終演までは、どうかワルツを。 15話
目を開く。一成は火照りが収まったことを確認して、ゆっくりと立ち上がる。このまま中庭に戻ろうかと思ったけれど、思い立ってバルコニーへ向かった。
あの一夜を思い出した自分は、きっと上手に笑えない。だからいつもの表情に戻るまで、もう少しここにいようと思った。
夏組全員での公演は、結局あれ以降実現していない。天馬はいっそう忙しさに拍車がかかっているし、幸もファッションデザイナーの仕事が増えた。
椋と九門も会社で責任ある立場を任されるようになってきたし、三角は役者としての評判を高めており仕事がぐっと増えた。一成も、ありがたいことに各方面から途切れることなく声をかけてもらっている。
もしかしたら、椋の大学卒業を記念して行われたあの公演が、夏組全員で共に立つ最後になるのかもしれない。
大事で特別な仲間たち。それはこれから先も変わらないけれど、互いの人生から互いの領分が減っていくことは、どうしたって止められないのだろう。
否が応でも時間は流れる。大人になり、進む道が異なれば交わる地点は少なくなる。季節が進むのと同じように、少しずつ互いのいない風景が当たり前になっていく。
バルコニーから周囲を見渡す一成は、小さく息を吐き出す。わずかに熱い気もしたけれど、すっかり夏に向かった空気ではよくわからない。
あの一夜と違い、刺すような夜風ではなくどこかに熱を宿した空気が周囲には漂っていた。
あれから、一成と天馬は再び恋人同士の関係になった。
それは一成が選んだことだし、天馬が嬉しそうに笑ってくれるので、きっと間違いじゃなかったのだと一成は自分に言い聞かせていた。実際、二人で過ごす日々はどうしようもなく幸せだった。
隣に天馬がいること。手を伸ばせば触れられること。呼ばれる名前に、特別な響きがあること。
一番近くで鼓動を感じられること。体温を分かち合えること。自分だけに許された距離があること。
光の全てを集めたように笑う、その顔を近くで見ていられること。好きだと、取り出した心をそのまま伝えることが許されていること。
それら全てが、目もくらむような喜びと幸福を連れて来て、一成の心をいっぱいに満たしていた。
だけれど、一成は理解している。間違いじゃなかったのだと、正しい選択だと言い聞かせている時点で、自分の奥底にあるものがどんな感情なのかなんて。
だってあの夜、思わず手を握ってしまったことを、一成はずっと後悔している。
恋人同士として過ごす時間を重ねるにつれ、天馬への愛おしさは日々募っていった。どうしようもなくこの人が好きなのだと毎日確信する。想いは枯れるどころか更新されてあふれていく。
だから、このままでもいいじゃないか、と何度も思った。天馬は笑ってくれる。自分の幸福が彼の隣にいることだと知っている。それならこのままでいいじゃないか、と思うのに。
何よりも大切な、天馬の笑顔を望む自分がどうしてもそれを許さない。
ぼんやりとした意識を引き戻したのは、着信を告げるスマートフォンだった。はっとした顔で取り出せば、天馬からの電話だった。慌てて通話ボタンを押す。
「はいはい~、どしたのテンテン。何か忘れ物?」
紬と共に劇場へ向かったメンバーの一人が天馬だった。天馬も明日は早いので、そのまま帰宅したはずだ。それがわざわざ電話をかけてきたのは、MANKAI寮に忘れ物でもしたのかと思ったからだ。
スマートフォンの向こうの天馬は、少しだけ沈黙を流したあとゆっくりと言葉を紡ぐ。
『――いや。一成、お前今どこにいるんだ?』
「どこって、MANKAI寮だよん。オレはまだ帰ってないし!」
『オレも帰ってねえよ。戻ってきてから、談話室でしばらく付き合ってた。で、お前は中庭にもいないしレッスン室にもいないしどこにいるんだ』
「え、テンテン大丈夫? 明日早いっしょ?」
