スウィートホーム・シンフォニー 18話




 フライパンには、ふっくらと分厚い、まあるいパンケーキが一つ。きれいなきつね色は目にも美味しそうで、焼きたての甘い匂いは部屋いっぱいに広がる。
 フライ返しを手に持った天馬は、深呼吸をしてから皿の上へパンケーキを移した。
 くすんだ青色の平皿は陶器でできており、縁の部分に装飾がほどこされている。シンプルなパンケーキ一つでも、おしゃれな雰囲気が漂う。

「めっちゃきれいに焼けたねん! テンテン、上手~!」

 隣で天馬の様子を見守っていた一成が、ぱちぱちと両手を叩く。
 子供をあやすような口調に反論をしようと思ったけれど、褒められること自体はまんざらでもなかった。なので「まあな」と答えると、一成はしみじみと言う。

「マジで上手くなったよね。最初はさ、そもそもこんなに丸く焼けなかったし引っくり返せなかったじゃん」
「思い出さなくていい」

 一成の言葉に、天馬は思わず顔をしかめた。
 自分の醜態ならよく覚えている。フライパンに落としたところで、いびつな円になるだけだったし上手く焼けずに焦げつかせた。形の崩れたパンケーキとはたびたび対面していたのだ。一成は面白がっているだけで馬鹿にしているわけではないとわかっていても、積極的に覚えていてほしい記憶でもなかった。
 一成は天馬の言葉に「おけまる~」と肩をすくめる。それから、あらためて皿の上のパンケーキへ向き合うと、明るい響きで言う。

「そんじゃ次はトッピングだねん! テンテン、どれ使う!?」

 嬉々とした一成の視線が向かうのは、作業台の上。水切りヨーグルトやイチゴジャム、ベリー類にバナナ、シナモンシュガーやシロップなどが並んでいる。

「カロリー気になるならフルーツ多めがおススメ! もうちょっと甘くしたかったらヨーグルトとかシナモンシュガーとかかな~。ジャムとかシロップたっぷり使うのは、夜には向いてないかも?」

 軽やかな口調で言うのは、夜遅い時間帯にパンケーキを食べようとしているからだ。
 今日は撮影の時間が押して、その後のスケジュールがずいぶん過密だった。加えて、最後に受けた二人そろってのインタビューは思いの外長くなり、帰ってきた頃にはずいぶん遅い時間になっていた。
 結果として、今日は忙しさのあまりほとんど何も食べていなかった。移動の際も慌ただしく、車中でもわずかに栄養補助食品を口にしたくらいだ。もっとも二人とも、忙しさには慣れている。一日くらい食べずとも、体は動くとわかってはいたのだけれど。
 帰宅するなり、一成は言ったのだ。――こんなに頑張った日なんだから、今日はちょっと美味しいもの食べよ!
 それから始まったのはパンケーキ作りだった。
 そこまで手の込んだレシピではないし、ガッツリ食事を取るのは時間的に避けつつも、それなりにお腹に溜まるもの、という選択らしい。もっとも、作り置きの総菜を食べることだってできたのだけれど。
 一成ははにかんで「テンテンと一緒に何か作る方が、絶対元気になれるもん」と言うし、それはその通りだな、と思ったので天馬は素直に従った。

「テンテンはバナナがメインな感じ? ならオレはヨーグルトとイチゴジャムかな~」

 嬉々とした調子の一成は、デザインセンスを遺憾なく発揮してヨーグルト見栄えよく飾りつける。隣の天馬は、バナナを薄く切っているところだ。キッチンは充分な広さがあるし、作業台もずいぶんと大きい。二人が肩を並べても、余裕を持って飾りつけができる。

「パンケーキはお豆腐入れてヘルシーにしてるし、ヨーグルトはカロリー控えめだけど甘さもあるし、食感生クリームっぽくておススメだってまっすーが言ってたよん!」

 鼻歌混じりにデコレーションしていく一成の言葉に、天馬は思わず「真澄か」とつぶやく。レシピの類は臣から聞くことがほとんどだけれど、そうではなかったことが意外だったのだ。その気持ちを、一成は理解しているのだろう。種明かしするような調子で言葉を続けた。

「まっすーさ、カントクちゃんの夜食用にヘルシーメニュー極めてるんだって」

 うきうきとした雰囲気で言われて、天馬はスライスしたバナナをパンケーキに並べる手を止めた。なるほど、という納得とさすがだな、という感嘆が胸に沸き上がって、思わず笑みが浮かぶ。

