終演までは、どうかワルツを。 14話
千秋楽の夜は更ける。
元来千秋楽というのは特別なものだから、大概においてパーティーは無礼講になりやすい。加えて今回は、久しぶりに夏組が全員そろったという事実がいっそう雰囲気を高揚させた。
最近ではめったに舞台に立たない天馬がいて、二年間顔を見せなかった一成もいるのである。集中的に酒が注がれたのも、もはや仕方がないことと言えるのかもしれない。
とはいえ、限度はある。
一成もこの数年で、酒との付き合い方は覚えた。以前のように、すぐに酔いが回って口調が変わるということもなくなったし、ある程度のコントロールも上手い断り方もできるようになった。
なので、どうにか交わしながら理性を残していたのだけれど。
死屍累々と積み上がっていく人たちと、まったく顔色を変えない酒豪たちに、これは一時避難もやむなしと結論をくだしたのだ。
「あー……気持ちいー……」
こっそりバルコニーへ逃れた一成は、夜風に当たる。寒さの底を抜けたとは言え、まだ肌寒い季節だ。しかし、酒精によって熱さを宿した体には丁度よかった。
バルコニーから見る景色はあまり変わらない。駐車場だったところに家が建っていたりはするけれど、大きな変化は少ないので、まるであの頃の自分に戻ったようだった。
だって夏組全員がそろって、舞台に立った。みんなで千秋楽を迎えて最高だって笑った。あの頃の――MANKAI寮で過ごしていた時みたいだ。
ぼんやりと、外灯の落ちる町並みを眺めていると、背後で音がした。誰かがバルコニーやってきたらしい。振り向いた一成は、一瞬体を固くした。しかし、すぐにへらりと笑う。
「――テンテンも避難?」
「……お前もかよ。なんであの人たち、いくら飲んでも顔色変わらないんだ……」
心から、といった調子で漏らされた言葉に一成はケタケタと笑った。天馬はさらに、ぼそりと言葉を続けた。
「しかも、椋めちゃくちゃ酒強くないか……?」
「そーそー。びっくりしたよねん! すみーも顔色変わんないんだけど、たぶんむっくんオレらの中で一番強いっぽい!」
ジュースでも飲んでいるかのような調子で度数の高い酒を開けていく椋のことを思い出しながら、一成は言う。天馬は心底複雑そうな顔をしていた。
「あははは、テンテン、むっくんに飲み比べ負けてたもんね~」
「あれは、東さんに先に飲まされた分をカウントしてないからだ」
「なる~?」
バルコニーの手すりにもたれかかって交わされる会話は気安い。そこにはただ穏やかな親愛があるだけで、どんな荒々しさもなかった。
それを噛み締める一成は、友達だ、と思う。友達としてテンテンの近くに立っていよう。みんなと一緒に、夏組の三好一成としてそこにいればいい。この距離感を保ち続けるのだ。きっとそれが正しい答えだ。
「千秋楽、めっちゃ楽しかったね! 相変わらずテンテンはアドリブばっかだし――っていうか全体的にアドリブ率高すぎじゃね?」
「オレたちだからな。3幕2場は、綴さん曰く『全部アドリブ進行のつもりで書いた』らしいし」
「はじめて聞いた」
「はじめて言った」
そう言ってお互いの顔を見つめたかと思うとすぐに噴き出した。気の抜けた笑い声が空気に溶けて、夜風にさらわれていった。
吹き抜ける風に、一成はわずかに身をすくませる。少し寒くなってきたな、と思っているとそれを察した天馬が談話スペースを示した。バルコニーよりは夜風を防げるという配慮だろう。
部屋に戻るのも惜しい気がして、一成と天馬は談話スペース何でもない話をしていた。
本当に些細な、聞いた端から忘れてしまう話。馬鹿みたいに笑って、ただ楽しかったという記憶しか残らないようなそんな時間。
こんな風に笑えるのだと、一成は安堵していた。望みはちゃんと叶えられたのだと、安心していた。
「それで、お前のほうはどうなんだよ」
「さすがにテンテンほどの面白武勇伝はないかな~?」
「面白武勇伝じゃない!」
今までは何となく避けていた近況報告をしていると、一成の海外での様子について天馬が尋ねる。一成は冗談交じりに返しつつも、スマートフォンを取り出した。
二年間で何をしてきたのか、今ならきっと話せる気がしたから。
「えっと、これがフランスの地下劇場。オーナーの気分で出演できるかどうか変わるからスリリングなんだけど、オレはイラストが受けて結構出させてもらったんだよねん♪面白くないとお客さんが舞台に上がってくるよ」
「……帰るよりえげつないな……」
「そそ。下手すると舞台乗っ取られて終わっちゃうんだよね」
こっちは日本画の路上パフォーマンスで、これはデザインコンペに入賞した時のやつ。あ、この人はオレの海外ギャラリー担当で、こっちはアパートで隣の部屋に住んでた夫婦とパグのファニ。
スマートフォンの写真を一つ一つ映し出せば、天馬は感心したようにうなずいて話を聞いてくれる。
その事実が嬉しくて、一成はさらに写真をさかのぼっていく。
