終演までは、どうかワルツを。 16話
一成は天馬から逃げている。
スマートフォンには怒涛のように連絡が来ているし、どうやって時間を作ったのか隙あらば一成の家を尋ねてくる。それがわかっているので、一成は自分の家にほとんど帰っていない。
天馬は多忙な人間だ。そう頻繁に一成の家を訪れることはできない。
だけれど、万一顔を合わせてしまったら自分の決心が鈍ることだけは、一成もよくわかっていた。だから、少しでもその可能性をなくすべく、一成は家に帰らないことにした。
幸い、天馬が絶対に来られない時間(生放送の番組に出演中)は把握できるので、必要なものを持ち出すことはできた。
大がかりな制作場所が必要な日本画については、しばらく取り組む予定がなかったのも幸運だったのだろう。パソコンがあれば、大概のことはどうにかなる。
しばらくの間ホテル暮らしをしていた一成だけれど、さすがにずっとこのままというわけには行かない。
天馬がそう簡単に諦めないだろうことは長い付き合いからよくわかっている。一方的に関係を断ち切るようなことを良しとするわけもないし、納得するまで一成と話し合おうとするだろう。
そんなことになったら、恐らくまた一成はその手を取ってしまう。天馬が泣きそうな顔をしたら、傷ついた顔をしたら、きっと上手く拒めない。
だから、一成にとって唯一にして最大の抵抗は、「天馬に会わない」ことだった。
そのための最適解を一成は知っている。家から持ち出した品物にはパスポートも入っているのだ。フランスなら、二年間滞在していたこともあり勝手はわかっている。以前と違ってあちらには活動の足場もある。
ホテル暮らしをずっと続けられるほど一成の資金も潤沢なわけではないので、そろそろきちんと行き場を決めなくては、と思っていた時だった。スマートフォンに、幸からメッセージが届いたのは。
グループ用のメッセージではなく、幸個人から届いたのは彼らしい簡潔な言葉。
――家に帰れないなら、ウチに来れば?
◆
幸の家は、1DKのアパートメントだ。
築年数はそれなりだけれどリフォーム済みのため設備は新しい。レトロさの中に品の良さを感じさせるデザインの賃貸住宅は、幸が各方面からのツテを使って探し当てたものだった。
部屋に入ると、いくつも並んだトルソーや、色とりどりの布、稼働中のミシンに出迎えられる。
まさしく「幸の部屋」といった様子に、一成はほっと息を吐き出す。それから、恐る恐るといった調子で尋ねた。
「すっごいありがたいんだけど、オレお邪魔じゃない?」
「邪魔だったら呼んでない」
もしかして仕事を抱え込んでいるのでは、という気持ちで聞けば、きっぱりとした返事。確かに、幸はそういう点は妥協しないだろうな、と一成は思ったのでうなずいた。
「緊急の仕事とかはないし部屋はあるから、一成一人くらい置いておけるし。どうしてもモノが多くなるから広めの部屋にしたけどやっぱり正解」
「ああ、だよね~。どうしても増えちゃうんだよね」
「一軒家借りる一成ほどじゃないけど」
肩をすくめて幸が笑う。一成は大きな作業場が欲しいという点以外でも、何かと保管するものが多いからと一軒家を借りているのだ。
幸はそれほどではないにしても、やはり物は多くなる傾向があるし、作業場も必要だ。だから、キッチンダイニング以外にもう一部屋ある1DKで広めの部屋という間取りを選んだのだろう。
「座れば」
言って薦められたのは、部屋の中央に置かれたボルドー色のソファだった。物の多い部屋でも全体が引き締まった雰囲気になっているのはこのソファのおかげだろう。
うながされるまま座った一成は、深く息を吐き出した。ホテル生活は嫌いではないけれど、神経を張りつめ続けていたのも事実なので、よく知る幸の部屋は一成に安心感をもたらした。
いつもなら、恐らく一成は幸の誘いを断っていた。
「大丈夫だよん♪」と言って、しばらくの押し問答のあと部屋を訪れることになったかもしれないけれど、少なくとも最初からうなずいたりはしなかっただろう。
けれど、今回は幸からの誘いに一成は素直にうなずいた。
再び海を渡ればしばらくは帰ってこないから、最後にちゃんと顔を見ようという気持ちが大きい。だけれど、それ以外に、純粋に幸の顔を見たかったのかもしれない。