素直に心配して言うも、天馬はむくれたような調子で「それくらい自分で判断できる」と答えるだけだった。天馬の声には強弱があり、どうやら天馬は移動しているらしいと察する。
『部屋でもなさそうだな。ってことは、バルコニーか』
ドキリ、と心臓が鳴った。居場所が知られて困ることはないけれど、言い当てられると落ち着かない気持ちになってしまうのだ。天馬は一成の一瞬の沈黙で、自身の正解を確信したらしい。
『待ってろ』
一言だけ言い置いて、一方的に通話が切れた。一成は逡巡する。さて自分はどういう顔で天馬を迎えればいいのか。
パーティーの続きみたいにテンション高く、夏組として友好的に、それとも恋人の顔だろうか。思うけれど、結論を出す前に天馬の姿がバルコニーに現れる。
出会ったころより、格段に大人びた顔、体つき。再び関係を結んだあの一夜に比べても、活躍の場を広げて世界へはばたく天馬は、いっそう魅力を増したように思える。
惚れた欲目なのかもしれないけれど、一成にとってそれはただの事実だ。
「テンテン」
唇からは勝手に名前がこぼれ落ちて、笑みを作っていた。どんな顔で迎え入れるかなんて考える必要もなかった。天馬を前にすれば、一成の心はそれだけで満たされて愛おしさがあふれていく。
「一成」
友達への親愛とは少し違う色合いで名前を呼んだ天馬は、バルコニーに立つ一成の隣に並んだ。肩が触れる距離で、二人は外灯に沈む街並みを眺めていた。
「――今日は、ありがとな。MANKAI寮に来られたことも嬉しかったし、みんながオレの誕生日を祝ってくれて、すごく嬉しかった」
真っ直ぐと視線を向けた天馬は、とつとつと語る。普段の皇天馬では見られないような、言葉を選ぶ様子。決してなめらかではない口調が、却って天馬の思いのたけを表しているようだった。
「夏組のやつらにも礼は言ったけど、お前には特に感謝してる。メインで動いたのは一成なんだろ。無理はしてほしくないけどな――でも、やっぱり嬉しかった。ありがとな」
はにかむような表情に、一成の胸がぎゅっと締めつけられる。
天馬が笑ってくれて嬉しい。全員そろって天馬を祝えてよかった。笑ってくれた。天馬が幸せそうでいてくれる。何もかもが報われたような気持ちで、一成は天馬を見つめていた。
「でも無理はするなよ。お前、他の案件もあっただろ。オレの誕生日パーティー張り切りすぎなんだよ」
「あはは、ごめピコ~☆でも、テンテンの誕生日だよ!? 張り切るに決まってるじゃん! 出会って10年のアニバーサリーイヤーだし!」
テンション高く勢い込んで言うと、天馬が一つ瞬きをしてから「そうだな」とうなずいた。
10年。自分たちが出会って、夏組としてのつながりを結んでから10年の月日が流れたのだ。それを祝う場で張り切らず、一体いつ張り切るのか、と一成は続ける。
「くもぴとかはちょっと違うけど……でも、夏組が始まってから10年目のテンテンの誕生日とか盛大に祝わなきゃじゃん!? カズナリミヨシの名前に賭けて!」
ぐっと拳を握りしめて言い切ると、天馬は面白そうな顔で笑う。一成の言葉が至って本気ということはよくわかっているからだろう。
「それにしても、10年経ったなんて信じられないくらいみんな変わらなかったな」
しみじみとした調子で言う天馬は、感心したような呆れたような雰囲気を漂わせていた。もちろん背丈は大きくなったただとか、社会人としての経験を積んで大人びたとか、諸々の変化はあったのだけれど。
MANKAIカンパニーのメンバーは誰一人変わらず、大事なあの頃のままだった。ひとたび顔を合わせれば、つい昨日まで一緒に過ごしていたんじゃないかと錯覚してしまうくらい。
「――オレたちは変わったけどな」
天馬の声が、調子を変える。小さなつぶやきに、わずかに含まれるもの。一成の奥底に熱を灯すようなその意味はすぐに理解できた。
10年で変わったもの。その中の一つには、確かに天馬と一成の関係性があった。
