スウィートホーム・シンフォニー 31話
パーティーを終えて、天馬と一成は家へと帰ってきた。二次会や三次会に流れる人もいたようではあるけれど、いかんせん多忙な人間が多い。適度な時間で切り上げる者がほとんどで、二人も例に漏れなかった。
「楽しかったねん!」
赤い顔をした一成が、にこにこと笑ってソファに腰掛ける。スーツを脱いでネクタイを緩めた天馬も、隣に座った。
「結構飲んでただろ。酔ってないか」
「ちょっと酔ってるかも! でも、途中で風にあたってから平気~」
「ああ……。監督もいないし、どこ行ったかと思ったら二人で盛り上がってて驚いたぞ」
思い出しているのは、パーティー会場で一成の姿がないことに気づいた時だ。染井監督もさっきから見かけない、なんて話も聞こえてきてどこに行ったのか、と首をかしげていた。すると、噂の二人が庭から戻ってきたのだ。やたらと和気あいあいとして、大いに盛り上がって。
「MANKAIカンパニーの話とか、いろいろしてたんだよねん。染井監督、めっちゃ詳しかったよん!」
過去公演も見られるだけ見ているようで、一成と大いに盛り上がったのだ。
話の内容はもちろん演出や衣装、フライヤーデザインに至るまで話題は豊富で、途切れることはなかった。染井監督と交わした会話について嬉しそうに話す一成の言葉を、天馬は笑みを浮かべて聞いている。
「あと、この家のこととか! なんで染井監督がオーナーになったのかとか、その辺いろいろ聞かせてもらって面白かったよん!」
「それはオレも興味あるな」
「でしょ~?」
きらきらした表情で答えて、一成はくすぐったそうに笑った。それなりにお酒は飲んでいたようで、顔は赤いしテンションも高めだ。ただ、口調が変わることもなかったし、意識はしっかりしているのでそこまで酔ってはいないのだろう。
「デザインとかもこだわってるし、それぞれの部屋で内装も違うんだって。面白いよね。庭も部屋ごとに変えてるから、この庭はここだけなんだって」
言いながら視線が向かうのは、ガーデンライトに照らされた庭だ。天馬も同じように視線を移し、庭の風景を見つめた。
ウッドデッキの向こうに広がるのは、ほのかな明かりと共に、夜にたたずむ木々たち。丸い樹形のヤマモモが、木枠の窓の中心に立って、額縁の中の絵のようだった。
あの木の下で、二人で木漏れ日を浴びた。寄り添って光の中に座って、他愛ない話をしていた。夜の庭で夏組と過ごした。寮の毎日の続きみたいに、みんなで笑った。
一成と二人でこんな風に庭を眺めて、静かな夜を過ごして、あたたかな体温を分かち合った。二人で過ごした日々が庭の風景と重なる。
一成は隣に座る天馬へ体を預けた。寄りかかるように、天馬の肩にもたれる。それから、そっとつぶやいた。
「映画も無事にクランクアップだね」
それまでのテンションの高さではなく、夜に染み入るような声だった。静かに、やさしく。丁寧に織り上げていくように言葉を続ける。
「あっという間だったよね。染井監督と寮で会ってさ。顔合わせして、台本もらって。この家案内してもらって、制作発表があって。ちょっとだけアクシデントもあったけど――無事に終わってよかったよねん」
唇にやわらかな笑みを浮かべた一成は、思い出を取り出す素振りで言う。
完成した絵が損なわれたこと、一成が絵を描き上げたこと。無理がたたって、撮影中に体調を崩したこと。全てが順調ではなかったけれど、きちんと乗り越えてきたからこそ、クランクアップを迎えることができたのだ。
まだ映画は完成してないけれど、最後まで駆け抜けたことは間違いない。必ず辿り着けるとは限らないから、クランクアップを祝えることは、決して当たり前ではない。
「そうだな。オレの持てる力は全部注いだが、今回は一成がよく頑張ったと思う」
ぴたりと寄り添う一成の頭を撫でて、心から告げた。
天馬とて手を抜いたつもりはないし、事実として力の全てを作品に傾けた。ただ、今回はそれを上回るほどに一成の努力が群を抜いていた。持っている力の先、ハードルも壁も飛び越えて撮影に臨んでいた。
