終演までは、どうかワルツを。 18話




「ねえ、一成。覚えてる? オレが専門の時のデザインコンペ。恋がテーマだったやつ」

 じっと黙り込んだままだった幸が、唐突に口を開いた。しかし、今までの天馬とのあれこれとは全く関係ない話題だったので、一成は戸惑ったように目をしばたたかせる。
 ただ、当惑の色はすぐに消して「うん、覚えてるよ」と明るい口調で答えた。

「パステルカラーとか、ビビッドピンクが多くてテンアゲな展示会場だったよねん! ゆっきーはめっちゃくちゃダークで異彩放ってたけど、実は裏に続く切り返しが大胆で裏から見ると全然違うドレスに見えるやつ」

 すらすらと告げられた言葉に、幸はわずかに目を瞬かせる。
 記憶力はいいほうだし、デザインに関しては特に何でも頭に詰め込む性質だとは思っていたけれど、まさか専門時代のドレスまで覚えているとは思っていなかったのだ。
 ただ、覚えているなら話は早いと幸は言葉を続ける。

「あの時の外部講師、学生に夢見すぎだから。青春とか友情とか恋とかそういうのばっかりテーマにするからうざくて仕方なかった」

 ぬるくなったコーヒーを飲みながら当時のことを思い出す。
 仲間と共に何かを作り上げる、という経験なら知っていたから「青春」「友情」のイメージなら比較的すんなりと自分に馴染んだ。だけれど、当時の幸に「恋」というテーマは中々扱いが難しかったのだ。
 概念としては知っている。
 創作のテーマとしてよく取り上げられるものだから、作品鑑賞という意味では映画やドラマも参考にした。椋厳選の少女漫画も読んで自分の中に恋のイメージを作り上げようとした。
 だけれど、どれも何だか借り物のようで自分の表現にならなかったのだ。役者としての誰かではなく、瑠璃川幸の恋のイメージは、薄皮一枚隔てたように遠かった。
 だからあの日も、「恋」をテーマにした課題デザインがまるで進まなかった。

「特に、『恋』がテーマのって全然イメージ沸かなくて大変だった」
「そーなん? オレ、あのドレス好きだし……ゆっきー、大賞取ってたじゃん」

 学内コンペではあったが、幸のデザインは高評価を得ていた。
 「恋」をテーマにしたデザインで、必然甘い雰囲気やポップなデザインが多い中で、恋の二面性――いっそ攻撃的なまでのダークさと苛烈なまでの美しさを表現したドレスは、特に人目を惹いていたのだ。
 幸は一成の言葉に数十秒黙ってから、ゆっくり口を開いた。別にわざわざ言う義理はないのかもしれない。だけれど、秘密にしておく必要もなかった。

「あれ、一成と天馬のイメージだから」
「え!?」

 口をあんぐりと開けて、一成が幸を見つめる。瞳も大きく見開かれたまま停止していて、よっぽど予想外だったらしい。幸はそれに構わず言葉を続ける。

「恋なんてわかんなかった。役としてなら解釈として近づけることはできるけど、オレのイメージはずっと不安定で役に引きずられる。だからいつもバラバラで安定しないって、講師にも言われた。悔しいけどその通りだった」

 何度も描き直してはボツを繰り返し、進まなかったデザイン。だけれどあの日、コーヒーを淹れる一成の姿に、そこに現れた小さな独占欲に、幸は自分の心が動いたのを自覚した。

「――オレにとっての恋は、三好一成と皇天馬の形をしてる」

 少なくとも、あの時の幸にとっての一つの答えがそれだったのだ。
 純粋に、一番身近にあったということなのかもしれない。誰より大切な人たちの間に結びついたものに恋という名前がつけられたから、そう思っただけなのかもしれない。
 明確な理由はなくても、あの時の幸にとってそれは確かな答えだった。

「そう思ったらデザインが進んだ。だから、あのドレスはアンタたち二人のイメージ」
「え……と、待って、そもそもゆっきー気づいてた感じ?」
「気づかれてないと思うほうがおかしい」

 バッサリ切り捨てると、一成が手で顔を覆った。「ゆっきーは気づいてるかなと思ってたけど!改めて言われると恥ずかしい!」と言っているが、幸はひとまず無視した。

「一成の独占欲とか貴重なもの見たなって思ったし。ポンコツは……まあわかりやすいけど。一成がワガママになるとか珍しいでしょ。『恋』ってこういうことなのかって新鮮だった」
「え……なんかごめんね、ゆっきー……」
「別に」