出会ったころは友達だった。それまで友達と呼べる存在がいなかった天馬。本音で語り合える友人を持たなかった一成。
二人は、夏組として出会い、板の上に立ち千秋楽まで駆け抜けることで友達としてのつながりを結んだ。
それからの日々で、互いの心が少しずつ変化して生まれたものを二人は知っている。今こうして隣同士に立つ彼らの関係を名づけるなら、友達という言葉だけではくくれないことを、もう二人は理解している。
「そだね」
ゆっくりと一成はうなずいた。友達のままではいられなかったことを、一成は誰より強く理解していた。10年。その手を取ってしまった。握りしめてしまった。だから自分たちの関係は決定的に変わった。
それがどれだけの幸福を運んできたのか、一成は知っている。
「あの時、お前を諦めなくてよかったと思う」
熱の灯る声に真摯な響きを含ませて天馬は言う。揺らがない視線が一成を真っ直ぐとらえる。あの時、がいつを指すのかなんて、聞かなくてもわかる。わかってしまう。
「お前が友達に戻りたいと言ったから、ここが潮時だと思った。お前の『一生のお願い』なんて腐るほど聞いてるけど、あれだけは本当の願いだってわからないオレじゃない。だから、お前が望むならそうしたほうがいいと思った」
一方的な別れに天馬は腹を立ててもいた。それは事実だ。
だけれど、いつも軽口めいてどうでもいいことに「お願い」を繰り出す一成が。本音を口にするようになっても、本当に心からの願いを口にすることに未だに恐れを抱いているような一成が、「お願いだから」と言った。
嘘偽りなく、心からの願いだとわかってしまった。だから、独りよがりにつなぎとめることはできないと思った。
「友達の真似は上手くやれてただろ」
「さすがはテンテンって感じだったな~? 全然普通の、友達、だったもん」
上手く笑えない顔で、一成は答える。天馬が「オレだからな」と言う通り、一成が帰国して夏組全員で舞台に立つと決まった時から天馬は己の演技力を総動員として、「友達」として振る舞うことにしたのだ。
だって一成がそう望むから。友達に戻りたいと、一成が願ったから。
「お前も相当だったけどな。演技力がついたことを褒めればいいのか、恨めばいいのか、あとでちょっと考えたくらいだ」
「テンテンに褒められるとかオレすごいじゃん!?」
「ああ、だから胸を張ってろ。実際、一成があのまま上手く隠してたら、たぶん、どうしようもなかった」
天馬は淡々と言葉をこぼす。あの夜、寒さの残るバルコニーで一成と話をした。ただの友達としての距離感に、一成はこれを望んでいるんだな、と天馬は思っていた。
だからそれに沿おうと思ったし、実際上手く行っていたはずだった。一成が、思わず本音をこぼすまでは。天馬に向けた心の片鱗を見せるまでは。最愛の人として自分を想っているのだと、知るまでは。
あの時、一成は天馬に「忘れて」と言った。なかったことにしてほしいと望んだ。それを聞いた瞬間、嵐のような愛おしさが天馬を襲った。
だってそれは。忘れてほしいと、なかったことにしてほしいと望むのはつまり。一成にとってその想いは、決して過去のものじゃない。今も胸に息づいている。
だってそうでなければ、一成は「懐かしいね」と笑う。遠い昔に置いてきた思い出をなぞるように、綺麗に笑う。
だけどそうじゃなかった。ひどい罪を犯したみたいに、恐れるように、固い表情を浮かべていること、それが全てだ。
「一成が今もオレを想ってるってわかったら、もうだめだった」
友達の演技はもうできなかった。荒れ狂う衝動が制御できない。友達の顔をかなぐり捨てた天馬は、求めるままに一成へ手を伸ばした。
許されるのかわからなかった。だけれど、一成は天馬に応えた。全身の全てで呼応するようなそれが、何よりの答えだったのだ。
「あの時、お前を諦めてたらきっと今日もなかっただろうな」