「へへ、テンテンに褒められた」
撫でられた手のひらを気持ちよさそうに受け入れて、一成は目を細める。天馬は唇に浮かぶ笑みをいっそう深くして「いくらでも褒めてやる」と答えた。一成が楽しそうに笑う。
「みんなで頑張ってさ。全員めっちゃ一生懸命で、現場行くのも楽しかったな。まだ完成じゃないけど、もう撮影ないのって変な感じ」
「まあな。ほとんど毎日スタジオに通ってたから、明日から行かないと思うと不思議な気分だ。編集次第で追加の撮影はあるかもしれないが、もうあの規模での撮影はないだろうし」
一成の言葉に、天馬もしみじみと答える。
クランクアップということは、もう撮影のために現場を訪れることはないのだ。多少の追加撮影があるとしても、今日までのスタッフが全員そろうことはないだろう。
無事にクランクアップを迎えた時点で、染井監督が率いる「浅い春のカノン」撮影班は解散になる。
天馬の誕生日を祝って、何かと天馬や一成と雑談を交わして笑っていた。誰もが全力で己の仕事を全うして、一つの作品を作り上げたスタッフもキャストも、明日からは次の現場へと散り散りになっていくだろう。
「――何かちょっと寂しいね」
目を伏せた一成は、憂いを帯びた表情でつぶやく。無事にクランクアップを迎えられたことは嬉しい。全ての撮影を終えられたこと、作品が完成に向かっていることは高揚もするし、幸せな気持ちになる。
だけれど、それは今日までの日々の終わりを告げてもいる。誰もが情熱を持って撮影に臨んでいた、スタッフやキャストとも別れなくてはならない。
「みんなともう撮影できないんだって思うと、ちょっとしんみりしちゃうかも」
寂しげな笑みを浮かべて一成は言う。
一成はどんな現場でも、スタッフやキャストとすぐに仲良くなる。その後も個人的に連絡を取り合ったり、別の現場で再び仕事を共にすることもあったりするから、全てが終わりになるわけではないこともわかっている。それでも、確かな別れに寂しさを覚えるのだろう。
「テンテンとずっと一緒の現場も嬉しかったし。本当にずっと一緒だったじゃん? 楽屋もだし、休憩時間もテンテンと話とかできてさ、めっちゃ楽しかった」
ぱっと視線を上げた一成は、天馬へ顔を向けて言った。唇には笑みを浮かべて、暗くなってしまいそうな空気を打破するように。それから、いっそう強い明るさで、冗談みたいな軽口で続けた。
「役作りも終わりだから、この家ともお別れだなって思ったら、余計に切ないみたいな!」
悲しそうな顔をしないでいよう、と一成は思ったのだろう、と天馬は察している。
無理に心を殺しているわけではない。たとえ別れの場面でも、悲しみだけに彩られることを一成は望まないのだ。そこにあった嬉しいことも幸せなことも、塗りつぶしてしまわないよう笑顔でいようとする。
きっと一成は決意とすら思っていない。だけれど、そうやって美しいものを、大事なものを、愛したものを忘れずに抱きしめようとするところを、天馬は大切に思って止まない。
その気持ちを胸に抱きながら、天馬は一成を見つめた。
「そのことで話がある」
隣に座る一成へ真正面から向き合った。真剣な表情で告げれば、一成は目をまたたかせて天馬を見つめた。どうしたんだろう、といぶかしみつつも真剣に話を聞こうとしてくれる。
天馬は深呼吸をしてから、ゆっくり告げた。
「一成、ここをオレたちの家にしないか」
ずっと考えていたことがあったのだ。
役作りのため、期間限定で住む家だと知っている。だけれど、少しずつ二人の思い出が積み重なっていく。ささやかな毎日が、何でもない日々が、この場所であざやかに色づいていく。
それを確かめるたび、思っていたことがあった。天馬は落ち着いた口調で、染井監督と話した内容を伝える。
「他に借り手がいるわけじゃないってことは確かめた。家賃だとか、それ以外の条件だとか注意するところだとかも、大体聞いたが問題はないと思う。染井監督も、オレたちが住むことは歓迎してくれてる。だから、あとはオレたちの意志だけだ」