 具体的にどの場面を思い出しての言葉なのか、一成はさすがに思い至ってないだろう。
 それでも、自分が独占欲をあらわにしたのなら、きっと幸に不快な思いをさせたに違いないと考えて謝罪を口にした。
 だから、幸はそっけなく首を振った。特に不快には思わなかった。それどころか。

「言ったでしょ、新鮮だったって。普段あれだけ明るいところばっかり見せてる一成にも、強くてドロドロした感情があるんだなって思ったら、一気に恋のイメージが広がった」

 それは恐らく、と幸は思う。幸が最も敏感に反応するのは、強く燃えるような感情だからだ。奥底に隠していたような、消えずに残る炎だからだ。それを幸は、美しいと思う。

「本当は重くて汚いものなのかもしれないけど。一成の独占欲を、あの時のオレは綺麗だと思った」

 独占欲というドロドロとした感情の奥底に隠れる、むき出しの心が何よりも美しいと思った。
 だから幸は、執着で濁ったような半身部分とだからこそ苛烈な愛情の美しさを表現する半身を、切り返しでつなぐドレスをデザインした。

「ねえ、一成。アンタたちの恋は、ただの恋だったよ」

 凛としたまなざしを向けて、幸が口を開く。それを正面から受け取る一成は、何かを言おうとするけれど上手く言葉にならない。

「オレは、俳優皇天馬とか、ウルトラマルチクリエイターとかいう三好一成の二人だからあのドレスをデザインしたわけじゃない。恋とはこういうことだって思ったからだし、それくらいわかるでしょ」
「ゆっきー……」

 幸が何を言いたいのか、考えるまでもなかった。これは一成への反論なのだ。
 俳優皇天馬として、世間から多大なる評価を得る人間との恋。知らぬもののない有名人である彼と恋仲になったこと。だからこそ、その手を取れないと逃げ出した一成への痛烈な反論。
 二人の間にあったのは特別な恋じゃない。ただの恋だ。世の中の誰もが通る、ありふれたただの恋だ。

「……大体、アンタはポンコツに夢見すぎ。いくら世間から評価されてるって言ったって、ポンコツ具合はオレたちがよく知ってるでしょ」
「……ええー、テンテン、めっちゃカッコイイじゃん」

 素直にそう言ってみると、幸が呆れたように息を吐いた。信じられない、という顔をしている。

「リーダーとして頼りになるところは認めるけど。演技力もまあ……色々助けられてはいるけど、でもただのポンコツだから。オレサマだし自信過剰だしポンコツだし方向音痴だし偏食するし子どもっぽいしポンコツだし」
「ゆっきー、テンテン大好きだよね」
「どこが」

 心底嫌そうに言うけれど、その奥底にある愛情は当然分かっている。
 本気で天馬のことをポンコツだと思ってはいるのだろうけれど、それは枕詞に「愛すべき」がつく類のものだし、幸が彼に向ける信頼を一成はよく知っている。
 夏組のみんな、自分たちのリーダーである天馬のことが大好きなのは自明の理だし、同じように天馬は夏組へ愛を返してくれている。それは、何一つ疑うことのない事実だ。

「……みんなさ、テンテンのこと大好きだよね」

 思い出す夏組メンバーの顔。幸だけではない。椋も、三角も、九門も、天馬のことが大好きだ。幸は素直に言わないけれど、他の顔ぶれはわりと率直に天馬への好意を伝える。
 いつぞやの配信でも、臆することなく天馬への愛情を口にしていた。
 夏組が仲良しと言われるのはこれが所以で、天馬が大好きであることを隠しもしない面子が多いのだ。世間一般的に、そこには一成も含まれている。

「オレも、テンテンのこと大好き」

 愛を告げるような言葉。しかし、まるで罪を告白するような調子に幸はぎょっとする。一成は、顔をくしゃりとゆがめてつぶやく。

「テンテンのこと、すげー好き。大好き」

 ただの恋だと幸は言った。きっとそうだ、と一成は思った。
 傍にいられることが幸せだった。手をつなげることが、名前を呼ばれることが、信じられないくらい嬉しかった。
 同じくらいに、大学生活を一緒に送れる葉大生が羨ましかった。同じ部屋の幸が、一緒に出掛ける万里が、仕事で頼りにされる井川が羨ましくて妬ましいと思った。
 表に出しはしなかったけれど、汚いものも綺麗なものも全部含めて、一成は天馬に恋をしていた。

