終演までは、どうかワルツを。 03話
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個展用の日本画制作が、大詰めを迎えていた。
一筆ずつ、ゆっくりと色を重ねていく。筆の先まで神経を行き渡らせて、頭の中にしかなかった世界を形作っていくことは一成の心を浮き立たせるものではあったけれど、いかんせん集中力が必要である。
普段ならば事あるごとにチェックしているスマートフォンもオフにして、一成はアトリエ代わりのガレージにこもっていた。食事を抜いて倒れた前科があるので、簡単な軽食はつまんだものの、ぶっ続けで作業を行い、満足のいくものが仕上がった。
ガレージから出てきたのは、二十時をずいぶん回ったころだった。
体はバキバキと鳴っていたけれど、充足感が満ちている。一成は、とりあえず何かを飲もう、と冷蔵庫を開けながらスマートフォンの電源をオンにした。流れるような動作でSNSのチェックをしようとしたところで、メッセージアプリの通知に気づく。タップすると、メッセージが三つ。
太一から「カズくん、これ大丈夫ッスか? 天チャンにも連絡したッスけど、連絡つかなくて……>>URL」
至からは「有名人乙>>URL」
千景からは「手を貸そうか」
一気に血の気が引いたのが、自分でもわかった。
なぜ今ここで天馬の名前が出てくるのか。大丈夫かとはどういうこと。手を貸すとは一体何に対してなのか。
冷たくなった指先で送られたURLをタップする。リンク先は芸能ゴシップ誌のWebチャンネルだった。あまり聞いたことのない誌名だ。
近頃の雑誌はWebとの連携が当然だし、小さな出版社では紙媒体よりもWebを主体とする例が増えてきている。恐らくこのチャンネルもその類で、ネット記事をメインに時々配信を行っているらしい。
耳の奥でこだまする心臓の音を聞きながら、一成は画面に目を走らせる。全体的にごちゃごちゃとした印象のWebページ。
その中でも、一際大きな見出しは「皇天馬に同性の恋人発覚!?」という記事だった。
息が苦しくなって、一成は自分が呼吸を止めていたことに気づく。慌てて息を吐き出し、それから意識的に呼吸をしながら、記事を読み進める。
――老いも若きも虜にし、抱かれたい俳優ランキングでV3を達成したイケメン俳優皇天馬(26歳)。テレビや映画、インターネットと日本全国どこでも顔を見ない日はないほどの超人気俳優だが、その恋愛事情が謎に包まれていることは業界内でも有名な話だろう。
記事では、天馬が今までに噂されたことのある女優の話に触れ、熱愛報道はあってもそのほとんどがただの話題作りに収束されるなど、浮いた話がないことをまとめている。
そこから、天馬の恋愛事情に対しての根拠のない憶測などが並んでから、話は本筋に戻ってくる。
――しかし、本誌記者は皇が郊外の住宅へ夜な夜な通っていることを突き止めた。都内の高級マンションから、自家用車で通う先には一体何があるのか。あとを追うと、衝撃の事実が待っていた。
画面をスクロールすると、少し粗いカラー写真が飛び込んでくる。
玄関先の明かりに照らされるのは、サングラスをかけた天馬の横顔。そして、鼻が触れそうな距離にいるのは、まぎれもなく一成だった。
ああ、と一成は声を漏らす。どこから撮られたのかは定かではないけれど、恐らく遠景カメラを使用したのだろう。それでも顔の認識はきちんとできる。最近のカメラは性能がいいな、と現実逃避した頭で思う。
写真は連続で撮られていた。近い距離で見つめ合うような二人の姿。天馬の腕が一成の背に回されている。一成の手は天馬の腰に添えられていた。鼻先が触れそうな二人は、まさしく恋人同士に見える。
――玄関先で抱き合う皇。お相手は、皇と同じくMANKAIカンパニー夏組に所属する三好一成(29歳)だ。ドラマや映画だけではなく、日本画家・グラフィックデザイナーとして知られており、皇が学生時代から親交がある。ただ、この写真から見てわかる通り二人がただの友人でないことは明白だろう。
記事は連続写真から、二人は恋人同士であり逢瀬を重ねるために皇天馬が三好一成の自宅を訪れている、と断じていた。
――どんな女優とも熱愛報道が出なかったこともうなずける。皇の恋人である三好は間違いなく男性だ。数多くの恋愛ドラマに出演し、女性のハートを奪った皇。しかし、実は同性の恋人と逢瀬を重ねているという事実は、視聴者に対して不誠実と言えるのではないか。果たして同性の恋人を持つ皇に、今後恋愛ドラマがオファーされるのか。引き続き注視していきたい。
記事はそこで終わっていた。
一成は大きく息を吐き出し、今読んだ記事の内容を反芻する。言いたいことは山ほどあって、胸中には言葉がうずたかく積もっていた。
(隠し撮りはどうかと思うしテンテンの今後はもっと別のところに注目してほしいし、大体これ抱き合ってないし!)