「一成、コーヒーでいい?」
「え、ごめんゆっきー! いいよそんなの!」
「今日だけ特別。明日からは、炊事全部一成の仕事だから」
ツンとした顔で言う幸の言葉が、やさしさから来るものだということはわかっている。同時にそう取られるのを望まないことも。
だから一成は、明るく笑って「おけまる~! オレがんばっちゃうから!」と返した。
実際明日はただの平日で、デザイン事務所で働く幸は出社しなければならない。どこでも仕事ができるため、家にいられる一成が家事を請け負うのは理にかなっていた。
幸は慣れた様子でコーヒーメーカーを作動させているようだ。
紬や万里からおススメの豆を聞いたり淹れ方を学んだりしていたな、と思っていると、ほどなくして二人分のコーヒーカップを持って幸が戻ってくる。可愛らしい猫のカップだった。
「それで。どういうわけなの」
コーヒーカップを渡して一成の隣に座った幸が、温度を感じさせない声音で問う。問い詰めるのでもなければ、心配するのでもない。ただ淡々とした調子。
一成は「えーと」と口ごもってから、恐る恐る問いかける。
「ゆっきー、どこまで把握してるの?」
「ポンコツがあんたを探してる。一成は家に帰れない。以上」
簡潔な答えは、事実のみを羅列する。確かにそれが現在起こっている出来事だった。
天馬は一成を捕まえるため夏組にも連絡をしているようだし、一成も夏組に尋ねられれば「ちょっと家に帰れない事情があって」とは答えている。
「まあ、どうせポンコツの誕生日パーティーの日に何かあったんでしょ」
さらりと告げられた言葉に、一成は体をこわばらせる。ただ、それは当てられてしまったという驚きではなく、やっぱり気づいていたんだな、という諦観だった。幸は肩をすくめた。
「急用ができたからいきなり帰る! なんて一成らしくないし。ポンコツも明らかにおかしかったし、一成が片付けにも来ない時点で異常事態なんだから」
「その節はご迷惑をお掛けしました……」
深々頭を下げるのは、天馬の誕生日パーティーの後片付けを任せてしまったことを指している。
MANKAI寮へ行こうものなら、確実に天馬と鉢合わせる。それを恐れて一成は寮へ行けなかったし、片付けもできなかった。
「ま、ポンコツを働かせたらいいけど」
「あ、やっぱりテンテンいたんだ……」
行かなくて正解だった、と内心でこっそり思っていると、幸が鋭い目つきで一成を見つめる。何もかもを見透かすような、全てを射抜く目。こんな風に強いまなざしは、天馬とよく似ている。
そう言うと二人とも「似てない!」と声をそろえて叫ぶけれど、強く自分たちを引っ張るのがこの二人だったことは一成もよく知っているのだ。
「――でも、一成がいなくて色々大変だったのは本当だから。一番よくわかってるアンタがいないと効率悪いし」
「本当ごめんね、ゆっきー。ゆっきー以外にも迷惑かけちゃったし……」
しょぼん、と肩を落とす一成を見つめていた幸は、ゆっくりと口を開いた。
「ねえ、一成。迷惑かけたと思ってる?」
「うん。ごめんね」
「じゃあ、話して」
心底申し訳なさそうな顔で両手を合わせる一成に向けて、幸は言い放つ。強く、凛とした声で。拒否を許さない、絶対的強者の声で。一成が目を白黒させていると、幸はさらに言葉を重ねた。
「オレたちに迷惑かけたんだから、何が起きてるのか洗いざらい全部話して」
その言葉に一成は目をしばたたかせる。
あまりに強い声に、逃れることを許さないのだろうな、と思ったのもある。
だけれどそれ以上に、これが幸のやさしさだとわかっていたから。ああ、本当にゆっきーは昔と変わらずやさしいな、と一成は思う。
ちゃんと事情を話すまで、幸は一成を許さないだろう。だから、きっと話すしか道はない。だけれどそうではなくても、きっとオレは話しちゃうんだろうな、と一成は思う。
いつかの過去に、一成の「助けて」を拾ってくれた幸だと知っているから。
◆
天馬からプロポーズされて、それを断った。納得がいかない天馬は一成を探している。天馬の顔を見たら決心が鈍るので、天馬に会わないように逃げている。
現状について一成は簡単に説明した。すると、それを聞いた幸は、地を這うような低い声で、綺麗な顔をゆがめて、吐き捨てるように言った。