一成は天馬の言葉に、ぱちりと目をまたたかせる。内容が意外というより、いつの間にそんな話をしてたんだろう、と思ったからだ。天馬と染井監督が話をしている場面は見かけたけれど、てっきり芝居の話をしているのだろうと思っていた。
「――テンテン、そんなことしてたんだね」
意外な気持ちのまま言えば、天馬ははにかむ笑みを浮かべる。「前から考えてはいたからな」と答える様子は、どこか誇らしげだった。
「ただ、正式に話をしたのはこの前だ。クランクアップ前後くらいだな。染井監督は驚いてたが、むしろ喜んでくれたから話自体はすんなり通ったけどな」
あらためて話を切り出した天馬に、染井監督は驚きを浮かべてはいた。ただ、借り手もいない部屋であること、丁寧に住んでくれていることは知っていたので、「むしろこちらからお願いしたいくらいですよ」と言ってくれたという。
それから、撮影の合間に賃貸契約の詳しい内容について、天馬にあれこれ説明していたらしい。休憩時間中に、真剣な顔で話をしているな、と一成は何度か思っていたけれど、その内のいくつかは家についての話だったのかもしれない。
「なら言ってくれればよかったのに! もしかして、テンテン的サプライズ計画!?」
明るい笑顔を浮かべた一成は、冗談の響きで言った。実際に不服の気持ちがあるわけではなく、からかうような気持ちで告げただけだ。理解している天馬は、苦笑を浮かべて答える。
「染井監督の事情もあるからな。変に先に言って、ぬか喜びさせたくなかったんだよ」
どうしても出て行かなければならない、ということだって考えられる。条件によっては、長く住むことは難しいという結論になるかもしれない。
先に告げることで一成をいったん喜ばせてから、「ダメだった」とは言いたくなかったので慎重になったのだ、と天馬は言う。
大事にしたい。悲しい顔をさせたくない。喜んでほしい。真っ直ぐと伝えられる事実に、一成はくすぐったそうに笑った。それを見つめる天馬は、あらためてといった調子で口を開いた。重々しく、とても大切なことを伝える口調で。
「なあ、一成。リビングにはプロジェクターを用意して、旗揚げの公演から全部見るんだよな」
何かを確かめるような素振りで、天馬は言った。一成の瞳を正面から見つめて、心の全てを取り出して告げるような雰囲気で。
「夏組の公演ポスターもたくさん飾ろう。飾りは好きにしていいって言われてるし、広いから飾る場所はたくさんある。他のポスターだって、気分で変えるのもいいかもしれないな」
周囲へ視線を向けて、天馬は言う。
広いリビングだ。比例するように壁の面積も大きいので、確かにポスターを飾る場所ならいくらでもあった。リビングいっぱいに公演ポスターが並ぶ様子は壮観だろう。今までの思い出が、いつだってあざやかによみがえる。
「プラネタリウムをまた映すのもいい。買ってくるんじゃなくて、今度は自分たちで何か作ってみるもの面白いんじゃないか。一成のことだから、やたらと本格的な菓子作り始めそうだ。せっかくプロジェクターもあるんだし、好きな映画も見よう。オレの見せたい映画を選ぶから、一成もオレに映画を選んでくれ」
真剣な雰囲気で、だけれどほころぶ笑みをたたえて天馬は告げる。その意味を、一成はしかと理解している。
この言葉は、天馬からの答えだ。一成はぎゅっと唇を結んだ。同じくらい真剣な表情で、天馬の言葉を受け取るのだという意志で見つめ返す。
「キッチンが広いと、一緒に料理できていいよな。せっかくだから、作ったことないものにも挑戦してみるか。昔に比べてオレも料理ができるようになったってことは、一成だってよくわかってるだろ」
「――うん。テンテン、めっちゃ頼りになるよねん」
いたずらっぽく問いかけられて、一成はやわらかく笑って答えた。出会った頃は不慣れだった家事だって、今では立派な戦力だ。一緒に生活していく中で、一成はその事実を体験として知っていた。
天馬は満足そうにうなずくと、さらに言葉を継ぐ。