「――こんな風に特別に、しちゃだめだったんだ」

 落とされた言葉は罪の悔恨だった。
 最初に間違えたのはどこからだったのか、一成は時々考えた。天馬の告白にうなずいてしまったことだと思っていた。
 だけれどきっと違う。最初の間違いは、そもそも天馬に恋をしてしまったことだ。

「夏組のリーダーとして、友達として、テンテンのことを大事にしてればそれだけでよかったのに。みんなと一緒に、テンテンのこと大好きって胸張って言えたのに。こんな風に特別にしちゃいけなかったんだ」

 だってそうすれば。一人だけ特別になんかしなければ、天馬は自分以外を当然のように選んだ。こんな風に逃げる一成を追いかけることなんかしなくて済んだ。

「テンテンのことを好きになっちゃいけなかった。オレが、テンテンを好きになったのが間違いだった」

 呆然とした表情を浮かべた一成の唇から、言葉がこぼれた瞬間。
 隣に座っていた幸の空気が変わった。ローテーブルに勢いよくコーヒーカップを叩きつけると、一成の胸倉をつかんだ。低い声で言う。

「否定すんな」

 ギラギラと光る目が、真っ直ぐと一成を見つめていた。それはいつかの天馬にも似た表情で、一成は息を呑む。

「アンタが苦しんでるのも悩んでるのも知ってる。だけど、アンタが――一成が『好き』を否定すんな」

 強い言葉。だけれど、奥底に揺らぐものがある。幸の繊細な心が、大切に守り続けたものが、瞳の底で揺らいでいる。一成は、ぱちりと瞬きをした。

「オレは、どうして一成がポンコツを選んだのか知らない。リーダーとしてとか、友達としてとかそういうのとは違う理由なんて知らない。だけど、一成が天馬を好きだってことだけは知ってる」

 一つ一つの言葉を叩きつけるように、幸は言う。胸倉をつかんだ一成に向けて、決して目を逸らすことを許さない強さで続ける。

「一成。オレは――オレたちは、自分の好きなものをたくさん抱えてここまで歩いてきた。好きなものを明かりにして、ここまでの道を進んだ。そうでしょ」

 決意を秘めた表情で告げられる言葉に、一成は部屋の様子を思った。たくさんのトルソーに、色とりどりの布、幸お気に入りのミシン。
 幸は成長するにしたがって骨格も変わって行ったけれど、今も女性的な装いを続けているし、彼にはとても似合っている。
 彼が「好き」だと思ったものを貫き通していることを知っているし、それは恐らく一成にも通じている。
 日本画。デザイン。芝居。やりたいことがたくさんあって、どれも全部選びたかった。だから一成は、全部ができる道を選んだ。
 その根幹にあったものは、最初の原点はきっと、「好き」の気持ちだった。だから、幸は。

「一成が、『好き』を否定すんな」

 強いまなざしが崩れる。苦しそうな表情で告げられた言葉に、一成はかすれた声でつぶやく。

「ゆっきー……」

 胸倉をつかんでいた幸の手がはずれた。
 激情を潜ませて、いつも通りの顔に戻ったようだけれど本当は違う。奥底にある感情は、まだ幸の中で揺らめいている。
「好き」を指針にしてここに立つ幸にとって、一成は同じ明かりを共にしている存在だ。だからこそ、その「好き」を――一成にとっての生き方そのものを否定することを許さなかった。
 だってそれは、三好一成という存在そのものを否定することと同じだ。だから幸は、決してそれを許さない。

「好きなら好きって、胸張ってろ」

 いつだって「好き」を貫いてきた幸から送られる、何よりも強いエール。
 幸は言うのだ。夏組のリーダーとしてではない特別な感情を持って、天馬に恋した一成に。その恋を――「天馬が好き」という気持ちを持っていることは許されると。
 一成は、泣き笑いのような表情を浮かべた。好きでいていい。この心は許されている。はっきりとした肯定が、嬉しくて幸せで、同じくらいに苦しかった。