「――はぁ?」
幸渾身の「はぁ?」だった。心底からの呆れと苛立ちが見事に融合して、言葉一つだけにも関わらず大層な威圧感がある。それを真正面から浴びた一成は反射的に謝りそうになったくらいだ。
「意味不明なんだけど」
「だよね! ごめピコ、ゆっきーに聞かせる話じゃなかったかも!」
怒るような声の調子に、一成は慌ててそう返した。
天馬と一成が恋人同士ということは、夏組全員が知っている。だけれど、プロポーズだとかそういう個人的な話を聞きたいかは別問題だろう。
夏組全体に関わるような、もっと重大な件がからんでいると思ったのに、蓋を開ければそんな話だから幸の逆鱗に触れたのでは、と思ったのだ。
しかし、幸は一成の言葉に眉を跳ね上げていっそう険しい顔つきになり、答えた。
「違う。アンタが、ポンコツのプロポーズ断るのが意味不明って言ってんの」
ん?と思わず一成は首をかしげる。幸は興味のないプロポーズ話を聞かされて腹を立てているのではないと察したからだ。幸はさらに言葉を続ける。
「オレたちと出かけても隙あらばイチャイチャしてるバカップルのくせに、プロポーズ断るってどういうこと。バカップルって辞書ひいたら天馬と一成が出てくるでしょ」
「そこまで大っぴらにはしてないかなー……?」
とりあえずそう言ってみるも、幸の機嫌を直すには至らない。それどころか、余計に苛立ちを募らせたように言葉を続ける。
「ポンコツには一成が必要だし、一成にはポンコツが必要だって、オレたちだってわかる。人生を共にするならお互いだって、アンタじゃなくたってわかる。それなのにプロポーズ断るとか。何考えてんの。アンタはポンコツの隣に立ってるのが一番幸せそうなくせに」
吐き捨てるような言葉は確かに怒りから来るのだろう。しかし、その本質がどこにあるのか、理解できない一成ではなかった。
幸は確かに腹を立てている。だけれどこれは、天馬と一成が共に在ることを、どこまでも肯定しているからだ。
「ポンコツがアンタ以外を選んだら殴るつもりだったのに。なんで一成のほうから断ってるの。本当意味不明」
腹立ちのままに吐き出された言葉が、一成へ真っ直ぐと突き刺さる。
幸は心から疑っていなかったのだ。天馬がプロポーズしたなら一成がそれを受けるのだと。そういう未来しかありえないのだと、本気で思っていた。だから、一成の選択が理解できないと憤る。
「アンタたちは、永遠にバカップルやってるのがお似合いの二人でしょ」
幸にとっての自分たちはそう映っていたのだな、と一成は思う。
普段は何も言わないで、時々呆れたように突っ込むばかりの幸だけれど。天馬と一成の永遠を、きっと強く信じてくれていた。隣にいることを、共に在ることを当然だと思ってくれていた。
その事実が嬉しくて、同じくらいに痛かった。
「……だって、ゆっきー。テンテンだよ。ただの一般人じゃない。役者・皇天馬のすごさなら、ゆっきーだって知ってるでしょ。毎日顔を見ないくらい活躍してて、世界中にファンがたくさんいる。ただの一般人とは違う」
だからオレを選んじゃだめなんだよ、と遠回しに告げる。しかし、幸はそれすらバッサリと切り捨てる。
「あんなのただのポンコツでしょ。オレサマの夏組リーダーで、いくら世間からすごいって言われてたって、ただの皇天馬。アンタが一番よく知ってる」
強いまなざしは、何一つ濁りがなく澄み切っていた。その純粋さに、一成は泣きたい気持ちになる。
ゆっきーはずっとかっこよくて、今もやっぱりかっこいいまんまだ。自分の芯をきちんと持ち続けて、今日も凛として立っている。
ゆっきーみたいにオレも立っていられたら。そしたらこんな風に逃げる必要もなかったのに。
だけれど実際はそうできなかった。天馬の人生に関わることを恐れて逃げ出してしまったのだから。
何も答えない一成に、幸は一つ息を吐き出す。それから、思い出したように手にしたコーヒーカップに口をつけた。
少しぬるくなっていたけれどそのまま流し込み、その匂いにふと思い出す光景がある気がして、記憶を探る。
この香りから連想されるものはいくつもある。だけれど、その中でも目の前の一成と――それから天馬に連なる記憶があったような気がした。
遠くを見つめて過去を紐解く幸は、それがいつの話なのかを見つけ出す。