた。
「面白い誕生日プレゼントだよね。ヒントをもとに手掛かりを探って情報集めて――って、皇さんほぼストレートで人当ててるみたいだけど」
もう少し聞き込み要素あるかと思ったんだけどなぁ、と言いながらオレンジ色の封筒を取り出す。「誕生日おめでとうございます」と言って渡された中には、キーワードのカードがあり「イ」と書かれていた。
残りのキーワードは二つ。人物が誰なのか、見当はもうついていた。
染井監督へ目を向けると、一成と何やら話し込んでいる。もう少しかかりそうだ、と判断した天馬はスタジオセットへ近づいていく。メイキングカメラが、その様子を撮影する。
声を掛けた相手は、天馬とも顔見知りの年配の音響スタッフだ。気心の知れたやり取りをしてくれる相手でもある。
他の音響スタッフたちにも日心の感謝を伝えてから、本題を切り出す。一成のヒント「長物武器っぽくね?インステの写真人気あるんだよん」を示してから、「というわけで、キーワードをください」と告げた。
音響スタッフは一瞬の沈黙のあと、笑い声を弾けさせた。
「まあ、確かにガンマイクちょっと武器っぽいかもしれないけど。皇さんと三好さんがそんなこと言ってたとは、ちょっと面白いね」
竿に取りつけられたガンマイクへ視線を向けて、楽しそうに言う。ちょっと子供っぽいやり取りではあるので、それが新鮮だったのだろう。
ただまあ、二人ともくだらない話もしょっちゅうしているので、休憩中に「テンテン、あれ武器っぽくね」「中距離攻撃に使えそうだよな」「槍か薙刀の系譜か~」とか何とか話していた。
だから、音響班を指していることはわかったし、インステについても一成から話は聞いている。
仕事とは全く関係のない、旅先の風景やご当地料理を淡々と投稿するアカウントは、なかなか人気でフォロワー数もずいぶんと多い。
投稿者の素性は全くわからないし、年配の音響スタッフとはあまり結びつかないだろうけれど、彼のアカウントなのだ、と一成が楽しそうに教えてくれた。
言われてみればロケ先との符号もあるし、本人もそこまで積極的に隠してはいないらしい。以前見せてもらった写真と同じものが投稿されているな、と一成に言われてから気づいたのだ。
「キーワードは何個集まったの。皇さんのクリアが早いって秋崎くんから連絡来てたけど」
「これで五つ目ですね。あと一つなので、次で終わりです」
「ここまで来たら、大体キーワードわかるんじゃない? はい、誕生日おめでとう」
そう言って渡された封筒の中から取り出したキーワードは、「ツ」。これまでの言葉を頭に浮かべた天馬は、あれこれと文字を並び替える。もしかして、というものが思い浮かんでいたけれど、決定打があるわけではない。
「これだ、という確信はないので六つは全部集めたいですね。せっかくの誕生日プレゼントですし」
一成が用意してくれたものなら、全部見つけてやるつもりだった。だからそう答えれば、音響スタッフは楽しそうに「うん。応援してるよ」と朗らかに言ってくれた。
天馬はお辞儀をしてから、スタジオセットから出た。そろそろ撮影が始まりそうだからだ。
天馬と入れ違うように、見慣れた1LDKのセットへ続々と役者やスタッフが戻ってくる。その中には一成もいて、天馬を見つけるとぱっと笑みを浮かべた。
楽しそうに、イタズラっぽいまなざしを向けて。束の間のレクリエーションを楽しんでる?とでも言いたげな視線に、天馬はニヤリと笑い返した。
思い出すのは、MANKAI寮で過ごした日々だ。夏組として重ねたたくさんの時間。六人がそろえば何だって楽しくなってしまう、魔法みたいな日々だった。今この瞬間はきっとあの時間の延長線上にあるのだと、天馬も一成も理解していた。
それから天馬は、撮影の始まったスタジオの片隅に向かった。今撮影しているのは、一成とカフェのオーナーのシーンだ。この次のシーンのため、椅子に座って待機している人物に用があった。
「――水瀬さん」
台本を読んでいる人物に、そっと声を掛ける。
水瀬と呼ばれたのは、シルバーグレーの髪を丁寧に整えた五十代の男性だ。遼一郎の生家である大手財閥に連なる人物を演じており、蒼生と遼一郎の口論のきっかけになる役でもある。