写真は自宅の玄関先であり、帰宅する天馬を一成が見送りに出てきた時のものだ。大通りから少し離れた場所に位置しており、近くには公園があり夜はほとんど人気がない。こっそり天馬が訪れても、騒ぎにならないのは確かだ。
しかし、家の中ならいざ知らず外で抱き合うなどということをするわけがなかった。大人の分別ならとうについている。慎重さが必要とされる関係性であることくらい理解しているのだ。屋外で堂々と抱き合うほど天馬も一成も馬鹿ではない。
(あーもー、これオレがつまずいたからキャッチしてくれた時だよね!?)
玄関は段差があるため、急いでいる時によくつまずいていた。恐らくこの時も、そのまま地面にダイブしそうになったので、とっさに天馬が受け止めてくれたのだ。連続写真の内で「それっぽいシーン」を切り取っただけで、全体を通して見れば天馬が一成を助けた、という絵面にしかならないはずだ。
ただ、天馬曰く「ゴシップ記事は火のない所に煙を立てるのが仕事」なので、これ幸いと記事にしたのだろうと察した。
天馬はこれまで、大きなスキャンダルを起こしたことがない。
誠実な性質であることが大きな理由で、実は方向音痴だとかイメージに似合わず盆栽が趣味だとか、そういうギャップはあっても、本格的な醜聞とは縁遠い。
せいぜい話題作りも兼ねた女優との噂話が出ても、本格的な熱愛報道になる前に消えてしまっていた。
なので、世間一般的に皇天馬のイメージは至ってクリーンなものだったし、同時にその手の人間からすれば彼の一大スキャンダルがつかめたなら、大スクープとなるのだ。
だからこそ、火のつきそうな素材が手に入ればとりあえず燃やしてみるのだろう。
一成は開けっ放しだった冷蔵庫から、常備しているミネラルウオーターを取り出す。一気に流し込んでから、素早くスマートフォンを操作してWebやSNSへ目を通した。
「さすがはテンテンって感じ……?」
思わずつぶやきが落ちたのは、SNS上ではそれなりに話題になっていることを理解したからだ。
「皇天馬」の名前が急上昇トレンドに入り、関連する言葉は「熱愛」「同性」「恋人」。トップに表示されるのは件の熱愛記事である。
恐らく、女性との熱愛報道でも相当な話題になる。皇天馬の名前にはそれくらいの力があるし、恋愛方面の記事が出ない天馬の熱愛報道というだけでレア度が高い。
さらに話題性に拍車をかけたのは、相手が同性という点だろう。ただの熱愛報道でも放言は飛び交うだろうけれど、恋人が同性というのは確実に想定外の事態だ。広がった混乱は、人を饒舌にさせる。それゆえ、SNS上では自身の感想を述べたり他人の意見を求めたりする人間がいつもより多く現れていた。
加えて、相手が一成であることも注目度を高める一因になっていた。
これが単なる一般人であれば、熱心なファンによる感想やコメント、無責任な噂話程度で収まったかもしれない。相手のことが何もわからなければ、話を続けるのは難しいものだ。
しかし、三好一成である。
皇天馬のことを少し詳しく知れば出てくる、夏組のメンバー。自身のSNSでは当人の写真をよくアップしており、親交が深いことは周知の事実。日本画家にグラフィックデザイナー、役者の顔を持ち、多くのメディアに露出している。どんな存在なのかを知る人間は数多かった。
つまり、根拠のありそうな噂話をでっちあげるには都合のいい素材がたくさん転がっている。
「うわー……仕事はやいな……感心してる場合じゃないけど……」