「真澄らしいというか、本当にブレないな」
「ね!? ちゃんと寝てほしいし無理はさせたくないけど、どうしても食事が遅くなった時も罪悪感なく食べられるように、レシピいっぱい研究してるらしくてさ。愛が深いよね~」

 ヨーグルトの上につややかなイチゴジャムを乗せながら、一成は言う。真澄から監督へ注がれる愛情は、年月を重ねても衰えることはない。それどころか、深く豊かに広がっていることをカンパニーメンバーは全員理解していた。
 なので、天馬は心からうなずいて再び手を動かし始める。目の前のこのパンケーキは、真澄の向ける愛情の一部なんだな、と思いながら。

「それにしても、真澄もだいぶ丸くなったよな。最初の頃だったら、監督のためのレシピなんて教えてくれなかっただろ」

 出会った当初のことを思い出して、しみじみ天馬は言う。入団したばかりの真澄は、監督以外の人間なんて眼中にないという態度だった。
 だけれど、時間が経つにつれその愛情は周囲にも広がっていった。監督が一番ということは変わらなくても、カンパニーへの愛もしかと持っているのだ。わかりにくさは否めないけれど。

「まっすー、ちゃんとオレらのこと大好きだかんね!」

 ベリーをデコレーションした一成は、ブイサインで答える。絶対の真実を語る口調は、真澄の気持ちを一片だって疑っていない。ヨーグルトに手を伸ばした天馬だってそうだ。だから、「そうだな」と大いにうなずいた。

「あとまあ、まっすーの場合オレのこと安全パイだと思ってるのもあるかも。テンテンもかな」

 かんせーい、と楽しそうに言ってから、一成はそう付け加える。ヨーグルトをパンケーキに乗せる天馬が「安全パイ?」と尋ねれば、一成は笑みを含んだ唇で答えた。

「そそ。オレら、絶対まっすーのライバルにならない認定されてるから」

 あっけらかんと告げる一成曰く、昔に比べて真澄の態度が軟化したように思えて尋ねてみたことがあるらしい。真澄は基本的に、一成に対して「うざい」「面倒」とつれなかったのに最近そうでもなくない?と。

「『一成の相手は天馬だけだから』だって! まあ、連絡多すぎうるさいとかは言われるけど!」

 明るい言葉で真澄の言葉を伝える一成も、それを受け取る天馬も、どんな気持ちで真澄がそう言ったのかはわかっていた。
 真澄をはじめとしたカンパニーメンバーは、天馬と一成がともに人生を歩む決意を知っている。たった一人。この人だけだと思い定めた。そんな相手がいるのだから、監督への恋のライバルになることはない、と真澄は認定している。
 それは、真澄からの揺るぎない信頼だ。天馬と一成。二人の間にあるものを、一つだって疑わない。互いに向けられる愛情を、この世界のたった一人への気持ちを、当たり前のように信じているからの言葉だった。

「真澄が言うと、説得力があるというか――嬉しいな」

 ぽつりと言葉をこぼせば、一成は唇をほころばせる。「まっすー、愛の伝道師って感じだからねん!」と言うのは、心からのものだろう。揺るぎのない愛をずっと抱えてここまで歩いてきた人だと知っている。そんな彼から贈られる言葉は、強く胸に響いたのだ。
 その事実を抱きしめるような気持ちで、一成はやさしい笑みを浮かべる。それから、そっと距離を詰めて天馬に寄り添った。肩や腕が触れて、テンテンがいるんだなぁ、とあらためて一成は思う。
 広いキッチンに、夜も遅い時間帯に二人きり。
 以前なら、明日も仕事があるから、と夜をともにすることなくそれぞれの家に帰ることが多かった。だけれど、今は違う。二人は同じ家に帰るのだ。だからこそ、思い立ってパンケーキを作ることだってできる。
 こんな風に二人で過ごせることの喜びを知っている。
 目の前には、二つ並んだパンケーキ。分量を量ってボウルに入れて、二人で交代して混ぜた。フライパンに落とす時はまあるくなるよう気をつけて、少し分厚めのパンケーキはきれいなきつね色。思い思いのデコレーションをして、二人らしいパンケーキができあがった。
 二人並んで、これからもこんな風に過ごすのだ。同じものを見て、肩を並べて、それぞれの形を大事にしながら。
 言葉にはならない気持ちを、天馬は受け取る。一成に手を伸ばして、ゆっくり肩を抱き寄せた。