天馬とは、以前親子役として舞台で長く共演したことがあるので、親交のある相手と言ってよかった。
水瀬は台本から顔を上げた。天馬とその隣のメイキングカメラマンを認めると、ぱたりと台本を閉じて口を開く。
「ああ、天馬くん。誕生日おめでとう。といっても、正確にはもう少しあとだったかな」
おだやかな口調で言って、傍らの空いた椅子を目線で示す。天馬は目礼をして隣に座ってから、尋ねられた言葉に答えを返す。
「明後日ですね。二十一日なので」
「なるほど。それでいくつになったんだい、我が息子は」
「二十八ですよ、父上」
冗談めいた言葉は、以前共演した舞台での役柄を踏襲している。だから天馬も、同じ響きで返した。三ヶ月ほど親子として板の上に立ち続けた経験はすぐによみがえって、あの頃のような雰囲気が二人を包んだ。
「キーワード持ってるの、水瀬さんですよね」
「三好くんのヒントには何が書いてあったのかな」
「『オーダースーツ作ろっかな。スタントもできるのすごくね』」
一筆箋を思い浮かべて声に出せば、水瀬は楽しそうに笑った。テノールの声が、スタジオの片隅に響く。
オーダースーツの話は一成から聞いていたし、水瀬がスタントの経験がある、ということは本人の口からの情報だ。あまり公にしてはいないけどね、とは言っていたものの隠しているわけではなかったから、一成にもその話をしていた。
「天馬くんの誕生日プレゼントに協力してほしい、と言われた時はどういうことか思ったけどね。面白いことを考えるな、三好くんは」
そう言いながら、懐から取り出したのはオレンジ色の封筒だ。「誕生日おめでとう」という言葉とともに、優雅な所作で差し出す。
受け取った天馬が取り出したカードには、「グ」の文字。天馬は言葉を並び替えて、キーワードをおおむね推察する。染井監督を巻き込んでいることから考えて、方向性は何となく理解していたのだ。
「三好くんは面白い役者だね。ノリが良くてにぎやかなタイプだけど、演技はなかなか繊細だ。こちらの意図を読み取ることが上手いし、本人も何かと気を回すタイプかな」
撮影中の様子へ目を向けた水瀬が、ぽつりと言葉をこぼす。視線の先にいるのは一成で、落ち着いた演技をしているところだった。
普段の様子とはまるで違う雰囲気だけれど、いたって自然だ。素の自分から遠い役柄であろうと、演じられるからこそ役者を名乗っている。だから、一成の演技自体は特別なことではない。
それでも、一成の奥底にあるものを天馬は知っているから、あれは一成の一部を取り出しているのだということもわかっていた。
「そうですね。あいつはあれで、細やかなところがあります。ノリがいいのは嘘じゃないけど、あえてそういう顔もできる。自分の心を差し出すような、そういう自然な気配りができる人間です」
普段の一成や、これまでのことを思い浮かべながら言った。水瀬は「ああ、そうだね」とうなずく。何かを思い出す素振りで、しみじみと。
「この前のファミレスのロケの時も、率先して話しかけてきてくれたのは、たぶんそういうことなんだろう。私はこの作品内で、もっとも反感を持たれやすいキャラクターだからね。だからこその気遣いかな」
対立する役柄だからといって、そのまま現実世界に持ち込むことはない。だけれど、どこかでぎこちなさが生まれることも否めない。場合によっては、あえて親密さを減らすことも役作りとして必要かもしれないけれど、今回はその限りではなかった。
だから一成は、明るく水瀬へ話しかけた。何でもない雑談をして、SNSでも二人の写真を投稿して。
気遣いであると、恐らく一成は思っていない。必要のない溝が生まれることを望まない人間だし、自分にできることがあれば率先して取り組むだけだ。
だけれど、そうやって明るく笑うことだとか、気さくに話しかけることで連れてくる光があることを天馬はよく知っている。
まぶしい気持ちで、天馬は芝居をしている一成へ視線を向けた。たった一人の特別だとは、思われないように細心の注意を払って。だけれど、友人として大切な存在であることは周知の事実だから、大事な夏組の一人を見つめるまなざしをそそぐ。
水瀬はそんな天馬の様子に「良い友人に恵まれたようで、父としては嬉しいよ」と冗談めいた様子で言った。