思わずつぶやいたのは、「皇天馬と三好一成の熱愛写真まとめ」「皇天馬・三好一成はいつから恋人同士?」などの文章とともに投稿されていく、Webサイトの更新記事を目にしたからだ。
サムネイルから推測するに、一成のSNSから持ってきた写真を使って適当な記事をでっちあげているのだろうと察することができた。果たしてこれを信じる人がいるのかは疑問――と言いたいところだったけれど、人間は案外信じやすい生き物であると一成は知っている。
息を詰めながら、一成は指を滑らせてSNSをチェックする。
案の定、写真のまとめ記事を引用しての感想が次々と投稿されていた。並ぶ言葉たちは、ほとんどが皇天馬ファンのものだった。
一番多いのは困惑。本当なのかな。何かショックかも。嘘じゃなくて?本当に? 恋愛報道とか信じられない……。
次に記事への怒り。プライバシー侵害だよね。嘘だとしたら名誉棄損じゃないの。勝手なことを言わないでほしい。
それから擁護。夏組仲良しなだけじゃない? カズナリミヨシ、スキンシップ過多だから……。
概ね九割は否定的で、熱愛報道は歓迎されていない。ファン心理にも色々あるだろうけれど、天馬のファン層から考えればそれも予想の範囲内だったので比較的冷静に受け止められた。
ただ、覚悟はしていても心臓に刃物を突き付けられるようだったのは、端的な嫌悪だった。
「男同士とかマジできもい」「一億歩譲っても女優でしょ」「なんで男なの???意味わかんない」「男同士で恋愛とか普通に気持ち悪いしファン辞める」……。
仕方ないと思った。
最近ではずいぶん理解も広まってきたとはいえ、何をどう努力したってマイノリティーであることは変わらないし、嫌悪を持つことを否定はできない。一成が天馬を好きだと思うのが許されるならば、それを拒絶することだって許されるはずだった。
一成は深く息を吐き出し、さらに画面をスクロールさせる。
ファン以外のコメントは比較的冷静なように思えた。ただ、時々現れる「男同士」という点への揶揄に一成は眉を寄せる。
件のまとめ記事を引用して、「男同士とかないわーwww」「女選び放題なのに男を選ぶとか皇天馬って馬鹿?」「人生大勝利してそうなのに、恋人男ってだけで全部台無し」「一気に羨ましくなくなるw」……。
それは特に皇天馬のファンというわけではない人たちから発せられている。単なる感想なのかもしれないけれど、一成は理解する。画面に並ぶただの文字。それなのに、その向こうから投げつけられる感情がハッキリとわかる気がした。
――これは悪意だ。
整った容姿にあふれる才能。芸能一家という華々しさに、獲得した名声の数々。
皇天馬は、何を取っても完璧な人間に見える。それは天馬のたゆまぬ努力の結果であり、簡単に成し遂げられたものではない。ただ、持っているものの話で言えば、皇天馬とは何もかもを手にした完璧な存在なのだ。
だけれど、それが崩される。同性の恋人によって、完璧だった皇天馬が崩壊していくのだ。
恐らく、元々天馬を面白く思わない人たちなのだろうと一成は思う。そんな存在にとってこの件は、天馬を貶める格好の材料なのだ。
これがきっと、美しい女優なら。今をときめく女性アイドルだったなら。
受け入れられない人間はいるだろうし、ファンだって諸手を挙げて喜びはしないかもしれない。それでもきっと、「お似合いのカップル」だと言われただろうし、恐らく祝福の言葉だって飛び交っていたに違いない。