天馬のいなかった二年間。どんな風に過ごしていたのかと言えば、目の回るような日々だった。常に何かを追いかけて、一時たりとも止まることなく駆け抜けた日々。
「めちゃくちゃ忙しかったけど、充実してて楽しかった! ゆっきーとセッツァーも顔見に来てくれたし、むっくんたちも連絡くれたし……テンテンの活躍も見てたからねん♪」
MANKAIカンパニーのメンバーは何かと連絡をくれたし、留学中の幸や万里も一成のもとを訪れてくれた。それに、天馬の活躍だって知ることができた。
少し気が緩んでいたのかもしれない。友達としての安心感と、酒精の回った頭はぽろりと本音をこぼさせる。
「テンテンが頑張ってるなぁって思ったら、オレも頑張れたよ」
友達に戻ろうと言ったのは本心だ。心からの願いだし、誓って嘘はないと言える。だけれど、同じくらいに己の心が向かう先だって一成は知っている。
一成はずっと、天馬のことが好きだった。
終わりを告げても友達に戻ろうと願っても、一成は変わらず天馬のことが好きなままだった。
だから天馬のいない日々でも、恋人としてのやり取りがなくなっても、天馬が笑顔でいてくれることを祈ったし、天馬がどんな風に活躍しているかの情報だって積極的に集めていた。
どうせ墓まで持っていくつもりの気持ちだった。天馬のいない日々で降り積もる愛おしさだって、胸の内に抱えていけると思っていたのだ。誰にも見られないように、ひっそりと奥底に沈めて。
だけれど、懐かしい場所で大事な人たちと過ごす時間は、一成をすっかり安心させてしまった。アルコールによる酩酊感も手伝って、緊張感が途切れていた。
だから、沈めたはずの本音がうっかりと外に出てしまったのだ。
こぼれた言葉が、天馬のいない日々でも天馬を思ってきたまなざしが、どうしようもなくやわらかかった。声の端々からは、たった一人に向けられる特別な愛おしさがあふれていくようだった。
「――一成」
天馬の声が、わずかに変わったのを一成は察知する。同時に、今自分が口にした言葉の響きと、浮かべていた表情に思い至って、すぐに声音を変えた。
明るくテンション高めに。友達ならこうするだろう、という見本のような身振りと手ぶりで。スマートフォンの画面を見せながら、何もかもを塗りつぶすみたいに一気に言葉を並べる。
「テンテン、これはオレが初めてあっちで賞もらったポスターデザイン! ちっちゃいホテルのブライダルポスターなんだけど、ほら、オレらよくブライダル関係やってたじゃん? だからアイディアいっぱい湧いちゃってさ~。最愛の人と過ごす時間がテーマだったんだけど、意外性があるって評判だったんだから……」
言いながら、しまった、と一成は思った。同時に、自分が思いの外動揺していたことを自覚した。
だってそうでなければ、きっとちゃんと隠した。賞を取ったことなんか言わないで、さらりと流して、別のデザインを見せた。
ブライダルポスター。最愛の人と過ごす時間。そう言われて真っ先に思い浮かんだもの。ヒマワリをモチーフにしたデザインなんか、決して見せなかった。
「――テンテン。ごめん、今のはナシ」
視線を下げた一成は、固い声で言葉を落とす。
天馬は他人の心を見抜くのが得意だ。だからきっと、気づいてしまった。最愛の人と言って思い浮かべたのが誰かなんて。一成が隠していた心を理解してしまった。
だけれど、どうか、と思いながら言葉を続ける。
「忘れて。なかったことにしよ」
強張った顔のまま言う一成は思っている。
忘れたフリをしてくれれば、そしたらまだ、オレたちは友達でいられる。上手く隠せなかったオレの落ち度だけど、今ここで気づかなかったフリをすればそれでこれはなかったことになる。
ずるいと思う。だけど、もうオレにできることはこれくらいしかない。
中々答えが返ってこなくて、恐る恐る一成は視線を上げる。天馬は怒っているだろうか。勝手なことを言いやがって、と怒っているならそれのほうがよっぽどいい。
思いながら顔を上げた一成は、天馬の表情に絶望的な気持ちになる。
「一成」
呼ばれた名前に、背筋が泡立つ。
だってそれは、そこに宿る響きは。今までの声とは比べ物にならない。熱の全てを注いで紡がれた名前だと、わからないはずがない。
声だけで肌に触れられたようだった。
「一成、お前……」
苦しそうに眉を寄せて、天馬がつぶやく。罵倒の言葉ならよかった。続くのが一成への苛立ちならよかった。だけれど、天馬はそうしないのだと一成はわかっている。
注がれるまなざしが、熱を宿した声が、あらゆる全てが物語っている。天馬の心が向かう先。想いの届く相手。
オレだ。全身を貫かれるような衝撃で、一成は理解する。どうしようもなく真っ直ぐと、テンテンはオレに心を向けている。あの頃からずっと変わらないまま。
叫び出したくなるような歓喜と絶望に身動きが取れずにいると、天馬が動いた。