ぽつりと落ちた言葉。一成は茶化した素振りで「テンテンの誕生日、絶対めちゃくちゃに祝うに決まってるじゃん!」と答えるし、実際嘘ではない。
恋人ではなく友達だったとしても、天馬の誕生日であれば全力で祝うに違いない。
だけれど、天馬が言いたいのはそういうことではないというのもわかっていた。
友達と恋人では、どうしたって関わり方に違いはできる。だから、恋人ではない一成が祝ったならきっと今日とは違う形になっていただろう。
「本当に楽しかったし、嬉しかった。お前がいたからだ。ありがとな、一成」
そう言ってふわりと笑う天馬に、一成の胸がきゅうっと締めつけられる。
普段のカッコイイ顔とは違って、ずいぶんと幼い笑顔。甘える時に見せるその表情が好きだ。自分の前でだけ見せるその笑顔が好きだ。心臓がうるさいくらい鳴っている。
「――一成」
小さく名前を呼ぶと、天馬が一成の肩に頭を預ける。オレンジ色の髪が視界で揺れて、一成の心臓が爆発するような音を立てた。
「て、テンテン、もしかして意外と酔ってる?」
「酔ってない。……と言いたいところだけど、少し酔ってる」
「自覚のある酔っ払いか~」
談話室でしばらく付き合っていたとか言っていたけれど、もしかしなくとも酒盛りに、だったのではないか、と一成は思い至る。大概において、談話室は最終的に酒場になるのだ。
そういえば、会場の用意をしていたガイが「今日のために、ザフラの酒も取り寄せた。皇が気に入ってくれるといいのだが」と言っていたことを思い出す。
少しって言ってるけど、どれだけ飲んだんだろう……と思っていると、天馬の声がゆるやかに流れだす。
「朝起きたら、お前がいるのが嬉しい。一緒に飯食うのも好きだ。お前の仕事の話を聞くのも楽しい。くたくたに疲れて帰ってきた時、家に一成がいると安心する。真剣に絵を描いてる時のお前はカッコイイと思う」
肩に頭をあずけたまま天馬が突然そんなことを言い出すので。一成は「テンテン、どしたの!?」と困惑するけれど、天馬は意に介さず言葉を続ける。
「些細なことでも楽しみを見つけられるところを尊敬してる。舞台に立ってるお前を見るのが好きだけど、見てるより一緒に舞台に立ちたい。誰も知らないところでやさしくあろうとするから、その分オレが気づいてやりたい。困らせたいわけじゃないけど、困った顔でオレを許すのが結構好きだ」
酔っぱらった天馬が何を言い出したのか、と最初一成は戸惑った。だけれど、並べられていく言葉に、その声の調子に悟る。
これは、酔いに任せた戯れ言ではない。天馬の心を取り出して形にしたものだ。どこまでも真っ直ぐな、天馬の本心だ。
「一成」
頭を起こした天馬が、体の向きを変えて真っ直ぐと一成に相対した。真剣なまなざし。耳が赤い。酔いのためではないことはわかった。
天馬はごそごそとポケットを探ると、四角く折りたたまれた紙を取り出して言った。
「あー……まだタイミングじゃないんだけどな。でも、今だと思ったんだ。オレのこれから先には絶対お前が必要だって、改めて今日思ったから」
ぼそぼそと口の中で言葉を転がして、天馬は言う。
10年という歳月に一成がいたこと、一成と共に歩んだこと。これから先の10年だってそうあってほしいと、ただ真っ直ぐと理解した。だから。
「なあ、これ覚えてるか」
言いながら、四角い紙を一成へ差し出す。ゆっくり開くと、それはオーダーメイドエンゲージリングの注文票であり、見覚えのある店名が書かれていた。
天鵞絨町商店街を通り抜けた裏通りにある。ハンドメイドのアクセサリー作家である女性が一人で切り盛りしている。たまた見つけて一緒に入った。一年目の記念日を祝ってバングルを買った。
いつの日か、薬指に指輪をと話していた。
「あの時の約束を、叶えさせてくれよ」