だけれど現実はそうならなかった。
オレだからだ、と一成は思う。オレが相手じゃなければ、テンテンはこんな風に貶められることもなかった。オレじゃない人ならば。
一成は誓って、他人の目があるところで恋人同士のような振る舞いをしたことはない。SNSに上げる写真だって選んでいたし、家から一歩外に出れば仲の良い友達としての距離感を保っていた。
だけれど、本当にそうだろうかと一成は思った。
たとえばこの記事の写真だって、SNSに上げた写真だって。自分ではそう思っていただけで、見つめる瞳や唇の端っこに、天馬へ向ける感情がどこかに表れてしまっているかもしれない。
だからこんな風に、普通の写真に見えるはずのものが違う意味を持ってしまったのかもしれない。
「――って、そんなこと考えてる場合じゃないし!」
スリープモードになってしまったスマートフォン。黒い画面に思いつめたような自分の顔が映って、一成は我に返る。ここで一人悲観していたところで事態が変わるわけでもない。
今自分ができることは何か。優先すべきことは一体何か。
時計を確認すれば、時刻は二十一時を過ぎていた。この時間帯はインターネット利用者も増えてトレンド欄を目にする人数の増加が予想される。そうなればこのゴシップ記事が多くの目に触れることになるだろう。
このまま沈静化するならいい。だけれど、もしもこの勢いが衰えなかったら?
良くも悪くも知名度の高い皇天馬なのだ。もしも、このままトレンドに残り続けたら、明日のワイドショーで取り上げられる可能性がある。全国ネットでゴシップ記事が放映されようものなら、天馬に向かう悪意の種は想像以上の多さになるはずだ。
一成はめまぐるしく頭を回転させ、自分の為すべきことを決定した。
すぐさま指を動かし、メッセージを返信する。太一へは感謝を述べ、天馬は撮影中だから連絡が取れないのだと告げる。至にも「ありがとん♪ でもいたるんも有名人じゃん」と返す。千景にもお礼を言って、手助けとして自分の配信用アカウントの宣伝をしてほしい、と頼んだ。
それから一成は、用途別に使い分けているSNSアカウントの全てに、「二十一時三十分から、緊急配信しちゃいます☆」と投稿する。
予想通り、各アカウントには結構な量のコメントが来ていたけれど、全てに目を通している時間はない。十中八九天馬との記事についてだろうし、それならこれからの配信で充分に間に合うはずだ。
一成は手早く配信の準備を整える。
もっとも、機材はいつでも使えるようにセットしてあるし、配信用プラットフォームの機能は知り尽くしているので、特別なことをする必要はなかった。
むしろ、制作明けのひどい顔をどうにかするほうが大変だった。顔を洗ってさっぱりしたあと、莇から教えてもらった「顔色がよく見えるメイク」でだいぶマトモな顔になったはずだ。
「アザミンありがとー!」と心の中でお礼を言っておくが、当人に言えば「あくまでも緊急処置。生活習慣の見直しが前提だから」と返ってくるだろう。
身だしなみをチェックし、時計を確認する。予定時刻まではもうすぐだ。千景の協力もあってか、配信開始待機中の人数は着々と増えているし、アカウントへのコメントも順調に数を伸ばしている。良くも悪くも注目度が高い状況での配信なのだから、これも当然だろう。
一成は、電波式掛け時計の針を見つめる。
時刻は二十一時二十九分。秒針が十二を指した瞬間、配信開始のボタンをクリックした。