一成の手首を掴むと、勢いよく引き寄せる。目の前に天馬の顔が迫る。触れられた手首が、吐息が熱い。天馬は一成の後頭部を固定すると、かすれた声でささやいた。
「いやなら止めろ。殴れ」
そう言うが早いか、天馬は荒々しく一成に口づけた。
驚いて固まる一成のわずかに開いた唇から、天馬は舌をねじ込ませる。熱い口内を舐めとるように蹂躙し、一成の舌をとらえた。
びくり、と肩を震わせて逃げようとするのを察知し、天馬は掴んだ指に力を込めてより強く体を引き寄せる。隙間一つも許さないとでも告げるような、呼吸ごと奪い去る口づけだった。
ゆっくりと、唇が離れる。熱のこもった息を吐き出す一成は、朦朧とした頭で目の前の美しい顔を見つめる。
欲に濡れたパープルの瞳。驚くくらいに整った容貌。世界で一番カッコイイのはこの人だと本気で思っていたし、それは今も変わらない。
ああ、本当になんて美しいんだろう。その彼の目に映るのが自分だなんて、こんな幸福なことはあるだろうか。
「――一成」
熱い声が耳朶に触れる。ぞくぞくと這い上がる感覚に、このまま身を投げ出したいと思う。だけれど、まだかろうじて残っていた理性がわずかに声を上げる。
だめだ。手を振り払わなくては。手首を掴む力がゆるんでいる。今なら抜け出せる。
しかし、一成が体を動かすよりはやく、再び天馬が唇を寄せた。軽く唇を押し当て、やわらかくついばむ。一つ一つに愛おしさを込めるように、頬に、まぶたに落とされるそれは、次第に熱を帯びていく。
下唇を舐めた舌先で唇をつつかれて、自然と口が開く。天馬のキスなら、体が覚えていた。
だめだとわかっていた。手を振り払わなくては。腕の中から抜け出さなくては。思っていたはずなのに。理性なんてとっくに溶かされてしまっていた。
だめだ、と思う心も、必死でブレーキをかける声も、甘やかな舌先でぐずぐずに溶かされて、残っているのはただの本能だけだ。
無我夢中で、一成は両腕を回して天馬の首にすがりつく。自分のほうへ強く引き寄せ、差し込まれる舌を迎え入れる。
熱い。びりびりとした、痛みにも似た灼熱が気持ちいい。鼻にかかった甘い声が漏れる。
呼応するように天馬が強く体を抱きすくめ、口づけがますます深くなる。一成は必死でそれに応えた。
足りない。もっと。触れ合えなかった分を取り戻すように、二人は何度も口づけを交わし合った。
遠くで誰かが呼ぶ声に、天馬と一成は我に返る。姿の見えなくなった二人を探しにきたのかもしれない。
名残惜しむように唇を離せば、睫毛の触れる距離に天馬の顔があった。
熱に浮かされるような、陶然とした表情。きっと自分も同じ顔をしている、と一成は思う。同時に、何かを言わなくては、と思うけれど上手く言葉が出てこない。
「一成」
言葉を取り戻したのは、天馬が先だった。抱きよせていた腕の力が抜けて、密着していた体がわずかに離れる。
熱が遠ざかったことで、一成の頭に明瞭さが戻ってくる。今の状況。自分が何をしたのか。理解して口を開くより前に、天馬が言った。
「――いいんだよな?」
熱に浮かされた顔は、していなかった。アメジストの瞳が揺れていた。腰に回っていた腕がほどかれて、半歩ほど距離が離れる。天馬はゆっくりと一成へ手を伸ばした。
一成の指先を一つ一つ辿り、自身の指を絡ませる。しかし、ほとんど力は入っておらず弱々しく触れるだけ。それまでの天馬と違い、おずおずと何かを確かめるような仕草だった。
一成の胸が締め付けられる。まるで許しを請うような行動。寄せられた眉、ゆらゆらと揺れるパープルの瞳、わずかに震える指先。こんなのはまるで、泣き出す前の子どもみたいだ。
きっと天馬が怒っていたなら、一成は違う答えを選んでいた。だけれど、今にも泣いてしまいそうな天馬を前にしてできることなんて、一つしかなかった。
「いいんだよな?」と尋ねた言葉の意味を、一成は理解している。情熱的なキスをした。互いを強く求めあった。その関係を恋人同士と名づけることを乞うている。
だから、違うと言えば天馬は傷ついた顔で「そうか」と言う。それでいいはずだった。わかっているのに。
震える指先に、思ってしまったのだ。
ここで首を振ったなら、天馬は泣き出してしまうんじゃないかって。ギリギリのところで支えていたものがなくなってしまうんじゃないかって。このまま崩れ落ちてしまうんじゃないかって。一成は思ってしまったのだ。
そしたらもう、できることなんか一つしかなかった。
一成は、騒ぐ心を押さえつけて握られた手に力を込めた。二人の指が互い違いにからみあい、ぴったりと寄り添う。それが何よりの答えだった。
天馬は一瞬目を見開き、それから華やぐような笑みを広げるので、オレの選択は正しかったのだと一成は自分自身に言い聞かせる。
肌寒い夜風が吹く。互いの熱を分け合うように、二人は手を握っている。
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