ぶっらきぼうにも思える調子で、天馬が言う。デザインに関してはお前のほうが得意だろうけど、これはオレの気持ちの問題だからとか、まだ途中だから出来上がってはいないけど、とか。
天馬の言葉を、一成はどこか遠い気持ちで聞いていた。
何だこれは、と思ったのだ。天馬は何を言っているのか、理解できなかったのではない。一つだって間違えず受け取った。
これから先を共に生きる。薬指の約束を果たしたい。これは――これは正しくプロポーズだ。
理解した瞬間、じわじわと胸に広がるものが何なのか、一成にははっきりとわかった。
恐怖だ。
天馬は、付き合い始めて一年目のささやかな約束を覚えていた。一成だって忘れたことはなかったし、同じ気持ちであることを素直に嬉しいと思ったのも事実だ。天馬からのプロポーズに心が躍ったのも本当だ。
だけれど、それ以上に上回ったのは、天馬の人生に一成の居場所が作られているということへの恐怖だった。
天馬は、一成という存在を自分の人生に不可分なものにしようとしている。夏組の三好一成ではなく。恋人として、人生の伴侶として選び取ろうとしている。
嬉しかった。幸せだった。これ以上の歓喜はきっとないだろうと思った。だけれど、それ以上に一成は怖くて仕方なかった。
――だって、テンテン。その場所は、オレに相応しくないよ。
一成はずっと、あの夜手を握り返したことを後悔している。
天馬を愛おしいと思えば思うほど、天馬に相応しい相手は他にいるのだという思いが増していくからだ。
誰からも愛される、広い世界で生きる天馬の手を取るのは、きっともっと別の人だ。天馬の弱みになるような人間じゃない。
「テンテン……」
かすれた声で名前を呼んだ一成は、真っ直ぐと天馬を見つめた。
強い意志の宿る紫の瞳。あざやかなオレンジの髪は、いつだって一成の心に明かりを灯した。勇気を、愛おしさを、全てをくれた。
何一つ変わることのない、大事で大切な人。天馬を見つめる一成は、唐突に理解する。ああ、今がそうなのか、と。
出会って10年。きっとこれが期限だった。今までの10年の、最後の最後の分岐点はここだ。
人生の分かれ道。あの時その道を選ばなければ、別の人生を辿っていたような。そういうところ。
それが、今ここなのだ。だからそれなら、返す言葉はこれだけだ。一成は息を吸い、言葉を吐き出す。
「ありがとう。オレ、すごい嬉しい。でも、ごめん」
一息にそう言った。そうしなければ、きっと言葉に詰まって最後まで言えない。だって嬉しかった。本当に嬉しかったのだ。
天馬は一成の言葉に、雰囲気を固くさせた。それも当然だろう。きっと、断られるなんて思っていなかったはずだから。
「テンテン、ごめん。オレはテンテンのこと大好きだし、テンテンの気持ちだって疑ったことなんかない。オレのこと大事にしてくれたし、たくさん愛してくれたし、全部本当だった。それは絶対嘘じゃない」
そんなことはきっと天馬だってわかっている。だから強い声で理由を問われる前に、一成は言葉を吐き出していく。天馬の顔を見ないまま。
「だけど、ねえ、だめだよテンテン。オレたち、男同士だよ。わかってるよ。同性だからって人生を共にしちゃいけないなんてことないって。好きになっちゃいけないなんてことない。最近はさ、結構理解も進んできてるから、案外受け入れてくれる人もいると思う。夏組だけじゃなくて、MANKAIカンパニーのみんなだって、心から祝福してくれる」
彼らがそういう人だということは、今までの付き合いからよくわかっている。
愛を交わし合った二人がいるなら、同じ想いを受け取り合ったのなら、そうして人生を共にしようとしたなら、心から幸せを祈ってくれるだろう。
「だけど――テンテンは……テンテンは皇天馬だ」
言った瞬間、天馬の空気が強張ったのが伝わる。反射的に顔を上げて、一成は安堵した。
強い目をした天馬は、燃えるような怒りを宿している。よかった。テンテンは泣いていなかった。ほっとしながら、一成は言葉を続ける。