「お前が忙しい時は、部屋に料理も運んでやる。紅茶だって入れてやるし、リクエストがあれば言え。お前が絵を描くのに、少しでも力になれたら嬉しい。でも、根を詰めすぎるのは心配だから、適度に休憩は取らせるからな」
「うわ、テンテンが言うと絶対ガチのやつじゃん」
「当然だろ。最近は自分で調整できるようになってるのは知ってるけどな」
おどけたように言ったところで、どうしたって声が甘くなってしまうのは仕方ない、と一成は思う。だってこの言葉は、天馬からの何よりの答えだ。
熱を出して、ホテルのベッドに寝入っていった。ふわふわとした意識は、理性が曖昧で本音はたやすくこぼれていった。あの時告げた言葉を、天馬は一つ一つ拾いあげて今答えにしてくれている。
「晴れた日には庭で過ごそう。ヤマモモの木の下で、お前が絵を描いてる。オレは隣で台本を呼んでるから、時々エチュードでもしよう。どんな芝居になるか楽しみだ。木漏れ日も通る風も、光の全ても詰め込んだみたいな、そういう芝居ができるかもしれない。お前と二人なら、きっと新しいものが見られる」
嬉しそうに白い歯をこぼして、天馬は告げる。あのヤマモモの木の下で、降り注いだ光をまとうみたいだ、と一成は思う。陽光を一心に浴びて強く輝く。まるで太陽みたいな、誰よりも大事な人だと知っている。
まぶしい気持ちで見つめていると、天馬はさらに言葉を続けた。やさしくて、やわらかで、同時に何かに誓うみたいな強さで。
「今年はならなかった実も、来年はなるだろ。ヤマモモのジャム作るんだよな。一緒に作って、あいつら呼んで食べさせてやろう。その内、それが恒例になって、夏になったらヤマモモの季節だって話になる。そういうイベントを、たくさん増やそう」
言った天馬は、真正面の一成に手を伸ばした。両手をぎゅっと握りしめる。大事なものをそっと包み込むような手のひら。一成は、同じ強さで天馬の手を握り返した。
天馬は少しだけ笑ってから、一成の瞳を見据える。強い輝きを宿す紫色が、一成の若草色と混じり合う。
「これから先、春も夏も秋も冬も、何回だって一緒に過ごすんだ。長い時間を二人で積み重ねていくんだ。思い出したら照らしてくれるみたいな、ずっと見守っていてくれるものを、オレたちでたくさん作っていこう」
決意するように、一つ一つの言葉を天馬は告げる。これから先の未来。一成が熱にほどける本音で告げたこと。あの夜の全てを天馬は思い浮かべて、返事を誓いに変えて言うのだ。
「お前の描いた未来を、オレも一緒に見たい。だから、オレたちの未来にこの場所があるなら、ここをオレたちの家にしよう」
ほほえみを浮かべて、天馬は告げる。一成の手を握って、凛とした決意とやわらかな愛おしさをたたえて。一成はそれを真正面から受け取る。天馬の手をより強く握った。
見たいものがあった。いつかの未来の景色。降り注ぐ光の下で、太陽みたいに笑う天馬。それをずっと隣で見ていたい。木漏れ日が落ちる。風が通り抜ける。瑞々しい緑に染まって、梢の音が心地いい。
ここで過ごした毎日を形にするような、あの風景。何もかもを絵筆に閉じ込めて、大切に抱きしめていたかった。あれは、今日までを過ごした日々であると同時に、思い描いた未来だ。いつかの未来にも、見ていたい風景だ。
答えなんて、とっくに決まっていた。一成は天馬の両手を強く握って、真っ直ぐとまなざしを向けた。光で紡いだような、やわらかくにじむ色をたたえて、ゆっくり深呼吸をした。
二人の大事なものを持ち寄って、一つの家になっていった。思い出が増えて、日々はあざやかに色づいていく。やさしく全てを見守るのは、これから先もずっとたたずむ庭の風景だ。長い時間を蓄えて生きる木のように、二人のこれからは年輪を重ねて育っていく。
一成は、光がこぼれるように天馬へ答えた。
「――うん。ここがオレたちの家だよ」
二人で過ごす場所だ。少しずつ一つの家になって、この場所で思い出が増えていく。未来を描いた時、この家がこの庭があってほしかった。見たい風景はこの場所だった。だから、答えなんてとっくに決まっていた。
ここがオレたちの家だよ。オレたちの未来だよ。