「どうしたってマイノリティなんだよ、オレたち。テンテンはそれすら力に変えていけると思うけど、少数派だっていうことは、それだけで弱みになる。もちろん、テンテンはむやみにオレのことを話したりはしない。だけど、どこからバレるかなんてわからないよね。男同士で人生を共にすることに理解は広まっているけど、全面的に受け入れられるわけじゃない。もしもバレたら、皇天馬の弱みになる」
思い出すのは、いつかのゴシップ記事だった。あの時の世間の反応を、一成は忘れていない。困惑。戸惑い。拒否感。それから、天馬を引きずり降ろそうと群がる悪意。
「オレたちの関係は、笑いものになるか気味悪がられる。気持ち悪いって、言われる。テンテンは何一つ悪くないのに、オレとの関係一つだけで非難される。テンテンを貶める材料にしかならない」
誰からも愛されて、大事にされるはずの天馬なのに。伴侶に一成を選んだなら、ただそれだけで心ない悪意が降り注ぐのだと理解してしまっていた。だから、一成は首を振らなければならない。
「それに、オレたち、一人で仕事はできないよね。皇天馬が皇天馬であるには、たくさんの人の支持が必要だってことくらい、テンテンはわかってる。ファンがいて支援してくれる人がいて、皇天馬なら任せられるってたくさんの信頼の上に、今のテンテンがいる。だからだめだよ。オレを選んじゃだめなんだ。だって、テンテンを信頼してる人たちが望むのは、同性を選ぶことじゃないでしょ? オレを選んだら、きっと裏切られたって思う人がたくさんいる。仕事にだって差し支える。皇天馬に望まれるのは誰にだって胸を張れる未来だ。隠さなきゃいけない相手じゃない」
ずるい言い方をしているな、と一成は思う。天馬のプロ意識がどれほど高いかはよく知っている。だから、仕事の話に論点を移してしまえば反論できないとわかっていたのだ。
一成は、一つ深呼吸をすると真っ直ぐ天馬を見つめて告げた。
「だから、ここで全部終わりにしよう。テンテンの相応しい未来にいるのは、オレじゃないよ」
ここが分岐点だ。10年の区切り。ずっと間違え続けたオレの、最後の選択肢。間違いだらけで辿り着いた、最後の大正解だ。手を取ってしまった。握りしめてしまった。だけど、ここで手放すのだ。
一成は、震えそうになる足を動かして、天馬から距離を取った。唇をかみしめて厳しい顔をしていた天馬が、はっとしたように一成へ視線を向ける。
強く、焼きつくような視線。それを見つめながら、一成は自分自身を叱咤する。
笑え。最後にテンテンに見せるのは、笑顔じゃなくちゃいけない。笑え、オレ。
「大好きだよ。どうか、幸せになってね」
嘘を吐いても天馬にはきっとバレてしまう。だから、心からの言葉を告げた。
唇を引き上げて、白い歯をこぼして、目を細めて。大好きな、世界で一番大事な人へ。心からの祈りを込めた、愛を告げるようなさよならを。
「一成!」
怒号のような声が響き、天馬の腕が伸びてくる。天馬の力は強いし体力もある。だから、捕まってしまえば終わりだった。だけれど、瞬発力だけはわずかに一成に分があった。
一成は身をひるがえすとバルコニーを飛び出す。階段を一段飛ばしで駆け下りていく。
そのまま玄関へ向かおうとしたところで、人影と鉢合わせる。東だった。
驚いたような顔で「カズ?」とやわらかく呼ばれて、一成は叫ぶ。ここで出会ったのが東というのは、この上もない僥倖だった。
「ごめん、アズー! テンテンのこと引き留めておいて!」
追ってくる天馬の気配を感じながら、一成はそれだけ言う。東は目を瞬かせていたけれど、元来察しのいい人だ。真剣なまなざしに、思いつめたような表情に、何かを理解したのかもしれない。
「――あとで話を聞かせてね」
頭の後ろでその声を聞いた一成は「ありがとう!」とだけ叫んで、MANKAI寮を飛び出した。